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神様がいるよ~って方は、

あなたがいるとする神様の定義(宗教名でもいいです)と
神様がいる理由(存在証明)を教えてください。


神様なんていないよっ~て方なら不在証明を。

私は一般的な宗教そのものに疑問を持っていたので
神様がいるとされる方の理由を知りたくて
質問しました。

回答内容に疑問が浮かんできたら
お礼のなかで再度質問させてくださいね。

頭が悪いので分かりやすい言葉で
お願いします。ヽ(´ー`)/

A 回答 (80件中41~50件)

acquavelle(イナバウアー) です。



実際、この設問は難しいんです。
存在も、非存在性も、そもそも数学的にもその証明は不可能なんです。

だから、誰も責めないで気を取り直して!

ね。(^^)
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この回答へのお礼

運営者様、こんにちは♪
改ざんするにしても脈絡がないです・・・

運営者様は神の存在を肯定しますか。
ぜひ回答をお待ちしております♪

お礼日時:2006/05/19 22:03

神はいます。


私はチャネリングができるので困ったときや疑問がわいたときにはいつも瞑想して守護してくれている霊より情報をひきだしています。
その延長上に神が存在しますよ。
霊的存在中のもっとも高いところにいます。
宗教を信じている人が祈ることによって神と対話していると思っているのはおそらく霊的に高い存在と対話しているのです。
神は波動が高すぎるのでふつう対話は不可能です。
自分を守護してくれている霊とはだれでも対話できますよ。
本人がきがついていないだけです。
多分ぜんぶじぶんでかんがえついたとおもっているのでしょうね。
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この回答へのお礼

こんにちは♪

チャネリング【channeling】 =霊界と交信すること。
をpeachan-pさんは行っているのですね。

はどう 【波動】

物質のある点での振動がそれに隣接する部分の運動を
引き起こし、その振動が次々に伝えられてゆく現象。

ちょっとにわかに信じられないのですが・・・
媒質は何を利用されているのですか。
神様は波動が高いとありますが、縦波ですか横波ですか。波動は高さであらわすのですか。

霊の意味もちょっとわかりませぬ。
霊的に高い・・・霊にはランクがあるわけですね。

自信ありとのことなので
あなたの信じる神の定義と
ぜひ存在証明を理論的にお願いしますね。

お礼日時:2006/05/20 00:35

こんばんは。

#23です^^
質問ありがとうございました。
全く不快ではないですよ!お気遣いありがとうございます**
>>「祈ると神様が教えてくれる」ってことを
どうやって知りましたか?
教えてくれたのは、私の周りのクリスチャンの方々でした。ただ、mogurayamaさんのおっしゃるように、その時点ではあくまで“知った”だけです。半信半疑で(いえ、むしろ疑の気持ちのほうが強かったように思います)祈り始めて数ヵ月後に、はっきりと神様の存在を感じました。そのとき初めて「祈ると神様が教えてくれる」、「神様は居る」ということが“分かり”ました。
人に何かを教えてもらうとき、“知る”ことは出来ても、それだけで“分かる”ようになるのは、なかなか難しいことなのだと感じます。
やはり、ひとりひとりが向き合って初めて“分かる”のだと思います^^

>>聖書が正しいと判断した確証はriehanaさんの内にしかありません。riehanaさんの知識と努力と経験です。

確かに聖書が正しい、御言葉は正しい、と理解したのは私自身です。でも、私も最初はかなり疑いを持っていました。たくさんの疑問を持っていました。でも、日々の生活の中で、祈りの中で、驚くほどその疑問が打ち消されてしまったのです。ですから、信じようという私の意志ではなく、気が付いたら信じていた・・。という方が近いかと思います。
今も疑問、というか質問を神様に対して持っているんです。でも、今までの私と神様の関係から、その答えが私にとって必要なものなら必ずベストなタイミングで答えを与えてくださるという確信も同時に持っています。
知識も努力も経験も私にはないんですよ。
まだまだ私は生まれたばかりの赤ちゃんクリスチャンで、知識や経験と呼べるものは持っていません。
神様を知るために努力もしていません。もし、私自身の努力によって得たものなら、その努力をやめてしまえば、失ってしまうかもしれません。しかし、神様と出会うということを、私は努力によって手に入れたわけでは無いので、失うことがないんです。こちらが手放さない限り、神様の愛は一生失うことはないんです^^
私は論理的にお話しするのが得意ではないし(ごめんなさい!)たとえきちんとmogurayamaさんの質問に答えられたとしても、やはりそれはmogurayamaさんの“知る”の一部になるだけで、“分かる”ことにはならないと思うのです。ですから、神様と向き合うには、ご自分のお言葉で正直に祈るのが一番だと思います***
私が神様を見つけたのではなく、神様が私をずっと見続けていてくださり、私の心の扉を叩き続けていてくださったんです。私が何か努力をしたから神様に出会えたのではなく、私はその扉をただ開けただけ**

また長々と失礼いたしました。
mogurayamaさんの質問の意図を読み違えていたらお許しを^^
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この回答へのお礼

こんばんは♪

私の質問に対して非常に分かりやすくお答えいただき、
本当にありがとうございます!!
文面にも素直さがあふれていて清涼感を感じますよ。
あなたの尊敬の対象に嫉妬すら覚えます。
それに引き換え私ときたら・・・

神様と出会うまでのお気持ち、良く分かりました。

でもですね。
そもそもあなたがキリスト教の存在を知らずに
生きていたらあなたはそのことに気づかずに
日常生活をしていたと思います。それも否定されますか。

つまりキリスト教を知ったという行為は、
絶対にあなたが行った行為なのです。
この能動性を、あくまでも受動だとして
神様があなたの知覚や言葉や足を利用して、
あなた自身を利用して、あなたに知らせたのだとあなたは考えますか。
だとするなら、神様はかなりのひいきをしてあなたを選んだことになります。
そんなわけがないですよね。
キリスト教を知ったという行為はあなたに帰するべきだと思います。
私たちも平等にそのような体験(私たち自身を利用される)が与えられていませんから。

あなたが扉を開いたから神様を知ったわけですよね。
あなたが聖書を読んだから、
あなたが他者からの神様の慈悲深さを聴いて判断したから
あなたは信じているはずです。半信半疑にしても・・・
あなたの心がそう思わずに、誰のこころがそう思っているのでしょう。
あなたは、私にやさしい回答を下さいました。
それは、あなたの育んだすばらしい個性です。
私は、あなた自身の努力や身に着けたやさしさを
ぜひあなたのものとしていただきたい。
あなたが自分自身の責任で物事を選択し、
成功したならあなたの努力をほめたい。
失敗したら失敗の原因とあなたの短所を見つめてほしい・・・
あなたの行動は全てあなたの責任であってほしい
そこに、「神様のおかげ」や「神様のせい」という
他者依存をしないでほしい。
そして、信じることよりも理解することの大切さを
歴史から学んでほしいです。
って思います。
何言ってるか分からないですよね。変な人ですね・・・

でも、自分が本当は何を質問したくて本当に何を理解したかったのか
少し分かりました。ありがとう♪
なので、
今夜、私も半信半疑・・・いや無信全疑で祈ってみます。
ですから、riehanaさんも私のお礼をちょっと
眺めてくれたら幸いです。それでは♪

お礼日時:2006/05/20 00:18

私は、科学が真実ではないと言っているのではなく、盲目的に真実と信じている人と、宗教を信じている人の間にどれほどの差があるのだろうか、と言いたいのです。


そして、科学が真実である保証は無いのですよ。
確かに、宗教の名の下に行われた目を覆いたくなるような事件があったのは事実です。同時に、科学の名の下に行われた目を覆いたくなるような事件があったのも事実です。
科学が私達の繁栄を支えているのはもはや疑う余地はありませんが、そんな時代だからこそ、単に「素晴らしいもの」ではなく、その負の側面も考える必要があるのです。
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この回答へのお礼

こんばんは。
No.26にあるkiyocchiさんのご意見。
他の方はどうあれ
mogurayamaはしっかり理解できますよ♪
ご安心を!!

回答ありがとうございます。ヽ(´ー`)/

お礼日時:2006/05/19 23:11

No.34です。


科学至上主義がなにをもたらしたか・・
科学は人類の生活レベルを飛躍的に向上させました。
しかし、それと共にあらゆる弊害をもたらしました。

環境破壊、公害、殺戮的武器・・・

知的に進化したはずの人間がなぜこうも次々に問題を作り出し、苦しめられているのか・・

なぜならば、知性と霊性(精神性)のレベルが釣り合っていないからだと思います。

折角の知的産物も、それに見合った霊性があってこそ正しく人類の幸福のために使われるのであって、知性だけ突出し、それに比して霊性の劣った人類が自ら招いた業だと思います。

でもおそらく徐々に精神性も進歩していき、何れ知性と霊性が共に程よくバランスした時代がきて地球全体がもっと幸福な状態にシフトすると信じています。

そのために不可欠なのが「霊性」に対する理解だと思います。
科学至上主義では精神の問題は何も解決されません。

最近、医学の分野においても西洋医学と東洋医学の融合の必要性が特に欧米において喧伝されています。

人は肉体だけではない存在です。
精神が肉体に与える影響は、今まで西洋医学において考えられていたよりも、はるかに大きいことが切実に分かってきた昨今、目に見えない人体のエネルギーやチャクラ、つぼを扱った東洋医学に蓄積された治療のノウハウの貴重さが認められたからです。

医療現場だけではありません。
最近の物理学者たちは、実験において研究者の実験に対する予測(期待)が結果に影響を与えることを認めています。
これを何と説明しましょうか。
「心のエネルギー」とでも科学的に説明しましょうか。
ではそのエネルギーは科学的に計量できるのでしょうか。
存在が確認されながら科学で説明できないとするならば、その科学は不完全です。
発展途上でしかありません。

心のエネルギーが存在するならば、自然の摂理の中にもそのエネルギーが存在しなければなりません。
人の心の中だけにしか存在しないとなれば、人の心だけが自然の摂理から乖離していることになってしまいます。

そのエネルギーをも含めて自然の摂理を「神」と称するのだと思います。

神=自然の摂理+霊的エネルギー
とでも書けば分かりやすいでしょうか。
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この回答へのお礼

こんにちは♪
たびたびの回答ありがとうございます。
できれば前回の回答に対するお礼を確認して
いただけると幸いです。

さて、知性という言葉の使い方が気になります。

知性とは・・・物事を考え、理解し、判断する能力。
       感覚によって得られた素材を整理・統一して、
       新しい認識を形成する精神のはたらき

です。(GOO辞書)

知性と知識を混同しているように思えます。
そして、今足りないのはまさしく知性だと考えませんか。
知性はまさしく精神(人間の心。心のはたらき。)
だと思います。ヽ(´ー`)/

お礼日時:2006/05/19 23:06

No.10の神です。


お礼欄に質問が書かれていたのでまたやってきました。(なんて暇な神なんだ)

>世界は非現実的で幻想でできているものと捉えますか。
>捉えないとしたらその理由を知りたいです。
質問の意味がよく分かりませんが。
世界は幻想でできていようが、電気信号でできていようが、それが現実であり非現実なものではありません。その中で生きていくしかないのではないでしょうか。

>存在証明は別としてあなたは神がいると考えますか?
神の定義によるでしょう。私のイメージに最も近いのがNo.17の神のように思います。但し人格は人間が与えたもので神自身が持っているものでは無いように思います。つまり神は人間を含む全てを生み出しうる環境のようなものだと思います。

う~ん。全く回答になっていないかも。
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この回答へのお礼

おお。お待ちしておりましたぞ!
神様。
神様なんだから私の乱文から真意を見つけてくださ~い

<世界は幻想でできていようが、電気信号でできていようが、
  それが現実であり非現実なものではありません。

うう。幻想でできていても現実であるわけですね。
ちょっとつかめませんね。
バーチャル(非現実)なものである可能性はない・・・
現実とはって話になるとキリがないのでおいといて。

<私のイメージに最も近いのがNo.17の神のように思います。
  但し人格は人間が与えたもので神自身が持っているものでは
  無いように思います。
  つまり神は人間を含む全てを生み出しうる環境のようなものだと思います。

なるほど、良く分かりました!!
でも、たった今作られたのかもしれないんですよね。
神様はなかなかの策士ですな。

神様=人格ではなく環境

と定義するならば私も理解できますね。
回答ありがとうございました♪

お礼日時:2006/05/19 22:54

イナバウア~! ~\(_ ̄_)/ ←最近のお気に入り(^^;)




『自然の摂理』を唯物的に捉えたものが科学です。唯心的に捉えたものが宗教なのです。

宗教関係の方々は、自然の摂理=神 と捉えられているんです。

私は宗教家の家系に生まれ様々な宗教、原理を研究してきました。

そして結論に達しました。

哲学的カリスマ教祖(ブッダやイエスなど)の教えには素晴らしいものがある。
でも、宗教は否定せざるを得ない。いわんや神をも………

です。

人類はそろそろ、『神』という概念自体を捨てるべきだと思います。
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この回答へのお礼

こんばんわ♪
またでたな!!回答ありがとう♪

ははあ、宗教家の家系に生まれながら信じることより
考えることを大事にできるようになるとは
非常に理性の強い方だったのですね。

<『自然の摂理』を唯物的に捉えたものが科学です。
  唯心的に捉えたものが宗教なのです。

哲学の居場所は何処になりますか?

<人類はそろそろ、『神』という概念自体を
  捨てるべきだと思います。

ニーチェですね。おっしゃる通りとも思います。
では神に変わる道徳や正義、善といった根源は
どこに求めるべきだと思いますか。

いや、根源自体、ないものかもしれませんが
人間が社会性を学ぶ基礎は、何を用いることが
良いと考えますか。

お礼日時:2006/05/19 21:34

どちらでしょうかね。


それぞれでしょうか?

まずあなた様が信じてみれば?
考えても始まりません。まず信じてみましょう

最終的には信じることと理解することと同じになります。
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この回答へのお礼

こんばんは♪
No21さんですね。
たびたびの回答ありがとうございます。

ははあ、
その考えかた(回答)は、質問者にはやさしくないですね。

「もぐもぐ教は、ただしい教えです。このもぐもぐ像を
  1000万円で買えばあなたには無限の幸せが訪れます。」
「まずあなた様が信じてみれば?
  考えても始まりません。まず信じてみましょう。」

と、言われても人はすんなり信じることが出来ません。
きっとkatayanさんもそうだと思います。

まずは理解する事が大切です。理解するから信じられるのです。
愛する人もそうですね。理解が信頼にかわるのだと思いませんか。

よく「信じていたのにっ」て言葉をドラマで
乱発していますが、それは自分自身の判断力や
理解力に目をつむり、信じていたのが悪いわけです。

信じる行為を理解する事より重要視することは
人の判断力や選択する能力を価値の低い物にする
恐れがあると思います。いかがでしょうか。

お礼日時:2006/05/18 19:37

N0.5です。


皆さんの回答を読ませていただくと、それぞれ対立したご意見ですら成るほどと納得してしまいます。

何故そうなるのか・・・
皆さんそれぞれ違った立場から述べていらっしゃるようです。

科学の立場から・・宗教の立場から・・多神教的立場から・・宇宙の創造神的立場から・・・
折り合う訳がないですね。
それぞれご尤もですから。

一ついえることは、霊的なものを肯定しているか否定しているかによって二者分かれるということです。

否定派=科学オンリー主義
肯定派=多神教、宗教、創造神派
ではないでしょうか。

そこで両派に共通項な事項を提示したいと思います。
それは「原因によって結果が導かれる」という原理です。

この原理は科学派にとっては至極当たり前のことだと思います。
必ず原因があってこその結果ですから。

霊肯定派にとっても「原因と結果」は実は当たり前ではないでしょうか。

キリスト教・・神はその人の行いによって裁く。
多神教・・自然霊は人の自然に対する行いによって守護したり罰したりする。
仏教・・因果応報。
創造神・・人は創造神の作った宇宙におけるその自然の法則の中で、自分の作った原因に対して法則が働いた結果を享受する。

となると思うのですが如何でしょうか。

両派とも、つまり科学的にも霊的にも働く「原因と結果の法則」は実は共通なのではないでしょうか。

その法則が物質界で働くときに人は科学で説明し、霊的(精神界)で働くときに宗教その他で説明したのではないでしょうか。
つまり、両者とも根っこは同じなのだと思います。
バリバリの科学派の方々は「霊」というと即否定されるかもしれませんが、科学オンリー派の方々にとって唯一正しい科学の法則から、もし人の精神的活動(霊的活動)のみが漏れてしまう・・つまり除外されるとすれば、精神活動だけ別の法則が働くことになってしまうのではないですか。
もしそうならば、科学の法則オンリー主義自体が間違っていたことになりますがどうでしょうか。

科学的発展は人の精神活動によって発展してきました。
どんな発明も発見も、まず人の精神(心)の中に創造、予感されたことであるのは誰もが認めることでしょう。

この宇宙の物質界も精神界もすべて一つの法則で動いているとするならば、その法則こそが「神」ではないでしょうか。
人に感情、意志があるように勿論法則である「神自身」にも大いなる意志・・すべてを育み生かしている万物を生み出す愛があるはずです。もしかしたらその一部のエネルギーがビッグバンかもしれませんね。

色々な宗教や多神教にタイプの違う神々が出てきますが、すべて創造神の一部の霊的存在だと思います。
そういう意味では人も神のエネルギー(霊)の一部といえると思います。
そのような偉大な創造神が制限のある人の姿をしているわけは無く、当時の人々が自分たちに理解できるかたちとして人の姿をした神を想像したのだと思います。
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この回答へのお礼

こんにちは♪

たびたびご回答くださいましてありがとう!!
なかなか読み応えがありました。
だからこそ疑問でございます。

霊的なものの定義が難しいです。
霊的=精神的ではないと思います。
理性や客観性という言葉はどこに分類されますか。

物質を客観的に見るように
自分の心模様や世界を客観的にみる方々が抜けているように思えます。

<霊的なものを肯定しているか否定しているかによって二者分かれる
<否定派=科学オンリー主義
<霊的活動=精神的活動

つまり、この三段論法からすると
霊的なものを否定する方は精神的活動を否定していることになります。
それだけではないと思いますので、
これはちょっと疑問でございまする。

お礼日時:2006/05/19 20:49

ぴゃっ!



ズササササササァ~!

セーフっ!(まだ間に合った)

イナバウア~! \(_ ̄_)/



そう言えば( ¨)
はるか昔、星新一さんの本で面白いショートを読みました。
タイトルは確か………『神を創る』だったかな。(..)?

ある博士が神様を創る研究をしていてコンピューターに世界中のありとあらゆる「神」というものの概念をデータ入力していくんです。何千万件と………

するとある日からコンピューターがゆらゆら揺らぎ出した。
と思っていたら、そのコンピューターは忽然と姿を消した。

博士はその原因を調べて突き止めた!

そう、そのコンピューターには『神は目に見えないもの』というデーターが入力されていた為だったのです。

奇しくもコンピューターにデーターを入力しただけで博士の神を創るという研究は完成してしまったのです。

そして、全ては消え去った。

………、、


これは何かを暗示しているような気もします。

卵が先か?鶏が先か?

人間が先か?神が先か?

アルキメデスの亀のパラドクスのような(笑)


繰り返し申し上げますが、私は無神論者です。
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この回答へのお礼

おかえり♪

きっと筒井康孝さんなども読んでますね、acquavelleさん。

人が先か神が先か・・・
やはり神様の定義次第でしょう。
大体の宗教が訴えるものは、人が先にあるように見えますね。
そもそも、「人間は全員死ぬべきだ」という神様は
現れないし、「不幸せになるべきだ」って神様も
現れない。
人間の欲求や願望を体現してくれる神様だらけですね。


<繰り返し申し上げますが、私は無神論者です。
・×・)ゝ 確かに了解しました♪

お礼日時:2006/05/19 20:17

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