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「主が死んだことも知らず、彼の愛馬はのんびりと草を食(は)んでいたことである。」
ちょっと昔の人の文章を読むと、こんなふうに語尾を「~したことである」というかたちにした文を見かけます。
「~したものである」という表現なら、なんとなく過去の習慣を表すような気がします。
また、もし私ならこの場合「食んでいた。」で切ると思うのですが、これらに意味やニュアンス、用法に違いがあるとすれば教えてください。

A 回答 (3件)

「~こと」は形式名詞といって日本語独特の語彙表現で、いろいろな意味やニュアンスを含むおもしろい言い方です。


「こともあろうに~」という言い方がありますが。この「こと」は期待に反する事柄になり、後半の部分はどんな言い方になるかある程度予想がつくと思います。
質問者さんの例文:
「主が死んだことも知らず、彼の愛馬はのんびりと草を食(は)んでいたことである。」の「こと」も
前段と後段の文脈具合から、予想に反する事柄を表すということが理解できると思います。
「祭の帰りにおもちゃを買ってきたら、孫の喜ぶこと、喜ぶこと」
この場合の「こと」は結果を表しています。簡潔な表現ですが、おじいさんとお孫さんの笑顔が目に浮かぶようですね。いかにも日本語らしいいいかたです。
外国人に説明する場合は例文を与えることによって場合、場合の文のの意味を理解させるべきです。もちろん平易な文を1項目に2文以上用意することです。
次のような文が考えられます。多くの意味やニュアンスを持っています。。
経験:見たことがある。
行ったことがない。
物事:いいこともあれば悪いこともある。
   間違ったことをしでかした。
習慣:朝早く起きることにしている。
確定:国道で行くことにした。
必要:わびることはない。  
   急ぐことはない。
期間:長いことご無沙汰しました。  
   いらいらしながら待つこと2時間、1時半近くになってやっと来た。
命令:六時に起きること。
値打ち:行っただけのことはある。
    よく寝ることだ。
噂 :お元気だとのことです。
   話はまとまったとのことです。
「~したものである」の「もの」の場合は「学生の頃はよく友だちとスキーに行ったものだ。」とすれば過去の習慣になりますが・・・
「主が死んだと言うのに、あのようにのんびりできるものだ。」といえばこの「もの」はかなりの批判を表しています。
「もの」の例文としては
感動や驚き:コンピューターとはすばらしものだ。
希望:最新式の機械を見たいものです
道理:親の言うう事はよく聞くものだ。
などがあります。

この回答への補足

お三人のお答えはどれも大変参考になりました。
おかげさまで少し賢くなれた気がいたします。
ありがとうございました。

補足日時:2005/12/29 20:20
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この回答へのお礼

「喜ぶこと、喜ぶこと」の例文でとてもよくわかりました。孫の喜びだけでなく、語り手の喜びも伝わってくるようです。
 以下は別のあるウェブページからですが、

 特攻戦没者の名簿に○○中尉他三名、××曹長他三名が記載してあり、一瞬、背筋が氷る思いで、感慨深く見た事であった。
 何故なら、私は××曹長外二名と共に前記の方々の間を飛んで、沖縄特攻に出撃していたのである。

 これも、書き手のそのときの気持ちを強調しているのかもしれませんね。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/12/29 20:18

専門家ではないので根拠はありませんが、私見を少々。



「主が死んだ」という状況では通常であれば「悲しみ」の感情が生じるわけですから、後半の文章も悲しみに関連した表現になるのが普通と言えるように思われます。
しかし、いくら「【愛】馬」とはいえ畜生の悲しさで主の死を理解できずに食欲を満たすことにいそしんでいた、という気持ちを伝えたい時の表現のように思います。
キーワードは、期待とは異なる反応に対する『歯がゆさ』ではないでしょうか。
ですから、「主が死んだことを知って、彼の家臣は涙を流していたことである。」
などという表現は成立しないと考えます。

・「のんびりと草を食(は)んでいた【のである】。」でも同じ意味でしょうが、やや『主の死と愛馬の無関心』を対比させる気持ちがむき出しに伝わるような気がします。
・「のんびりと草を食(は)んでいた【ものである】。」は、さらに非難のニュアンスすら加わるように思います。
・「のんびりと草を食(は)んでいた【ことである】。」という表現は、筆者としては歯がゆさを感じているが、『草を食んでいた』という『事実』のみを淡々と伝える事によって、そのことから受ける印象については読者に委ねるといった姿勢を表現する婉曲語法とも呼べるかもしれません。

pbfさんおっしゃるところの、
・「のんびりと草を食(は)んでいた。」というのは、淡々と事実を伝えるという意味ではいいと思いますが、直截的すぎて文学作品(恐らくそうだと思いますが)としては少し余韻に欠けるような気もします。
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この回答へのお礼

この文は日中戦争に騎馬兵として参加した方の軍紀でした。
たしかに「ことである」の方には、言外に書き手の気持ちが入っているような気がいたします。それに段落の最後でしたから、物悲しい余韻も残る気もします。
とても参考になりました。

お礼日時:2005/12/29 20:08

「の」と「こと」の用法の揺れに関する国語学的問題です。


「主が死んだことも知らず、彼の愛馬はのんびりと草を食(は)んでいたのである。」に言い換えたらさほど違和感は無いです。口語表現であっても時代によって用法は変わり、それが時代性を感じさせて面白いのですが、そのような例を二つ。
「僕はテーブルタップスイッチを買ったよ」「なるほどそれは経済だね」
現在では「経済的」と言いますね。
「明日は山間部では雨になりましょう」
現在では「なるでしょう」と言います。「の」と「こと」の使い分けは事に外国人には難しいらしく、中国人の考古学者に日本語を教えていたときも説明に苦労しました。
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この回答へのお礼

「~になりましょうか?」と質問する年配のアナウンサーがいて、私も世代的な違和感を覚えておりました。
「ことである」も、=「のである」、「ものである」と
置き換えることができるのでしょうか。
お恥ずかしい限りですが、私にも使い分けはむつかしいです。

お礼日時:2005/12/28 23:57

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