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神様がいるよ~って方は、

あなたがいるとする神様の定義(宗教名でもいいです)と
神様がいる理由(存在証明)を教えてください。


神様なんていないよっ~て方なら不在証明を。

私は一般的な宗教そのものに疑問を持っていたので
神様がいるとされる方の理由を知りたくて
質問しました。

回答内容に疑問が浮かんできたら
お礼のなかで再度質問させてくださいね。

頭が悪いので分かりやすい言葉で
お願いします。ヽ(´ー`)/

A 回答 (80件中61~70件)

ぴゃっ!



ズサササササァ………、、


私は無神論者です。

神は弱い人間の造り出した幻想に過ぎない。太古より自然の脅威に脅えながら………

しかし、その神とかいうものの「非存在」をどうしても証明出来ないんです。

何故なら、あなた自身の存在も証明出来ないのと同じです。(ある女の存在証明、というイタリア映画がありましたが)
その辺の樹や石やあなたの体も様々な分子や原子から構成されています。その原子は陽子と電子から成り立っています。その陽子と電子の距離感は太陽の回りを回る惑星のような様相で単に引き合う強いエネルギーで結ばれているだけです。そう、芒漠たる宇宙空間のような世界が広がっているのです。なのであなたの体も思考も単なる電磁場の歪み、エネルギーの揺らぎにしかすぎないのかも知れないのです。
ということは、もし誰かがコンセントを抜いてそのエネルギーを解除したら、それらの物質は一瞬にして瓦解するかも知れない。その時初めて、この世はバーチャルだったのだと知ることになります。

原子の世界がまるで宇宙空間、様々な分子構造、微生物の世界、動物界の食物連鎖、銀河、宇宙。
そう、この世は時折カオスの起こるフラクタルな構造になっているんです。
そして人類は宇宙の全ても未だに解明していない。
ということは、更にこの宇宙空間も何かのフラクタルな構成要因の一部なのかもという可能性もある訳です。そう何かの生き物の細胞の一部だったりとか!それすらまだわからないんです。この宇宙が人間の観測限界である以上は………、、

そう言えば、先日ある街角で神様とばったり会いました。たまに電話もかかってきます。
いわゆる神とはそんなものかもとも思います。

人それぞれに………(笑)

繰り返しますが、私は無神論者の宗教嫌いです。
特に苦リスト狂!魔女狩り、火炙り、宗教裁判、戦争と侵略、偽善………、こんなの認めたらあのインコ真理狂も認めるようですね。この世は神が創ったなどとのたまっとるし!実にアホらし………、、
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この回答へのお礼

こんばんは、acquavelleさん。
いらっしゃると思いましたよ♪
そして相変わらずはじけていますね。

おっしゃるとおり存在証明の難易度はNo10さんが
完結に述べてますね。
確かに宗教がキライな理由、良く分かりました。
私も宗教に否定的です。宗教を利用して社会を
作り上げる事はあまり得策でないからです。

しかし、理性や哲学の力だけで人の道徳心をはぐぐむ事が
可能かどうかと考えるとこれも難易度高いですね。

女性のキリスト教徒と話をするとその慈悲深さに
あたたかみや好感も感じますね。
仮に偽善だとしても出来ない人がたくさんいるわけですから。
だからこそ宗教は危険なわけですが・・・

宗教を基盤とした道徳教育は、人の心を良い意味でも
悪い意味でもかなり強くしばりますね。

お礼日時:2006/05/18 19:55

神はいます。


どこにいるのか?ときかれると信じている人の心と
聖書の中に、根拠は聖書に書いてあるから

それを信じるのか信じないかはあなたしだい

「神を信じるものは救われる。」と
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この回答へのお礼

このようなご無礼な質問への
回答ありがとうございます♪

私はキリスト教に対して否定的ですが
回答いただくと厳粛というか
襟を正さなくてはって思っちゃいますね♪

ぜひ、お聞かせください。

<信じるのか信じないかはあなたしだい。

信じることと理解することどちらが大切と考えますか?

お礼日時:2006/05/17 22:18

#11のがるです。

ちと補足を。
例えば昔の人が川のそばに住んでるとして。この場合、鉄砲水が物凄く怖いモノになるわけですが。
治水技術とかがない人々にとっては、そのままではいかんともしがたいわけで。
なので、まず「川そのもの」を神様に見立てるです。で、その神様に人格をつけて。
人格さえついちゃえば結局は人間と同類項なので、じゃぁお酒で慰撫をしたりきれいなお花で慰撫をしたりして「神様 神様、これだけ色々貢いでるんだから、怒って鉄砲水なんかやらないでね」ってお願い事をするわけです。

なので、古代の神の人格みると、その地域の人が「何に苦しんでいるのか」がよくわかります。
具体的には。寒い地方の太陽神は優しい恵みをもたらす神ですが、熱帯の太陽神は結構怖い神格(人格)を持ってます。

と、こんな感じで少し説明になりますでしょうか?
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この回答へのお礼

がるさん。こんばんは♪
すごく良く分かりました。
でもその神様は作り物ですよね。
それをがるさんは信奉しているわけでしょうか。
偽者としっていて、それを信奉するのも
一興という感じなのですかな。

お礼日時:2006/05/17 22:04

こんにちは 例えでご説明させていただきます。


例えばきれいに整った家があります。空調もあり水道もあり庭もよく手入れされています。家族がその家の中で楽しく暮らしています。この状態は何もないところに突然偶然に出来たのでしょうか?そんな訳はありませんね。お家を設計した人が居て建てた大工さんが居たので整えられた家が存在するようになりました。
 であればこの地球という大きなお家はどうでしょうか?大気があり水があり、太陽と調度良い距離にあるので温度も人間が生きていけるよいものです。水の循環という法則によりたくさんの生物が地球上で生きています。これも偶然でしょうか?それらを造った方創造されたのが神であると言えます。
 同時に神には人格があります。それは創造物をみれば感じ取れます。もしバリアフリーのお家で化学物質を使わない壁紙を使って設計された家があればそれはお年寄りや子供たちを気遣って設計した、つまり人格的な思考がそこにありますね。
地球上は様々な動物、きれないな花、大気をきれいにするシステム、病気を治すお薬になるハーブや漢方薬になる植物など、神様が作られたものを観察すればその方がただのエネルギー体ではなく個性があり愛があり知恵がある方だと思われませんか。
 長くなりましたが、自然界を見るときに神が存在していること、そして神は人格的な存在であることが分かると思います。このような答えでいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

こんにちは♪
おお!!
神様をいると考え、人格さえ持ってると言われるのですね。
ははあ確かに自然界は絶妙な法則で移り変わりますね。
神様が操っているのなら、その手さばきたるや
見事なものです。

しかし、人格を持っているとするなら
あまり良い人格の持ち主とは思えません。
まず、作られた側からすれば断り無しに生み出され
勝手に病気になるし、漢方薬をさがさないと直らないし・・・
そもそも作り手の明確な目的を作られた側に示されていない中で
我々がひいこら生きているのを傍から見るのは
あまり良い趣味に思えませぬ。
そのあたりはどうなのでしょう♪
ご無礼を承知で疑問を書かせて頂きました。
本当に回答くださいましてありがとうございました!!

お礼日時:2006/05/17 21:53

No.6です。


1997年にネパールとインドの国境にある
ブッダの生まれたルンビニに行きました。

そのときにネパール人に聞いた事ですが・・。

「ブッダは全宇宙を見ている、全宇宙のことを考えている。
ブッダは人間の善悪観を超越している。」
「あなた自身もブッダであり、すべての人がブッダである。」
このとき自分の宗教観が変わりました。
今は「神」と言うか「宇宙意思」というものがあると
思っています。
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この回答へのお礼

こんばんわ♪
なるほど~宇宙意志ですかあ。

確かにゴータマの教えは他の宗教と異なります。
釈迦は神様の存在には否定的でしたよね。
奇跡なども起こしません。
ケシの実を探させる逸話は、哲学者に近いですね。
色即是空なんて深い言葉に宇宙は見えても
神の存在は見えないっすう♪

ブッダとは「悟った人」ってことですから
人は皆哲学者って言ってるようなものですかね。

お礼日時:2006/05/17 21:42

進化論ですが、これは未だ仮説ですよ。

どうしても証明できないですから。自分は信じていますが。
それに猿から進化したのかも不明です。

ちなみに、科学も一種の「宗教」です。
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この回答へのお礼

こんにちは♪
回答ありがとうございます。
ははあ、確かに科学が全てを解明しませんね。

<ちなみに、科学も一種の「宗教」です。

良く耳にするくだりですが、一種とはなんでしょう。

太陽の光をもとに葉緑体が光合成を行うのも
宗教なのかな?
出エジプトで海を真っ二つにするのとは異なるように
感じてしまいます。

お礼日時:2006/05/17 21:25

いませんよ。

完全な架空(現実にはないという意味)です。そんなこと(神様がいないということ)は議論の余地が無いくらい自明なことです。例えばキリスト教を考えてみると、聖書の教えに従って天動説を唱えていましたが、ガリレオが地動説(これが現実では正しい)を唱えると、矛盾が生じるため、ガリレオを処罰しました。アダムとイブのことについても同様のことがいえます。人間は猿から進化したという事実があるのに(これを進化論という)、アダムとイブから始まったとする滅茶苦茶なことを言っています。科学に反しているのです。科学の進歩なしでは、インターネットはおろか、現代の生活は忽ち営めなくなることは容易に(簡単に)想像がつくと思います。決して宗教を否定はしません。それ自体に精神的な次元の文化が構築されているので。しかし、客観的に、本当の意味で客観的に考えると、神様は存在しません。神様はいると信じている人の頭の中にはいるのでしょう(つまり、主観的には存在する)。
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この回答へのお礼

どもども、回答ありがとうございます。
白熱してきましたね。
みなさん、どっちかというと存在を否定する見解であり
かつ宗教自体は否定しない立場が多いですね。
ばりばりの信者さんは少ないですねえ。

神様の定義にもよりますが、ひとつの個性に対する
崇拝は私としてはいただけないと考えます♪

お礼日時:2006/05/17 21:14

分かりません。

居ると信じる方には居る。
(支えになり 安らぎ、生きる糧なんでしょう)
居ないと信じる方には居ません。
また居るという方を否定できません。
また居ないという方を否定できません。
どっちなんだって。。。。(困)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
お気持ちは非常にわかりますヽ(´ー`)/

ただ
一神教をもととした宗教観が
他者の権利を侵害したり、
人の自由意志を束縛することがあります。

自由と平等と博愛の精神が正しいとするなら
平和な状態が良いものだとする観点から見れば
神の存在は、過去の歴史から見るとあまり
役立っていないように思います♪

お礼日時:2006/05/17 21:07

例えば、あなた自身の存在の証明(私は何故存在するのか?等の、解)は、どのようになさいますか?


存在しているのかどうか、それ自体が、哲学的問いでありました。
その思索過程において、哲学的に語る所の神もまた、提出されます。
つまり、存在の証明をする過程において、神が必要とされる、そういう形式がとられてきたことは、かつてあったということです。
人は、知ろうとする中で、神という原因と帰結とを見出したのだと言えます。
 又、存在は、その原因と帰結の間に認められるが、その原因と帰結のリズムに縛られない存在の中の秘密こそ、存在の理由であると説かれることもあります。
その結果生まれたのが、自由です。無限の存在であった神は、限り無しという名を残して去り、神と言う根拠を必要としなくなった、存在と言う概念の拘束性もまた尽きた所、そこは、自由だったのです。
哲学と時代は連動しています。
これによって始まったのが、近・現代です。
混迷の時代と言われていますが、たとえ明日が分からなくとも、いや、今日のうちにすら迷ったとしても、やることは変わりません。自由だから、善く在れる。
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この回答へのお礼

。・゜・(ノД`)・゜・。ウエエェェン
難しいっす。
自己の存在を模索すること自体が
神の必要性にたどり着いたりと
なんとなく分かりましたが

最終的に、神様はいると考えますか?
いるならそれはどのような定義ですか?
daremominaさんのご意見をお聞かせ下さい。

分かりやすくヽ(´ー`)/

回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/05/16 23:31

がると申します。

立ち位置としては「西洋魔術師」として、になるかと。かなり変わった話になるかと思うので、斜めに読み流してください。

神は「いる」とする立場です。
で、後は定義の問題になるのですが。
魔術師は「自然の諸力」を使うときに、それに象徴を当てはめ、姿を当てはめ、名前を当てはめます。これは、その対象をより明確に認識したり、言ってしまえば「便利な方向性に働くように型にはめたり」するため、です。
で、我々はそういった「神という鋳型にはめられた」力を使うために色々とやったりします。
ですので、「自然」という力がある以上、神は存在します。

と、こんな感じの考え方もあります~、っていう程度の軽い話です。
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この回答へのお礼

ははあ、難しいですねえ。
難しすぎて分かりませぬ、(T∇T) ウウウ

<「自然の諸力」を使うときに、それに象徴を当てはめ、姿を当てはめ、名前を当てはめます。これは、その対象をより明確に認識したり、言ってしまえば「便利な方向性に働くように型にはめたり」するため、です。

器と魂の話を思い出しました。
神すなわち自然(汎神論)とスピノザ先生も
そんな言葉をおっしゃっていましたね。

回答ありがとうございまいた!

お礼日時:2006/05/16 23:18

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