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ここにA君という人がいるとします。
A君がA君である所以は、脳のどの部分なのでしょうか?

例えば、A君全体がA君なのは当たり前ですが、たとえ腕一本、足一本失ったところで、A君はまだA君ですし、自分でもまだ以前のA君と意識内ではなんら変わる事がないと思います(体の部位を失って絶望、、とかは無視します)。
そういう意味では、(いっぺんにでなければ)体のどの部分を失ってもA君はA君であり続けると思いますし、場所によっては生命維持装置で人格を保ったまま行き続ける事も可能である。と理解しています。

しかし脳だけは事情がちがいますよね。 

脳がなくなると、確実に人間としての機能を失うと思います。 しかし、脳とは言っても、細かい部位に分ければそれぞれ役割があるそうですね。 ですから、脳といえども部分的に失うだけなら、場所によっては死なないし、まだ人格を失わない場合もあると聞きました。

そこで長くなりましたが、脳のココの部分を失ったら、A君の人間としての機能(意識内のみ)が無くなる、という部分はどこでしょうか?
逆に言えば、脳のココの部分だけがあれば、スーパー声明維持装置等で人格、意識、感情等を保ったまま生きられるという場所はどこでしょうか?

稚拙な文で読みづらいかもしれませんが、どなたか解る方いましたら、教えていただけますか。

A 回答 (7件)

>下側頭連合野 inferotemporal cortex は、視覚パターンの弁別 visual fom discrimination の学習と保持に重要な役割を果たす。

サルの下側頭皮質を摘除すると、視力が正常にもかかわらず、比較的複雑な視覚パターンの認知ができなくなる。この状態を視覚失認 visual agnosia,または精神盲 psychic blindness という。

参考URL:http://www.tmd.ac.jp/med/phy1/ptext/high4.html
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この回答へのお礼

とても詳しいサイトのご紹介ありがとうございます。 
視覚に関係した所らしいですね。 目が見えるのに、見たものが理解できない、、、とても興味深い部位です。 必要な部位に一票と言うことですね。  しかし、“精神盲”という言葉はおもしろいですね。

とても参考になるご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/12/25 09:25

こんにちは。



>A君がA君である所以は、脳のどの部分なのでしょうか?

「意識」や「思考」「記憶の出し入れ」など、我々の脳で最も複雑な作業を行なっているのは大脳皮質内の「連合野」と呼ばれる領域で、これらを統合するのは主に「前頭葉・前頭連合野」ではないかと考えられています。その結果が「人格」ということになるわけですが、これと同時に、やや下位の中枢になりますが、「大脳辺縁系」と「小脳」のふたつが、A君の人格にとって欠くことのできない重要なパーツになります。

たいへん大雑把ですが、我々哺乳動物の中枢機能は、レベルの高い順に「知能」「情動」「生命」に分けられます。
大脳皮質は系統発生的に最後に発達した最も新しい中枢で、意識、思考、記憶といった知能を司るシステムです。逆に最も原始的なのは「脊髄」で、その上位に位置し、「延髄」「橋」「中脳」といった「脳幹」と、「視床」「視床下部」を含む「間脳」までは末梢神経と中枢の連絡路であると共に、「無条件反射」「本能行動」「自律作用」の中枢が集まる「生命機能」の領域ということになります。
そして、間脳と大脳皮質の中間に位置する「大脳辺縁系」は、下位の生命機能をより高次なレベルでコントロールすると共に、上位の情報伝達や運動機能にも出力と持っており、入力に対する「価値判断」を行なうことによって「情動」を発生させ、「情動性自律反応」や「情動性行動」といった様々な「条件反応」を身体に表出します。この「情動反応」が大脳皮質で知覚され、認知できる状態になったものを「感情」といいます。従いまして、大脳辺縁系がなければA君に感情は発生ません。
ということですから、人格、意識、感情を保持したまま生命を維持するためには、結局、脳のほとんどの機能が必要になってしまうということになります。

ですが、生命維持装置というのは、人格や感情を維持するととはできませんが、生命を維持することはできるわけですよね。しかも、この装置は「スーパー級」です。ならば、ちょっとSFチックな話になってしまいますが、生命機能に関わる中枢は全てコンピューターや機械に置き換えてしまうことができるはずです。
生命機能というのは、我々にとって最も基本的で重要なものですから、それは絶対であり、確実でなければなりません。生命というものをそれほど簡単に考えてはいけませんが、それゆえに、生命機能というのは誰の身体にも生まれる前から同じものが遺伝子として定められており、その処理判断はふたつにひとつという極めて単純なもので、そして何よりも、変更は絶対に効きません。このような神経反応を「無条件反応」といい、本能行動とはこれらの集まりです。
つまり、生得的・本能的に定められ、誰もが同じ反応をし、それが「無条件」ということであるならば、生命が維持されるのであれば、この辺りは別にA君のパーツでなくとも構わないということになりますよね。

さて、「大脳皮質・連合野」「大脳辺縁系」「小脳」、この三つに共通する点は、A君が生まれたあとの体験によって獲得した「学習記憶」が保持されているということです。このようなものがA君のパーソナリティーになります。
記憶というのは主に大脳皮質に保持されるものですが、その外にも、大脳辺縁系に属する「偏桃体」には「情動記憶」というものがあり、「小脳」には熟練運動を実現するための「運動記憶」の形成という学習能力があります。
「偏桃体」は辺縁系内で入力情報に対する価値判断を行ない、それに基づく「情動」発生させるという「感情の源」であり、この価値判断に使われる判断基準が「情動記憶」といわれるものです。そして、生得的・本能的に定められた反応を「無条件反応」というのに対し、このような生後の体験・学習に基づくものを「条件反応」といいます。
例えば、食べ物の好き嫌いや、異性の好みなんてものは偏桃体の情動記憶です。このようなものは、しばしば生まれたときからそうだったように思えてしまいますが、個人差がある以上、それは生後に獲得された「条件反応」以外の何物でもありません。
A君はセロリが嫌いだとするならば、それを見た途端、偏桃体では「不快情動」が発生し、回避行動に走りますが、逆に、セロリの好きなひとであるならば「快情動」が起こり、それに対する接近行動が選択されます。感情というのは喜怒哀楽といった分類が可能で、それは人類共通です。ですから、その多くの部分は生得的機能であるわけなのですが、このように、生後の個人体験によって獲得された情動記憶による条件反応の場合は、何に対してどのような情動が発生するかは十人十色ですし、それによって選択される行動も全く異なってしまいます。

小脳は、大脳皮質・運動野から運動神経系に出力される命令に対して、それが円滑に行なわれるためのサポートを行なうと共に、細かいミスを修正し、それを学習・記憶するという役割を担っています。これを「運動記憶」といい、刳り返しと行なうことによって慣れてきますと、我々は何も考えずにスムースな熟練運動をこなすことができるようになります。
具体的に熟練運動といいますれば、我々が生まれて間もなく立ち上がり、姿勢を整えて真直ぐ歩けるようになるといったものから、自転車に乗る、更には、内野手が痛烈なショート・ゴロを一瞬にしてさばき、二塁に送球してゲッツーを取るなどといった華麗なプレイは、多くの部分が訓練によって小脳に蓄積された、熟練した運動記憶の成せる技ということになります。
A君が照れ臭そうに鼻の頭をこすったり、頭を掻いたりするのは、偏桃体の無意識な情動行動に小脳の運動記憶が関わっていますし、自転車に乗るにしても、肩を怒らせながら一生懸命にペダルを漕ぐというのであれば、それは生後に獲得された運動記憶というA君の個性です。
「脳のどの部分が残っていればA君として生きられるか」というのは少々乱暴なご質問だとは思います。ですが少なくとも、A君の人格や感情を保持するという条件を満たすのであるならば、生まれながらにして誰もが持っている部分ならばいざ知らず、このように大脳皮質や偏桃体、小脳に保持された「生後の体験によって獲得されたもの」は、如何にスーパー生命維持装置といえども代用が効きません、つまり、A君のパーツでなければダメということになるのではないかと思います。

念のため、決して私は、スーパー生命維持装置をいたずらに誇張し、それらがあればA君がA君としてあり続けられると主張しているわけではありません。大脳皮質・連合野、大脳辺縁系、小脳の機能に代用が効かないということは、飽くまでA君の人格が何によって培われているのかということであり、それが私の回答の主旨になります(くどくて済みません)。
ですが、中枢機能を代用するスーパー生命維持装置というのも、それほど荒唐無稽な話というわけではありません。私は現在の医療技術であるならば、近い将来、必ずや失われた神経組織や中枢の機能を代用する「生体ディバイス」が開発されると考えています。これがあれば、視神経や運動神経が切断された患者さんに信号伝達のバイパス手術を施して、その機能を回復してやることができます。
神経細胞とは、信号伝達を行なうという特殊な細胞ですから、これに関しては、臓器培による再生医療よりも、生体ディバイスの方が先に実現する可能性は充分にあります。ですが但し、それによって破壊された神経組織や中枢の機能を復元することはできたとしても、刳り返し申し上げた通り、生後に獲得されたものに就いては代用が効きません。ですから、それが如何に精度の高い部品であろうとも、ひとたび失われてしまった記憶や人格を取り戻すということは、やはり、どうしてもできないのでなないかと思います。
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この回答へのお礼

今のこの世、様々な臓器が人工物で代替できるようになって来ていますが、やはり脳だけはまだまだ先の話ですね。  それに伴う様々な問題も出てきそうですし、まだちょっと想像できない域なのかもしれません。 

とても詳しいご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/12/27 07:56

> 私はある一点で大きく誤解していたかもしれません。



恐らくそうだと思います。
脳死状態でも体は生きていると仰っていますが、ではその体は本人によって動かされる事はありますか?
その価値観を逆に当てはめるのなら、脳細胞は生物活性を持っているが、活動は問わないという事ですよね?
脳の活動を問うのであれば、脳死のベッカムがスーパーゴールを決めなければいけないって話になります。

>睾丸を取ると人格が変わる、と言う事は初めて知りました!

質問文が『A君』となっていたので去勢すれば人格が変わると書きましたが、女性で重い更年期障害によって人格が一時期変わってしまうのは人工的に手を加えなくとも目にする事が出来る良い例です。男性にも更年期障害あるのですが、一般に知られていないので去勢を例示しました。
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この回答へのお礼

女性の更年期障害は結構大変らしいという話はよく耳にしますが、男性にも更年期障害があるんですね。 男性は幾つになっても若いときと変わらない程のサカリがついていると思っていましたが、(実際そういう方も身近にいらっしゃるので、、、)意外な事実です。  

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/12/27 07:55

はじめまして。

興味深い質問でしたので回答させていただきます。
まず、何をもってA君なのか?という部分についてですが、記憶、人格、容姿、個性、…etc
もしくは、全て絶妙なバランスでA君だという方もおられると思います。
何が、答えと言い切るつもりはありませんが、私が考えるに『人格』が大きなウエイトを占めているのではないでしょうか。
人間の脳は、未知な部分を含め数多く研究されています。その中で、前頭葉の前頭連合野であると考えます。

前頭連合野はもっとも人間的な部位で、思考や創造性に関しては脳の最高中枢であると考えられています。

実際、認知症の疾患として『脳血管性痴呆、アルツハイマー型痴呆、(ピック病)』などがありますが、この中でアルツハイマー型痴呆は人格崩壊を引き起こします。(脳血管性痴呆は人格は保たれます)このアルツハイマー型痴呆では、前頭葉(側頭葉)の脳萎縮が起こります。

また、過去に、ノーベル賞をとったことで有名な『ロボトミー(前部前頭葉切截術)』は、欝や不安神経症の患者に対し劇的な改善を見ましたが、うつが治った代わりに、ぼ~っと一日中していたそうです。

以上より、前頭葉前頭前野が人格をつかさどる部分なのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

 “一般人向け”の脳についての本を読むと必ずといっていいほど出てくるのが、事故で大きな鉄の棒がほおから前頭葉にかけて貫いてしまった人の話です。 前頭葉をかなり損傷してしまったものの、命に別状はなく、しかし性格が以前とはガラッと変わってしまったらしいです。 やはり、前頭葉全体は必要のようですね。 

とても参考になるご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/12/25 09:29

脳で言えば、全部じゃないかな。

なんとかニッケ?とかいう溝や、前頭葉などすべて含まれると思います。

脳だけじゃなくて、走るのが速いからA君だとか、彼の字は上手い(手が必要)、あの色の違いを見分けられるのは彼女しか居ない(眼球)などもその人の一部なので、脳だけってのは物足りない感じがします。
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この回答へのお礼

おっしゃる事はよく解ります。 そこら辺の問題も質問中の「体の部位を失って絶望・・・無視してください」の範囲に入れたいと思います。 
実際にあらゆる事故等で体の機能(脳から下)を失う人は大勢いて、その度に、人生が変わったと感じる方は多々いらっしゃるかもしれませんが、違う人間になったり、事故前の自分と今の自分が一致しない、、とまでは表現しないと思います。 うーん、、でも難しいですね。 やはり、この問題は・・・・・・

貴重なご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/12/25 09:23

『脳みそ至上主義』故の疑問でしょうね。



では逆の例を挙げてみます。
脳は完全に維持しているとします。

A君から睾丸を取ってしまうと確実に人格変わりますよ。
A君(の人格)は脳によって実現しているのかも知れませんが、脳は脳以外の器官によっても大きく影響を受けて活動しています。

質問者様の仰っている“スーパー生命維持装置”は、人口睾丸を含まなければなりません。であるならば、逆に完璧に脳をエミュレーションできる装置もその“スーパー生命維持装置”で実現できるという仮定でなければパラドクスに陥ります。完璧な脳を再現する装置が出来るのであれば、脳が死んでも首から下だけでもA君を維持するでしょう。(『完璧な生命維持装置』という事は重量サイズとも“オリジナルと同等以上の性能”という事ですので。)
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この回答へのお礼

睾丸を取ると人格が変わる、と言う事は初めて知りました!
でも、たとえ睾丸を取ってしまって人格が変わると言っても、「私は誰だ?」 とか、「以前の記憶と今の私が一致しない」等の人格の変化ではないと思います(実際は知りませんが)

ただ私はある一点で大きく誤解していたかもしれません。 というのも、以前本かなにかで 脳死患者が生命維持装置で首から下の体だけが生かされていて、結局装置が外される事になり、その後解剖してみたら、脳はドロドロの状態であった、、という話を読みました(何の本だったかは覚えていませんが)。 と言う事は、脳以外の部位は、生きていくには第3者の介入があれば脳はなくとも生きていける、、と理解していました。 とすると、単純に逆の事も頭によぎって、脳は体の脳以外の部位が無くとも、第3者の助けがあれば生きていける、そして、脳は体の他の部位と違い、意識等の人格を形成しているところだから、脳死の患者と違い、意識や感情なども残っているのでは、と思っていました(その感情等の表現方法の問題は無視しますが、、、)。
もう少し、脳と体の関係を勉強したいと思います。

大変参考になるご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/12/25 09:20

やっぱり、海馬ではないでしょうか?、記憶を司ります。

ここがダメになれば記憶が失われます。生命としては生きている状態ですが、記憶が失われれば、以前のA君には戻れないのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

そうですよね、人が人であることを楽しむのには、記憶が大きいウェイトを占めていると思います。
ですから、海馬ははずせない一票と私も思っていました。 
ただ、海馬が感情や思考などの人格等までをも司っているとは思えませんから、海馬と共にもう少し他の部位も必要なのかなとも思いました。 

とても参考になる回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/12/25 09:15

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