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 日本語を勉強中の中国人です。日本語を勉強するとともに、日本の歴史も少し勉強したいと思います。

 中国には昔科挙試験という官吏登用試験があります。科挙の最終試験で首席合格したものを「状元」と言います。二位を「榜眼」、三位を「探花」と言います。

 そこでお伺いしたいですが、日本でも昔官吏登用試験のような試験がありましたか。その試験の上からの三位は何と呼ぶのでしょうか。

 自然な日本語の文章を書きたいと思いますので、よろしければ質問文の添削もお願いできると有り難く思います。

A 回答 (3件)

awayuki_ch さん。

こんにちは。
日本語の勉強、そして日本の歴史への挑戦。本当に頭が下がります。頑張ってください。

「科挙」の日本版に関するご質問ですね。
★日本には「科挙」に匹敵するような「官吏登用制度」はありませんでした。
★平安時代(800年頃)に「科挙」を真似した制度が導入された経緯があるようですが、「官吏登用」とまではいかず、「下級貴族→中級貴族」程度の「進級」だったようであり、その後消滅したようです。
★日本の近世を作り上げる基礎となったのが、「明治維新」につながる「江戸時代」です。この時代に「徳川幕府」を中心とした「武士階級」が主役となり、いわゆる「官吏登用制度」は事実上無くなってしまったのです。
★明治維新後になって「科挙」を真似した、「科挙形式」の制度が導入された経緯があります。
しかし、内容的には似て非なるものだったと書かれております。

【参考】
日本でも、平安時代に科挙が導入されたが、受験者の大半は下級貴族で、合格者は中級貴族に進める程度であった。このため、大貴族と呼ばれる上級貴族層には浸透せず、当時の貴族政治を突き崩すまでには至らなかった。その後は、武士階級の抬頭とともに廃れ、江戸時代までは、官僚は世襲制が主となり、科挙が日本の歴史に影響を与えることは無かった。

しかし、明治維新で、日本にも科挙形式の官僚選抜制度が導入された。高等文官試験は科挙をヒントとして作られた制度であり、試験科目は儒教ではなく、西洋の近代学問となった。
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この回答へのお礼

 毎度お世話になります。
 shigure136さんは国語だけではなく、歴史にも堪能な方だと思います。ご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。とてもすっきりしました。高等文官試験はの試験科目は儒教ではなく、西洋の近代学問となったのですか。本当に感心させられます。
 ありがとうございました。

お礼日時:2006/02/20 00:30

南宋の頃には廃絶したものと記憶していますけれども、日本にも官吏登用試験はありました。



御質問の鼎甲の名称ですが、規程では唐制と同じく上上等の及第がそれにあたるのではないでしょうか。
そもそも唐代では、牡丹の花を探す探花というのは俗称ではなかったかと思います。榜眼や探花を進士及第の正式名称として採用したのは、ずっと時代が下って明のときだと思います。
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この回答へのお礼

 早速のご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/02/20 00:53

明治時代から終戦まで行われていた高等文官試験は、科挙をモデルにしたものといわれています。

しかし江戸時代以前には、科挙のように試験のみで上級官吏を採用する制度はありませんでした。

日本では、貴族社会においても武家社会においても身分の格差は絶対的で、通常は重要な役職に就けるのは特定の家柄の者に限られていました。例外的に身分が低くても高い役職に就くことはありましたが、その場合も上級貴族や上級武士の後援を必要としました。

awayuki_chさんの質問文はほとんど完璧です。誤りは「昔~あります。」という部分で、正しくは「昔~ありました。」になります。また誤りではありませんが、「お伺いしたいですが」は少し不自然で、「お伺いしたいのですが」の方が普通です。
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この回答へのお礼

 ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。高等文官試験は科挙をモデルにしたものといわれているのですね。知りませんでした。大変参考になりました。また、質問文への添削に感謝いたします。同じ間違いをしないよう心がけます。
 本当にありがとうございました。

お礼日時:2006/02/20 00:01

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