No.2ベストアンサー
- 回答日時:
> 堀木、ヒラメの、「俗っぽさ」でしょうね。
そうですね。
そうして、この俗っぽさが、太宰の思想にとっての「悪」なんです。お金などは些末なことなんです。
では、視点を変えて、「善」は何なのかを考えてみます。
『駆け込み訴え』はお読みですか。
これはイエス・キリストを裏切ったユダの告白、という体裁で書かれています。一気に語りおろした、という文体で、一気に読めるのですが、なかなか深いものがあります。
ここで描かれるキリストの「正しさ」というのは、非常に立派な、非の打ち所もない、強いものです。ほかの弟子たち、凡庸で、従順で、鈍い、言ってみれば「世間」を象徴するような彼らにとっては、その「正しさ」も、崇める対象でしかありません。
ユダはもうひとりの「葉蔵」です。
イノセントな心のままキリストに近づき、救いを求めます。ところがキリストの「正しさ」はユダに対しては、何の救いともならない。それどころか、逆に、正しく、強いがために、彼のイノセンスを踏みにじる方向で作用します。
ここではキリストが「善」で、ユダが「悪」という、一般的な通念を、太宰はひっくり返しているのです。個人の持つイノセンスを踏みにじるような「正しさ」というのが、真の意味で「善」なんだろうか。むしろ、イノセンスというのは、弱く、脆いもので、そうしたものであるからこそ、まるごと救われなければならないのではないか。
こうした図式は、一貫して、太宰の多くの作品に見て取れます。
『人間失格』のなかにも、「キリスト」は出てきます。
> 検事は四十歳前後の物静かな、(もし自分が美貌だったとしても、それは謂わば邪淫の美貌だったに違いありませんが、その検事の顔は、正しい美貌、とでも言いたいような、聡明な静謐の気配を持っていました)
この検事は、主人公の擬態を見抜きます。
もうひとり、非常に興味深い「竹一」という登場人物が出てくるのですが、彼に関して説明しようとすると大変なことになるので省略しますが、彼も「聖なるもの」、一種のキリストの変奏であるといってよい、とわたしは思っています。
ともかく、ヒラメや堀木が「悪」を象徴するものとして、そうして検事(と逆転した形での竹一)が「善」を象徴するものとして、主人公をはさんだ形で、対極に現れているわけです。
主人公のイノセンスは、「悪」によって傷つけられますが、「善」によっても傷を負う。
繰りかえして言います。この「善」も「悪」も、いわゆる常識的にわたしたちがふだん考える「善」と「悪」とは異なるものです。
常識に照らし合わせて考えただけでは、堀木やヒラメが「悪」であるのなら、主人公はもっと悪いんじゃないか、ということになってしまいます。
主人公が体現しようとしたもの、それは、人間の持つ、純粋な心であり、無垢な心なんです。そうしたものは、何の力も持たない、汚染されやすいものであるがゆえに、主人公はなんとかそれを守ろうとした。
それを汚し、破壊しようとするから「悪」なんです。
そうして、この「悪」の対極にあるはずの「善」によっても、救われない。
主人公をめぐる「善」-「悪」というのは、こういう構造にあると考えるとわかりやすいんじゃないでしょうか。
で、ついでに書いておくと、その主人公に救いの道を開いてくれるのが、彼を丸ごと受け入れようとする女性たちなんですね。
No.1
- 回答日時:
まず、小説を読解していくとき注目するのは、あくまでも「人間」です。
ストーリーは、何が起こった、つぎに何が起こった、と、時間軸に沿って(ときにそれを混乱させながら)出来事を記述していきます。
読み手はその起こった出来事を通して、主人公が、あるいはほかの登場人物が、どう行動したか、そうして、なぜそう行動したか、ほかの登場人物の行動なら、主人公はそれをどう受け取ったか、を見ていかなければならない。
そうしながら、わたしたちはその人物の人間像を、自分なりに、形づくっていくのです。
その上で、小説には、軸となる主人公、そうして、主人公ではないほかの登場人物がいます。
ほかの登場人物は何のために出てくるか?
それは、主人公のある側面を浮かび上がらせるために出てくるのです。
主人公が、さまざまな側面を持つ複雑な人間であるのに対し、ほかの登場人物は、比較的薄べったいことが多いのです。そうして、たいがい、あるものを「象徴」しています。
「堀木」も「ヒラメ」も、ともにあるものの「象徴」です。
それは何か? もういちど、読み直してみてください。登場するシーンだけでいいから。
わかりましたか?
改めてざっと見直してみて、ヒラメが自分の隠し子であるらしい少年とわびしく食事をする場面、あるいはその少年がキャッチボールに興じることをちょっと差し挟む部分など、太宰はうまい作家なのだな、と改めて思ったわけなんですが、そういうのは、「象徴」を隠すためのカモフラージュです。
> ヒラメの話方には、いや、世の中の全部の人の話方には、このようにややこしく、どこか朦朧として、逃腰とでもいったみたいな微妙な複雑さがあり、そのほとんど無益と思われるくらいの厳重な警戒と、無数といっていいくらいの小うるさい駈引とには、いつも自分は当惑し、どうでもいいやという気分になって、お道化で茶化したり、または無言の首肯で一さいおまかせという、謂わば敗北の態度をとってしまうのでした。(青空文庫より)
ここで注目しなければいけないのは、「ヒラメの話方には、いや、世の中の全部の人の話方には」という部分です。
つまり、ここで主人公はヒラメを通して、世間の人の話し方、そうして、そうした話し方をしてしまう世間の人のありようがうかがえる。
世間の人というのは、単純な事柄を「ややこしく」「朦朧」とさせ「逃腰」でありながら、関係のないことにまで自分が介入しようとし、「警戒」し、「小うるさい駈引」をする。
そうして、このあと明らかにされるお金をめぐって、嘘をつき、恩を着せようとする。
このように、しみったれていて、わびしく、恩着せがましく、作為的な世間の人を「ヒラメ」に象徴させているのです。
> こっちの所謂旦那の秘蔵のものを、あっちの所謂旦那にその所有権をゆずる場合などに活躍して、お金をもうけているらしいのです
彼はこの描写でもあきらかなように、労働によって生産関係に携わっている人間ではありません(主人公が共産主義運動に関わっていたことを見逃してはなりません。もちろん、主人公は、すでに確固とした「世界観」を持っていたために、共産主義運動の思想的影響は受けていないにしても、そのことを読み手は忘れてはいけません)。
> 小僧は渋田のかくし子で、それでもへんな事情があって、渋田は所謂親子の名乗りをせず、
この部分は、いわゆる「常識」を説くヒラメの、一方で「常識」の説く「倫理」の逸脱を暗示させます(太宰なら、詳しく書こうと思えばいくらでも展開できたでしょうが、それをしない。そうすると、ヒラメの具体像が強くなりすぎるからです。もういちどこのルールを思い出してください。「ほかの登場人物」というのは、主人公のある側面を照らし出すために存在するのです)。
ヒラメが象徴するのは「世間」です。
「堀木」も同様に「世間」を象徴していますが、彼が体現するのはまた別の側面です。
常識的な「倫理」を説き、金儲けに汲々となり、他人の生き方に自分が介入する機会をうかがいながら、同時に責任は引き受けたくない。「善い」ことをしたがり、あわよくば「善い」ことをしながら感謝ばかりでなく、物質的な余録も期待している。
主人公は、そうした「世間」のなかでは生きられない人間として、設定されているのです。
では、この世間と主人公の何が対応させられているのか。世間の対極にある主人公の「ある側面」とは何なのか。
これはもう解釈の領域なので、人それぞれにあってかまわないと思うのですが、わたしは「イノセンス」であると思います。
日本語で書けよ、とおっしゃるかもしれませんが、英語の辞書に載っている"innocence" これがほぼすべて当てはまるから、英語の方がすっきりくる。
主人公はみずからの抱えるイノセンスを、なんとか世間に汚染されまいとして、その結果、世間の規範からどんどん逸脱していくわけです。
こう考えていくと、主人公のイノセンスを「善」(世間的な規範とは、かなりずれますが)ととらえるとすると、その対極にある世間、それを象徴する「堀木」や「ヒラメ」が「悪」ということになるわけです。
ポイントは、所謂、「常識的な判断をしない」ということです。
こんな感じで「堀木」ももう一回、読んでみてください。
ほんと、細かいところの作りがうまいな、と舌を巻くものがあります。いまさっきざっと読み返してみて、太宰というのは天性の物語作家なのだな、とわたしは改めて思いました。
ご回答ありがとうございます
太宰が嫌がったのは、堀木、ヒラメの、「俗っぽさ」でしょうね。ただ、ヒラメの持って回った言い方で自分の生きていく方向もまるで変わってしまった、というシーンで、葉蔵をだまして故郷から送ってくる金をだまし取ろうとしていたのではないか、と思ったものですから。ヒラメは悪人というのは深読みしすぎでしょうかね。
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