プロが教えるわが家の防犯対策術!

知り合いに、「音楽なんて社会に何の貢献もしていない。音楽がなくたって世の中生きていける。」という人がいるのです。
 音楽は、細かなジャンルは気にしないものとして、店、すべてのテレビ番組、通り道、など日常どこでも使われているもので、絶対に必要なものだと思います。そのことをいっても、「ドラマみてへんし、なくたってまあええやん」と返されます。実際に音楽のない世界が実現できない以上、音楽のすばらしさは実感できないんでしょうか。なんとかして、伝えたいのですが・・・。どうすればいいでしょう??

A 回答 (7件)

よく言われることですが、音楽は基本的に、「快」か「不快」か、の世界であって、必要か、必要でないか、のベクトルで語ることは、非常に不毛なことだ、ということを理解し合ってはいかがでしょうか。



生まれつき聴覚に障害を持ち、全聾の方もいらっしゃいます。そういう方であっても、自分の体内や環境の中の振動、リズムを感じて、快、不快を示すはずです。

快感(不快感)が、その人の情操、健康に与える影響を否定する人はいないでしょう。
「味なんて社会に何の貢献もしていない。味がなくたって、ものが食べられれば、世の中生きていける。」という主張に、ちょっと近いものを感じますね。

音楽は、人生の味付けのようなものかな、と、私は考えています。もともとそう大した力を持っているものではない。

でも、それを感じるうつわ(感性)が研ぎ澄まされてくると、人生をも左右するアイテムともなりうるものだと思うのです。逆に言えば、その群衆や国民レベルで感性が育ってないという事態があるならば、まさに、「音楽は何の役割も果たさない」論がまかり通ることとなるのでしょう。

さて、日本では、街中の音楽でも、ドラマ、テレビ番組のBGMにしても、実にうまいこと作られていると感心することがあります。全くその場の雰囲気を壊さず、空気のように自然に存在して、聴いている人の情緒の安定に作用しているからです。

こういう音楽を送り出している人たちの天才性に、私は感服します。何せ、「空気」「環境」を作り出しているのですから。

ただ、日本では、それがやや過剰であるということも思います。すばらしい町の中では、BGMなど流す必要がありません。不必要な効果音が流れるテレビ番組もあります。

もし、どうしても必要論で音楽を語らなければならないとしたら。

音楽というよりは、「音」が、どのように私たちの感覚に作用しているか、ということを考えたとき、「音楽なんて、なくたってええやん」などという能天気なことは言っていられない、ということは主張すべきでしょう。

そういうことに無関心な人たちばかりで社会を作ると、一部の「わかっている人」に悪用されたときに、どのような悲劇が待っているか、考えればわかることです。戦時中の日本は、かなりその方向に行きかけていたように思います。

でも、基本的には、やはり音楽は、「快」に向かうためのものです。音楽のすばらしさですか。これも、不毛な論議に近いものがありますが、「うつわ」(感性)が育っていなければどうしようもない話です。おいしさがわからないのですから。

でも、集団的レベルでうつわが育っていたとすれば、心地よさを共有することができ、「音楽って、すばらしいね。」という会話が成立すると思うのです。

中学校などで合唱活動が盛んですが、すばらしい合唱を発表した学級の中にも、必ず何人かは、歌いながらも、「こんな活動のどこが面白いのだろう。」と思っているはずです。うつわが育っていないからです。
    • good
    • 0

植物にしろ、動物にしろ、生物は根本的に音を楽しみます。


音を楽しめない人はこの世に存在しない。と、言っても過言ではないと思います。
ただ、洋楽・邦楽・お経・感情豊かな会話など、その旋律に好き嫌いはあると思います。

楽音・・ある純音と2倍・3倍とかの純音が入り混じって合成された音。楽音が井戸水ならば純音は蒸留水。
純音(正弦波)は無機質で個性とか味が有りません。

雑音・・楽音以外の不規則な振動を持つ音。

この事からも、純音・雑音又は無音の世界で生きていられるでしょうか。

人の会話には抑揚が有ります。会話は音楽です。
悲しい時、嬉しい時、怒っている時、泣いている時、其々にリズム・抑揚があります。これが音楽でしょう。

一般に言う音楽は、この会話をちょっとオーバーに表現しただけです。

人間の会話は素晴らしい音楽です。楽器はその代弁者。

生物は無意識に音楽に左右されています。

水でさえ命を持っています。
これを見せて下さい。
水からの伝言
http://oak.zero.ad.jp/padoma/main/saience/mizuka …
    • good
    • 0

自分は、趣味で作曲しているほどなので、


「音楽」は大好きです。
bosutonbaggukotu さんの気持ちは、よく、わかります。(^^

でも、
「音楽以外」のことは、音楽ほど、興味がありません。
たとえば、このサイトの「カテゴリー」という分類があります。

たぶん、全ての分野に対して、すばらしい・・・とか、
強い関心がある人は、少ないと思います。

やはり、人それぞれ、「好み」「関心」「興味」の違いがあります。

なので、あなたが、「音楽」に強い、「好み」「関心」「興味」を持っていても、
人は、「別のこと(カテゴリー)」に興味があるのでしょうから、
なかなか、むずかしいのが現実ではないでしょうか?
    • good
    • 0

そもそも音楽とは何でしょうか。


例えば何かを暗記する時、旋律を自分なりにつけて覚
えると、覚えられます。
何時だか神父様が「聖書を暗記するコンテストみたい
なので、驚異的に覚える人がいるが、言葉を自分なり
に旋律にしている」と聞きました。
昔から、だから人とのコミュニケーションで旋律を使
って歌になったのです。
音楽の根っこはそこでしょう。

しかしそれは全く根本的なことで、確かに全く音楽に
理解できない人は存在します。
それは高度に洗練された音楽を解しないので、潜在
意識の中では人間必ず音楽の要素持っていると思いま
す。

音楽がなくても生きていける。それは事実でしょう。
しかし言葉が出来たそのときと同時に音楽もあった事
も事実です。
どこまでを音楽と捉えるかですよね。
その方は鼻歌も歌われないのですか?
きっと嬉しい時そのことくらいはするのが人間の根本
と思いますが。
    • good
    • 0

No.1さんの意見に同感です。


しかしながら、少々補足を...
ジョンレノンは音楽を通じてそれこそ多くの人に影響を与えました。
その存在感は宗教以上の物であると言われ、彼の発言により多くの人がその意見に賛同し、多くの人が動く事をとある国は非常に恐れたそうです。それは彼がもし仮に「○○国は...」等と言った場合、その国が脅威にさらされる可能性があったからです。

音楽とは国境を越えた共通の言語である、なんて言っている人もいますが、それは正にその通りで、感動する物は国境を越えます。音楽の様に理屈抜きでダイレクトに感性に訴える存在は何にも変えられないと思います。

音を聴くという行為は一部の障害を持っておられる方を除けば誰にでも出来る行為です。
一般化とは恐ろしいもので、それを誰もが当たり前の様に享受しているのです。
しかしながら、上記の様にその機能を不幸にも失ってしまった方等にとっては一生をかけても取り戻したいかもしれません。
条件付きですが、人間は音もしない真の闇の中に1分いると気が狂うそうです。私はそれを現像などを行う暗室の中で体験しましたが、10秒とその場にいれませんでした。
簡単に行うのでしたら、その様な所に連れて行ってあげた上で、音のする暗闇としない場合とに分けて試してあげれば良いと思います。
    • good
    • 0

>実際に音楽のない世界が実現できない以上、音楽のすばらしさは実感できないんでしょうか。


これはちょっと違うのではないかと思います。音楽のすばらしさを実感するには、すばらしい音楽にたくさん触れることだと思います。お知り合いの方はこれまで音楽に触れる機会が少なかったのでそういう感性がはぐくまれなかったのではないでしょうか。音楽のすばらしさを伝えるのであれば自然と良い音楽に触れる環境を作ってあげるのはいかがでしょうか(ライブやコンサートに誘ってみるなど)。

ただ、お知り合いの方の「音楽がなくたって世の中生きていける。」という発言は理解できます。私自身がそうなので。(「音楽なんて社会に何の貢献もしていない。」の方は間違っていると思いますが)趣味や価値観の押し付けにだけはならないように気をつけてくださいね。
    • good
    • 0

多分無理です。

そういう感性のない人はよほどのきっかけがない限り、音楽のすばらしさを実感する事はありません。
私は、ジョンレノンがそれを出来る人だと信じていて、いろんな人に聞かせたり、音楽の良さを感じてもらおうとしましたが、やはり好みや趣味、感性といった壁は、越えれませんでした。(涙)
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!