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団塊世代の社会への影響を勉強しています。
団塊世代が小中学校を卒業したと同時に彼らの使用していた教室が余り、その活用方法が議論されたと学びました。
ネットで調べてみましたが詳しい活用方法は分かりませんでした。
そこで実際にはどうのように活用されていたのかが気になるので教えてください。

A 回答 (4件)

他の方が異なった解釈をしているようですので、再度回答します。



空教室が問題となったのは、第一次ベビーブーム当時の建物です。
当時は、定数があって無いようなもので、ピーク時には60人学級もありました。
定数の適正化や、
その後については、定数の適正化や、都市部の人口増・第二次ベビーブームの影響で、特に空教室が問題化されずにきています。

第二次ベビーブームでは、都市部では、学齢人口の偏在が問題になり、マンションの局地的な増加で教室不足を起こす学校や、逆に、一クラス25人と言う学校まで出ています。
これ以降では、学齢人口の減少が顕在化し。空教室の活用が行われるようになっています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/05/16 08:21

#1です。



#2さんが回答の中で想定なさっている団塊世代は
1971~74年頃生まれの第2次ベビーブーマー=団塊ジュニア世代を指しているように思えるのですが。
というのは
1947~49年生まれの第1次ベビーブーマー=団塊の世代が義務教育を終えた1960年代半ばの公立小中学校に
ランチルームだとか防災備蓄倉庫だとかいった小洒落たものは存在していなかったはずですから。

御質問の中にある団塊世代というのは
第2次ベビーブーマー=団塊ジュニア世代のことなのでしょうか?
だとしたら,先の私の回答はまったく的外れなものとなってしまいますが。

的外れの上塗りになる危険を覚悟で補足をします。
団塊世代が通過した後でも都市部の小中学校に空き教室がなかった理由として
都市部への急激な人口流入を先に指摘しましたが,
もうひとつの理由は45人学級の導入です。

1947年施行の「学校教育法」で
「同学年の児童で編制する1学級の児童数は50人以下を標準とする」と定められましたが,
団塊の世代が学齢に達したころには60人近い児童・生徒が教室にすし詰めにされ
教師が机間巡視をしたり児童がトイレに行ったりするのにも難儀するという状況だったようです。
そこで1958年に「公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律」,
いわゆる「定数法」が制定され50人学級が標準になりました。
50人学級とは1学級の児童・生徒数の上限が50人ということであって,
50人を超えると学級をもうひとつ作って分割するわけです。

その後,団塊の世代の卒業とともに子供の減少期を迎え,
定数法をそのままにしておくと教員を減らす必要が出てきたことなどを理由に
1963年,定数法が改正され45人学級が標準になりました。
その結果,机や椅子は余っても,教員と教室が余ることはなかったのです。

いずれにしても
私が語れるのは個人的体験と状況証拠だけです。
質問者さんがおっしゃるような教室の余剰が実際にあったという体験談や統計データがあるなら
私もぜひ教えていただきたいと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>1963年,定数法が改正され45人学級が標準になりました

1963年というと団塊世代が小学3~6年生の頃になります。他の学年と同じように45人学級にすると、やはり数の差で団塊世代のクラスの数は多かったと思います。そのクラスの数の差分空き教室が出来たのではないでしょうか?

>質問者さんがおっしゃるような教室の余剰が実際にあったという体験談や統計データがあるなら

残念ですが具体的なデータはないようです。だから僕は、教えてgooを使い体験談を知りたいと思ったのです。

あと僕の言う団塊世代は第一次ベビーブーマーのことです。

お礼日時:2006/05/14 15:56

団塊世代以降、かなりの空教室ができて、その利用方法も試行錯誤の部分があります。


当初は、
○地域資料室  地域の歴史が分る資料を展示する
○多目的室   畳を敷いたり、グループ学習のために机を形状を大きな物を置く
○ランチルーム グループや他学年と一緒に給食を食べる(2教室を一つにするので、耐震上制限あり)
○防災備蓄倉庫  避難所として当面必要な資材を置く
○図書室分室  気楽に本が読めるように畳を敷く
○児童舘    

比較的新しいものでは、
○小人数学習教室  習熟度別授業や算数等でクラスを2つに分けた授業を行う
○ファミリーサポートセンター  乳幼児の使用出来る部屋

最近では、小人数学習やパソコン授業などで教室の需要があるため、平成になって建替を行った学校では、空教室が無いために、教室不足になっています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
具体的な使用例を教えてくださったおかげで、理解が深まりました。

>最近では、小人数学習やパソコン授業などで教室の需要があるため、平成になって建替を行った学校では、空教室が無いために、教室不足になっています。

これは知りませんでした。むしろ少子化の影響で教室が余っていると思っていました。

お礼日時:2006/05/14 02:13

>団塊世代が小中学校を卒業したと同時に彼らの使用していた教室が余り、その活用方法が議論された



これはどちらかというと地方の,一部の地域の話ではないでしょうか。

団塊世代が義務教育を過ごした昭和30年代(1950年代後半~60年代前半)は
高度経済成長が始まり都市への人口集中が加速し始めた時期でもあります。
私は団塊世代より10年ほど後輩にあたり,
卒業していった彼らと交代するように義務教育に進んだ世代ですが,
大都市郊外に住んでいた私の中学校は1学年が14クラスありました。
校舎の増築が追いつかないため
校庭の一角に建てられたプレハブ教室で1年を過ごした経験があります。
当時,市内には第一から第八まで8校の中学校までありましたが,
私の卒業後,1980年代半ばまでの20年間に第十八中学校まで増えています。
そして似たような状況が全国の都市部とその周辺にあったと聞いています。

都市部において教室が余って困るというような状況は
団塊ジュニア世代が卒業して大都市中心部の小中学校の過疎化が顕著になった1980年代後半までは
ほとんど存在しなかったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>これはどちらかというと地方の,一部の地域の話ではないでしょうか。

団塊世代の出生地の30%が三大首都圏とされている事から、僕は都市の方が影響が多かったのではと思います。

貴重なお話ありがとうございます。

お礼日時:2006/05/14 02:08

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