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百人一首について調べていますが、資料によって、漢字の使い方、漢字かひらがなか、などがまちまちです。
これは何故でしょうか。
これが絶対という資料はあるのでしょうか。

《例》
春すぎて夏きにけらし白妙の衣干すてふ天のかぐ山(私が持っている、任天堂版のかるた)
春すぎて夏きにけらし白妙の衣ほすてふ天の香久山
春すぎて夏きにけらし白妙のころもほすてふ天のかぐ山
春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山
春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山
春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山
春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天のかぐ山
など、まちまちなのですが。

A 回答 (3件)

#2です。


補足要求に気付かずにすみません> <

え~っと、
>こうした「定家筆」というのも色々あるのでしょうが、回答者様がおっしゃるように、「平仮名で書かれ」と言い切って良いものなのでしょうか。
とのことですよね。
すみません。数年前の研究をそのまま鵜呑みにして書いていましたm(_ _)m

……で、改めて調べ直したところ、
現在(伝)定家筆の『小倉色紙(=百人一首)』は7種類あります。
その中には書かれた日付が入っているものもあり、
どうやら日付が新しいモノになればなるほど「漢字の使用率」が高くなっているようなのです。
しかもあまり難しい漢字は使われておらず、
「月」や「山」「見」などの漢字に限られているらしいということです。
(実際に私が見たわけではないので、ちょっと断言できませんが……)

質問者さまがリンクして下さった記事も読みました。
これも漢字に該当する部分は「山」「月」の部分だけになりますね。
他の漢字のように見えるのは全て「変体仮名」と言って、漢字を崩した当時の平仮名です。
例えば「あ」という平仮名でも「阿」「亜」「安(今の平仮名)」「愛」「悪」など実に様々な漢字から平仮名が派生しているんです。
これは万葉仮名の名残だろう、というのが学者内での定説になっています。
もし「変体仮名」について詳しく知りたい場合は、
書店の書道の棚に言って『くずし字解読辞典』を見られたらいいかもしれません。
その本の最後の方に「変体仮名」がたくさん載っています。

話はずれましたが、その7種類存在する(伝)定家筆の色紙の材質や筆跡、定家の日記(『名月記』)などによれば、
ほぼ間違いなく最初は「ひらがな」で書かれていたであろう、という結果も出ています。
まぁ、研究成果としてはそれほど凄いものではなく、単なる裏付け的なものなのであまり目立った学術報告はないようですが……(つまり学者内では知ってて当たり前的発想?)。

しかし、不用意に答えに断定を加えてしまい、本当に質問者さまには失礼なことをしてしまいました。
また、何かご指摘があれば真摯に考えていきたいと思いますので、どうぞ宜しくお願いします。
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大学時代に、百人一首について研究していた者です。


百人一首は藤原定家が万葉集から新古今までの中の秀歌と言われている和歌を100首(最初は101首選ばれていて、『百人秀歌』と言われています)選集したものです。

今はなかなか見ることができませんが、定家筆の「百人一首色紙」は全て平仮名で書かれてあります。
本来ならば、後世に書写された時に平仮名でないとおかしいはずなのですが、
少なくとも『百人一首』に入集されるほどの和歌は、
日常的に和歌を嗜む人々にとってはかなり有名な和歌になります。
(今で言えば「かけ算を知っている」くらい当たり前の知識です)

つまり、『百人一首』では全て平仮名書きだったとしても、
それを書写する段階で人々は出典である和歌集を思い出します。
その出典には基本的に漢字仮名交じり文字で書かれています。
それこそ質問者さまが《例》に出したように、実に様々な書きようがあります。
なので、自分が見た出典は人によって異なる巻物なので、
それを思い出した人々が、余りににも知りすぎている和歌を写すときに、
うっかり(←本当にうっかりみたいです^^当時の日記にも書かれてあります)出典の記述で書いてしまうことが多かったようです。
なので、そういう経緯で様々な漢字表記の『百人一首』の写本ができあがったわけです。

かるたになる時も、それぞれの会社が選んだ「百人一首」の表記法に従っているだけなので、
会社が勝手に考えた表記法ではないのが普通です。
解説書などを見てみると、多分使用した写本の名前がどこかに書かれていると思います。

そして、基本的に古典作品全体において「これが絶対」という資料は存在しません。
もし仮に「絶対」を作らねばならないのでしたら、最初に『百人一首』を編み出した「定家筆」のものしかないと思います。

この回答への補足

回答ありがとうございました。
書写の段階で様々な書き方が出てきたということ、納得しました。
その後、平仮名書きであったということをヒントに、再び色々調べてみましたところ、次のサイトに行き当たりました。
『YOMIURI ONLINE ヘタウマ定家様をみる』
http://osaka.yomiuri.co.jp/katati/ka41115a.htm
ここには、下記の句とともに、藤原定家が書いたとされる大和文華館(奈良市)所蔵の「小倉色紙」の写真が載っていました。
あ満乃者羅布里(まのはらふり)
佐遣(さけ)見れはか数可(すが)
な留(る)み可(か)さ代山耳(のやまに)
伊亭(いで)し月か毛(も)

これが本当に定家の書いたものだとすると、仮名とも言えるし、漢字が混じっているとも言えるのですが、全てひらがなと言えるのかどうか分からなくなってしまいました。
こうした「定家筆」というのも色々あるのでしょうが、回答者様がおっしゃるように、「平仮名で書かれ」と言い切って良いものなのでしょうか。

もう一度ご回答頂ければ幸いです。

補足日時:2005/08/29 23:03
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平安時代以降の短歌は、仮名、女手、で書かれてあります。

百人一首かるたの、とるほうの札みたいなものです。漢字になったのは後世のことですから、編集者が適当に漢字に改めただけだと思いますよ。作者は全部仮名でかいていたはずです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
仮名書きであったということのようですね。

お礼日時:2005/08/29 23:01

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