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どうして年上には「尊敬の念」を持って接しなければいけないのでしょうか?そんなに年上は偉いものなのでしょうか?確かに「技術」「知識」において凄い人はいます。そんな「凄い人」には「尊敬の念」を持って接しなければいけないというのは分かるのですが、そこまで「能力が無い人」にどうして「尊敬の念」を持って接しなければいけないのかが分からないのです。例えばイチローが凄いとして、イチローは50才のうだつの上がらないサラリーマンに、どうして「尊敬の念」を持って接するのか?先輩というだけで、そんなに偉いものなのでしょうか?
世間知らずなので宜しくお願いします。

A 回答 (26件中11~20件)

質問から、会社の先輩か上司とトラぶった感がありますが、まあ自分もそんな凄い人間ではないのだから気軽にやりましょう。


会社やご近所で人と付き合うとき「敬意の念」は必要だと思います。うまくやってください(笑)

すごい人なのかどうか以前に、だったら年下だから蔑むかどうかです。人を見えている部分だけで自分の判断材料にするのは情報不足でしょ。
その人のすべてがわかったわけではないんだから、とりあえず自分より長く生きているということは、多く物を考えたり見たり経験したりしてるはずだから、敬意は払ってよいのでは?

私は年齢や肩書きは関係なく一人の人間として付き合いたいと思っていますが、先生がつく職業や、会社の上役のような仕事をしている方には、プライベートでもついこだわってしまう人も多いようですね。だからそういう人とは友達になれません。だからと言って誰にでもタメ口もかっこ悪いでしょ。大人だから。どんな相手にも敬意を払って丁寧な話し方をするのが、相手を知る始まりだと思います。
私が凄いと思う人は、生きてる長さじゃなく内容だと思うので、人がどうでも自分の為に日々充実して明日を迎えたいですね。

私は、偉ぶりたい人には威張ってもらって、押し付けてくる方とは最小限のお付き合いに控えています。時々鬱憤晴らしに、肩書きに頼らないと自己評価できないかわいそうな人だと心の中で哀れんだりしてね。
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「時間」というものは人間の経験や能力を超えているからでしょう。


若くして様々な経験を積み、優れた能力を持つ人はいます。
生れながらの才能というのもあるでしょう。
ただ、どんな一見何の取り柄もないような人間でも
長く生きる為にはそれなりのことをしなくてはいけません。
何の苦労もないように見える人でも
歳を取れば体力や容貌、知力の衰えを感じるでしょう。
人間が決して逃れることの無い苦・老・病・死。
それを身をもって知れば、誰しも内省的にならざるを得ないのではないでしょうか。
わかっているようでわからないことなど
世の中、山ほどあります。
別に偉いと思わなくても尊敬しなくてもいいですけれど
自分の知らないことや物に対する敬意の念があれば
「~しなければならない」ではなく
自然に湧き上がる気持ちというものがあると思いますが
いかがでしょうか。
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>どうして、年上には「尊敬の念」を持って接しなければいけないのか?



 それは儒教という考えが昔日本に入って
きた影響ですが、全ての年寄りを敬えという
意味ではありません。

 年寄りは基本的にボケています。バカに
されて当然です。

 しかし、中にはイチローのようにすごい
業績を上げた人もいるのだから、年寄りを
一まとめにして馬鹿にしちゃいけないよ!
という意味です。

 業績を上げれば出世していくサラリーマンの
世界で、50でうだつが上がらない人にまで
敬意を示す必要などないわけです。
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いけないことはないと思いますが。



人生を重ね苦労を重ねていくと、人生の重みというのが分かってきます。
それは何かをしたからとか、何ができるからというような
頭で考えた理由ではなく、
なんとなく、人生というものに対して、
ずしんと深い重みを全身で感じるようになっていきます。
時の流れ、積み重ね。
その荘厳さ厳粛さを、なんとはなしに感じるようになってきます。

そうすると、ただ生きているというだけで、
相手の中にもあるはずのそういう蓄積に、畏敬の念を感じます。
生きている、お互いに人生の悲喜こもごもをくぐってきたということに対する共感。
自分自身、たいしたことをしたわけではないのです。
むしろ、誰にもいえない秘密。
ふと浮かぶだけで声を上げそうになってしまう恥ずかしいこと。
誰も知らないし、うまく説明もできないけれど、
自分の中では誇りに思っているささやかなこと。
細胞ののひとつひとつに涙の雫のように溜まっていく気がするもの。

人格が偉いとか立派だということではないのです。
命への共感、積み重ねた人生への思いの深さ
それらが感じられてくると、
自然とお互いに立てあい、尊重しあえるようになっていきます。

若いうちは難しい場合が多いと思うのです。
歳をとっても、鈍感だったりひねくれてしまったらわからないかもしれません。

でも、生きていくと「えらい」の意味合いが変わってくる場合があるということは覚えておいてください。
それは能力とか値段とかとは別の次元の概念です。
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 あなたが、あなたより5歳とか10歳とか年下の人間から[、敬意も何も感じない対等じみた態度を取られたときに、あなたが感じる感情がその理由です。

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馬鹿にするのは心の中で、顔や態度は慎み深く、


というのが年上に対しての理想の態度だと思っています。

あからさまに馬鹿にしたら、相手からは何も得られませんから。
たとえ反面教師としても、得るものはあるからです。

「50才のうだつの上がらないサラリーマン」でも、
「小僧」には未経験の時代を通過してきていますし、
結婚や子育てもたいていはクリアしていますから、
経験値は「小僧」より確実に高いでしょ?

こんな質問内容など、とっくの昔に彼らは答えを出していますよ。
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必要以上に尊敬しなければいけないってことはないし、若いうちはやっぱり上の世代にアンチであって欲しいなと思います。

その年齢になって初めてわかることもあると思います。ただ必ずしも人にはないものを持っている、個性的な人ばかりが尊敬されなければいけないということもないと思います。
また上の世代には変に若い世代を認めるような気分にはなって欲しくないなと。
もちろん認めるところは認めるで良いと思いますし、それが大前提であるべきだと思いますが、
やはり認めないという気概で人は成長するのかな?と。
若い子があんまりいい子というのも生ぬるい感じで好きになれません。
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それは社会の秩序を保つための一種の方便だからだと思います。



他の回答者の方々もお答えされているように、人間の能力は未来永劫続くわけではありません。 あなたが生まれる前やよちよち歩きだった頃に直接的、間接的にあなたを支え、そしてあなたが育まれてきた社会を形成した人は全て年長者です。 

そして、あなたがいくら自分の能力に自身があってもいつかは身体能力が衰えてただの老人になってしまいます。 その時に今度はあなたにとっての経験も知識もない能力が無い若者に無用の長物扱いされる社会は良い社会ですか?

何かの時には「女・子供」を優先し、そうして助けてくれた年長者を敬う社会は良い社会だと思います。
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質問者の論理だと、イチローが50才になって野球人生終わっていたら、皆タメ口でもきくのでしょうか?


人間の歴史は先人によって築かれ、世代を引き継ぎより良くしてゆく努力をします。
戦後、40年代、50年代、60年代、70年代、80年代、それぞれの時代を支え続け、日本を餓える国では無く富める国にしてきたのは、特定の個人ではなく、ウダツの上がらない様に見えるかもしれない人々の人生なのではないでしょうか?。
尚、アメリカは仕事に関しては常に実力主義ですが、過去の実績に対してリスペクトしないという事はありません。
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結論から。


それは日本がまだ「年功序列」の意識を捨て切れてないからです。
>そんなに年上は偉いものなのでしょうか?
このような質問をされてる時点で日本の年功序列制度の名残ではないでしょうか。
昔は能力がなくても年を重ねれば上役へと昇進できたので。
今は「実力主義」の意識が広まってきてますよね。
貴方はまだお若いのでは??
なのでこのような疑問に気づくのです。
「年の功」という言葉通り年をとった方は、やはり若い世代では味わえない辛酸も舐めてきているので、そのような経験を評価する意味でも「尊敬の念」ではないでしょうか。
アメリカとかは「尊敬の念」のような意識はほとんどありませんが、近年の日本も僅かながらその兆しがあります。
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