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精神に詳しい方にお聞きしますが…。
心の傷ってつけた相手にしか治せないと思っているのは間違いですか?
私は最近痛く心を傷つけられて、引きこもりと言うのでしょうか、部屋から怖くて外に出れません。
自分で心と向き合って色々考えて来ましたが、治すのには傷つけた相手の協力が必要だと感じています。
一緒に苦しんでるのを乗り越えて初めて癒された気がします。それって「治る」ってことなきがします。時間が解決…それって記憶が薄れて恐怖が減っただけで傷は治ってないように感じます。

精神科にも行こうかと考えましたが、職業として第3者に助けてもらっても、問題は解決しないと思うし、何とかなったとしても傷を治したのではなく、見えなくしたに過ぎないのではないかと…。どうなのでしょうか?

A 回答 (8件)

例を挙げて簡単に考えると、、、。



道を歩いていて、あなたは相手に突き飛ばされ
転んでケガをしてしまいました。
あなたは傷つき、道を歩くのが怖くてたまらなく
なってしまった。
相手に謝って欲しい、謝罪してもらって一緒に
傷の手当てをして欲しいと思っている。

傷つけられた相手に謝ってもらい、協力してもらって
心の傷を癒せたら、それは確かに理想的かもしれない。
でも、ほとんどの場合がそれは無理なことだと
思います。
人を傷つけるような人が、心を改めて相手の為に
尽くせるとしたら、それはその人がもっともっと
時間を置いて、大人にならなければ無理だと思う。

それより何より、忘れてませんか。
koko2001さんはいま心に傷を負っているということ。
転んでケガをしたら、相手に対する怒りもあるでしょう。
けど、まずは自分の傷を見つめて治すことが先決です。

相手に自分のしたことを理解させ、反省させ、協力し
合って回復させるには、並大抵の精神力がなければ
説得しきれないと思う。
傷を負っていたり、その後遺症で悩んでいる人に
それをする力はないと思います。

相手のことを考えるより、傷ついてる自分を見つめ
ましょう、、、そして痛かったことを嘆いて、腹が
たったことはキチンと怒って、傷ついた自分の感情を
無視しないで一つ一つ解決していって欲しいです。

心の傷は、自分で癒すものです。
第三者の力を借りるのは、自分の選択肢では行き詰まって
しまうからです。
カウンセラーのアドバイス、本の中に出てくるアドバイス
掲示板からのアドバイス、どれもがkoko2001にとっては
選択肢に過ぎません。
たくさんの選択肢の中から、どれを選び実行するかは
lambrettaman次第でそれは尊重されるべきだと思います。

心の傷を、より一層ひどくする要因は、自分が自分を
きちんと見ていない場合が多いです。
傷つけられたことに対する怒りをきちんと吐き出す。
怒りのトゲが取れてくると、次に傷を負った悲しみが
出てくるかもしれない、その時はきちんと泣く・悲しむ。
感情というものは、しかるべき場所で出すことによって、
ちゃんと消化され、心の中のあるべき場所でちゃんと
落ち着くものです。

※しかるべき場所、、、とは、lambrettamanさんが
安全だと感じる場所です。
カウンセリングでもいいし、ネットの掲示板でもいい、
話を聞いてくれる友達・家族でもいいと思います。

ぐしゃぐしゃにされた心のタンス。
今はふたがめちゃくちゃな衣類をそのまま押し込み、
無理やりふたをしている状態です。
ちゃんとふたを開け、衣類を整理することができるのは
lambrettamanさんだけです。
だってlambrettamanの心の中な訳だし。

この回答への補足

例をあげてくださったように1つの原因でしたらば、
こんなにややこしくなっては居ないのですが…。
例に倣って言えば、車に轢かれそうになって、
一緒に歩いていた友達が危ないって突き飛ばして
助けてくれてたのは良いけれど、車は免れたけど自転車に轢かれた。
ってかんじです。
さらに補足するなら、
助けた友達は私のことを良く思ってなかったみたいで、
自転車に乗っていたのは自分の大切な人で。って感じなのです。
こんな場合、自分にとどめをさした大切な人が悪いのか、
原因を作った友達が悪いのか、無防備に信じていた私が悪いのか。
今気づけば、友達の一件さえなければって部分がとても大きくて、
2ヶ月前の当初、全てを知ってなお考慮できずにトドメをさした方を嘆き、
全ての元凶にしてしまいましたが…。怒りは不思議な事に無かったです。
嘆きと後悔と。強くない自分には憤りは感じますが。
原因となった事件も今になって明らかになれば友達が周到計画して
故意的にやったことだと分り、本当に世間が怖いです。

補足日時:2002/01/11 09:49
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>どうなのでしょう…。

再び精神科に行けば治りますか?

精神科へ行けば治る…保証はないでしょうね(正直)、特に自身の深い心の傷(トラウマ)に関しては、うつや分裂病といった本式(?)の精神病とは違いますからね。カウンセリングにしたって、koko2001さんが言われるように『心にメス…観察』という見解は私にだって否定できません。精神科医もカウンセラーも薬も休暇も…全て『道具』にすぎません。主体性をもって使うのは、koko2001さんご自身なんです。これに頼ることは楽ちんですが、回復を遅らせます。自分で『立ち直ろう!』って気力を持てるようになるまで、自転車を後ろから押すようにするのがこれらの道具の仕事なんです。人によっては家族かもしれないし…ですが、キズつけた本人がこの役割をすることは期待してはいけません。ありえないとは言いませんよ(ただ、和解というのはそんなに簡単に得られるものではありませんし、その形での決着はえてして「フラッシュバック」という後遺症を残します。)。

大切なのは『主体性』をもって自分自身でやり遂げる重要性に気がつくことです。それだけで半分以上は果たしているとも言えます。
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この回答へのお礼

有難う御座います。
心療内科に行ってましリました。
何となく、これだけでは治らないなぁと感じました。
薬には感謝しています。
正直、「あー全部嫌だ!」って発作的に自殺したくなることが1日に一回はあったので、薬でそういう症状が抑えられるだけでもありがたいです。
もう少し、睡眠を十分に取れて、落ち着いて考えられる状況になったら、自分の力で立ち直ろうと思います。

お礼日時:2002/01/11 09:30

こんにちは。


あなたの願うように、あなたを傷つけた人がその意味を感じ取って反省して、
関係が修復できるならそれは一番楽ですね。
でも、自分以外の人間の考えや感情はコントロールできません。
それでも、あなたは自分の意思と力で傷をいやすことはできます。

あなたはとにかく失ったものを嘆く必要があるし、傷つける可能性のある人から
離れて安全な人間関係の中で少しずつ自分の心を観察し、その結果みつけた
すべての感情を(醜いと思うものを含めて)自分のものとして認め、
そのうえで自分を愛し、他人に向けて心を開く…というような手順が
必要だと思います。それは、あなたがやることなのです。

ただ、その方法、努力の方向や度合い、実現への諸問題の解決は、傷ついた人が
ひとりで考えるには難しいと思います。
そういう部分での助けを得るのに、精神科やカウンセラーは役に立つと思います。
なにかをしてもらう、というよりは、方法を教えてくれて、一緒に考えてくれる
役割だと思えば、それほど恐怖に感じないのではないでしょうか?

プロに手伝ってもらって自分の心と向き合うことで、
相手の謝罪で解決するよりも、より多くのものを得ることも少なくないですよ。

この回答への補足

ご意見有難う御座います。
失ったものが安心できる場所や人を信じるという事で。
安全な人間関係が今は無いのです。

心療内科には行きました。でも一緒には考えてくれなさそうです。

しかし、他人の感情はコントロールは出来ませんし正論だと思います。
上手くはいえませんが、心療内科に通うほどに私がやんだ事も
相手にとって衝撃だったらしく、普通に話す事すらなくなりました。
自分でどうにかするしかないのですね。

補足日時:2002/01/11 09:10
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心の傷って事ですが、あなたが言っている事はあたってるかもしれません。

それがたぶん一番いいんだと思います。
でも、いつもそうなってはくれないですよね。僕だって今までたぶんたくさんの人傷つけてきたし、傷つけられたと思います。傷つけた人に対してはやっぱり謝りたいっていう気持ちがあります。これはそうすることで自分も楽になれるところがあるからだと思います。意識っていうのは消えないですからね。忘れてても消えてはないと思います。
逆に傷つけられた場合は、僕は相手に求めるって事はないです。そう言う概念があまりないです。でも相手が何かしてくれたら傷は早く良くなって、心も満たされるような気はします。本当はそうなってくれたら傷も治って気持ちが満たされて良い方向に強くなれると思ってます。
でも初めにも言ったけどあまりあるものじゃないし、それを頼りにしているといけないような気がします。
いつもいつも償えるわけはないし、今までのこと全部なんてとても出来ないし。気持ちはあっても行動できなかったりするし。でも気持ちはあると思うんですが。
だから僕の場合は、やっぱり時間になります。時間って言うより自然っていう方が感じは近いですが。無理しないし力まないで、自然に自分の気持ちが回復していくのを待ってます。そういう時って人からの優しさだけが癒してくれるんです。傷つくほど優しさが身にしみて人に優しく出来るようになります。

あと、問題の解決って事ですが、まずは日常生活が出来るようになるまで回復することが大切ですよ。出来るようになったらゆっくり回復していくのを待ちながら生活していけば良いと思います。傷つけた人じゃなくても癒されることはあります。
結局人にしか癒されないですよね。

だからあまり無理しないで自分を追い込まないで大切にしてあげるのが良いと思います。そう言う時こそ自分の味方になって大切にしてください。
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この回答へのお礼

有難う御座います。
時間をおくことは大事ですね。
普通に生活できるようになるまでは時間をおきます。
暖かいお言葉有難う御座います。

お礼日時:2002/01/11 09:08

こんにちは!



言葉はよくありませんが、「加害者」と「被害者」という言葉を連想してしまいました。
koko2001さんが、どのような状況で心に傷を負われたのかわかりませんが、わたしの場合はむしろkoko2001さんとは逆で、「加害者」に協力してもらって心の傷を癒したい(治したい)とは思わないんです。何故かというと、相手に負い目を感じさせながら、乗り越える・・・という行為はしたくないからです。
一緒に苦しみを乗り越えようと思える人は、自分にとって大切な人ですよね?大切な人に負い目を負わせたくないんです。そういう存在の人は、たぶんわたしの苦しみをわかってくれる人だから。だから、相手も苦しんでいると思うのです。自分がいくら苦しくても、大切な人をも苦しめたくはない・・・とはお思いになりませんか?
どんな傷であれ、心の傷は、結局は自分で乗り越えるしかないと思えます。身体の傷と同様に。

恐らく、koko2001さんは、相手の方に甘えたいのではありませんか?とてもとても大切で大好きな人だから(好きという意味は、広い意味でです。ご事情はよくわかりませんから)。

わたしは、昨年、心に傷を負ってから自分自身の状態が悪くなり、今年心療内科でうつ病と診断されました。追い討ちをかけるように、悪い事もありました。そういう状況にあるにもかかわらず、世の中には傷口に塩を擦り込むような行為をする人もいます。わたしは当然傷つき、病状は悪化します。
けれど、わたしはその人と共に傷を癒したいなんて、少し思いませんでした。だって、その人は、傷の深さを理解できない人だし、仮に「ごめんなさい、傷の深さがわかるわ」というような事を言ったところで、絵空事のように思えるだけだからです。
自分が人生を生きていく上で同じような事を他人にしなければ良いだけであって、人の心の痛みのわからない人には、同情をするのみです。

心療内科は、自分の治癒力の助けになってくれます。
わたしはもともと薬に抵抗感があった為、心療内科に通いながらも、途中で服用を止めてしまった事があります。でも、早すぎたんですね。「事件」から経過した時間的なものもあったのですが、前よりも辛くなって、その時、初めて自分が如何にあの小さな錠剤に救われていたのかを知りました。
わたしは、これは逃避だとは思っていません。

人には色々な時期や季節があって、自分と正面から向き合って心の傷を治せる時もあると思うのです。
でも、少なくとも、今の自分には、薬の助けが必要だという事です。

仮に、koko2001さんが精神科か心療内科に行って、ドクターが納得の行く対応をしてくれなくても、気になさることは全くありません。相性が大きいのです。良きドクターに巡り会えるまで、流浪の旅に出て下さい。

結局は、自分自身の問題は、自分自身で決着をつけなければならないのが人生だと思えます。もしかしたら、わたしは他人にあまり期待していない冷たーい人間かもしれません。
koko2001さんのお考えが間違いだとは思いません。ただこういう考え方の人間もいるということです。
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この回答へのお礼

有難う御座います。
adelaideさんのアドバイスで決心して、昨年末に心療内科に行ってまいりました。
お医者さまとの相性はよくないのですが薬にはかなり助けられています。

お礼日時:2002/01/11 09:03

私は学校で嫌なことがあって、一時期家族にも会いたくなくて、家に帰っても自分の部屋にずっといたことがありました。

その年(去年)は最悪でしたね・・・。誕生日で祝ってもらったときにも、プレゼントがうれしくない、料理を食べても、自分は自殺するつもりだったので、ぜんぜんおいしいと感じられませんでした・・・。そんな自分を変えたくて、家の中でも家族の前にいるようにしました。学校へ行っても、友達となるべく多くの時間を過ごしました。吐き気がしたり、お腹が痛くなったり大変でした。でも、なんとかこらえています。なにげない日常で、友達と一緒にいること、家族と一緒にいること・・・それによって多少癒されたと思っています。私のことを傷つけた人のことを避けていましたけが、それじゃ意味ない!って思って文句を言われても、友達に心配かけないように・・・家族に心配かけないように・・・って気にしないように心がけました。そしたら、多少のことでは傷つかない・・というか、多少のことは忘れられるようになりました。今もまだ吐き気とかは少しあります。でも、自分がなんとかしよう!って思ったことによって前よりも気分も心も楽になりました。だから、傷を癒すのは自分だと思います。ってちょっと本題からズレてますが・・・。第3者に助けられることもあると思います。私は友達と一緒にいるときに気持ちがやすらいだし。傷は消えないと思います。でも、癒す事はできます。だから、治らないと思います。その傷の上になにかをかさねることによって、傷を隠すんだと思います。傷つけた相手は、傷つけられた相手の心を強くするための人だと思います。

この回答への補足

有難う御座います。
私が中学生だった頃イジメに苦しみ失語になりまして、学校を3分の1くらい欠席した事があります。下にも書きましたが、精神科医のそういうところを見てしまいましてそのときも精神科のお世話にはなりませんでした。
食事もせず、夜も眠らず、外傷を作って血を見ては心の安らぎとしていました。
いつか死ぬのではないかと思う中、イジメたグループの子達(一番仲良かった子もそのうちの一人で)が家に訪れ、はじめ何回かは門前払いしたのですが。そううち本気なのを感じ取って、会って話しました。なきながら「御免なさい」って。「私達が向き合ってるのは人って感情のある生き物なのに、理解して上げられないで御免なさい。」って。床に頭をつけて泣いてました。「私達もあのときから寝れません」って。2ヶ月ぶりくらいにそこで「もういいよ」って、ちゃんとはいえませんでしたが、言葉を言いました。そこから少しずつ信用できる人、世界が広がって、救われてゆきました。
そういうものだと思っていたのですがイレギュラーな事だったのでしょうか?

補足日時:2001/12/17 16:16
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今現在こころの病と取り組んでいる者です。



正直言って、相手しか治せないいということはないですよ。
あくまで、「自分で治る」ものだと思います。

ただ、自分ではどうにもできないくらい、こころのエネルギーが低いときというのがあって、その時に「相手」「精神科医」「抗うつ剤」の助けを借りて、本来の自分を取り戻すべく「治す」ことは必要だと思います。

ご質問の内容を拝見すると、「相手」がどれだけ協力的であったとしても、傷ついたときのダメージとその後の精神状況とを「共有」することは不可能ですから、逆に第三者である「精神科医」の診察を受け、こころを癒しながら、落ち着いたときに「相手」に「その時」についての経験と感覚を伝えるくらいにされた方が楽にというのは変ですが、少しはうまくいくのではないかと思いますが、どうでしょう。
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この回答へのお礼

有難う御座います。
自分で治すそうですね。自分の問題ですしね。
ただ正直いいまして、知り合いの方が精神科医さんとトラブルを起こしたり、
お見舞いに行ったときに医療スタッフさんのボヤキを聞いてしまってからはどうも信じられないのです。所詮お仕事だよねって事しか考えられません。
精神科医は信じられるのですか?私は心をメスで切り開かれてじっくり見られるようで怖いです。

お礼日時:2001/12/17 16:07

感傷的な考え方はわかりませんが、医学的な考え方を基準に判断すると、あなたの説は誤りです。



例)幼児虐待→親から引き離したうえでの治療

実際、一時的な隔離が必要になる症例は山ほどあります。
供依存といって傷つける側、傷つけられる側の結びつきが強く、容易に引き離せない場合もありますが…

精神科医が心の病を完治させる…誰もそんなことは考えていませんよ。ただ少なくとも『社会生活が普通に行えなくなっている状況』から引き出し、『自己で対応可能な状況』へ引き上げるだけのことなんです。普通の医者が薬や手術で体の状態を引き戻し、最後は患者さんの生命力に賭けるようなものです。

そこから先は、koko2001さんが言われるような『乗り越える』という過程が必要なのかもしれませんね。ただ、傷つける人がまた新たに傷をつけることは結構見られるものですから注意は必要です。また傷つけた側に直す「努力をする」義務があると考えるのも何かと問題がありますね。

ちょっと辛口ですが、一般的な臨床の立場から。
精神科は専門外ですので一般人として。
内容的には問題ないと思っています。
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この回答へのお礼

間違いなのですか…。
そうですね。外傷的傷でも、結局ついてしまったものは残りますからね。
手術の後や家の傷なんかもそうですね。
頭では分っているのですが…感情的には…中々難しいです。
かたや自由気ままに楽しく過ごしている中、夜も眠れず人に怯えている自分。
あまりにも違いすぎるなって。卑屈になってゆきます。
「傷つけたくなかった」相手は言いますが、過ぎたことや言ってしまった事はどうにもなりません。ならこれからの「行動で証明してよ」って思います。一緒になって苦労してくれて、もう一度信じさせてほしいです。言うだけなら自由。言い逃げも出来ますからね。私が立ち直るのに必要としているのは相手を「信じれる」かって事のような気がしています。
私の心に深く刺さってるのは「俺を信じろ。信じていい」って言う最大の嘘です。何もかも信じてなくなりました。
どうなのでしょう…。再び精神科に行けば治りますか?

お礼日時:2001/12/17 16:01

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