プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

アイヌ語に詳しい方、教えてください。
「ぶっ潰す」はアイヌ語でなんて言うのでしょうか?
このぶっ潰すは、よく悪役とかが
「この糞野郎!!ぶっ潰す!!」
とか言いますよね?その場合のぶっ潰すです。
ぶっ潰すがなかったら、「潰す」でも構いません。
宜しくお願い致します

A 回答 (16件中1~10件)

(No.15の続きです。

)
神謡や英雄叙事詩が語られるとき、古くは、主人公は我々を表す人称接辞(神謡であれば、チ、アシ、ウン。英雄叙事詩であれば、ア、アン、イと言うように)で語られ、動詞も複数形で語られたのだそうです。
しかし、沙流や千歳では主人公個人の言動であれば、動詞が単数形で語られるようになり、神謡も英雄叙事詩と同じ人称接辞(ア、アン、イ)が使われるようになったとの見解が『アイヌの物語世界』の中には書かれています。

アイヌ語の表現で特徴的なのが、◇2.◇3.の表現です。
アイヌ語では直接的にその人を表現するよりも、対象をぼかした方が失礼に当たらないとされて来たのだそうです。
この辺は、もしかすると古い時代のアイヌが通り名(通称。あだ名の様なもの)を持ち、本当の名を人には明かさないようにする風習があったことと通じるのかも知れません。
古い時代は、本名を明かすことは魔神や魔物に命を取られかねないと考えられ、本名を聞くのも失礼なことと考えられていたのです。
もちろん、ユカラ(英雄叙事詩)の主人公ポンヤウンペも本名ではなく、あだ名です。
ポンヤウンペの名で物語りが語られても、同じ人物ではないのです。
ですから、ユカラが史実を反映していたとしても、そのモデルとなったポンヤウンペは何人もいるということになります。

このようなことを考えると、神々の物語の人称が聞き手を含まない私達のチで語られたという説明や、英雄叙事詩も、ある人の物語を語るという形式なので、対象をぼかしてアで語られたというのも何となく解る気がします。
日本語の感覚では分かりにくいかも知れませんが、神謡も英雄叙事詩も伝聞の物語と言われていますから、時代や土地を遠く離れて、誰かの耳に届くときには、本人の口からは語られることはないので、純粋な自分自身、本人を表す「ku-,k-,en」が使えないということなのです。

*   *   *   *   *   *

ここからは何かの書物に倣ったことではなく、全くの私個人の想像ですが、神謡は元々、神が自らを語ったものなので、元の聞き手とは神であったと考えられます。
その物語が人間に伝わった段階で、ここで語られる「我々とは神から見た我々を指し、聞き手である人間は含まない」と言うことになると思います。
ですから、神謡の人称は、「聞き手(=人間)を含まない我々=チ、アシ、ウン」で語られたのではないかと思うのです。
また、ユカラやウエペケレは人間の物語なので、「人間から見た我々」ということで、「聞き手(人間)も含む我々=ア、アン、イ」で語られたのではないかと思うのです。

***

今回で本当の最終回です。
まるで知らないことよりも、解ったつもりでいることの方が、答えるのは難しいものだと言うことが、今回回答していて実感したことです。専門家が見ることがあったとしたら、穴だらけの回答だと思いますが、いい加減な気持ちで書くのも憚られるので、いつもと比べられないぐらいに真剣に書きました。

私は中学生になってから、少しずつアイヌの伝承について書かれた本を読むようになったのですが、とりわけ感銘を受けたのが、知里幸惠さんの『アイヌ神謡集』でした。
内容もさることながら、文章もローマ字と本格的に書かれており、当時も新鮮に感じられたのですが、それまで読んできたものは、全て和人側の視線で書かれていたものだったので、この本の存在を初めて知ったときは、それだけで感極まってしまったほどです。

感銘を受けた理由として、次のことも大きかったのです。
私が初めて『アイヌ神謡集』を読んだのが、著者の知里幸惠さんが亡くなった歳とそう変わらない、18歳だったからです。
当時はローマ字の文章から想像される言葉の響きにも惹かれましたが、洗練された和訳の文章の素晴らしさには感動を覚えました。
同じ年頃の人が、こんなにも流麗な文章を書いていたという事実や、時代が流れても、ちっとも古く感じさせないことに衝撃を受けました。

回答しているときは そのときのことを思い出したり、これまでもアイヌの伝承について読む折りに疑問に感じたローマ字やカナ表記を思い起こしたりしながら、雷電さんも同じ様な疑問を持っていたり、これから持つこともあるのだろうと想定して、反ってご迷惑になるのではないかと思いつつも、あれやこれや、一杯詰め込んで書いてしまいました。

解らないことを調べていると、解ったつもりでいたことも、実は間違っていたんだと解ることがあります。
今回は、そんなことの連続でした。
回答はゴチャゴチャしてしまいましたが(出来れば自分で再編集したいぐらいです)、全部通して読んでいただければ、アイヌ語で書かれた物語を読んだり、自分で言葉の持つ意味を調べるときの要領のようなものは何かしら掴めると思います。

アイヌの物語世界は、まだまだ研究が途上なので、素人の私も色々と想像が掻き立てられて、読んでいると不思議とワクワクします。
近頃は読書を初め、見聞を深めることが減っていますし、ここで回答できるほどには知識がないということを度重なり実感したという事実もあり、色んなことを吸収したいと思いますので、雷電さんに書くこの回答で、暫くここでの活動は休止しようと考えています。
雷電さんのご質問に答えられたのは、私にとって、とても運の良い幸せなことでした。

小難しいことを一杯書いてしまいましたが、難しく考えずに、雷電さんの好きなペースで、気の向いたものからで良いので、お薦めした本を読んで貰えたらなと思います。
    • good
    • 1

(No.14の続きです)



【アイヌ語の文法表現について】

◇1.《人称接辞とは》
アイヌ語では人称代名詞は、強調表現を要するとき(日本語で言えば、敢えて「君」とか「私」とか使うようなとき)以外には使われず、人称接辞で主語を表すことが出来る。
また、人称代名詞の有無に拘わらず、アイヌ語では動詞や名詞について誰が主体となった表現であるのかを省略することが基本的に出来ないため、人称接辞を使う(人称接辞がない場合は、三人称もしくは命令文である)。


◇2.《人称代名詞・人称接辞ともに「私達の表現が二種類」ある》

I「聞き手を含まない私たち」 → 「除外的一人称複数」
II「聞き手を含む私たち」 → 「包括的一人称複数」

 I → 「私たちは山に行くけれど、お前はここに残りなさい」
   と言った表現のこと。
   この場合、「話し掛けられた人は私たちの中には含まれない」。
 
 II → 「お前も一緒に、私たちみんなで山に行こう」
   と言った表現のこと。
   この場合、「話し掛けられた人は私たちに含まれる」。


◇3.《包括的一人称複数の人称代名詞・人称接辞と同型でも、ニュアンスが違う表現となることがある》

「二人称敬称」 → あなた
 女性が成人男性に敬意を表して使う。通常の二人称では使えない。

「(不特定の)人、もの、誰か、何か」
 英語の they に用法が似る。
 主語や目的語に当たるものがはっきりしていない場合や、
 事件や事故など、事情があって主語を明確にしたくない場合などにも
 用いられる。

「引用文、物語(ユカラ、ウエペケレ等)の私」


◇4.《人称代名詞》(千歳方言)

「一人称単数:私」 kani (カニ)
「除外的一人称複数:(聞き手を含まない)私たち」 coka (チョカ) 

「包括的一人称複数:(聞き手を含む私たち)」  aoka (アオカ)
「二人称敬称:あなた」 aoka(アオカ) 

「二人称単数:お前」 eani (エアニ)
「二人称複数:お前達」 ecioka (エチオカ)

*アイヌ語では、三人称の代名詞に当たる言葉は存在するとされるが、極めて希にしか使われず、通常は「あの人」のように名詞句で表現する。


◇5.《人称接辞の種類と働き》                 

<主格人称接辞>
動詞に直接付いて、「~が」、名詞の所属系(兄に対する妹や、槍に対する柄のような関係)について、「~の」を表す。     

<目的格人称接辞>
他動詞について「~を」「~に」を表し、位置名詞(「~の上」 「~の前」など相対的な位置関係を表す)について「~の」を表す。


<主格人称接辞 と 目的格人称接辞の種類>    
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
「一人称単数主格:私が ku-,k-」 
「一人称単数目的格:私を en-」  
…………………………………………………………………………………
「除外的一人称複数他動詞主格:(聞き手を含まない)私達が ci-,c」

「除外的一人称複数自動詞主格:(聞き手を含まない)私達が -as」 
「除外的一人称複数目的格:(聞き手を含まない)私達を un-」
…………………………………………………………………………………
「包括的一人称複数他動詞主格:(聞き手を含む)私達が a-」 
「包括的一人称複数自動詞主格:(聞き手を含む)私達が -an」
「包括的一人称複数目的格:(聞き手を含む)私達を i-」

「二人称敬称他動詞主格:あなた(達)が a-」
「二人称敬称自動詞主格:あなた(達)が -an」
「二人称敬称目的格:あなた(達)を i-」
…………………………………………………………………………………
「「二人称単数主格:お前が e-」          
「二人称単数目的格:お前を e-」

「二人称複数主格:お前達が eci-」   
「二人称複数目的格:お前達を eci-」
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
* 「-」について:例えば、a- であれば この「後ろに他動詞」が、-an であれば この「前に自動詞」がくることを表す。 

この他にも特殊な用法で「主格・目的格人称接辞」というものがあります(No.13の最後の方で ご紹介した「eci(私がお前を)」がそうです)。
これは、主格人称接辞、目的格人称接辞が組み合わされて、動詞に付加
された形式のもので、地方差が激しく、余所の地方では通じないものなんだそうです。
 
    • good
    • 0

No.13です。


ここからの投稿は、私のこれまでの投稿の訂正や補足の総まとめを目指したものです。

回答は、No.9で終わる予定だったのですが、引用分(「この砂赤い赤い」/『アイヌ神謡集』)の解説に間違いがあったため、読みにくい回答となり、申し訳ございません。
最初から、『注解 アイヌ神謡集』やアイヌ語の文法書に目を通しておけば、ここまでややこしい話にはならなかったのですが、間違いをそのままにしておくのは忍びないので、長文で読むのが大変で、大変ご迷惑をお掛けしますが、よろしくお付き合い下さい。
もちろん、必要を感じないことは、読み飛ばしていただいて構いません。
元々の ご質問には なかったことなのですが、人称接辞のことを持ち出してしまい、回答が解りにくくなってしまったので、ここでもう一度まとめたいと思います。

*   *   *   *   *   *

先ずは、No.9から繰り返し引用している例文の補足からしていきたいと思います(なお、カナ表記はNo.10で訂正していますので、当初の投稿とは違っています)。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
“アチカラタ ソンノヘタプ 
  エイキ チキ ウキロロヌカラ アキ クシネ ナ。”
「生意気な、本当に
  お前そんな事をするなら、力競べをやろう。」

  (小オキキリムイが自ら歌った謡 「この砂赤い赤い」 
                   『アイヌ神謡集』より )
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
この表現については、アイヌ語の物語や引用文での独特な人称接辞の表現が気掛かりで、これまでも色々と書いてしまいましたが、《日常会話=目の前にいる相手と自分がリアルタイムで会話をする日常的な表現》として使うのであれば、このままで問題ないと思います。
(No.12の回答でも書いていますが、エイキ チキの「チキは条件から要求を導く接続詞で“~するなら(~しなさい)”という意味」であったことが解りましたので、ここも直してはいけないことが解りました。)


私は前回この例文について、

>この表現は、日常会話の表現のア = 「“話し相手(聞き手)を含む”
私たち」と一致しています。

と書いていますが、日常会話として訳すと、ア = 「“話し相手(聞き手)を含む”私たち」なので、「その場にいる人が対象で主語」となります。

ですから例えとしては良くないかも知れませんが、仮に雷電さんが知人と揉めたとして、雷電さんがその知人に向かって、

“アチカラタ ソンノヘタプ 
  エイキ チキ ウキロロヌカラ アキ クシネ ナ。”

と発言をしたら、ア= 「雷電さんと知人」ということになります。
すると、その場合も、
「生意気な、本当に
  お前そんな事をするなら、力競べをやろう。」
という日本語訳になり、日常会話としてこのまま使えると思います。


次に、前回のNo.13の回答の訂正を入れたいと思います。

>ちなみに、神謡で語られる私を表す人称接辞は、日常会話では、「“話し相手(聞き手)を含まない”私たち」で、ku-,k,en- で表されます。

とありますが、これは大切な言葉が抜け落ちているので、以下のように直す必要があります。

《ちなみに、神謡で語られる私を表す人称接辞は、日常会話では、「“話し相手(聞き手)を含まない”私たち」に当たるもので、ci,c,-as で表されます。日常会話では私とは、ku-,k,en- で表されます。》

この次にある【アイヌ語の文法表現について】は、ご質問には直接関係がないので読み飛ばしても何も問題はありませんが、これまでの回答を読んできて、謎が深まるなどしてスッキリさせたいと必要を お感じであれば、続けてお読み頂きたいと思います。
【アイヌ語の文法表現について】は、『アイヌ語千歳方言辞典』 中川裕/草風館 と、『アイヌ語文法の基礎』佐藤知己/大学書院を参考資料にしていますので、ここに出てくる言葉は千歳方言となっており、余所の方言とは違う表現である可能性があります。
なお、アイヌ語には標準語はありませんが、文法などには大きな差は見られないと言われています。
    • good
    • 0

◆◆3.アキ クシネ ナ (『神謡集』原文表記:aki kushne na)


―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・
[a ア (私たち)  ki キ (をする)] 
{kus クス ne ネ} ~しましょう。 na よ。 『注解』 
kusu ne/kus ne クスネ/クシネ 【接助+デアル動】 (未来の表現)
 ~する(ことになっている)、~しようとしている、~します。 
    ☆ 発音 早く言うときは kus ne クシネ となることが多い。
na 【終助/接助】
  1)~する/したから(~せよ)、~ぞ、~よ。 
   (要求の根拠を示す。後に要求表現が続くことが多い。
   倒置されて要求表現の方が前に出ることもある。
   要求が言葉で表現されなくても、暗に要求を含んでいる。)
   a=e=rayke kusu ne na ne na アエライケ クス ネ ナ ネ ナ
   (私はあなたを)殺すぞ、殺してやるからな。     『沙流』 
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
『注解』に拠れば“アキ クシネ ナ”で、「私たち~しようよ」ということになります。
また、「クスネ ナ = クシネ ナ」です。
『千歳』でも調べてみたのですが一まとめで解説がありますし、『沙流』の解説をみても発音の違いは、その時々の言い回しや状況に拠って変わるということになると思います。
『注解』では kus を クス(スは小文字)、『沙流』ではクシ(シは小文字)
で表記していますが、as (立つ) や cis (泣く)などの -s は、前に来る音によって音が大きく変わり、場合によって ス に近く聞こえたり、シ に近く聞こえます(参考:『エクスプレスアイヌ語』中川裕・中本ムツ子 著/白水社)。
ですから、as は「アス」または「アシ」、cisは「チス」または「チシ」、どちらにも近く聞こえると言うことになります。

ここで、やはり気になってくるのが、“アキ クシネ ナ”の「ア」なのですが、『注解』では、ア は「私たち」と訳されています。
この表現は、日常会話の表現のア= 「“話し相手(聞き手)を含む”私たち」と一致しています。
ちなみに、神謡で語られる私を表す人称接辞は、日常会話では、「“話し相手(聞き手)を含まない”私たち」で、ku-,k,en- で表されます。
アイヌ語の人称接辞は、「私」を表すものを一つ取っても、神謡(チ)、英雄叙事詩(ア)、日常会話(ク)と表すものがそれぞれ違うので、こんがらがってしまいます。
しかも、上にあるのは、便宜上一つずつ例を挙げただけで、実際の人称接辞には(クが、ku- の他に,k,en- があるように)、それぞれ複数個あります。
また現実に、過去には、神謡の表現にも英雄叙事詩の表現が混在していったようなのです。

元々が不勉強であったり、本を読んでから大分経っているので記憶が薄れて忘れていた部分が多く、詳しい言及は出来ませんでしたが、原則として神謡の主人公は、「チ+複数形他動詞」で「私たち」を表現するものとあり、これは『アイヌの物語世界』の著者 中川裕さんの言葉を借りると、この頃には古い形式が崩れてきていたということになろうかと思います。
主人公の人称が「ア」で語られて来たのは、本来はユカラ(英雄叙事詩)やウエペケレ(散文説話・昔話)であったのですが、沙流地方や千歳地方では、、神謡でも主人公の人称が「ア」で語られたり動詞も他地方では複数形で語られていたものが、沙流や千歳では単数形で表現されていたりと特異な発展をしていたということが、この著書には書かれています。
また、『神謡集』は幌別地方の伝承で、主人公の人称は「チ」で語られ、動詞も複数形という形態を取りながらも、部分部分では沙流地方の影響があった様だともありました。

◆◆4.チコオテレケ* (『神謡集』原文表記:chikootereke)
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
[ci チ (私) ko コ (~に) oterke オテレケ* (を踏んづける)]
『注解』
                       
kooterke コオテレケ* 【他動】[ko-oterke ~に対して~を踏む]
 ~の~をふみつける/ ふみにじる            『沙流』
                      
                        *レは全て小文字
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
これは、ものの見事に訳を外してしまいました。
「ciki チキ」と「kooterke コオテレケ」は、完璧に間違いです。思い込み回答をしてしまいました。
         
「エイキ チキ」を対語表現と考えたり、「kooterke」を、「コッテレケ」と読んでしまったところでアウトです。
締め切り前に間違いを伝えられたのが、せめてもの救いですが、中途半端に知っているのも間違いの元で、気をつけないと行けませんでした。

『萱野』で確認したのですが、
    
   コッ/ コチ(ヒ) 【kot/koci(hi)】 跡、窪み、穴  

と、ありました。
チコオテレケのチと「kot=窪み」の読みは合っていましたが、繋げてはいけませんでした。
残念ですが、短文であっても下手の横好き程度では、読み解くのは、まだまだ早かったようです。

*   *   *   *   *   *

それで申し訳ないので、なるべく辞書からの例文を載せることにしたのですが、ちょっと注意が必要なのは、辞書の例文の和訳に単純に「私」と書かれてあっても、伝聞系(誰かが誰かの話を語る)のケースである可能性があります。
日常会話では、純粋に自分自身を表現するときは、主格人称接辞の「一人称単数主格」 = ku- ,k- や「目的格人称接辞」の「en-」で表されますが、これらの表現がないのに「私」と訳されていたら、それは、ユカラやウエペケレ、もしくは、日常でも普通にあるように、誰かのうわさ話としてその人の言葉を引用して「私」として語られているといったことが考えられます。ある人のことを話すときも、日本語訳にするときは「私」になってしまうのです。「3」の例文、

 “a=e=rayke kusu ne na ne na アエライケ クス ネ ナ ネ ナ”             

は、『沙流』の補足にありましたが、民話からの引用文なのです。
日常会話であれば、「ア」は、「話し相手を含む私たち」として語られます。
しかし、この訳は「私たち~」ではなく、「(私はあなたを)殺すぞ、殺してやるからな」と書かれています(「ぶっ潰す」を意識すると、物騒な例文にばかり目がいってしまいます。ことわざのような良い文章もあるんですが、割愛して載せられなかったものもあります)。

ここで例文の解説をしてみたいと思います。
実際に勉強したわけではなく、図書館で調べただけの付け焼き刃の解説ですが、出来うる限り調べました。
まず、「=」ですが、これは『沙流』の解説にもありましたが、人称接辞を区切って表記する為のものです。

「ア・エ・ライケ」ですが、先ほどの説明通り「ア」は、「引用の一人称」であり、誰かが元の話者に成り代わって語っている形式で「伝聞の中の私」ということになると思います。
日常会話の中でも、「引用の一人称」という表現があり、本人が語ったときは一人称単数形で語られた人称接辞が、「話し相手を含む私たち」(包括的一人称複数)を表すものに変わります(この辺の解釈は、『アイヌの物語世界』を参考にしています)。
ということは、「私」と訳されていても、語り手と私は区別されます。
つまり、「私とはお話の中の私」であり、昔々本当に存在していた「誰か」であるかもしれませんし、ともかく現実の私とは違う「誰か」のことなのです。
なお、ライケは他動詞で「~を殺す」という意味になりますが、他動詞は主語と目的語の人称接辞の二つを表示させるのが原則です。
また、「主格人称接辞」 ア は他動詞の前に来ます。よって、ここにある ア は「主格人称接辞」で「私が」、エ は「二人称単数目的格人称接辞」で「おまえを」で、アエライケ で、「私がお前を殺す」と言う意味になると思います。
そして、「クス ネ ナ ネ ナ」と繰り返すことで「~してやるぞ、~してやるからな」と強調され、「(私はあなたを)殺すぞ、殺してやるからな」という訳になると思います。

*   *   *   *   *   *

いきなりですが、色々例文を見たり調べたりして、もしもウェンテが本当に使えるのであれば、
「この糞野郎!! ぶっ潰す!!」はこうなるのではないかと思いました。
ウェンテ(他動詞)の複数形があるか等その辺も解らず、間違っているかも知れませんが、そこは ご愛敬で。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
tan toype! wensampekor pe! eci=wente kus ne na ne na!!
タン トイペ! ウェンサンペコロペ!
エチ・ウェンテ クシ ネ ナ ネ ナ!!
「この野郎!性悪野郎!(お前を)ぶっ潰してやるからな。覚悟しろ!!」

tan sirunike-utar! eci=wente na!!
タン シルニケウタラ! エチ・ウェンテナ!!
「この畜生めら! ぶっ潰してやる!!」
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
 *eci【主格・目的格人称接辞】私がお前を (千歳・沙流方言)
                    『アイヌ語文法の基礎』

 *sirunike シルニケ [sir-un-hike 地・にいる・やつ]
            この/あの野郎、畜生(罵り表現) 『沙流』

sirunikeは、語の組成からNo.12のシルンヒケ[sirun-hike]と同じだと思われます。同じNo.12の 
“acikarata e=kar humi an! アチカラタ エカルミ アン!”
と、どちらもカナとローマ字表記が一致せず、h が消えていますが、意外とこういうのは多い様で、音が詰まるのも良くあること見たいです。
    • good
    • 0

結局連続投稿のNo.11です。



元のご質問からは逸れてしまった感もありますが、今回は、No.7、9で取り上げた『アイヌ神謡集』にある物語、「この砂赤い赤い」の一節に対する語句の解釈の説明に難点がみつかりましたので、幾つか補足させてください。

これを解釈するにあたり、良い書籍がみつかりました。
昨日(4/1)に図書館に行ったときに思い出したんです。
「確か、『アイヌ神謡集』には注釈本が出ていたはずだ!!」…と。
何故か昨日まで、そのことを忘れていたんです。
「最初から、これを参考に注釈を付ければ何も問題はなかったのに」
と、当て推量をして回答してしまった自分の粗忽さが恨めしくなるやら恥ずかしくなるやらです。

と言うわけで、今回は、これまでに ご紹介した辞書の他に、『注解 アイヌ神謡集』知里幸恵 著訳・北海邦彦 編注/北海道出版企画センターを参考資料に加え、訂正と補足をして行きたいと思います。 
今回ご紹介する『注解 アイヌ神謡集』では、原文のローマ字表記を現在の一般的なアイヌ語の表記法に直し、原文にはないカナの文章が添えられています。
さらに、人称接辞を表す記号(=)が付けてあったり、原文よりも更に細かくアイヌ語の一句一句に対応させた日本語訳が付けられており、単語や語句に対しての解釈に役立ちます。
他にも物語の背景についての解説もあるので、正確な読みや神謡が読まれた時代の世界観についての理解を深めたい人にお薦めです。

なお、『アイヌ神謡集』からの引用は『神謡集』、『注解 アイヌ神謡集』からの引用は『注解』と辞書タイトルと同様に簡略表記しました。

*   *   *   *   *   *

No.9《語句の解説》より。

◆◆1.アチカラタ (『神謡集』原文表記:achikarata )
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
{acikaraka アチカラ 汚い。 ta タ 強意。}  『注解』

〔acikara ta〕こしゃくにも:人をあざけり笑う時の言葉。
〔acikara (ta)〕何か驚いたときや びっくりしたときに発する言葉。
  おやおや 、あらら(びっくりした時 思わず出る)。 『萱野』
  
acikarata【間投】(びっくりしたときに出る叫び)
 わあっ、なにごとだ。
  acikarata e=kar humi an! アチカラタ エカルミ アン!  
   わあっ(あなたは)なにごとしてるんだ!
  acikarata acikarata makanaketa! 
   アチカラタ アチカラタ マカナケタ! 
なんだ なんだ 何事だ!
  参考:知里真志保『アイヌ民族研究資料(第2)』 
  「本来「汚い!」と言う意味の感嘆詞」 → 「癪に障るなあ」 『沙流』
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
以上のことから、 アチカラタ は嘲り以外にも、「驚きのあまり口を突いてでてしまう」表現でもあることも解りました。
『神謡集』にある用例しか知らなかったので、そういった用法があるのは以外ではあったけれど、『神謡集』には「おかしいという意味も含む」とあるので、嘲りも驚きも発言する側にとっては異様なことや奇異なこと(おかしなこと)に反応してでのことだと考えると、どちらの場合にも使われるのが感覚的に解る気がします。

『沙流』から引用した例文(ローマ字の文章)の場合は、話者には嘲りの気持ちはなく、突然起きた出来事に心から驚いて、アイヌ語でいうイム(酷く驚いたときなどに、発作的に同じ言葉や動作を過度に繰り返してしまう状態)を起こして、思わず口を突いて出た言葉であったようだと注釈がありました。
また、『沙流』の例文はカナ表記とローマ字の文章の読みが一部一致しないのですが、これらは原文のまま載せています。
e=kar humi an を、「エカル フミ アン」とせずに、「エカルミ アン」したのは、実際の発音に近づけてあるのかもしれません。


◇◇嘲りの意で使われる類語◇◇
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
イチャカー〔icaka〕あんあやつめ、こしゃくだ、なまいきだ
 あんなやつめ、なにくそ、よくもそんなことを、と相手に対して
 腹を立てたときに思わず口をついて出る言葉。 (悪口)
イチャッケレ〔icakkere〕1)なにくそ、あんなやつめ。 (悪口)
            2)汚い、汚れている、汚れる。    
シルンヒケ〔sirun-hike〕あいつめ、きゃつめ。 (罵倒語)    
コオアナポ〔(kooanapo〕がらにもなく、こしゃくにも(悪口)『萱野』
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
他には、wenpe(悪者、貧乏人)と同じ意味の言葉で、toype(トイペ)、sirunpe(シルンペ)があります。

 toy 1.土地、地面、田畑
    2.【接頭】(主に動詞に接頭し、程度が大きいこと、    
  しばしば同時に好ましくないことを表す接頭辞。
       しばしば wen- との対句で用いられる。)
       ひどく。すさまじく。    『沙流』

     ウェンイオクヌレ トイイオクヌレ アキ   
     wen-iokunure toy-iokunure a=ki
     ひどく驚き、とてもびっくりした。  『千歳』 

余談ですが、toy(トイ)には土の意味があり、そこから「つまらない、とるに足りない」という意味を持たせるようになったということで、ユカラの主人公ポイヤウンペも敵に悪口で、「トイヤウンペ」と呼ばれるシーンがあるという主旨で書かれたものを、昔、新聞の連載記事で読んだことがありましたが、その解釈(土→つまらない、とるに足りない)については辞書には書かれていませんでした(裏付けが取れず残念です)。
なお、sirun(シルン)とは、「いやしい、いとわしい」という意味です。
トイシルンクル(toysirunkur)、トイシルンペ、共に「悪い者」という意味で、「kur」も「pe」も「人」や「者」と訳されますが、「pe」はあまり良い意味では使われないことが多く、その場合は「やつ」といった意味になります。


◆◆2.チキ (『神謡集』原文表記:chiki )
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
ciki チキ【接】
1)~したら(~しなさい)。
  (条件節をつくる接続助詞の一つ。後に要求表現が来る。)
  e=e rusuy cikie  エエ ルスイ チキ エ
   食べたければ食べなさい。
  ku=ye ciki nu  クイェ チキ ヌ
   (直訳すると)私が言ったら聞きなさい
   =私が今から言うことを聞きなさい。
  hawe ne ciki  ハウェ ネ チキ
   それでは/それなら(~)しなさい。

2)~ne ciki~ne ciki  ~ネ チキ~ネ チキ
  ~も~も。                  『沙流』
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
「この砂赤い赤い」で使われているのは、「1」の表現になります。
なお『注解』では、チキは「~するなら」と書かれています。

これは、人称接辞+動詞かと思ったら、そうではなかったのですね。
「この砂赤い赤い」について回答していて特に悩んだ表現の一つで、これは、特にお詫びしなくてはならないと思っています。
人称接辞と確定して良いかどうかに疑問を持ったのが、間違いに気が付くきっかけになってはいたのですが、同様にNo.7で回答したchikootereke の解釈(これに関しても後できちんとお詫びしたいと思います)に引っ掛かりを感じてしまったのが、一連の図書館通いや再投稿の動機付けになっています。

とにかく、

“アチカラタ ソンノヘタプ 
 エイキ チキ ウキロロヌカラ アキ クシネ ナ。”

は、このままで良く、「チキ」には人称接辞は含まれてはおらず、接続詞なので手を加えてはいけなかったのです。
自分に溜息を吐いてしまうぐらい、申し訳なく思います。
本当にすみません。
(次回の投稿で最終回になる予定です。「アキ クシネ ナ」の解釈から続きを投稿したいと考えておりますので、締め切りまでもう一日下さい。)
    • good
    • 0

No.10です。


回答していて推測に頼っていた部分が多くなってしまったので、時間が許す限り、なるべく疑問点をはっきりさせたいと思い直すようになりました。
やはり、ここは直に資料を読むしかないと考え、ここ数日、図書館通いをして実際にアイヌ語の辞書で意味を調べて来ました。
ここに名前が出てくる辞書は、そのとき主に閲覧したものなのですが、特徴など詳細については、先にも回答いたしました別件のご質問に再投稿して書いておりますので、宜しければ併せてご覧下さい。
引用が必要な場合は、参考にした辞書のタイトルを付記しましたが、便宜を図って次の様に省略しています。

 『萱野茂のアイヌ語辞典 増補版』 萱野茂/三省堂 →『萱野』
 『アイヌ語沙流方言辞典』 田村すず子/草風館   →『沙流』
 『アイヌ語千歳方言辞典』 中川裕/草風館     →『千歳』

また、これらの辞書からの引用解説中にある【自動】とは、自動詞のことですが、『千歳』では【動1】と表記されており、これは一項動詞(主語だけをとる)で、つまり動詞とありますので、『沙流』と表記を統一するために【自動】に表記を改めています。
同様に『千歳』には【動2】もありますが、二項動詞(主語の他に目的語をひとつとる)のことで他動詞と説明がありますので、こちらも【他動】に表記を改めました。

*   *   *   *   *   *

No.3のお礼欄でのご質問に応える形で、No.7でアドバイスとして意見を述べさせていただきましたが、ここでは先ず、「ウェンテ」の意味を再確認する作業から始めていきたいと思います。

◆1. ウェンテ wente
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
【他動】[自動使役] [wen-te 悪い/悪くなる・させる] ~を悪くする/いためる/だめにする、(約束)をやぶる
 kotan wente 村をだめにする、村をいためつける、村を崩壊させる
 {E:to make ~ bad,hurt,ruin,spoil,break(a promise).} 『沙流』

【他動】~をだめにする。~を荒らす。~を荒廃させる。 『千歳』
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
*補足)E:英語解説の略
      hurt:傷つける、痛める、害する   
      ruin:破滅させる、滅亡させる、荒廃させる
      spoil:損なう、だめにする、だいなしにする     
      break:破る、壊す、割る
   
◆2.「壊す」 『アイヌ語方言辞典』服部四郎編/岩波書店 より
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
[壊す(to break it,to destroy it,to damage it)]
        *〔他〕他動詞、〔単〕単数形、〔複〕複数形

konere;wente《悪くする》 (八雲方言)
pere,perpa ; wente (幌別方言)
perpa 〔他〕;wente〔他〕《だめにする》  (沙流方言)
ko'asi〔他〕 (美幌方言)
pere〔単〕,perpa〔複〕;wente (旭川方言)
pere〔単〕,perpa〔複〕;wente《使えなくする》 (名寄方言)
wente (宗谷方言)
wente〔他〕(箱・机・茶碗等を);pitata〔他〕《家を取り壊す》
                         (樺太ライチシカ方言)
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―                      

◆3. ウェンテの周辺の言葉
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
ウェン wen 【自動】悪い。程度がひどい。貧乏な。甲斐がない;〈 反 〉ピリカ pirka
イウェンテ だめにする。荒らす。害を与える。損なう。
  <i- 「ものを」 wente。  
エイウェンテ ~でだめにする。~で人を損なう。
  <e- 「~で以て」 iwente。『千歳』
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
『千歳』ではイウェンテの「イ=ものを」とありますが、『萱野』では、
  i-wen-te 人間を悪くする 
  イ=それ(人間)を ウェン=悪い テ=させる
とありました。
ですから、イウェンテマッ(iwentemat)とは、、私(イ)を悪くさせる妻(mat:妻)で 「悪妻」 という意味だとありました。

No.7の回答と内容が重複しますが、ウェンテという言葉には、雷電さんが お感じになったように、潰すというイメージがあると思います。
元々がウェンから生まれた言葉なので、広義に使える言葉であると言えるでしょう。
『アイヌ語方言辞典』でも、ウェンテとは「だめにする」 「使えなくする」とあり、『沙流』では、「いためつける」 「崩壊させる」ともあります。
また、『アイヌ語方言辞典』から受けた印象だと、pere、perpaはwenteにかなり近い言葉のようですね。そして、konereも近そうです。

◆4.コネレとペレパ
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
コネレ〔ko-ne-re〕潰す、砕く、粉々にする
  コ=粉 ネ=なる レ=させる               ピリカ ワ オケレ ムイ ネ アプ ウンマ オ テレケ ワ アコネレ ワ イサム。
pirka wa okere muy ne ap umma o terke wa a konere wa isam.
良い箕であったのに、馬が踏んで潰されてしまった。  『萱野』

ペレパ perpa 
【他動】~をこわす。
アフナン パクノ チプ プタ アペレパ ルウェ ネ ヒネ
ahun=an pakno cip puta a=perpa ruwe ne hine
(船の中に)入れるようになるまで、船のふたをこわして 『千歳』

沙流方言では通常単複区別なく perpa と言う。
 pere ペレ 【他動】〔単〕破る、割る。  
{E:to tear,break,shatter~}          『沙流』
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
*補足)pirka wa okere muy ne ap ~ 
  原文ではローマ字表記はありませんでしたが、
  ここでは、小文字のカナ表記が正しく表現できない
  (例:pirka、terke の「レ」など) ので、ローマ字で補いました。

    tear:裂く、破る、引き裂く
    shatter:粉砕する、だいなしにする

この辺はNo.7で回答した内容(トイコペレパ、ウェンテについて)とも被りますが、答え合わせも兼ねていますので、宜しければ併せてご覧下さい。

最後にお願いがあるのですが、締め切りにあと三日ほど猶予をいただけないでしょうか。
もし、待っていただけるのであれば、次回は 『アイヌ神謡集』の「この砂赤い赤い」の解説の訂正や補足をさせていただきたいと思います。 図書館で良い解釈本を見つけたので、それを頼りに解釈を深めたいと考えておりますので…。          
    • good
    • 0

最後と言いながら再再々…投稿のNo.3,4,5,7,8,9です。

^^;
すみません、今回もカナ表記(No.9)を訂正させてください。
投稿翌日に、ふと気が付いて、直ぐにでも訂正したかったのですが、パソコンを家族と共有して使っているので、中々投稿できませんでした。

うっかりミスが近頃は頓に多く、訂正投稿を重ねて方々でご迷惑をお掛けしております。
――というわけで、自分でも恥ずかしく思っていたところ、思いがけず お褒めに与り、光栄に思うやら恐縮するやらです。
けれども、好きな分野で回答して褒めていただけるのは、やはり嬉しいことですので、これは素直に喜ぼうと思います。^^
もっとスッキリまとめられたらとガックリしていたので…。
こちらこそ、ありがとうございます!!元気が出ました!!!

これで文法がしっかり理解できていて、何も調べずにスラスラ答えられたら、仰ることに対して謙遜せずにいられるのですが、実際はまだまだで、少しばかり良い書籍や資料を知っている、その程度ですが、、それらを御紹介できただけでも参加した意義があったと思います。

*  *  *  *  *

【No.9 カナ表記の訂正】

今回の訂正は《語句の解説》に挙げた読みから入りたいと思います。
正しい読みは以下の通りです。

  ukirornukar = u'kiror'nukar = ウ キロロ ヌカラ
  wen'sampe'kor'pe = ウェン サムペ コロペ

ukirornukar とは“u'kiror'nukar” と三語からなり、語句の解釈は前回書いたとおり“互いの・力を・見る”で「力くらべ」です
なお、“kiror”のカナは「キロロ」で、正しい表記法では末尾の“ロ”は小文字で、“nukar”のカナは「ヌカラ」で“ラ”は小文字です。
また、wen'sampe'kor'pe の“sampe”のカナは、「サムペ」で“ム”は小文字、“kor”の読みは「コロ」で、こちらも正しい表記法では“ロ”は小文字となります。

“m”は口を閉じたまま「ム」と発音すると正しい発音が出来る(中川 裕さんの『アイヌの物語世界』で解説があります)ということですが、「ン」に近い発音になると思います。
知里 幸惠さんと同じくアイヌ出身で日本語とアイヌ語のバイリンガルだった萱野 茂さんは、ローマ字を習う機会のなかったアイヌのおじいさん、おばあさんたちにも気軽に読めるよう、自らの著作にはアイヌ語のローマ字表記はしなかったそうですが“sampe”のことを「サンペ」と表記しています。

*  *

【アイヌ語の表記と『アイヌ神謡集』】

“kiror”や“nukar”など音節の末尾に出てくる「-r」の表記法を考案したのは知里 幸惠さんなんだそうです。
このことは、中川 裕さんが自著『アイヌの物語世界』の中でも称えています。
No.3の回答時に
《(-rは)カナ表記で小文字で「ラリルレロ」と表記するのが通例です。出てくる場所によって少しずつ音が違って聞こえます。
前の音がア段の音であれば「ラ」に、イ段の音であれば「リ」に近く聞こえます。》
と、「-r」について解説しましたが、幸惠さんはこれらの発音の違いを意識した表記をしたので、師にあたる金田一京助博士は、以後ローマ字の表記もこれに倣ったそうです。
(幸惠さんは『アイヌ神謡集』の執筆にあたり、金田一博士の自宅に身を寄せ、博士にアイヌ語を教えたり、まだ幼かった博士の息子さんのお世話をしたり、英語の勉強をしたりして過ごしていたそうです。)

また、アイヌ語には「バビブベボ」と「パピプペポ」の発音の違いはない“アイヌ語の話者には違いは聞き取れない”と書かれたものもありますが、元々は差があったようで、「パピプペポ」の方が古い発音のようです。

というのは、知里 幸惠さんが、伯母の金成 マツさんの言葉や表現が、お祖母さんのモナシノウクさん(金成マツさんと幸惠さんの母ナミさんの母親。当時、ユカラの優れた伝承者として評判の人物であった)とは違うと金田一博士に話していたということが博士の著作(『アイヌ叙事詩ユーカラ集1』金成まつ筆録 金田一京助訳・注)の中に書かれていたと私は記憶していたからです。
それを読んだのはずっと以前なので、細かいことは忘れてしまいましたが、幸惠さんは、お祖母さんが「ハポ、ユピ、サポ」(hapo:母、yupi:兄、sapo:姉)と発音するところを、マツさんは「ハボ、ユビ、サボ」(habo,yubi,sabo)のように発音したり表記したりと、混乱があると博士に言っていたという内容の記述がありました。
お祖母さんの世代と伯母さんや母親の世代では発音に差があることを幸惠さんは気が付いていたのです。
(ちなみに、No.3の回答で御紹介した「アイヌ語電子辞書」はアルファベット順に表記されていますが、“b”で始まる言葉は載っていません。)
お祖母ちゃん子だった幸恵さんは、伯母のマツさんよりもアイヌ語には造詣が深かったそうで、モナシノウクさんにとっても自慢の孫娘であったようで、大変可愛がっていたそうです。

『アイヌ神謡集』が世に生まれる数年前、金田一博士はユカラの採録の為、モナシノウクさんを訪ね、まだ15歳だった幸惠さんと出会いました(その当時、幸惠さんは、お父さんの高吉さんが猟で不慮の事故から多大な借金を負ったため、伯母の金成マツさんのもとで娘として暮らし、お祖母さんとも同居していました)。

このとき、幸惠さんの語学力や文学の才能に感銘を受けた博士は、幸恵さんに上京を勧めました。
これに幸惠さんが応える形で誕生したのが、アイヌの手による初の文学作品『アイヌ神謡集』です。
生来心臓が弱かった幸惠さんは、この原稿を書き上げた後、休息に病が悪化し、自らの書籍を手にすることなく、わずか19歳でこの世を去りました。

*  *

【文章のカナ表記の訂正とまとめ】

訂正を重ねてまでも、アイヌ語のカナ表記に拘ったのは、そういった背景をわずかでも知っていたからです。
訂正を重ねる前に しっかり読み返して、じっくり内容を練って投稿すれば良かったのですが、アイヌ語の回答をする機会は少ないので、私自身が気が急いて熱くなっていたのが影響してしまったようです。m(_ _)m

――ということで、多々ご迷惑をお掛けしましたが、No.9の回答に載せた、

 “アチカラタ ソンノヘタプ 
  エイキ チキ ウキロルヌカル アキ クシネ ナ。”
を、
 “アチカラタ ソンノヘタプ 
  エイキ チキ ウキロロヌカラ アキ クシネ ナ。”
に直したいと思います。

なので、日常会話に合わせて人称接辞を手直しした No.9の最後に載せた文章も次のようになります。

 “アチカラタ ソンノヘタプ 
  エイキ アキ ウキロロヌカラ アキ クシネ ナ。”

今までの自分の投稿を読み直しましたが、今度こそ訂正はないと思います。
脇道に逸れたり訂正を重ねたりで、ゴシャゴシャしてしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。m(_ _)m
    • good
    • 0

お久しぶりです。

No.3,4,5,7,8です。
最初の投稿から間が開いてしまいましたが、ご覧頂ければ嬉しく思います。
なお、これまで迂闊にも見落としていた文章がありましたので、ご紹介いたしたく、今回も再投稿させていただくことにしました。
また、今回の回答で私からの提案は出尽くしましたので、これを最後にしたいと思います。
結局、今回も長文回答になり申し訳ないのですが、お時間があるときに読んで頂ければ幸いです。

*  *  *  *  *

前回も ご紹介した 知里 幸惠さんの著作『アイヌ神謡集』にある、
 
 “小オキキリムイが自ら歌った謡 「この砂赤い赤い」 ”  

には、次のような一節があります。
(ローマ字の文章と日本語訳は、知里 幸惠さんの原文をそのまま載せ、これにカナ表記を付しました。
なお知里さんの表記法は、これまでの回答でご紹介した現在広く使われているアイヌ語の表記法とは やや違いますが、小学校で習うものとほぼ同じです。)
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
“Achikarata sonnohetap
eiki chiki ukirornukar aki kushne na.”

アチカラタ ソンノヘタプ 
エイキ チキ ウキロルヌカル アキ クシネ ナ。

「生意気な、本当に
お前そんな事をするなら、力競べをやろう。」
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―

これは鹿の群れ、魚の群れを根絶やしにして、人間界を飢餓に陥れようとした悪魔の子が、それを阻止した少年オキキリムイ(オキクルミ)に腹を立て、取っ組み合いの闘いを挑むシーンです。
「力競べ」とは、つまり相撲のことなのですが、話の結末で悪魔の子が少年オキキリムイによって地獄に蹴り落とされてしまった(詳細はNo.7後半にあるローマ字の例文と解説をご覧下さい)ように、これは命懸けの真剣勝負なのです。

悪魔の子の心情としては、ご質問にあるセリフ、
「この糞野郎!! ぶっ潰す!!」
まさに、そんな感じだったと思います。
なお、この話は「オイナ」(聖伝)と呼ばれるもので、「オイナ」の主人公は身分が高い文化神、「アイヌラックル(アエオイナカムイ、オキクルミと同一視されている)」である為か、原文も訳文も言葉が整っていますが、内容はかなりシビアです。

*  *  *  *  *

《語句の解説》
achikara  「きたない」。おかしい、生意気なという意味をふくむ。
      (↑『アイヌ神謡集』知里幸惠・注釈より)
 aci:汚い acikarata:おやおや

sonno   本当に まことに
hetap   だろうか

e     お前
iki    する 行動する e'iki:お前がそうする
chi (ci) 私       神謡の主人公達が使う人称接辞
ki    ~する     ci'ki:私はそうする

u お互い 互いに
kiror   (大)力
nukar 見る 見える  
u'kiror'nukar:(互いの力を見る) 力くらべ
      u'kiror'pakte 力くらべ(する) ko'pakte:比べる 
          
aki (a'ki) (a:私 ki:~する) 私はそうする
kusune ~するから         
na ~よ ~ぞ ~から (念押し)

kusune'na *  ~するからね ~するからな 
〈 *原文では“kushne na”「クシネナ」とあり、上記は「クスネナ」で、発音と表記が微妙に違いますが、元は同じ言葉と思われます(方言の違い?)。萱野 茂さんの『カムイユカラと昔話』にも「クシネナ」とあります。〉 

*  *
   
「acikarata」(アチカラタ)とは、知里 幸惠さんの注釈からも解るように侮辱の言葉です。
知里さんは、これに「生意気な」という訳を当てていますが、他にも「おやおや」と訳されるなど、相手を小者扱いして馬鹿にするセリフです。

同じく『アイヌ神謡集』に収められている物語で、

 “小狼の神が自ら歌った謡 「ホテナオ」”

がありますが、この中で小狼の神に出会った小男が、小狼の神の悪戯に腹を立て、次のように言っています。

“tan hekachi wen hekachi” 
タン ヘカチ ウェン ヘカチ
「この小僧め 悪い小僧め」
(tan:この wen:悪い hekachi:少年 子供)

同著にもあるかどうかは解りませんが、他には、このような言葉があります。

wen'pe ウェンペ  悪いやつ (wen:悪い pe:やつ)

wen'sikesar'pe ウェンシケサラペ ならず者
 sik'esar  わがまま 横暴
            
wen'sampe'kor'pe ウェンサムペコルペ  ずるいやつ 
 wen'sampe'kor ずるい(根性が悪い) (sampe:心 精神 kor:持つ)

*  *

ここで、No.7にある単語の発音のカナ表記を一部訂正させてください。

・wen'kikkik (ウェンキクキク) → ウェンキッキク
・a'supuya'sakka (アシュプヤサクカ) → アシュプヤサッカ
・ar'ustek'ka (アラウシテクカ) → アラウシテッカ

「ウェンキクキク」の「キクキク」の「ク」は、実際には二つとも小文字表記なので、その通りに表記し、正しく発音すれば誤りではありませんが、ここでのカナ表記は発音の混乱を避けるため、「ウェンキッキク」(末尾のクは小文字表記)になおしたいと思います。
「アシュプヤサッカ」 「アラウシテッカ」も同じです。

理由は、No.4の回答に書いた通りです。↓

>hoppa(ホッパ:遺す)や yakka(ヤッカ:~しても、だが)などを、「ホ“プ”パ」、「ヤ“ク”カ」とするのは厳密な表記法ではあるものの、アイヌ語の文字表記に不慣れな人がこれを読むときに、「ホプパ」、「ヤクカ」と間違って読んでしまいがちなので、注意が必要だと中川さんは同著の中で仰っています。
発音を文字から学ぶ場合は、日本語の促音に当たる発音は通常のローマ字読みで読む(hoppa=ホッパ、yakka=ヤッカ)のが正解なのだそうです。(“プ”“ク”は、このときの解説の便宜を図った表記で、実際は小文字の「プ」と「ク」を表しています。)


【まとめ】
長々と失礼しましたが、今までこのご質問に投稿した自己回答の中では、今回の冒頭に挙げた「この砂赤い赤い」にある表現が一番しっくりするように思えます。なお、

“アチカラタ ソンノヘタプ 
エイキ チキ ウキロルヌカル アキ クシネ ナ。”

の「エイキ チキ」の「チ」ですが、この「チ」は神謡では、「私」と訳されますが、日常会話だと「我々」 「私たち」という意味になります。
これらは、神謡独特の表現を含んでいると思われますが(“エイキ チキ”で「お前がそうするならわたしはそうする」のような対語的表現)、これを日常会話の人称に直すなら、「チ」を「ア」に直す必要があります。よって、次のようになると思います。

“アチカラタ ソンノヘタプ 
エイキ アキ ウキロルヌカル アキ クシネ ナ。”            
    • good
    • 0
この回答へのお礼

先ほども書きましたが、携帯を修理に出していてお礼が送れてしまい、本当に申し訳ありません!
もう、こんなに沢山の文章を書いていただきまして、本当に嬉しすぎます!
あなたをお気に入りユーザーに登録させていただきました!
これまで沢山の文章、そして詳しく書いていただき、本当にありがとうございます!!
回答は4月のはじめごろに締め切らせていただこうと思います!
本当に今まで、ありがとうございました!!
こんなに丁寧に優しくご回答してくれて、とっても嬉しいです!!
本当に、本当にありがとうございました!!

お礼日時:2010/03/22 23:47

No.7です。


続けての投稿で申し訳ございませんが、補足と訂正をさせてください。

【訂正】
誤:詳しい用例無しだと私には予測しかできないのです。
正:詳しい用例無しだと私には推測しかできないのです。

【補足】
最後に載せた「おまけ」にあるローマ字の例文の出典は、
知里 幸惠さんの著書『アイヌ神謡集』の中からのもので、
―― 小オキキリムイが自ら歌った謡 「この砂赤い赤い」 ――
です。
ここに登場する私とは、少年オキクルミのことです。
また、オキキリムイはオキクルミのことです。
オキキリムイの父親(カンナカムイ・雷神)とニッネカムイ(悪魔)はチキサニ姫を巡って激しい戦争をしたことがあるので、その子供であるオキキリムイと悪魔の子は敵同士なのです。

【付記】
この物語は知里 幸惠さんの実弟、知里 真志保さんも執筆し自らの著書にも収めていますが、後に深沢 一夫さんが脚本を手掛けた人形劇、『チキサニの太陽』のモチーフにもなりました。
さらに、これを原案として作られたのが、高畠勲さんが中心となり、宮崎駿さんらと制作した東映のアニメ映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』です。

*  *  *  *  *

雷電さんとのやりとりは、本質問が初めてですが、こんなに長文になってしまったとは我ながらびっくりです。
単語以外の話も盛り込んでしまったので、読むのは大変だと思いますが、参考にしていただけたら嬉しく思います。

この次投稿させていただくときは、もっと読みやすく、要領よくまとめるように頑張りますね。それでは!
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます!!
私もあなたと沢山やりとりできて、本当に嬉しいです!!
沢山の長い文章を書いていただきまして、本当にありがとうございます!!

お礼日時:2010/03/22 23:41

>また質問で申し訳ありませんが、「悪役をぶっ潰す」などの表現の場合は、「ウェンテ」が一番近いのでしょうか?



初めにお詫びしておきます。
ご期待に添える自信はありませんが、前回にも増して長文投稿です。

これまでも、はりきって回答しておいて申し訳ないのですが、単語を調べることは出来ても、やはり、しっかりした辞書を持っていないので、私には意味合いの違いまでは正しく解説できません。m(_ _)m
というか、調べれば調べるほど難しい気がしてきました(回答の最後でも触れていますが、表記法が統一されていないことなど)。
前回紹介させていただきました、『萱野 茂のアイヌ語辞典』なら、語句の詳しい解説と用例が載っているというので、それを片手になら理解が深まるのでしょうけれど、詳しい用例無しだと私には予測しかできないのです。
それでも宜しければ、アドバイスとして回答したいと思います。


また、この「ぶっ潰す」という言葉のニュアンスを、もう少し詳しく教えていただけますか? 
日本語の表現から、イメージを把握したいと思います。
図書館などで辞書を手にする機会が持てて、これは!と思うものを見つけられたら、報告させていただきたいと思います。
締め切り日のご予定などあれば、併せて教えてください。
そして、間に合わなかったら、、、
すみません、そのときはギブアップしたと思ってください。


質問者さんが持っているイメージは、次のうち どれが一番近いのでしょうか?

1.懲らしめるのが目的。(実際に格闘してやりあう) →「叩きのめす」

2.組織として機能しなくなるのが目的 →「転覆させる」                   
3.存在その者を消し去ることが目的 →「地獄送りにする」「根絶やしにする」
                  

「1」の意味であれば、次などが該当するのでは?と思います。
なかでも、sen'natara だと、大勢と闘う勇猛果敢な猛者というイメージが湧きます。

【叩きつける、投げる】sir'ekatta (シリエカッタ)
【~をめった打ちにする】wen'kikkik (ウェンキクキク)
【薙ぎ倒す】sen'natara (センナタラ)

 
「2」であれば、次のようになると思います。

【ぶち壊す】toy'ko'perpa (トイコペレパ) 
【壊す、破壊する】wente (ウェンテ) 


「3」であるとすると(物騒ですが)、このような表現になると思います。

【全滅させる】a'supuya'sakka (アシュプヤサクカ)
【皆殺しにする 絶滅させる】ar'ustek'ka (アラウシテクカ)
【完全に殺す】ar'no'rayke (アラノライケ)  


なお、表記に関する読みやカナの細かい注意点は、No.3の回答時に解説しましたので、今回は省略しましたことを予めご了承下さい。
今回の回答も、今までの参考リンク先にあった解説から推測した部分が多いのですが、それでも何か手掛かりが見つかったり、一助となるならば幸いに思います。                 
*  *  *  *  *

まず、「toy'ko'perpa」を分解して考えてみたいと思います。

  toy'ko':強く(強意)  perpa:壊す、割る、破る

ということから私は、この言葉には、ただ壊すのではなく、ひどく壊れた様子、「壊れ方の程度が甚だしい」というイメージを持ちます。
例文などが載ったきちんとした辞書から学ぶのが一番良いと思いますが、関連語からもある程度は、語意が推測できるのでは?と思いました。

・ni'perpa(ニペレパ):薪割り → ni:木 perpa:割る     

・yasi'perpa(ヤシペレパ):断ち割る
 → yasi:断つ?…yaske(裂ける)・yaspa(裂く)と同源語?
   perpa:割る

・sapaha'prerpa(サパハペレパ):頭が切れる
 prerpa:割れる 傷つくことも prerpa と言う。
 *参考:http://www.geocities.jp/ainuitak/23.htm 
  
   sapa(サパ):頭、sapaha(サパハ):~の頭
  
perpa については、今回の参考リンク先(サパハペレパ)の解説を読むと、物質的なこと(見たまま)だけではなく、心理的なことや形容表現としても使われるようです。
常識的に考えても「頭が切れる」とは、頭が分断されているのではなくて、勘が鋭い、賢いという意味ですよね。
「割れる」に対し、「切れる」と訳が当てられているのは、日本語の感覚にも馴染みます。
この解説の後に、「傷つくことも言う」とあるので、これは心理的なことにも使われるように思えます。


同様に、「wente」についても考えてみました。
電子辞書サイトの表記では、wente は「wen'te」とも表記されています。
このことから、 

  wen :だめだ、悪い、間違っている  te:~させる

のように、二つの言葉が合わさって出来たとの解釈が出来ます。
すると、「wente」には、悪い状態にさせるという意味があるとの推測が成り立ちます。
また、「wente」を含む単語で意味がはっきりしているものの中から、wente という言葉そのものの意義を推測してみたいと思います。

・iwente 人間を悪くする
〈 i:それ、その者を wente:悪くさせる〉

・i'wente'mat 悪妻
〈 i:わたしを・その者を wente:駄目にする(破壊する→破滅させる) mat:妻 〉
   

ウェンテには、心理的・物質的な意味での「壊す」と言う意味があると思われます。


――以上、「トイコペレパ」 「ウェンテ」二つの言葉について考えてみましたが、どちらにも「壊す」と言う意味がありますが、心理的・物質的な意味、どちらの表現も可能なように思えました。

*  *  *  *  *               

ご質問と少しばかり関係があると思ったので、おまけです。

《3.「地獄送りにする」》と最初の方で書きましたが、ユカラでは主人公が魔物と闘って勝利する場面で、魔物を地獄に蹴り落とす様子が描写されることが度々あります。
これは正に、「踏み潰す」という感じで書かれたものも多いのです。
特に、後に載せた例文がそうです。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・
カムイ・アオナ イ・イェ・プンキネワ アラ・ウェンカムイ
アラ・ウェン・モシリ ア・コ・キル・ワ 

神なる父が 私を守護し 化け物フリを
悪い国土へ 向けて行かせた
              
『カムイユカラと昔話』萱野 茂/小学館 
           「エゾマツの上の怪鳥」 より
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・

この話の主人公は、オイナカムイ(オキクルミ)と呼ばれる天界から人間の大地、アイヌモシリに降りて来た神で、人の姿をした文化神です。
雷神の父と先に地上に降りていたハルニレの女神、チキサニ姫との間に生まれたとされています(伝承は地域差があり微妙に異なります)。
ここで言う「アラ・ウェン・カムイ」(まったく・悪い・神)とは、カムイユカラ(神謡)やウウェペケレ(昔話)に悪役として登場する想像上の巨鳥のことです、フリまたはフリーと呼ばれています。
また、「アラ・ウェン・モシリ」(まったく・悪い・国土)とは、pokna'mosir(ポクナモシリ)のことで、意味は「裏側の国土」、つまり地獄のことです。
別名を、「アッ・テイネ・モシリ」(まったく・ぬれる・所)ar'teyne'mosir と言い、じめじめした湿地の暗い国です。
アイヌの世界観では、目に見えるこの世界、大地の裏側にあるとされていました。
そこは、こちらの世界で悪さをした者は、人間も獣も神でさえも追放される恐ろしい国であるとされています。

(*アイヌ語は、語順がほぼ日本語と一致しているので、一語一語を逐語訳しても意味が大体通じます。先ほどの、
「アラ(まったく)・ウェン(悪い)・モシリ(国土)」などもそうです。)


―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・
ikkeukiror montumkiror
chiyaikosanke, pon nitnekamui
shikautapkurka chiesitaiki,
kimun iwa iwakurkashi chiekiki humi
rimnatara. Chioanraike pokunamosir
chikootereke. humokake chakkosanu.

私は腰の力、からだの力を
みんな出して、悪魔の子を
肩の上まで引っ担ぎ、
山の岩の上へ彼を打ち付けた音が
がんと響いた. 殺してしまって地獄へ
踏み落としたあとはしんと静まり返った.
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・

上記の例文の最後にある、
「Chioanraike pokunamosir chikootereke. humokake chakkosanu.」
について解説してみたいと思います。

先ず、「chioanraike」なのですが、これまでに ご紹介しました「アイヌ語電子辞書」と「アイヌ語のローマ字表記(カナ表記)、発音について」のそれぞれのサイトを参考にすると、「ci oar'rayke」 という言葉からなっていることが解ります。
(* oar+rayke は音素交換の法則〈-r + r- → -nr-〉で oan raykeに変化している)
すると、チ・オアル・ライケ(私が・完全に・殺す)で、「私が完全に殺してしまう」と言う意味になります。
また「チ」(ci)とは、神謡の主人公を表す一人称で、「私は、私が、私の」にあたります。

また、原文にある「chikootereke」の koot が調べても良く分からなかったのですが、恐らくこれは kot で、si'kot も poro'kot も 大きな窪み という意味だと言うことから、「kot=窪み」という意味だと推測しました。 
chikootereke を「chi kot terke 」 に表記し直すと、チ・コッ・テレケ で、「私が・窪み・跳ねる」で、「私が(地面に窪みが出来るほど)飛び跳ねて踏みつける」ということになると思います。
これは、勢いよく踏みつけている様を表現しているのでしょう。
これを知里 幸惠さんは、
   
    (地獄へ)踏み落とす

と表現しています。  

そして最後の一文、「humokake chakkosanu.」についてですが、これを先ほどのように直すと、hum okake cak'kosanu で、「フム・オカケ・チャッコサヌ」 (音・後・さっと晴れる)になると思います。これに、
          
    あとはしんと静まり返った

という訳をあてた知里さんには、やはり並々ならぬ才能を感じます。

今回、アイヌ語と向き合って感じたことは、訳付きの文章を読んでも、辞書サイトを利用しても、原文とは表記が違っていたり、音素交換の法則を知らないでいると、単語を探すことすら難しいものなんだなぁと思いました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

本当に申し訳ありません!携帯が壊れていて修理に出していたため、こちらのサイトに来ることができずにお礼がすごく送れてしまいました!
本当に詳しく、ありがとうございます!!
こんなにアイヌ語に詳しいとは、尊敬します!!
ありがとうございました!!

お礼日時:2010/03/22 23:39

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!