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私は演劇について少しも詳しくないのですが、とある二つの漫画の中に出てきた『セビリアの理髪師』という喜劇について知りたく思い投稿いたしました。

一つ目は『ベルサイユのばら』です。マリー・アントワネットがロジーナ役でセビリアの理髪師をやると聞いたオスカルは、こんな事を言って取り乱していました。「貴族をこてんぱんに皮肉ってこき下ろしているあの『セビリアの理髪師』を当の貴族がうれしそうに上演しようというんだぞ!」

そして二つ目は時代も舞台も少々変わりまして『エマ』。こちらの十九世紀末英国のお話では、ジェントリの青年と子爵令嬢のアベックが楽しげにセビリアの理髪師を観劇するシーンがありましたが。

結局のところセビリアの理髪師はどういった含みを持っているのですか?大まかなあらすじは知っていますが、オスカルがどの部分を貴族への当てこすりと判断し怒っていたのかよくわかりません。そしてもし本当に当てこすりであるなら、セビリアの理髪師を英国貴族の二人が娯楽として観劇していた事は不適当…滑稽に当たるのですか?

A 回答 (1件)

『セビリアの理髪師』の原作者ボーマルシェは時計屋の息子として生まれましたが、抜け目ない才覚で国王の書記官にまで上り詰めました。

フランス革命の時代を実際に生きたボーマルシェが見た上流社会とメキメキと力をつけてきた市民社会の対立を皮肉たっぷりに面白おかしく描いたのが『セビリアの理髪師』や『フィガロの結婚』です。フィガロは原作者ボーマルシェの分身ともいえます。

『セビリアの理髪師』で「上流社会といっても、何もわれわれと変わらず、こんなにオマヌケだぜ!」と揶揄したのです。それが貴族たちの感情を逆撫でし、「階級の対立」に危機感を抱かせました。『ベルサイユのばら』の時代には、フィガロは手ごわい市民階級の代表として自分たちを打ち負かしかねない脅威的な存在に映ったことでしょう。貴族たちが『セビリアの理髪師』や『フィガロの結婚』を上演させまいと抵抗したのも、むべなるかなです。

しかし、『エマ』の時代になると階級間の緊張もこなれて、『セビリアの理髪師』を(昔の大陸の話として)楽しむゆとりができたのでしょう。従って、それが不適当とか滑稽ということはないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。私はロッシーニ作曲の…としか知らなかったので、まだまだ調べが足りなかったですね。『セビリアの理髪師』は『フィガロの結婚』ともう一つで三部構成との事ですが、『フィガロの結婚』のストーリーを調べてみたところ大変驚きました。素人ながらに大体納得がいったつもりです。
しかしながら、『エマ』のストーリーをご存じか知りませんが、『エマ』はメイドとジェントリの身分違いの恋のお話です。当然社会の目は依然として大変厳しく…といった感じなので、回答者様の「階級間の緊張もこなれて…」とおっしゃるのもどの程度であったのかなぁとまだ少し考えたりもします。
とにかく参考になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2006/10/20 00:50

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