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よろしくお願い致します。

最近私は、テレビについて考えています。
ほんの少し前まで、テレビは起きて寝るまで、ほぼつけっぱなしでした。
クーラーも当たり前のように、ガンガンつけていました。

でもあるきっかけがありまして、これらは心を衰弱させることだという
ことを知りました。
今は、テレビっ子だった私は意識して、消し、クーラー、携帯、も
意識して使用してしています。

すると、それまで感じなかったことを感じたり、
こんなにいろんなものに、依存していたのかということに気付かされます。

それで、ふっと思ったのですが、
今、日本は自殺大国です。
未遂に到っては潜在的な数字は本当にびっくりするほどだと思います。

しかし、文明が発達していない国々では自殺をする人はいないと聞いたことが
あります。

文明が生み出したあらゆる依存商品と、心の脆弱性とは
何かしらの関係があるのでしょうか?

よろしくお願い致します。

A 回答 (7件)

人間の文明とは、より便利で、より早く、より安全な社会を築くことにあると僕は思います。

アフリカなど発展途上国(経済的な意味での)よりも先進国である日本の方が、物もお金も豊かで、快適な暮らしを約束しているはずです。しかし、そのような温室の中で育った僕達日本人は、本来人間としての何かを忘れているような気がします。tr4さんは、おそらくそのことに気づかれたのだと思います。

物やお金の豊かさが、人間の幸せにならないということに、ようやく最近になって気づいた感があります。TVCMを見てもそうです。昭和時代は、○○が欲しい、海外に行こうなど、幸せが何か明確でした。しかしそれすら手に入れた現代人は、何が幸せなのかわからない状況になってしまった。社会全体が行き詰まった感じがします。

基本的に、人間は縄文時代でも生き伸びてこれたわけです。縄文時代ですら、すでに人間が生きる条件は整っていたんです。それから信じられないぐらいに文明は進化し、その環境に慣らされ、どんどん惰性的になっていく…。運動不足となり、過食となり、逆に健康ブーム。車が普及して便利になったと思ったら、道路は渋滞。便利を追求するあまり、都市部は自然と隔離され、人間としての何を忘れてしまった。いろんなものに依存し、等身大の自分すら忘れてしまい、ブランドで飾る人たち。服を着てオシャレなのでなく、服に着せられてしまっている。マネキンと変わらないじゃないかと皮肉も言いたくなる。豊かになって、便利になって、その分惰性的になって、幸せが何かすらわからなくなって、つまり生きることがなにかすらわからなくなって、自殺してしまう。鬱病が流行する。若者はそんな姿をみて、働く気がおきず、フリーター、ニートは増える。それでも人間は、進歩が正しいと、暗黙の了解で、経済を回す。回す。回す。それが正義とされる現代資本主義社会。情報革命で、ネットや携帯が普及し、コミュニケーションが容易になった分、実際、生で人と人がコミュニケーションする能力が落ちてしまっている皮肉さ。文明が発達するにつれて、人間はどんどん引き裂かれているように僕は思います。そこに人間の運命が見える気がします。

発展途上国だと、生きていくので精一杯なんです。自殺なんて考える余裕なんてほとんどない。生きるので精一杯。食べるので精一杯。人間として生きるワイルドさは、日本人は本当に女々しいと思います。

なので僕は人間として、その誇りをもってこう思います。人間の文明の進歩は本能であり仕方し素晴らしいことだとは思いますが、逆の関係になってはいけないと思います。つまり、携帯やネットが普及しても、実際に会ってコミュニケーションをとることを大切にしよう。便利さに使われないようにしよう。とか、機械が発達して、大量生産で安価で普及できることは素晴らしいけど、だけど人間が逆に、機械の奴隷になっているのはおかしいと思う。つまり、生産、生産、生産で人間が歯車になっている資本主義社会の現状。それもおかしいと思う。人間の心というものは、縄文時代でも生きてきたその心にあると思うんです。闘うことなく、便利で楽で気持ちいい快楽の温室で暮らす先進国の人は、その分、心まで弱くしていると思います。しかしそのような温室環境でさえも、闘う心を持っている人は、ちゃんとしていると思います。僕はそういう人に魅力を感じます。つまり、自分で自分を管理し、コントロールし、律することができている人。自律している人。僕はそういう人になりたい。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。お礼が遅くなってすみません。

すべての文章にうなずいて、「うん、うん」と拝読致しました。
何かを忘れている。。社会全体が行き詰っている。。縄文時代のお話。。
人間としてのワイルドさ。。
何だか耳が痛いなぁと省みました。
私が文字にしたかったことをおしゃっていただいたようで、
でも、客観的に読むことができ、「まさに」でした。

そして、私は、ただ不満や疑問に思うだけで忘れていました。
→を。>>僕は人間として、その誇りをもってこう思います
嘆いていても、時代のせいばかりにしてもダメなんですよね。

>>闘う心を持っている人は、ちゃんとしていると思います。僕はそういう人に魅力を感じます。つまり、自分で自分を管理し、コントロールし、律することができている人。自律している人。僕はそういう人になりたい。

素晴らしいですね。反省しました(><)
新たな見解をいただいて、本当に感謝します。
私もそのお考えに一緒に賛同させて下さい。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/09/05 00:46

>文明が生み出したあらゆる依存商品と、心の脆弱性とは何かしらの関係があるのでしょうか?



「文明--->依存商品の増加--->心の脆弱性--->自殺の増加」のような図式を考えられたのだと思いんますが、依存商品と自殺の増加には直接の関係はありません。何故ならば、日本の自殺者の70%以上が男性だからです。もし、「依存商品の増加--->自殺」の図式が正しいとすると、日本では男性が女性の約3倍、依存商品漬けの生活をしているはずですが、そういう事実はないでしょう。

また、年齢別に見ると、50歳代が一番自殺率が高く、男性の50代だけで、全体の20%を占めます。この場合も50歳代の人が他の年齢に比べて、依存商品への依存度が特に高いということはないでしょう。

さらに、世界的に比較すると、自殺率の高い国は、旧ソビエト連邦諸国と日本です。同じ程度の文化レベルを持つアメリカは比較的低いですし、ヨーロッパも日本とアメリカの中間くらいです。

では、何故、旧ソ連諸国や日本で、自殺率が高いのでしょうか?
一番考えられるのは、経済・社会構造の急変です。旧ソ連諸国はわかりやすいと思いますが、社会主義体制が崩壊しました。日本では、それまでの右肩上がりの高度経済成長時代から、安定成長経済・少子高齢化へ向かって大きく変貌しつつあります。日本で自殺率が急増し始めたのが97年ですから、正にこの変化と対応しているわけです。

自殺の直接的な原因としては、過労、失業、倒産、借金などが増えていますが、その心理的背景は、「社会的責任を果たせない状態に追い込まれての」自殺です。これは、経済・社会構造の急変の中で、ある者は変化にうまく適応し成功するのに、ある者は変化に適応できず失敗してしまう。そうすると失敗した者は、自分と他人とを比較せざるを得なくなり、そのためますます、自分へのふがいなさ、社会的責任、そして絶望の気持ちが生まれるのではないでしょうか。

上記に関しては、以下の資料が参考になります。
http://www.nli-research.co.jp/doc/li0508a.pdf
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/2770.html

>アフリカにクーラーはあるのでしょうか?

この質問は「アジアにクーラーはあるのでしょうか?」と同じ水準の質問ですね。でも、答えはありますよ。日本では、年間750万台程度、アフリカでは、年間90万台程度の需要があります。エアコンにも様々な種類があるので、詳しくは以下のURLを参照してください。
http://www.shogyo-shisetsu.jp/article/data/data0 …
http://www.jraia.or.jp/statistic/juyo4.html

参考URL:http://www.nli-research.co.jp/doc/li0508a.pdf
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。お礼が遅くなってすみません。

>>答えはありますよ

お答えいただいてありがとうございました。
そういえば、タイトルにもしていたのですがすっかり忘れていました^^;

いろいろな統計を教えていただきありがとうございました。

お礼日時:2005/09/05 01:03

>文明が生み出したあらゆる依存商品と、心の脆弱性とは


>何かしらの関係があるのでしょうか?

相関関係はないと思われます。
自殺率ベスト4グループがロシア、ウクライナ、ハンガリー、日本でああることを考えても関係ありませんね。また、最近日本はベスト10グループからベスト4グループに上がりました。この原因は60代以上男性の自殺率が急増したことが原因だとわかっています。その動機は失業・貧困・健康で、多くが年収300万円以下の人です。また失業率のグラフの傾向とよく一致することも知られています。日本は自殺文化の国ですしね(心中、殉死、哲学死)。
世界的にはほとんど「老い」に関係しているといってもいいです。75歳以上が大半なのですから。

一方、発展途上国(特にアフリカ)で自殺が少ないのは、以下の3点が考えられます。
1.そもそもデータがない(WHOにもありません)
2.赤ちゃんの5人に1人しか5歳まで生きられないような生理的欲求段階の国では、文字通り生存することが第一目的なので、死にたいと思うはずがない
3.自給自足で貨幣経済から遠ければ、自然に対するもの以外は自我を崩壊させるような欲求不満がない。絶望にいたるのは自然だけなので、それは神の領域(科学志向がないため)にすがるだけ

参考URL:http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/2770.html
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。お礼が遅くなってすみません。

>>相関関係はないと思われます。

ですかね。。いろいろな統計を教えていただきありがとうございました。

>>生存することが第一目的なので、死にたいと思うはずがない

これが本来の人間(動物)の姿なのですよね、きっと。
そういう意味においては、日本人もアフリカ人も変わらないはず
なのですが、どこでどう違ってしまったのでしょうか?

ありがとうございました。

お礼日時:2005/09/05 00:59

たしかに先進国は文明が発達し、それほどお互いに協力しあわなくても、普通に生活できてしまいます。


本当はこれほどの交流の少なさは、寂しいことなのですが、今の時代は、テレビやゲームなどの娯楽や、美味しい食べ物や、ブランド品や、美しい外見を得ることによって、その寂しさを応急処置的に紛らわすことができてしまいます。
でも、何らかの理由でそれらを失うと(それさえする暇がなくなってしまうと)、それまで気付かれることのなかった「寂しさ」を実感せざるを得なくなり、それが、犯罪や精神疾患や自殺につながっているように思います。
今の家庭はとても閉鎖的で、その内部の関係が歪んでいても気付かれることがありません。
例えば夫が文明の利器(テレビやパソコンや携帯電話)に依存すると、その妻は、その人と交流することがままならず、その寂しさを、やはり文明の利器によって紛らわす・・ということが簡単にできてしまう、という悪循環が数あまた成立しているように思います。

それから、自分の欲求や感情を表現しすぎないことが美徳とされ、「つうかあの仲」や「以心伝心」が美徳とされ、従順が美徳とされている日本の不健康な風潮も、交流の少なさを助長し、自殺を助長しているように思います。

抽象的で分かりにくくて申し訳ありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。お礼が遅くなってすみません。

>>抽象的で分かりにくくて申し訳ありません

いえいえ、貴重なご意見ありがとうございました。
おしゃっていることはよくわかります。
寂しさや空洞をインスタントラーメンのように、埋め合わせてくれる道具が
氾濫しすぎているように思います。

寂しい→文明品に飛びつく。そのことに何の違和感も感じなくなっている。。
私もそうです。
外部商品に依存していては、自分の心は萎えてくる。
夢中になって没頭している間は、全てを忘れさせてくれる。
でも祭りの後は、妙に、また寂しくなるんですよね。。

>>日本の不健康な風潮も・・

これは確かにいえると思います。
ある国では、自己主張しないと一人前とみなされないそうです。
弱音など、死んでも吐けない。。
そうやって命を落として逝かれた方も多いと思います。
生死に関わる場合でも、言えない、言わないといのは
風潮なのでしょうか?そう考えると怖いですね。。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/09/05 00:55

文化というか…資本主義経済の発展と共に、それに対応する為の精神を教育者(親・学校)が、養う事を正しく行わなかったばっかりに、脆弱な精神を生み出した…と根本から考えるべきでは。



一般論ではこういう…

インターネットとか、
テレビとか携帯電話とか、
テレビゲームだとか
…それにあわせて核家族化とか、
人間関係が希薄になったとか、

あなたの文明の依存品っていうのは、上記の事柄にさかのぼって考えられています。クーラーはわかりませんが、阿多なの目の前にあるコンピュータや、今や携帯電話なんかはコミュニケーションの道具でありながら、コミュニケーションを閉ざす道具にもなっています。

だから、そういった依存品…という視点から考えれば、貴方の言っている事は正しいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。お礼が遅くなってすみません。

>>コミュニケーションの道具でありながら、コミュニケーションを閉ざす道具にもなっています。

まさにそうですね。。
これは本当に声を大にして、言及すべき課題だと思います。

確かに教育課程が根本的な要因というのは言うまでもありませんが、
今回あえて、”文明品”とさせていただきました。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/09/05 00:37

子供が中高生のときに中国を旅しました。

日本では塾に通って、、という同年代の子供が夜屋台を手伝っている。親が困っているのだから当たり前。私が子供のころは当たり前だったのですがどこかで歯車がくるってしまい、いまや若者に迎合しようとしている大人たち。私の子供のころはテレビは2と6だけ。本を読みましたね。だから文章も書けた。
パソコンやゲームのおかげで、人との付き合いの形が変わり、そこには我慢がなくなってきたように思います。でも、文明の中に入れるとするなら、医学だけは、すすんでほしい分野ですね。でも、それも進みすぎるとクローンなどの倫理的な問題がおきてきますよね。そうですね、あなたの言うとおり、文明がすすめばすすむほど、大切なものが失われていくかもしれませんね。それを補うものは、人間同士のふれあいであり、会話であると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。お礼が遅くなってすみません。

>>どこかで歯車がくるってしまい・・

便利になればなるほど、暇を持て余す時間を潰すものが増えれば増えるほど
何だか人間の本質と大きくかけ離れてしまっているような気がします。

>>人間同士のふれあいであり、会話であると思います。

同感です。メールよりも手紙や電話と言った方が、断然体温が伝わりますね。。
時代は変わっても、変わらないものがあると思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/09/05 00:34

単純に文明の利器のせいで日本の自殺率が高いわけではないでしょう。


アメリカなどのほうが自殺率が高くなりそうなもんですね。

たしかに、発展途上国よりも電化の進んだ国のほうが
自殺率は高そうです。
ですがその理由は自殺以外の理由で死ぬ人が少ないからでしょう。
募金の募集文句のように貧しい人たちは病気や災害で死んでしまうんですから。

人間の心の弱さは、
人間が人間と成ったときから滅びるその日まで変わらないと思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。お礼が遅くなってすみません。

アメリカよりも日本の方が自殺が多かったことは知りませんでした。
文明と心と自殺相関。。

何かがつながりそうだったんですが。。ありがとうございました。

お礼日時:2005/09/05 00:29

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