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 日本語を勉強中の中国人です。

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2095116
 
 上記質問の#7の方のご回答の中で言及された「~ほうがよかった<後悔>」はどのように使うのか、教えていただけないでしょうか。「~ほうがよかった」を使う例文を書いていただければとても嬉しいです。

 自然な日本語で文章を書きたいと思っていますので、よろしければ質問文の添削もしていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

A 回答 (34件中11~20件)

#23です。


#21さんと#22(=#20)さんのご回答を読んで感じたことがあるので、またお邪魔させてください。
私自身は、どちらかと言えば#21さんのお考えに近いようです。
#22さんクラスの実力をお持ちであれば受け止めていただけると思うので、「~た」についてのご見解に疑問を投げかける形で少し述べさせていただきたいと思います。

残念ながら私は新明解を持っていないのですが、#20において、「た」は「主体の判断を表す」という点が肝要であるとおっしゃっておられます。
しかし、これはあくまで結果的にそうなるのではないかと私は考えます。
つまり、「ここは主体的判断を表わすところだ」と考えて「~た」を使う人はまずいないということです。
ただ、「主体的判断」を表わしたいような場面では、「~た」という表現が【無意識的に】使われるのではないでしょうか。
そして、なぜ無意識的に使われるのかという点を問題にすべきではないかと考えるわけです。

21さんもおっしゃっていますが、
「遠足だったよね」と「雨だったよね」は、『ということだったよね』と、【過去に確定していた事柄の再確認】という意味に解釈するのが妥当なように思います。

「あった!」が現在形であるとおっしゃっているのはわかります。
ただ現在形と言うならば、なぜ「ある」ではダメなのかということが論点になるべきだと思います。
「あった!」は、ある状態を脱して問題が確定した場合の表現とおっしゃっておられますが、これは非常にわかりやすい解釈だと思います。
ただ、【なぜ確定した時に使うのか】という点を考える必要があるのではないでしょうか。
鋏の例で言えばまず、これは「ずっと探していた」という継続行為を暗に強調している点が重要だと考えます。
そして、「こんなに探していたが、実はそれ以前(という過去)に鋏はすでに(ここに)あった。」というニュアンスが「た」を使わせるのだと思います。
つまり、【すでに存在しているもの】を探すわけですから、それを見つけた時には【(元々)ここにあった!】ということになるのではないでしょうか。
「どこにあるか」は、そのような言葉を口にしている今の時点で鋏はどこにあるのかという意味ですし、「そこにある」は、そう言っている瞬間の鋏の状態を指しているわけですから、現在の時制になるのは当然でしょう。

『ずっと探し続けてきたが、実は鋏はそこに【すでに】あった』という過去の状況として表現することによって、探し続けてきたことの虚しさ(もっと早くにこの場所に気がついていれば、こんなに長い間探さなくてもよかったのに・・・、という)が強調されているわけで、このような感情を表現したい時に【過去形としての「た」】が自然に使われているということではないでしょうか。
特に探す必要もなく目の前のものを確認するだけであれば、「ある」と言うでしょうし、それは探し回った苦労を強調する必要がないからだろうと考えるわけです。
無論、この場合の「ある」も「あった」も、その場の鋏の状況としては同じく【現在】という時制になります。
ただ、「あった」のほうは「探し回った」という行為を強調させるための表現ということです。
そのためには、探し回るという行為より以前(すなわち過去)に鋏があるという状況は存在した(すなわち「鋏はあった」)、ということを過去形として明確にするのが効果的だと感覚的に理解しているのではないかと思うわけです。

#22欄においては、
【やめとけという気持ちを強調したくても「食べなかったほうがいいよ」とは絶対に言わない】理由として、「否定形がどこまでいっても観念に過ぎない」という解釈をしていらっしゃいます。
しかし、これは先に「食べたほうがいいよ」の「た」を強調と判断しているために無理に作られた解釈のように感じます。
単純に、「未来の行為に対する忠告なので過去形は使えない」と解釈するのはダメでしょうか。

「どいた、どいた」については、
『これから「どく」なんて悠長なことを言っている場合じゃない。
すでに(過去の事実として)「どいた」という状況が作られていないと間に合わないというぐらいの気持ちで、すぐにどいてくれ。』という解釈を私ならします。

#22さんの胸をお借りする心境で述べてまいりましたが、ご質問者であるawayuki_chさんのご理解に発展的な意味を持つ投稿であることを願うばかりです。

この回答への補足

 私の理解で間違いがありましたら、指摘していただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

hakobuluさんのお考え方

「た」は過去の(百年前も一秒前も「過去」)事実を表すだけである。ただし、この事実からいろいろな感情を導くことが出来る。この感情を導くことは必要な一環とは限らない。

#22さんのお考え方

「た」自身には主体的判断が含まれている。文によっては、主体的判断は表面的にはよく見えないかもしれないが、「主体的判断」が「た」の本質である。

ということでしょうか。

 ついでに、『新明解国語辞典(第五版)』より「た」の引用です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
た(助動・特殊型)
(1)その事柄がすでに実現し、結果が現れているものと△認められる(見なす)という主体の判断を表す。
●昨日雨が降った
●新聞はもう読んだ
●この辺は昔は寂しかったろう
●私がやったら出来なかった
●今度会ったときに話そう
●済まなかったね(=本当に済まないね)
●あしたは月曜だったっけ(月曜にまちがい無いね)
●帽子をかぶった(=かぶっている)人
●絵にかいた(=かいてある)ような景色

(2)「終助詞的に」軽い命令を表す。
●さあ子供はあっちへ行った。
●どいた、どいた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 以上、引用済みでした。

補足日時:2006/05/04 12:24
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この回答へのお礼

 私のせいで大変お騒がせして本当に申し訳ありません。「た」の理解はネイティブスピーカー同士でも意見が違うようですね。「た」は過去の事実であることは強調したいのですね。心より厚くお礼申し上げます。

お礼日時:2006/05/04 13:42

フムフム、だいぶご理解が進んだようで大慶の至りです。

#20&22です。

まずはご要望にお応えして、ハサミを発見したときに「あった」と言わずに「こんなところにある…」と言いさすとき、表に出さずとも周りにはひしひしと伝わる内心の言葉、それは何かというと、「おろろー、こんなところにある。俺はこんなところに置かなかった。置くはずがない。定位置を決めているんだから。誰かが無断で使ったにちがいない。誰だよひとのもん勝手に使ったのは。べつに使ったっていいけど、ちゃんと元に戻せよ。俺はこんな横暴をぜったい認めんぞ、こんな理不尽は死んでも許さんぞ」といったところかな。いや、そこまでは言っとらんか。呵々。

「あ、あった」なら素直に事実を認めているわけです。そう言わずに「ある」と言うということは、事実を事実として認めたくない、不服である、現状は現状としてどうにもならないとしても現状が出来するまでの経緯は承服しがたい、という気持ちを表明することになるのでした。(←この文末の「た」も過去を表しているわけではないですよね。これがなんぴとにも反駁不能の事実だ、という私の気持ちの発露なんですな。(文中の「出来」はシュッタイと読みます。為念。)

>「~ほうがよかった」は「~ほうがよかったんだ」で表現するともっと理解しやすいかもしれません。

はい、後者のほうが強いのは確かです。「天丼にしたほうがよかったんだ…」なんて言うとしたらもう目のふちにポチリと涙のようなものが浮かんでいる感じ。後悔にうちのめされてる。泣くなよ食べ物の選択くらいでよ、と言いたくなりますな。

>「過去形+っけ」

これは「動詞+助動詞「た」+っけ」と書くべきです(しつこくてごめんね)。過去とは無関係ですから。

>自分の思っていることを他人に確認するので、「主体の判断」ということになるのでしょう。

これはたぶん違います。「自分の思っていること」ではなく、「自分のおおむね知っていること」と書いていただきたきたかったところ。

これは「動詞(終止形)+っけ」との比較において考えるべきなのですが東京弁にはこのかたちがたぶんありません(すぐ南隣の神奈川にはあるんですけどね)。そこでよく似た意味合いで二通りの形がある表現を比較してみましょう。いきなり具体例でいきます。

1.例のプレゼン、今日でしたよね?
2.例のプレゼン、今日ですよね?

両方とも確認的な質問です。すなわち、プレゼンが今日であることは承知しているけれども、念のために確かめておきます、という訊き方です。何が違うかというと、承知の度合いです。前者が百までゆかずとも九十くらい承知なら、後者は五十というところ。ですから、普通は後者の言い方は避けるべきでしょう。だって「お前は大事な商談の日もろくろく憶えとらんのかあっ! しかもこんな間際に訊くことかあっ!」と突っ込まれるおそれがあるから。まあ、これくらいは顔つきで補うことも可能でしょうけど。知れきったことながらあくまで念のために尋ねます、という面持ちで訊くなら、OKでしょう。

1.出前を頼んだけど、一時になっても来なかった。
2.出前を頼んだけど、一時になっても来ない。

この二つもおっしゃる通りで、同じことです。後者のほうが気持ちが出ている、というのは不服そうな感じが強いということです。納得してないんですね。確定済みとして受け入れることはしませんよ、って意味になる。

十一時半に電話したんだから一時になっても持ってこないなんてありえない、そんな馬鹿なことを認めるわけにはいかない、と間接的に主張していることになるわけです。ですから、「こんな馬鹿な話があるか!」という怒罵が続くとしたらこれは2のほうです。1に続く表現は「これはどういうことか、説明していただけますか?」というもっと冷静な言い方がふさわしい。

現代日本語は現在と過去とを截然と分節する言語的装置を備えていないのです。過去形なんてものはないし、それなら現在形もないし、となれば過去や現在という時制もない、ついでに言えば仮定法もない、というのが正しい認識だと思います。おっしゃるように、第二言語として学んでらっしゃるかたがたには別に受け入れがたいことではないのかもしれません。日本人こそがこれを認めたがらない、ということが今回よく分かりました。まず中学校で英文法を学び、国文法を本格的に学ぶのは高校からですから、そういうことになってしまうのでしょう。

私が記した「~するほうがよかった」という表現がない、と主張してる人がいました。「た」は過去の助動詞だと信じ込んでいるからこんな間違いをわざわざ言い立てるのでしょう。議論には及ばない、ただ反証を示しておきます。漱石の『こころ』の中章第四に「いっその事、…お客でも呼ぶ方が好かったんだよ。」という母の台詞があります。鴎外の『渋江抽斎』には「この人は抽斎の師の中に列する方が妥当であったかも知れない」とあります。こんな例はいくらでもある。

「~するほうが」と「~したほうが」も上の例とまったく同じことです。前者は慎重で、ときとして冷淡に響く。後者はともすれば押しつけがましくなりかねない。

初めてのデートで餃子を食べたとします。醤油だけつけて一つ食べたら「お酢入れたほうが美味しいよ。ラー油もね」と言いながら返事も待たず早くも手が動いてこちらの小皿に酢をチャーと注いでしまう。世話女房タイプ。こっちはわざと醤油だけで喰ってんだよ、と言いたいが言えない。けっこう嬉しかったりして。

同じ状況で大人しい人なら「お酢いれるほうがいいんじゃないかな…あ、ごめん、余計なお世話だった…?」とおずおず言ってすぐ謝ったりして。思慮深いんだか鬱陶しいんだかよくわからない。

まあこれで十分かと思いますが、駄目押しにちょっとこんな文を見ておきますか。志賀直哉の『焚火』、最後の二段落です。

「Kさんは勢よく燃え残りの薪を湖水へ遠く抛った。薪は赤い火の粉を散らしながら飛んで行った。それが、水に映って、水の中でも赤い火の粉を散らして飛んで行く。上と下と、同じ弧を描いて水面で結びつくと同時に、ジュッと消えてしまう。そしてあたりが暗くなる。それが面白かった。皆で抛った。Kさんが後に残ったおき火を櫂で水を上手に撥ねかして消してしまった。
 舟に乗った。蕨取りの焚火はもう消えかかっていた。舟は小鳥島を廻って、神社の森の方へ静かに滑って行った。梟の声がだんだん遠くなった。」

日本語の小説を読むと、「過去形」と「現在形」が混在していることに戸惑うはずです。英語なら律儀に、と言うより馬鹿みたいに過去形が連続します(描出話法なんてのもありますが、日本語みたいに奔放かつ自在に入り交じることはできません。)

さて、この引用文、三つだけ現在形モドキがあります。すべての文は連続する時間の中で継起する出来事を写しています。なぜここだけ過去形モドキでないのか、分かりますか。

それは現在形モドキで描かれたがずいぶんと新鮮な光景だったからでしょう。光を放つ物体が夜の黒い水面の直上を飛んでゆくのなんか、私もけっこう長く生きていますが、見たことがありません。これはおお、こんなふうになるんだ、当たり前と言えば当たり前だが、と著者も目を見張ってる感じが生々しく伝わってきます。ほかの「た」で終わる文の落ち着きとの対照性を味わってください。

「食べずにいるその姿は具象としてはむしろ別の、食べることとは無関係のポジティブな形、おしゃべりや読書やゲームに空腹を紛らわそうとする姿としてのみ認識される。」を言い換えろ、とのことですが、はい、「人間は、何もせずにいる、ということはできない。なにかしらしていざるを得ない」で、どうでしょう?

牛丼は私も嫌いじゃありません。心の中で「マズイけどウマイ。いや、マズイからウマイ。絶対矛盾の自己同一。いや、事故同一?」などと呟きながらしばしば、わしわしと掻き込んでおります。

まあしかし、ほんのちょっと前まで、牛丼なんてものはご婦人の食すべきものとは考えられていませんでした。牛丼屋って、みごとに男ばっかし。男ならざるものがいるとしても単独で来店ということはありえない。若い男女が交際を始めると、カノジョはカレシに「吉野家連れてって~」などと頼み、カレシは安上がりでラッキーと思いながら「よしよし」と連れてくるのでありました。そんなのしかいませんでした。今は一人で来て「特盛りツユダクで」なんてやってる。世の中は常に動いてますな。

えーと、あとタカラヅカについて、直球で答えておきます。この前のはちょっとひねってしまった。

「清く正しく美しく」は実のところ、「男日照り」もしくは「女日照り」の意味で使われます。タカラヅカというのはずいぶんと禁欲的なところで、酒と煙草と男が禁止されているそうです。まあ在団中に結婚をしないことだけは確かのようです。
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この回答へのお礼

 早速のご返事ありがとうございます。

「こんなところにある…」のニュアンスはとても私に伝わってきました。よく分かりました。「でしたよね?」と「ですよね?」の違いもとても参考になりました。承知の度合は前者のほうが強いのですね。

「来なかった」と「来ない」の理解はmannequinkatzeさんのおっしゃる通りで心配しないでください。実は、中国語もこのように表現しますので。

「現代日本語は現在と過去とを截然と分節する言語的装置を備えていない」のお考え方がよく理解できます。外国語のカテゴリーで『中国語の「時制」について』に関する質問がよく目にします。日本語と中国語と本当にいろいろなところで似ています。中国語の中では、日本語のこの「た」に近い成分があります。英語の時制の感覚を捨てて日本語の「た」の感覚で理解していただければ、中国語の「時制」の問題も理解しやすくなると思います。
 
 志賀直哉の『焚火』はまだ読んだことがありません。最後の二段落はとてもきれいですね。「薪は赤い火の粉を散らしながら飛んで行った。それが、水に映って、水の中でも赤い火の粉を散らして飛んで行く。上と下と、同じ弧を描いて水面で結びつくと同時に、ジュッと消えてしまう。そしてあたりが暗くなる。」は私もこれまで見たことがありません。でも、頭の中で自然とこの一シーンが不思議に現れました。とてもすばらしい文章の結末だと思います。全文を読みたいです。これからもすばらしい文学作品をお勧めください。とても気に入ります。
 
 牛丼は日本で女の子らしくない食べ物だと聞いたことがあります。それでも好きです。おいしいというとても単純な理由で(笑)。最後に、「清く正しく美しく」のネタばれありがとうございました。

お礼日時:2006/05/04 02:24

ではQNo.2095116の疑問【「~したほうが」の「た」は何でしょうか。

「~したほうが」と「~するほうが」は使い分けておられるでしょうか。】にお答えしましょう。

この問題を解く鍵はあっちの#5さんがすでに提示していらっしゃる。ナントカなる行いを勧めるときに「ナントカしたほうがいい」とは言うのに「ナントカしなかったほうがいい」とは絶対に言わないのはなぜか、これを考えればこの問題はおおむね回答を与えられたことになるはずです。

具体例で言うと、「こんなときは無理してでも何か食べたほうがいいよ」とは言う。「こんなときは無理してでも何か食べるほうがいいよ」ではかなり変。「何か食べるほうがよくないですか…?」ならOKでしょう。これだと「私がどうこう言ってもどうせ聞く耳持たないだろうけど」という含意が感じられる。要するに助動詞「た」を用いると強くなるんですよ。気持ちの強さが言葉に現れる感じ。

で、否定形はどうか。「まだお腹の傷もふさがってないんだし、あんまり食べないほうがいいよ」とは言う。やめとけという気持ちを強調したくても「食べなかったほうがいいよ」とは絶対に言わないんですよ。さあその理由は何でしょう。

それは否定形がどこまでいっても観念に過ぎない、観念の否定という観念に過ぎない、ということでしょう。肯定する形は事件として、実在として感知することができます。否定形はそうではない。「食べる」姿は実在する。「食べない」姿はない。あるとしても頭の中にしかない。食べずにいるその姿は具象としてはむしろ別の、食べることとは無関係のポジティブな形、おしゃべりや読書やゲームに空腹を紛らわそうとする姿としてのみ認識される。

新明解が説くごとく、「た」という助動詞の本質は《何かを不動の事実、事件として認知する》ということです。事実や事件はポジティブな形でしか現れません。歴史年表は何年にどういうことがあった、という記述によって埋め尽くされています。何がなかった、なんて記述は意味をなしません。

ポジティブな形での言明、たとえば「西暦五三八年に仏教が伝来した」という判断の確からしさは、これを証明する物証が出てくれば出てくるほど増してゆきます。これをひっくり返すものがあるとすれば、別のポジティブな物証であり、それが証拠立てる別のポジティブな言明たとえば「西暦五三七年に仏教は日本へ来ていた」などであるはずです。

否定形というのはポジティブ=実証可能なものを事実の上ではなく、観念の上でひっくり返すことです。事実の積み重ねにあたるようなものはない。一度きりの作業です。だから、「ナントカしなかったほうがいい」と言っても「ナントカしないほうがいい」よりも強調することにならない、したがってそんな言い方が存在しない、と私は考えます。

「何かをした」ということを証明することは比較的たやすく、「何かをしなかった」と証明することは直接には不可能、ほかの「何かをした」(アリバイですね)ことによってのみ可能であるのと同じことです。

新明解の「た」項には「終助詞的に軽い命令を表す」ともありますが、なぜそうなるか、もうお分かりでしょう。「どいた、どいた」は「どくのが当然だ、どくのは既定の事実に等しい」と言っているわけです。第二項とするまでもないような同類じゃありませんか。

大切なのは「た」が過去の助動詞だなんていう誤りから逃れることです。「た」が過去を表すのは二次的な意味作用に過ぎません。言葉の根元的な力の働きようを見据えてください。


ついでだから言っておきますが、

>「来週の火曜日は遠足を行うと決まっていた/だったよね?」
>「明日は雨と、天気予報で言っていた/だったよね?」

こんな日本語が存在しないのは言うまでもありますまい。斜線を入れたところが繋がっていません。

何かを見つけたときの「あった!」がいかなる時制かを言うなら現在形であると言うしかありません。その理由はすでに下で述べたし、英語に直してみればすぐわかることです。

そして新たなニュアンスの創出云々ということについては創出でもなんでもありません。この一件はありきたりなものです。

この回答への補足

>食べずにいるその姿は具象としてはむしろ別の、食べることとは無関係のポジティブな形、おしゃべりや読書やゲームに空腹を紛らわそうとする姿としてのみ認識される。

 この文の意味は何でしょうか。私にはとても難しい文です。全回答文の意味からすれば、「食べない」は抽象的なもの、具象ではない、ただの観念に過ぎないと推測していますが、こんな理解であっているのでしょうか。別の言い方に書き換えていただければ非常に助かります。よろしくお願いいたします。

補足日時:2006/05/02 16:54
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この回答へのお礼

 QNo.2095116までもご覧いただきありがとうございます。「ナントカしたほうがいい」とは言うのに「ナントカしなかったほうがいい」とは絶対に言わないのはなぜか、私も考えたことがありますが、だめでした。
 肯定する形は事件で否定形はただの観念という考え方はあるのですね。確かに『新明解』の「た」の釈義と一致しています。「た」という助動詞の本質を再認識します。
「た」は過去形に使うのは一番多いので、つい「過去形のた」のようなおかしい呼び方になってしまいました。でも、私は「た」は過去形の助動詞と認識していないので、ご安心くださいね。
 何度も本当にありがとうございました。

お礼日時:2006/05/02 17:14

No.20のmannequinkatzeさんの回答で、少し気になる部分がありますので、補足させてください。




1.未来に起こるはずの出来事なのに、過去形表現を使わなければならない場合ですが・・・。代表例は「仮定法」ですが、それ以外にもあったりしますから、確かにややこしいですね。
ですが、No.20の方の答ですと、誤解を招きます。「予定通りに実現する可能性が高い事象については、未来の出来事であっても過去形表現を使う」という理解をしてしまうと、間違いですよね。

●「来週の火曜日は遠足だったよね?」
●「明日は雨だったよね?」
これらの文は、何かが省略されていると考えるべきです。それは、「~と決まっていた」という文節でしょう。
「来週の火曜日は遠足(を行うと決まっていた)だったよね?」
「明日は雨(と、天気予報で言っていた)だったよね?」
こういう理解でよろしいのではないかと思います。


2.もうひとつ、「あった!」の用法ですが、文法的には「確実に」過去形です。そう理解するところから始めないと、日本語は習得できません。
ですが、その言葉には、本来の意味と異なる「ニュアンス」が存在する。本来の用法よりも、含まれているニュアンスの認知度が高くなれば、「新しい言葉」の誕生です。そのニュアンスについては、No.20の方が言っておられる通りで良いと思います。
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この回答へのお礼

 お礼が遅くなりまして申し訳ありません。度々ありがとうございます。
「~と決まっていた」のニュアンスが含まれていますね。理解しやすい説明方法で本当にありがとうございました。

お礼日時:2006/05/02 15:21

しつこい申しようになって気が引けますが、もう一度、新明解の「た」の説明をご覧ください。

釈義の全体は「主体の判断を表す」に収斂することに注意なさってください。ここが肝です。

「た」という助動詞は主観的な認識を表現するものと理解しなくてはなりません。たしかにおっしゃる通り、客観的に過去の現象を述べているように見える場合は多々あります。でもそれはやはり、そう見えるだけにすぎません。

「明日は雨だったっけ?」という文は可能でしょうか。これが可能なのだからどうしても「た」は過去の助動詞とは言えないのです。予報がきっと実現すると思っているなら、こういう言い方をすることがあるのです。ということは、天気予報なんて外れてばかりだと思っている人はこうは言わないはずです。「主体の判断」たる所以です。

もう一つ未来の例を出すなら、「来週の火曜日は遠足だったよね?」も同じく可能。学校行事は予定通りに実現しないほうが異常ですから、当たり前にそう言います。

「あった! あった!」と「天丼のほうがよかった」は同じ「た」と言うべきです。しかし、「昨日は暑かった」の「た」だって別の「た」であるわけではありますまい。

この発見時に口からこぼれる「あった!」をどのように理解なさっているかちょっと聞いてみたいところですが、察するに「前からここにあった」とか「すでにここにあった」とかを簡潔に言ったもの、「前から」とか「すでに」だから過去なんだ、だから「た」を使うんだってな具合に考えてらっしゃいません?

もしそうお考えならそれは間違いです。なぜそう断言できるか。

机の上にあったはずの鋏が見あたらなくなって、探すけれども出てこない、そこで「俺の鋏どこにあるか知らないか?」と周囲の人たちに尋ねる。すると、はす向かいの席の人が目を上げてそっちを見やると、探すまでもなく鋏はちゃんと机上にあった。で「そこにあるよ。辞書のかげにあるじゃん」と答える。「そこにあったよ。辞書のかげにあったよ」とは言いません。しかし、「そこにある」と言われて辞書を取りのけてみると果たしてあった、そして口からは「あ、あった」という言葉が飛び出します。

探しまわっていた人は、鋏のありかがはっきりしない状態を脱して問題が確定したから「あった」と言うのです。これは過去形とはとうてい呼べないものです。同じ事象に対して「どこにあるか」とか「そこにある」とか現在の時制において発語されていること、見落とさないでくださいね。

さて、鋏の話はもう少し続きます。「あ、あった」で決着しない場合もあります。「あ、こんなところにある…」と言うこともありえます。これがどういう含意を持つかというと、「あった」の使用を退けていることから考えます。

「あった」ではなく「ある」を使うということは、確定した事実として受け入れかねる、と言っていることになるはずです。「誰がこんなところに置いたんだよ…」と言いたい気持ちが溢れ出ているの、わかります?

どうでしょう、まだ釈然としませんか? もっと例を出せと言われれば出しますけど。

あと細かいことを申しますと、国語辞典という語の使用を意識的に避けておられるようですが、無用のことと思います。国史や国文なんかだと、日本史なり日本文学なりと言い換えたほうがいいかもしれませんが、国語辞典はなにしろ具体的なモノだし、新明解国語辞典と名前の中にも入っているからそう考えます。

あと感嘆符と疑問符のあとにはブランクを空けましょう。

あ、まだご質問が残ってましたね。天丼・牛丼関係はすべて正解です。あえて不備を指摘するなら、天丼はドンブリ界の貴族であり牛丼なんぞは奴隷です。天丼と比較するなら、ドンブリ界の王様ウナ丼か、大ブルジョワジーのカツ丼あたりを競わせるべきでした。

新明解第五版でよかった、はちょっと苦しい。間違いとまでは言えないけれど。よかったで受けるまでが長すぎる。「手元の国語辞典が新明解第五版でよかったです」か「さいわいに愛用している国語辞典は新明解第五版です」あたりの言い方のほうが落ち着きます。

この回答への補足

>この発見時に口からこぼれる「あった!」をどのように理解なさっているかちょっと聞いてみたいところですが、察するに「前からここにあった」とか「すでにここにあった」とかを簡潔に言ったもの、「前から」とか「すでに」だから過去なんだ、だから「た」を使うんだってな具合に考えてらっしゃいません?

「あった!」の「た」は「新情報の発見、それに、話し手の感情も含まれている」とこのように理解しています。この定義は先生が教えてくださったわけではなく、自分で以前勝手に考えたものなので、おかしい日本語になってしまうかもしれません。実は、中国語でも、「あった!」、「あ、来た来た、電車が来た」という文を過去形の形で表現するので、この使い方がたぶん理解できると思います。

 しかし、確かに最初は「~ほうがよかった」の「よかった」は『「前からここにあった」とか「すでにここにあった」とかを簡潔に言ったもの、「前から」とか「すでに」だから過去なんだ、だから「た」を使う』と理解してしまいました。つまり、下記三文のような客観的に過去の現象を述べる「た」のことだと思ってしまいました。すでに気付きました。

1.昨日は雨だった。
2.昨日は暑かった。
3.昨日、会社に行かなかった。

 私たち日本語を勉強する外国人の頭の中で(少なくても私の頭の中で)、たぶん「た」のいろいろな使い方を区別していると思います。1.客観的に過去の現象を述べる 2.完了 3.新発見 4.確認・・・などのようです。おっしゃる『「昨日は暑かった」の「た」だって別の「た」であるわけではありますまい』のことがすでに理解できました。「た」のそんなたくさんの使い方の中では、「主体の判断」ということが共通なのですね。ですから、『新明解』の釈義はすばらしいのです。いろいろな「た」の使い方を一つの短い文で巧妙にまとめました。

「~ほうがよかった」は「~ほうがよかったんだ」で表現するともっと理解しやすいかもしれません。また、口語でよく使う「分かった、分かった。この道を行くんだ」も同じ感じですね。

>「明日は雨だったっけ?」という文は可能でしょうか。これが可能なのだからどうしても「た」は過去の助動詞とは言えないのです。予報がきっと実現すると思っているなら、こういう言い方をすることがあるのです。ということは、天気予報なんて外れてばかりだと思っている人はこうは言わないはずです。「主体の判断」たる所以です。
>もう一つ未来の例を出すなら、「来週の火曜日は遠足だったよね?」も同じく可能。学校行事は予定通りに実現しないほうが異常ですから、当たり前にそう言います。

 上記の引用文の「た」を勉強する時に、「過去形+っけ」、「過去形」は「相手に質問して確かめる会話の時に使う」と教わりました。中国語の場合、このような時に、過去形で表現しないので、とても慣れない「た」の使い方です。私はこれまで、「過去形で」と無理やりにこのような使い方を覚えていました。なぜ過去形なのか、ぜんぜん分かりませんでした。自分の思っていることを他人に確認するので、「主体の判断」ということになるでしょう。

>さて、鋏の話はもう少し続きます。「あ、あった」で決着しない場合もあります。「あ、こんなところにある…」と言うこともありえます。これがどういう含意を持つかというと、「あった」の使用を退けていることから考えます。

>「あった」ではなく「ある」を使うということは、確定した事実として受け入れかねる、と言っていることになるはずです。「誰がこんなところに置いたんだよ…」と言いたい気持ちが溢れ出ているの、わかります?

 恐れ入りますが、「あ、こんなところにある…」の「・・・」の内容をもう少し補足していただけないでしょうか。話し手の次の話に興味津々・・・

 なんとなくおっしゃることは分かりました。以前は「出前を頼んだけど、一時になっても来なかった」と「出前を頼んだけど、一時になっても来ない」の違いをこちらで教えていただいたことがあるような気がします。「来なかった」はただの過去の現象で、「来ない」なら、「私の気持ちを出す」と。mannequinkatzeさんのおっしゃりたいことと同じことなのでしょうか。

補足日時:2006/05/02 12:59
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この回答へのお礼

 お礼が遅くなりまして申し訳ありません。度々ありがとうございます。
『新明解』の「た」をまた読みました。少し「た」のことが分かるようになりました。
 感嘆符と疑問符の件は何度も指摘してくださいました。本当に申し訳ありません。いつも忘れています。頭が悪いのです。今度、絶対気をつけます。
「国語」の件なのですが、私は確かにいつも「日本語」を使っていますね。日本人は「国語」を使うに対して外国人は「日本語」を使うべきと意識していますから。アドバイスありがとうございます。
 牛丼はただかわいそうな一奴隷役なんでしょうか。天丼、ウナ丼、カツ丼はどんな味なのか本当に食べたいですね。「天麩羅」は食べたことがありますが。こちらで吉野家という牛丼屋はとても人気があります。「天麩羅」と「牛丼」とどちらが好きと聞かれると、迷わずに「牛丼です」と答えると思います。(私の口っておかしいですね^^。)
「新明解第五版でよかった」という文の貴重なアドバイスにも感謝いたします。
 本当にありがとうございました。

お礼日時:2006/05/02 13:56

回答が多くなってきましたので、一覧でお答えします。

ご参考まで。


1.映画に行けばよかった。これを他人の行為には使えないのでしょうか。
●使いません。

2.映画に行けばよかったのに。これは自分自身の行為には使えないのでしょうか。
●使うことは可能です。ただし、後述するように一般的ではありません。

3.今回の質問では、「したほうがよかった」と「するほうがよかった」の違いを追究したいわけではなく、「ほうが+過去形」で後悔、遺憾などの気持ちを表せることはちょっと理解不能です。「ほう」の前の接続はさておき、「ほうがよかった」という文型の使い方を知りたいんです。#2の方のご回答のように、文例とシチュエーションが両方あれば一番助かります。よろしくお願いいたします。
●したほうがよかった、と統一してください。「するほうがよかった」という表現は、私が聞いても不自然です。

4.「贈り物にするのなら,包装は豪華なほうがよかったのに!」と「贈り物にするのなら,包装は豪華なほうがよかった!」とのニュアンスは一緒なのでしょうか。よろしくお願いいたします。
●「ほうがよかったのに!」は、他人に使います。「ほうがよかった!」は、自分に使います。

5.「よかった」の例文なのですが、花子さんは彼女自分自身に「あれ?まだ牛乳残ってたんだ。買わなければよかったのに」と言うのはおかしいのでしょうか。自分を責める、自分に文句を言うニュアンスと取られるでしょうか。
●特殊な使い方として、可能です。これは、「自分が、自分自身を(まるで相手方に言うように)責める」という用法です。「もう一人の自分」を仮想的に作り上げているわけですね。

6.「あっ、良かった!」、「あっ、良かったですね!」は日常でよく聞きます。この「良かった」はどんな時のことに対して使うのでしょうか。過去のことに対してでしょうか。頭がちょっと・・・もう一度教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
●おっしゃるとおり、過去のことに対して使います。過去といっても、極めて現在に近い過去ですね。「今起こったばかりの出来事」と言ったほうがいいかもしれません。

7.「そのスカートよりこっちのズボンの方が似合ってたな~」の使うシチュエーションを教えてください。買った後、別のズボンを見かけた時に、残念な気持ちを表す一言でしょうか。
●そのとおりです。

8.「そのスカートよりこっちのズボンの方が似合ってるな~」なら買う前の選択意見でしょうか。
●そのとおりです。

9.「退けた」の読み方を教えていただけないでしょうか。辞書を引きましたが、なんと「しりぞける」、「どける」、「のける」三つの読み方もあるんです。
●「しりぞける」が一般的です。

10.宝塚歌劇団のモットー
●宝塚歌劇団のモットー「清く正しく美しく」は、別におかしな用法ではありません。ただ、すでに「死語」なのです。日常会話で使うことはほとんどありません。ですから、使ってしまうと「周囲から、変な人だと思われる」ということなんですね。

11.デパートへスカートを買いに行った。スカートの売り場で、同じデザインのスカートが、白のと黒のと両方ともすごく気に入った。結構迷っていたのだが、結局白のにした。家に帰ってびっくりしたのは、なんと母は買い物に行ってきて、買わなかった黒いスカートを買ってきた。
 上記のようなシチュエーションなら、私は自分の買ってきた白いスカートを見ながら、「白にしてよかった!」であっていますか。「白のほうがよかった」だと、私は黒いスカートを買ってきた場合でしょうかね。私はたぶん「白にしてよかった」と「白のほうがよかった」と間違えていると思います。
●はい、合っていますよ。おっしゃるとおり、「白のほうがよかった」だと、貴女が黒いスカートを買ってきた場合に使います。

12.もし、災厄に母は白いスカートを買ってきたら、私は自分の買ってきた白いスカートを見ながら、「黒のほうがよかった」であっているでしょうか。
●文法的には正解です。しかし、日常的な用法としては、「黒にすれば(=黒を買えば)よかった」と表現します。

13.「黒のほうがよかったのに」と私自分自身に普通言わないのでしょうか。
●はい、通常は言いません。

14.自分にものすごく怒る時に「黒のほうがよかったのに!!!」でも可能でしょうか。
●はい、可能です。自分で自分自身を責めるというニュアンスが良く出ています。しかし、独り言にしておいてくださいね。相手がいる前で言うと、非難と受け取られてしまいます。

15.少なくとも未体験・未経験の事柄に関してこのような表現は不可能であることは確かだと思います。この意味がわかりません。
●少なくとも、未体験のことについて、このような表現を使うのは不可能です。それは確実だと思います。

16.つまり、自分にものすごく怒る時に「~~のほうが良かったのに!!!」でも可能でしょうか。
●可能です。

17.もし使わないなら、女性はこの場合何を使うでしょうか。「ばかのあたし」でしょうか。
●そうですね・・・「馬鹿 な あたし」、「(あたしって)馬鹿~」「馬鹿じゃん?」「あたしってマジ馬鹿」でいいと思います。

18.「天丼のほうがよかった」は「天丼のほうがよい、ということがわかった」と言っている、のではなかろうか。そこまで言ったら言い過ぎかなあ。
●これは、当然といえば当然です。「良い」という表現は、主観的なものです。自分の気持ち、または感想だといっても良いですね。ですから、過去形として「良かった」と使う場合は、当然のように「私はそういう感想を持った(=ということがわかった)」という主観を含んでいます。
・・・と、難しいことを言いましたが、あまり気にしないでください。「良い」と「良かった」は、単に現在形と過去形の違いがあるに過ぎません。
食べる前ならば「天丼のほうが良い」です。これを過去形にした表現が「天丼のほうが良かった」ですね。天丼を食べてしまってから感想を言っているわけです。

19.「昨日は雨だった」、「昨日は暑かった」、「昨日、会社に行かなかった」などの客観的に過去の現象を述べる文の「た」と、何かが見つかった時の「あった!あった!」とは・・・
●これらは、同じなんです。両方とも、過去の出来事を表現しています。ただ、言い方で「ニュアンス」が変わってくるんです。「あった!」というのは、気持ちが込められていますよね?

20.今、とても確認したいのは次のようなことです。天丼の例を生かせていただきます。たとえば、牛丼と天丼があるとします。どちらにしようかと迷いました。結局天丼を注文しました。食べてみたら、思った通りこの天丼はものすごくおいしいです。その時に何と言いますか。「天丼にしてよかった!天丼を注文してよかった!」であっているのでしょうか。ここの「よかった」はどのように解釈するのでしょうか。
●合っています。解釈は、「黒にして良かった=黒のスカートを買って良かった」と同じです。

21.それから、この場合、「天丼のほうがよかった!」とは言わないでしょうね。「天丼のほうがよかった!」は牛丼を注文してその牛丼はまずい時に使う言葉でしょうか。
●そのとおりです。

この回答への補足

>11.デパートへスカートを買いに行った。スカートの売り場で、同じデザインのスカートが、白のと黒のと両方ともすごく気に入った。結構迷っていたのだが、結局白のにした。家に帰ってびっくりしたのは、なんと母は買い物に行ってきて、買わなかった黒いスカートを買ってきた。
 上記のようなシチュエーションなら、私は自分の買ってきた白いスカートを見ながら、「白にしてよかった!」であっていますか。「白のほうがよかった」だと、私は黒いスカートを買ってきた場合でしょうかね。私はたぶん「白にしてよかった」と「白のほうがよかった」と間違えていると思います。
●はい、合っていますよ。おっしゃるとおり、「白のほうがよかった」だと、貴女が黒いスカートを買ってきた場合に使います。

 上記のご回答はよく理解できました。一箇所だけもう少しお伺いします。「白にしてよかった!」という解釈の日常的な言い方は何でしょうか。ここの「にして」は文法の構造を理解しやすいためわざと使った言葉です。たぶん日常でもっとネイティブな表現があると思います。「白を買ってよかった!」、「よかった!私の選択はやっぱり正解!」などは私の思いついた言葉なのですが、いかがでしょうか。実際口語で使う言葉の視点でのご回答をお願いいたします。口語というより、口に出さないたんなる頭の中の考え方という言い方のほうがより相応しいかもしれません。日本の方の頭の中の「白にしてよかった!」という意味の文はどんな文なのか知りたいです。もう一度教えていただければ幸いです。直感でよろしくお願いいたします。

補足日時:2006/05/01 16:17
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この回答へのお礼

 お礼が遅くなりまして申し訳ありません。
 一覧の形で回答していただき誠にありがとうございます。簡潔で読みやすく大変助かりました!疑問を一つ一つ丁寧に簡単な言葉で解釈していただき感謝の気持ちでいっぱいです。とても理解しやすいと思います。だいぶすっきりになりました。
 本当にありがとうございました。

お礼日時:2006/05/01 15:33

shigure136です。


補足への回答が遅くなってしまいました。ごめんなさい。

では本題に。
次のようなシチュエーションでの会話ですね。
1.デパートへスカートを買いに行った。
2.同じデザインのスカートで、白いものと黒いものがあったが、両方ともも気に入った。
3.迷ったあげく「白いスカート」を購入した。
4.母が私の買わなかった方の「黒いスカート」を買ってきた。

★私は自分の買ってきた白いスカートを見ながら、「白にしてよかった!」であっていますか。
⇒あっています。

★「白のほうがよかった」だと、私は黒いスカートを買ってきた場合でしょうかね。
⇒まあまあ正解です。というのは、この質問への答えは非常に難しいのです。
なぜなら、自分が黒いスカートを買ってきた場合だけに限られるものではないからです。
⇒「白の方が良かった」という言葉は、以下に記すような様々な場面が考えられるからです。
1.上記のシチュエーションのように、自分も母親も「白い方」を購入してきた場合、普通はこの表現は使いません。
●ただし、自分も白い方を選び、母親も白い方を選んだ事が判って、「(あ~良かった、やっぱり私が買ったのが)【白いほう で 良かった】という表現はあります。

2.お母さんが買ってきたものが「黒い方」だった場合も、『お母さんの買ってきた黒いスカートと比べて、自分が選んだ白いスカートの方が良いと思ったときは、やはり【白い方で良かった】を使います。
●このとき【白にしてよかった!】(黒いスカートと比べての発言として正解です)

3.私が「黒」を選び、お母さんが「白」を選んだ場合は、二つを比較して「白い方が良く見えた場合であれば」『うわー、失敗。白い方が良かったんだ~』というニュアンスで、【白い方がよかった】を使います。
●このとき【白にしておけば良かった】という表現も使えます。

4.二人とも「黒」を選んで買ってしまった場合は、『あのときは似合うかなと思って買ってしまったけれど、今着てみたらどうも似合わないよ。白の方が良かった(かな~)』『白のほうが良かった(かもしれない)』『白のほうが良かった(やっぱり白にすれば良かった(後悔))など残念に思う心が表れるニュアンスで、【白い方がよかった】が使われます。
●ここでも【白にしておけば良かった】が使えます。
私はたぶん「白にしてよかった」と「白のほうがよかった」と間違えていると思います。
⇒前者は自分が白を選択した場合、後者は自分は白を選択しなかった場合の表現であると考えてよいと思います。

 もし、災厄に母は白いスカートを買ってきたら、私は自分の買ってきた白いスカートを見ながら、「黒のほうがよかった」であっているでしょうか。「黒のほうがよかったのに」と私自分自身に普通言わないのでしょうか。自分にものすごく怒る時に「黒のほうがよかったのに!!!」でも可能でしょうか。やはりこれまで皆さんがおっしゃる通り、「黒のほうがよかったのに」は母を非難するニュアンスのように聞こえるでしょうね。

★この質問文はいつもと違って間違いが多いので、先に間違いを直します。
★もし、災厄に母は⇒災厄は最悪の間違い。災厄は災難など悪い出来事のことです。
★最悪は、いろいろな悪いことが考えられるが、その中でも最も悪い事態のことを指します。
★もし、災厄に母は⇒(もし、)最悪の場合として母が白いスカートを買ってきてしまったら、
★私自分自身⇒私自分自身という言葉はありません。使うなら「自分」「私自身」か「自分自身」です。
★私自分自身に普通言わないのでしょうか。⇒「自分自身に対して・・・」とか「自分自身に向けて・・・」となります。
★「黒のほうがよかったのに」と私自分自身に普通言わないのでしょうか。⇒語順が間違えています。⇒普通、「黒い方が・・・・・」と自分に向けて言わないのでしょうか。
★「黒のほうがよかったのに」と私自分自身に普通言わないのでしょうか。⇒自分自身に対してというより【独り言】で言います。(これは自分に怒っているのでもなく、母親に怒っているのでもありません。偶然の結果に対する不満です)
★自分にものすごく怒る時に「黒のほうがよかったのに!!!」でも可能でしょうか。⇒自分に対する怒りの時には使えません。自分に怒るときは「黒にしておけば良かった!(何であの時白を選んでしまったんだろう!私ってダメね!)」というニュアンスで使います。
★「黒のほうがよかったのに」は母を非難するニュアンスのように聞こえるでしょうね。⇒先ほども述べましたが、スカートを買ってきてと頼んだわけではないので、母親を非難することは出来ません。しかし、「どうせ買うなら黒を買ってきてくれればよかったのに」と見当違いの不満を言ってるニュアンスになります。
★以上、間違えましたら、ご指摘ください。⇒「間違えましたら」は間違えています。⇒「以上です。間違いがありましたらご指摘下さい。」とか「以上。また、間違えている箇所がありましたらご指摘下さい」など。

では、質問への回答です。
★母親も白いスカートを買ってきてしまったとき、「黒のほうがよかった」であっているでしょうか。⇒あってはいます。でも、この場合母親にスカートを買ってきてと、頼んでいたわけではないので、「黒い方を買ってきてくれたらよかった(のに)」「黒だったら良かった(のに)~」などの方が妥当です。
★「黒のほうがよかったのに」と私自分自身に普通言わないのでしょうか。⇒自分自身に対してというより【独り言】で言います。(これは自分に怒っているのでもなく、母親に怒っているのでもありません。偶然の結果に対する不満です)
★自分にものすごく怒る時に「黒のほうがよかったのに!!!」でも可能でしょうか。⇒自分に対する怒りの時には使えません。自分に怒るときは「黒にしておけば良かった!(何であの時白を選んでしまったんだろう!私ってダメね!)」というニュアンスで使います。
★「黒のほうがよかったのに」は母を非難するニュアンスのように聞こえるでしょうね。⇒先ほども述べましたが、スカートを買ってきてと頼んだわけではないので、母親を非難することは出来ません。しかし、「どうせ買うなら黒を買ってきてくれればよかったのに」と見当違いの不満を言ってるニュアンスになります。

最後に、質問分の中の【私は黒いスカートを買ってきた場合でしょうかね。】の【場合でしょうかね】の【ね】はいつから使い始めたのでしょうか?これは止めた方が良いです。話し言葉であるとともに、かなりくだけた調子で、美しい日本語ではありません。

この回答への補足

>私は自分の買ってきた白いスカートを見ながら、「白にしてよかった!」であっていますか。
⇒あっています。

 ここの「にして」は構造を理解しやすいためにわざと入れた言葉です。日常でもっと略された言葉を使うはずですが、どのように言うのでしょうか。

>ただし、自分も白い方を選び、母親も白い方を選んだ事が判って、「(あ~良かった、やっぱり私が買ったのが)【白いほう で 良かった】という表現はあります。

 もう一度この文のシチュエーションを説明していただけないでしょうか。私は親子二人でデパートの売り場でスカートを選ぶ(購入前)という場面が想像できます。でも、私のこの理解であっているなら、「やっぱり私が買った」のところは変ですね。「やっぱり私が選んだ」なら、納得できます。これは親子二人でそれぞれ売り場でスカートを選んで、最後に二人の選んだものは同じということが分かった時点で、「良かった」と言うのですね。二人ともこの白いスカートが一番気に入るということが分かった時点で、「良かった」という言葉を使うなら理解できます。まだお金は払っていません。これから店員に「これにします」と言ってお金を払うつもりですね。

 それともこの文のシチュエーションは家に帰ったあと(購入後)のことなのでしょうか。それなら、とても難しいですね。普通同じようなものを買ってしまうと、望ましくないことと思われるのではないでしょうか。なぜ「良かった!」なのでしょうか。もう一度登場人物(私と母)の心理を説明していただけないでしょうか。

>母親も白いスカートを買ってきてしまったとき、「黒のほうがよかった」であっているでしょうか。⇒あってはいます。でも、この場合母親にスカートを買ってきてと、頼んでいたわけではないので、「黒い方を買ってきてくれたらよかった(のに)」「黒だったら良かった(のに)~」などの方が妥当です。

 この「黒のほうがよかった」は私が買ってきた白いスカートを見ながら、独り言で言うつもりです。母が買ってきてくれた白いスカートを見ながら、発する言葉ではないと思います。この独り言はあっているでしょうか。

 でも、これをきっかけに私はこの「良かった」は他人にも使えるということが分かりました。

>「黒のほうがよかったのに」と私自分自身に普通言わないのでしょうか。⇒自分自身に対してというより【独り言】で言います。(これは自分に怒っているのでもなく、母親に怒っているのでもありません。偶然の結果に対する不満です)

 独り言で「偶然の結果に対する不満」「のに」のこの使い方はよくあるでしょうか。

 以上の箇所でまだすっきりしていないので、もう一度教えていただければ有り難く思います。よろしくお願いいたします。

補足日時:2006/05/01 12:58
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この回答へのお礼

 shigure136さん、お礼が遅くなりまして申し訳ありません。また、「でしょうかね」の口調を使うことも心よりお詫びいたします。かなりくだけた調子なのですね。このサイトで見たことがあるので、つい真似してしまいました(涙)。今度絶対使わないように気をつけます。指摘していただき心より感謝いたします。
 さて、ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。文例とシチュエーション両方ありとても理解しやすく非常に助かりました。深い印象を残しました。だいぶ分かるようになりました。また、質問文の間違いの指摘と添削に感謝いたします。印字して保存しました。とても参考になりました。
 本当にありがとうございました。

お礼日時:2006/05/01 14:04

#11です。

ほんとに混乱なさってるようで、こちらも考え込んでしまいました。これはどうやら助動詞「た」の理解に問題があるのではないかな? 

「た」が「過去の助動詞」だとか「過去形を作る」とか教わりました? そんなふうには教えないはずだと思うんですが。むしろ「現代日本語に過去形はない」と一度は釘を刺されるはずで。私は子供の頃そう教えられて仰天したおぼえがあります。どうしてじゃあ自分は過去を認識できるんだろう、なんて。

それはともかく「た」は完了の助動詞と習うはずです。ただ、いま広辞苑や大辞林を見てみたら、れいれいと「過去」なんて書いてある。いいのかしら、こんなことで。すごくミスリーディングなような気がする。

こんなとき頼りになるのが新明解。「た」項は「その事柄がすでに実現し、その結果が現れているものと認められる(見なす)という主体の判断を表す」とあります。事実上これだけ。かなり読みにくく分かりにくい説明だと私も思いますが、「た」の全貌を短く、しかも不足なく言ってのけようとすれば、こんなとこでしょう。(広辞苑も大辞林もこの大切な仕事を回避して分類に逃げている。けしからん。)

ですから、「た」は未来のことを言うのにさえ使われるのでした。たとえば「その件についてはお会いしたときにもう一度話し合いましょう」とか。「明日は火曜日だったっけ?」とか。

そして明らかに現在に属する事柄にも頻繁に使います。たとえば駅で待っていた電車が到着したとき、英語なら"Here comes the train."と現在の時制で言うところを「あ、来た来た、電車が来た」と言います。所在がわからなくなった文房具を発見して「あ、こんなところにあった」と言い、雑踏ではぐれた連れを見出したときに「こんなところにいたのか」と言います。自然災害に巻き込まれて行方不明になっていた家族の生存が確認される、そのとき日本人の口をついて出る言葉は十中八九「よかった…」の一語でしょう。

こうした例を踏まえてもう一度、上の新明解の語釈を読み直してみてください。何を言おうとしているか、今度は脳に沁みるように分かるんじゃないかな。「完了」という言葉の意味もちょっと新しい色合いで見えてくるかもしれません。未定から確定への移行を認定すること、とも言えるかな。「天丼のほうがよかった」は「天丼のほうがよい、ということがわかった」と言っている、のではなかろうか。そこまで言ったら言い過ぎかなあ。


#11の追加質問について。

「退ける」は「しりぞける」です。たしかに「どける・のける」や「どく・のく」も退の字を使うけれど、あまり見た憶えがありませんね。そういや同じ字だなって感じです。取捨の捨を言うときは「しりぞける」で「どける・のける」は絶対に使わないので紛れはありません。

タカラヅカは変なものです。女が男を演じるのですから、どうしたってそりゃ変です。とくにテレビで見るとそのヘンテコさに五秒で悶絶、すみやかにチャンネルを変えないと健康が損なわれる懼れがあります。ただし、実際に劇場へ足を運ぶでじかに見るとそれほどでもない。むしろ楽しい。目の前で若い綺麗な御婦人方が一所けんめい歌ったり踊ったりするんですから、そりゃ眼福です。やはり生身の人間には強引な説得力がありますね。

「清く正しく美しく」についてですが、私たちは一般に「清くなく正しくなく美しくない」という点において互いに心を通わせ憐れみ合って生きているので、その正反対のことをぬけぬけと目指されると、つい、揶揄したいという感情にとらわれてしまうのでした。


ユーザ情報の残りも添削しておきます。

>私は上手に日本語を使えるようになるまでには、

「私は」は「私が」であるべきところですが、どっちにしろ不要でしょう。「上手に」よりは「満足に」のほうがへりくだっていてよさそうです。「満足」は非常に使用頻度の高い、お馴染みの語なので「まんぞくに」と平仮名で表記するという手もあります。「日本語を使える」はもちろんまっとうな言い方ですが、「日本語が使える」のほうがネイティブっぽいような気がします。

>まだ時間はかかると思いますが、

「時間は」は「時間が」とあるべきところ。

>自分が今まで勉強してきた日本語の範囲で出来るだけ皆様のご質問に(特に中国語分野)お役に立てるよう頑張りたいと思っております。

「ご質問にお役に立つ」という結びつき方は変です。下に示した部分も少し手直しして、全体としてはこんなところでしょうか。

「日本語専攻の学生として中国の大学で四年間学びました。お国は遠く、学校からも離れた今、日本語を学ぶ環境はじゅうぶんに整っているとは申せません。正しく美しい言葉を身につけるため、皆さまのご指導を仰ぎたく存じます。ご回答をいただいたら必ず真面目にお礼を申し上げ、疑問が解決に到ればすみやかに締め切ることをお約束いたします。

まんぞくに日本語が使えるようになるまで、まだまだ時間を要するでしょうが、これまで習い覚えた日本語をせいいっぱい活用して皆さまのご質問に回答を差し上げることもできたらと考えております。すくなくとも中国語についてならお役に立てることもあるのではないかと。」

まあしかし、これで文法的な誤りはなくなったとしてもなんかねえ、つまらんですよね。もとのほうが読みごたえがある。もったいない。これに差し替えたりはなさらず、あくまで参考にとどめておいてくださると有り難いのですが。「皆さまのご質問に回答を差し上げることもできたら」はもっと短く「回答者の側にまわることもできたら」とする手もあります。

この回答への補足

>「天丼のほうがよかった」は「天丼のほうがよい、ということがわかった」と言っている、のではなかろうか。そこまで言ったら言い過ぎかなあ。

 文末の「た」の理解には問題があるんですね。「た」は「過去の助動詞」や「過去形を作る」とは思っていません。mannequinkatzeさんが挙げてくださった「た」の使い方もよく理解出来ています。でも、やはりこの「天丼のほうがよかった」は「天丼のほうがよい、ということがわかった」という理解は本当に難しいです。なんとなく分かりますが。なんかこの「た」は「昨日は雨だった」、「昨日は暑かった」、「昨日、会社に行かなかった」などの客観的に過去の現象を述べる文の「た」と違って、何かが見つかった時の「あった!あった!」と似ている感じでしょうか。私は客観的に過去の現象を述べる文の「た」のことだと思いました。

 今、とても確認したいのは次のようなことです。天丼の例を生かせていただきます。たとえば、牛丼と天丼があるとします。どちらにしようかと迷いました。結局天丼を注文しました。食べてみたら、思った通りこの天丼はものすごくおいしいです。その時に何と言いますか。「天丼にしてよかった!天丼を注文してよかった!」であっているのでしょうか。ここの「よかった」はどのように解釈するのでしょうか。それから、この場合、「天丼のほうがよかった!」とは言わないでしょうね。「天丼のほうがよかった!」は牛丼を注文してその牛丼はまずい時に使う言葉でしょうか。

 もう一度教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

補足日時:2006/04/26 10:34
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この回答へのお礼

 度々詳しいご解説をありがとうございます。
 手元に持っている日日辞書は『新明解第五版』でよかったです。「た」は難しいですね。
「退ける」とタカラヅカの件は解決しました。タカラヅカは見に行ったことがないので、何とも言えないかもしれませんが、新聞でタカラヅカのメンバーの女性の姿の写真を見たことがあります。きれいでした。芸能人の黒木瞳さんも確かあそこのご出身だったそうですね。
 また、ユーザ情報までも添削していただき心より感謝いたします。とてもすばらしい文章です!私は何もしないのにそのままコピーするのがとても恥ずかしいと思って、模範文として繰り返し繰り返し読ませていただきます。
 本当にありがとうございました。
(追伸:第二段落の一番目の文「手元に持っている日日辞書は『新明解第五版』でよかったです」はおかしいですか。「よかった」の使い方は、自然でしょうか。)

お礼日時:2006/04/26 11:13

#13です。

ご返事ありがとうございます。
うまく表現できずに申し訳ありません。

「あっ、良かった!」「あっ、良かったですね!」は現在の事柄に関する感想ではないか、というご質問だろうと判断したので、
現在のことであってもまだ起こっていない事柄に対してこのような感想を述べることは不可能だから、「現在完了形」だとしても本質は「過去形」だということを言いたかったわけです。
awayuki_chさんの意図を勘違いしていたかもしれませんね。
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この回答へのお礼

 再びありがとうございます。#13のご回答の意味がよく分かりました。「過去のことに対して」という書き方が悪くて申し訳ありません。私のイメージしている「過去」は「過ぎ去ったばかりの過去のこと」も含まれています。「あっ、良かった!」、「あっ、良かったですね!」の使うタイミングはたぶんhakobuluさんの理解と一緒だと思います。安心できました。
 確認していただき本当にありがとうございました。

お礼日時:2006/04/25 21:07

う~ん、やっぱり「よかった」と「よかったのに」の使い分けが難しいみたいですね。



私は日本語教師ではないし、国語の成績も良くなかったので上手く説明できるかわかりませんが、
「よかったのに」だと、後に文が続いてもおかしくないんですね。
「2個でよかったのに、3個買ってきた」など。
言葉を途中で止めて相手の返事を待っているような、会話の途中のような印象があるんです。
一人で誰かに話しかけるような言い方をするのは、ちょっと不自然ですよね。
花子さんが一人で「あれ?まだ牛乳残ってたんだ。買わなければよかったのに」
と言っても、言葉の意味は通じると思いますが、そこに太郎さんがいたら
「花子が買ってきたんじゃないか」
と言うかもしれません。(笑)

「2個でよかった」だと言い切っているので、その後に言葉は続きません。

やっぱり自然な日本語としては、
「~のほうがよかったのに」→他人へ向けての言葉
「~のほうがよかった」→自分自身への言葉
という感じですね。

自分の行為に対して「~のほうがよかったのに」を使う場合もありますが、その場合は、
「~のほうがよかった」よりも激しく後悔している、
すごく反省している、
自分の行動を非難している、
取り返しのつかないことをしてしまった、
そんな印象を受けます。
淡雪さんの言われた「自分を責める、自分に文句を言う」感じでしょうか。
もしかしたら太郎さんは、
「牛乳くらいでそんなに落ち込むなよ」
と言うかもしれません。


そういえば、私は文の最後に「ね」を良く使いますね。
口癖なので気にしないでね。(笑)

塩卵入り月餅なんてあるんですか?
初めて聞きました。食べてみたいですね~
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この回答へのお礼

 度々ありがとうございます。やっぱり自然な日本語としては、

「~のほうがよかったのに」→他人へ向けての言葉
「~のほうがよかった」→自分自身への言葉

という感じなんですね。面白い会話を作っていただきありがとうございます。ニュアンスがとても伝わってきました。
 本当にありがとうございました。チャンスがあれば、またこちらへ月餅を買いに来てください~

お礼日時:2006/04/25 20:40

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