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2番についてですが、「ついて行くなら」ではなく「ついて来るなら」ではないのでしょうか?
http://www5b.biglobe.ne.jp/~pst/douyou-syouka/02 …

A 回答 (21件中1~10件)

どうなんでしょうね。


下も「ついて行くなら」になってます。

http://warabeuta.seesaa.net/article/9286165.html

この回答への補足

「ついて来るなら」という歌詞になっているものは私も聞いたことがありません。
作詞者は「ついて行くなら」としたのでしょうが
(1)これから鬼を征伐
(2)ついて行く
(3)やりましょう
の主語が(2)だけ犬・雉・猿なのはおかしいのではないかという質問です。

「笑っていいとも!」で、よく金曜にタモリが外人歌手気取りで「久しぶりの来日です」と言いますけど、
あれも「久しぶりの訪日です」と言うべきなんじゃないかと思っているんですが、いかがでしょう?

補足日時:2006/06/03 21:13
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こんなのもありました。


子供には見せられない??

http://page.freett.com/FuckinCrazyBaby/july.htm
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この回答へのお礼

相手の言い分を聞くことも無く成敗しようとするのはアメリカもアンパンマンも同じですね。

お礼日時:2006/06/03 21:13

やっぱり「ついて行くなら」?


↓では「ついて行くならやりませう」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%83%E5%A4%AA% …

この回答への補足

No.1の補足を見ていただけないでしょうか。
HPサイトの誤植を指摘したいための質問ではありません。

補足日時:2006/06/03 21:20
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どちらでも、日本語としては通じると思います。

ただ、「~へ」という言葉の後には、「来る」ではなく「行く」の方がより正確な表現だと思います。もし、「~に」となっていれば、「来る」のほうがよりしっくりきます。日本語は、正確さが欠けていても通じる部分が多いので
、仮に間違った言い回しであっても、みんなが使ううちに正しいと判断されるようになることが多々あります。

この回答への補足

No.1の補足に書きましたが、一文の中で主語が食い違うことについてはいかがでしょうか。

補足日時:2006/06/03 21:22
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おかしくないです。



『ついていくなら』は『私に付いて、いっしょに鬼の征伐に行くのなら』を省略したものです。

この回答への補足

「ついていく」の「いく」は補助動詞ですよね?
省略で品詞が変わることはあるのですか?

また、省略されたことが正しいとしても、主語の食い違いが生じており、
一文の中で主語が何度も変わっているのに主語が省略されているとしか私には解釈できないのですが。

補足日時:2006/06/03 23:25
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「ついて行くなら」といういうのは


桃太郎に敬服した雉や猿の意思を示しています。
つまり、偉い人に奉公して、ついて行こうとする考え方です。

現代の「個人主義」からは理解しがたい、封建的な、戦前の意識のあり方を示した歌です。

この回答への補足

歌詞の流れから「桃太郎さん…黍団子」は猿・雉・犬の言葉
「これから鬼を…やりましょう」は桃太郎の言葉のように感じるのですが

補足日時:2006/06/04 10:19
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歌詞を読んで特に違和感は覚えません。



「ついて行くなら」は「私から離れずに(したがい)ここから鬼が島に行くならば」という意味です。
「ついて来るなら」は目的地は鬼が島と明示されず
「俺が行くところに、俺と一緒に行くために、俺の方へ来い」つまり「俺に従って俺が行くところに行くならば」と桃太郎中心の発想でしょう。 表現方法は異なるが意味するところは同じです。作詞者の視点が違うだけだと思います。

この回答への補足

「ついて行く」=「(桃太郎に)ついて」+「(鬼の征伐に)行く」ということですね?
つまり「行く」は補助動詞(「飛んでいく」「死んでいく」などの「いく」)ではなく動詞であるということですね。

補足日時:2006/06/04 21:28
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No7です。


一部書き忘れました。


*主語について
>1)これから鬼を征伐(2)ついて行く(3)やりましょう

このセリフは桃太郎一人です。
「俺はこれから鬼が島に鬼征伐に行くが、お前たちが俺と一緒に鬼が島へ行くならキビ団子をあげよう」と家来になるよう誘う場面です。

*来日と訪日
来日・訪日共に一人称、三人称で使用可能です。

「彼の、私の訪日からもう10年になります」
「来日して日が浅いので私は(彼女は)何も分かりません」

タモリが言っているのは笑いを取るためなのでまともな日本語を使えば面白くないでしょう。
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>(1)これから鬼を征伐


>(2)ついて行く
>(3)やりましょう
>の主語が(2)だけ犬・雉・猿なのはおかしいのではな >いかという質問です。

確かに、『鬼「を」征伐に』なら、おかしいと思います。しかし、歌詞は、『鬼「の」征伐に』です。これは単なる名詞で(2)ついて行く、の目的を表しているにすぎず、具体的な主語を伴っている訳ではないのです。

したがって、この歌詞では「(私=桃太郎は、あなた=犬・雉・猿に黍団子を)あげましょう。」という主文の中に、「(もしあなたが)これから鬼の征伐について行くなら」という仮定の副詞節が挿入されていると考えられます。

「について行くなら」でも、特に問題は無いわけです。

この回答への補足

主文と副詞節の主語が異なっても、主語の省略は可能なのでしょうか?

補足日時:2006/06/04 21:26
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この回答へのお礼

No.10さんの回答を見ますと、この回答には疑問を感じます。
やはり「(自分に)ついていく」という表現は主語が何であろうと、おかしいように思います。
「(自分に)ついて(征伐に)いく」という強引な解釈をせざるをえない気がしてきました。

お礼日時:2006/06/04 21:38

「おかしくない派」の回答ばかりのようですが、私は質問者様のご意見に同意します。



この歌詞の1番から3番は犬・猿・雉と桃太郎の会話形式になっており、2番の発話者は桃太郎と思われます。
今、鬼退治に向かおうとしている自分に対して、「きび団子を褒美としてやるかわりに俺について来い」と言っているわけですから、
日本語としては「ついて来るなら」が正しいと思います。桃太郎が「ついて行くなら」と言ったとすると、誰か別の人間が鬼退治に既に出かけていてそれに「ついて行け」と言ってるように感じます。

例えば、日常のシチュエーションで考えると、今、買い物に出かけようとしている私に、子供が「僕も行きたい!」と言った時に、「じゃあ、ついて来る?」とは言っても「ついて行く?」とは言いませんよね?
買い物に出かけようとしているのが「私」ではなくて「妻」だっとして、逆に、横で見ている「私」が子供に「(ママに)ついて行くの?」とは言いますが、「(ママに)ついて来るの?」とは言いません。

ですから、この2番の歌詞が第三者の発言だったら「ついて行くなら」が良いと思います。
例えば、仮にこの2番が桃太郎がまだ出発する前の時点で、きび団子を作っている最中のおばあさんに対して、犬・猿・雉が「きび団子ください」と言ったとします。そして、おばあさんが犬達に「(これから鬼退治に出ようとしている桃太郎に)ついて行ってくれるならあげましょう」と答える。こういうシチュエーションなら「ついて行くなら」がしっくりきます。
少々強引ですが、2番を「桃太郎の発言」と捉えずに客観的第三者の視点による発言、英語風に言うと直接話法ではなく間接話法と捉えると「行くなら」で良いと考えられなくもないかも?です。

ただ、実際問題これはあくまでも歌詞ですから、正しい日本語や文法云々よりも意図的に「行くなら」を使ったんじゃないか?と私は思います。語感的に「来るなら」よりも「行くなら」の方が勇ましさや勢いが出る感じがしますので、作者はこういう表現を使ったように思います。意味はどちらでも通じますので。
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