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●なぜ宇宙はこんなにも美しいのか?

 宇宙ははじめ マグネチックフィールドのゆるい正弦波のただよう真空だった
 そのおおきな波と波がぶつかったのが ビッグバンです。
 光や電波にその速度の限界があるように ビッグバンにおける
 波の周波数の高さにも限界があった。その周波数の限界に於いて波は共鳴して
 まるで水面で超音波が進まないごとくに 波はその場に留まった それが
 物質です。物質は波の性質上 さまざまな干渉を起こす。そのひとつが重力
 共有結合 イオン結合です。


 つまり この宇宙は正弦波でのみ成り立っている。だから美しい。
 それを 神とよぶことはできる。しかし擬人化する必要はない。

 反論 異論 ご感想 など教えてください。

A 回答 (15件中1~10件)

美しくなければ神ではないのか…と考えたことがあります。


まぁ神がいるなら美しくあって欲しいとは思いますが。
物理学に通じた人に聞くともっと具体的な答えが出てきそうですね。
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この回答へのお礼

●美しくなければ神ではない 輝きを放たなければ神を名乗る資格はない。
 って どっかで 聞いた感じですね。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/04/09 17:44

────そして、ものを考え、追求し、新しいものをつくろうという意思を持った高度な生命体(人間)までつくっていった。



私は「形」ではなく、宇宙の生成からこんにちに至る「過程」に偶然ではないもの、「ある意思」を感じます。
ですから、chihokoさんの言われている「それを神とよぶことはできる。しかし擬人化する必要はない」をそのままに、「それを神とよぶことはできる。しかし擬人化する必要はない。なぜなら、そこには“意思”が流れているだけだから」としたいと思いました。

反論でも異論でもなく、chihokoさんの質問を読んだ、私の勝手な随感でした。
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この回答へのお礼

●意思って 主体が何かを行うことに対応した脳に発生する概念です。
 あなたのその「ある意思」ってのの主体は誰?そしてなにを行うために
 「ある意思」はあるの? 普通はその主体を「神」と呼ぶのでは?
 なんとなく わたしと話がかみあっていないように感じるんですけど・・・。

 わたしは 意思ではなく 無ではない最も無にちかいものを探して
 正弦波にたどりついているワケです。宇宙の全ての物質とエネルギーと
 摂理は すべて 無に限りなく近い正弦波に由来する(仮説)と
 感じているわけです。よって意思などは はじめはありません。
 正弦波のさまざまな変態のなかに「意思」は含まれているのです。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/04/09 17:58

あなたが宇宙を美しいと感じて、その始まりを考えた時に正弦波というイメージと共鳴し、思い描いた宇宙論と捉えました


正否はともかくとして、出発点を健康的な主観に置いているし、思考実験としては面白いと思います
ただ波形には量子力学の不可知論などというものまであって、僕にはこの宇宙の骨組みが真空と粒子と多様な波とで成立しているように思えます
また、生命はエントロピーの法則に抗するように出来上がっていて、物質に秩序を与え続けるそこには意志めいたものがあり、多様な波にその秘密が隠されているのか?などとも想像しています
生命の営みには、偶然の積み重ねや今の科学法則だけでは納得しきれないものがあって、その源も宇宙とセットで神秘としか言いようがない状態です

神については、人間が創出した人知を超えるおおきな存在と理解しています
その神を形の上で擬人化する必要は無いでしょうが、生命のもつ意志と共通する要素は感じています
宇宙を美しいと思う時、人はそこら辺りで神と正弦波を用いて美を共感しているのでしょうか?
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この回答へのお礼

●エントロピーと言う概念は わたし的に言い直すならば 不確かさではなく
 複雑さをマクロ的に把握する概念でしかありません。この宇宙に不確かなもの
 など存在しません。すべて必然の内に存在しているのです。

 アインシュタインの相対性理論もホーキングの膜宇宙論も宇宙の成り立ちを
 観察して構成要素の関係を推理し証明しようとするものです。
 したがって「モノがモノとして在るための おおきな力」「万有引力」
 「エネルギー」「光のスピード(時間)」がなぜあるのか
 その答えにまでは まだ到達できていないのです。

 わたしはこれらのすべての疑問の答えとして「正弦波宇宙論」を
 考えだしたわけで。それ以上 無に近いものはない「正弦波」
 それ以上 簡単な関係がないのが時間(電波 光 γ線、X線のスピード)
 なのです。スピード無いのは 無です。スピードがそれぞれなのは
 複雑です。この宇宙は もっとも無に近いモノともっとも無に近い「モノの関係」
 で 成り立っているのです。わたしの理論は哲学であり科学ではありません。
 
 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/04/10 10:31

いきなり題名で笑っちまったよ。

Chihoko Originalぅ!
必殺技みたいじゃない?プロレスとかの(笑。おもしろいな。ChihokoSPECIAL!のほうがよくない?「筋肉ドライバー」(筋肉マン)みたいで。
>宇宙ははじめ マグネチックフィールドのゆるい正弦波のただよう真空だった
はじめがあるという事はすでにビッグバンの前に時があった。波があるという事は、場所がすでに、ビッグバンの前にあった。そこに、始めの宇宙の姿があったという前提かな?
この最初の文がよく理解できない。正弦波ってsinカーブだっけ?ろくに授業も出てなかったからなぁ。もうちょっと最初の文の補足、お願いしていいかな?
マグネチックフィールドとか、サパリーです。かるく説明してほしい。

この回答への補足

マグネチックフィールド=磁界 です。

補足日時:2002/04/10 12:18
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この回答へのお礼

では 補足しましょう。(内容はすべて正弦波宇宙論による)

●宇宙のはじめ以前は 真空です。真空とは「無限の無」です。
 磁界とは 電波 赤外線 可視光線 紫外線 γ線 X線 などで
 質量をもたない 決まったスピードで真空中を真直ぐ進む波です。
 そして その中でもっとも簡単な(無に近い)波が正弦波なのです。
 のこぎり波 矩形波 などは 正弦波のn倍の正弦波を重ねることで
 つくれます。あらゆる波形はさまざまな正弦波の所産なのです。
 はじめに正弦波があったから宇宙なのです。なければ無です。
 無もあるでしょう また宇宙以外の存在もあるでしょう そのことは
 否定できません。しかし 無も宇宙以外の存在も わたしたちは語れません
 なぜなら 宇宙はわたしたちのすべてを含んだものだからです。
 すべてを含んだもののなかで すべてをふくんだものの外を語ることは
 できたとしても それはすべてをふくんだものの中のことなのです。

 サインカーブもコサインカーブも 同じものですが 起点がゼロの
 正弦波を採用しただけです。(要はもっともなめらかなカーブです。)

 物質も波がそこにとどまっているだけなのです。
 電子顕微鏡で見える原子の像は 正弦波が限界で振動している「場」を
 電子のはねかえりで像にしているだけで。モノがそこにあるわけでは
 ありません。電子とは正弦波の限界振動に伴うハジケ(しぶき)です。
 電子も限界振動をする正弦波の最小のものです。
 水素からローレンシウムまで すべて正弦波の限界振動で その違いは
 正弦波の限界振動のかたまりが いくつあつまっているかだけです。
 水素はそのかたまりが一個のものです。

 ま 今回はこのくらいの補足にしときます。

 ご回答ありがとうございました。
  

お礼日時:2002/04/10 11:08

気になったんですけど、宇宙はなぜはじめにマグネチックフィールドのゆるい正弦波のただよう真空だったのですか?言い換えると、なぜ正弦波が存在していたのかってことなんですが。



あと、この宇宙は正弦波でのみ成り立つ必然性があったのかなぁ~とか。

論点違ってます?

この回答への補足

●なぜ正弦波が存在していたのか?
 「あったから」としかいいようがありません。
 んで なぜ秒速38万キロのスピードなんだ?ですよね。
 これもその速度だったからで それより速くても遅くてもいけない。
 速度がまちまちなのは 複雑でワケわかんない世界ができちゃいます。
 「速度が一定」より無に近い「正弦波の有り方」はありません。
 そして無限の真空です。

 真空 正弦波 時間(正弦波のスピード)これがはじめからあったものです。
 これ以上に無にちかい要素はありません。他に最も無に近い要素が思い当たる
 のでしたら 教えてください。
 またこの要素のうちどれが欠けても宇宙は存在できません。
 ●つまり この3要素をだれがつくったかですが 創るほどのものじゃないんです
 それだけ無に近いんです。←このことが一番大切なことなんです。

 「あったから」ただそれだけです。
 わたしにとっての問題は何故宇宙は美しいのか?に対する答えなのです。

補足日時:2002/04/11 08:28
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この回答へのお礼

●あなたの疑問はとても 正しいです。
 そこから わたしも出発しています。
 無と有ることの違いを 哲学してください。
 無とは無いことであり 有るとは無いことでないことである。
 そのようにしか言いようが ほかにないことに気が付きます。

 そこで最も無に近いものを探した結果が 正弦波なのです。
 しかもいまの宇宙の全体の何倍も何倍も大きな波です。
 一見無のような波です。
 正弦波宇宙論より 無に近い論理は聞いたことがありません。
 極限の哲学をしているだけです。
 いずれこの真偽には 科学がたどりつくでしょう。
 「たった一つの無に近い無でないものだけで出来ている それが宇宙が美しい理由だ」
 
 正弦波でのみ成り立つ必然性とは 美しいからです。すべてが統一性を
 持っています。みみずだって おけらだって あめんぼだって
 月も太陽も火星もアンドロメダもブラックホールも
 みんなみんな 正弦波なんだ 友達なんだー!

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/04/11 07:56

またまた面白い意見を述べていますね。



>その周波数の限界に於いて波は共鳴してまるで水面で超音波が進まない
>ごとくに波はその場に留まった それが物質です。
>(中略)
>つまり この宇宙は正弦波でのみ成り立っている。だから美しい。

物質が正弦波だけという意見には賛同しませんが、物質がエネルギーの波動(wave)
から成り立っているという考えは、別にchihokoさんオリジナルではなく、
ニューウェーブをちょっとかじっている人ならば、波動理論として比較的
よく知られている内容です。

まぁ波動理論は、まだ擬似科学扱いされていることが多く、社会で広く認知
されているわけではないのですが、私自身はそこそこ理解しています。


また波動理論とは別に、最先端の物理学理論である「超ひも理論」からも類似
した結論が導き出されます。(参考URL; http://www2c.airnet.ne.jp/phy/phy/76.html)
超ひも理論では、物質の究極の要素は10-35[m]の長さの「ひも」と考えます。
この「ひも」が振動するとき振動数の異なる波が生じますがこの1つ1つが
素粒子に対応するというものです。
物質がひもの「振動」=「波」だと考えれば、chihokoさんの意見はそう的外れ
なものではないでしょう。


しかし、chihokoさんの記述からは、どちらの理論からの引用もないので一応
オリジナルな宇宙論かと思います。仮説の領域を出ないでしょう。

その仮説から導きだした
 >つまり この宇宙は正弦波でのみ成り立っている。だから美しい。
 >それを 神とよぶことはできる。しかし擬人化する必要はない。
という結論については、あまり科学的かつ論理的な意見とは思えないですね。
(個人の信念として意見を述べているとならば、それなりに受け止めますが)

参考URL:http://www2c.airnet.ne.jp/phy/phy/76.html
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この回答へのお礼

●科学とは 解っていること最小単位(これ以上説明できないもの)公理
 から 実際に 観測 実験 などにより確証されたものの積み重ねです。

 わたしの正弦波宇宙論は哲学(しあわせになるための自分の思考)であり
 あらゆる制限の外にあるものです。
 正弦波宇宙論は 宇宙とはなぜ 美しく 統一性があり 摂理を持ち
 あたかも誰かが知恵の限りをつくして創造したが如くに完璧なのか?
 その問に対する 現在の科学の持つ知識の範疇でたどりつく 最もまちがわない
 わたしなりの回答なのです。
 「そうか はじまりがひとつのものなら 美しいにきまっている。」
 宇宙物理学もその「ひとつ」を探しているようなものです。
 哲学なら考え方として「正弦波宇宙論」を扱えるのです。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/04/11 08:10

人間もまた統一された正弦波で出来ているのだから、正弦波や統一した規則性を持つものに対して美しいと感じるということかなぁ。

同義反復(笑)
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この回答へのお礼

●人間の全てが 正弦波でなりたっているわけですから
 こころも正弦波から派生しているわけです。
 そのこころで はたしてこの宇宙に無いものを想像できるでしょうか?
 美しいと感じることは 共鳴現象だとも捉えることもできると思います。
 ほかに 音楽でいうところの倍音 三度 五度 属七などの和音のような
 関係であることも考えられます。ほかにもいろいろあると思います。

 ご回答ありがとうございます。
 

お礼日時:2002/04/11 12:13

>そのこころで はたしてこの宇宙に無いものを想像できるでしょうか?


出来るとは思いますよ。宇宙人とか想像してますし。もし存在しないものを想像出来ないとしたら、想像しているものは全て存在しているという観念論になるはずです。

あと、「美しさ」や「美しいと感じること」についてもう少しchihokoさんの考えを教えて下さい。

この回答への補足

>もし存在しないものを想像出来ないとしたら、
 想像しているものは全て存在しているという観念論になるはずです。

 ●想像というかたちで 宇宙に存在しているじゃないですか。
 想像物は 想像という脳の機能の結果で それは確実に存在しています。
 また もし存在しないものを想像出来ないとしたら、想像しているものは
 全て存在していると考えるのは「短絡」というものです。
 正しくは 宇宙に無いものは想像できないということは 想像は宇宙にあるもの
 をつかって脳が処理した結果であり 想像は想像でしかないということなのです。

補足日時:2002/04/12 00:45
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この回答へのお礼

●宇宙人は 宇宙の中のものですよ。(爆)
 たとえホーキング博士でも この宇宙にないものは想像できないなずです。
 この わたしの思考実験ですら できないのですから・・・。

「美しさ」や「美しいと感じること」について・・・
●「美しい」ということは こころの「美」に届く脳内情報の情報源に
 与えられた形容です。こころの「美」は経験により変化するもので
 ひとによってちがいます。しかし「美しいと感じること」を
 複数で共有できるのもまた事実です。つまり美は人間の本質にかかわる
 いくつかの部分を内包している可能性があると 推察するわけです。
 さて こころの美とは なんでしょう?
 それは 生存競争において培われた 共鳴による種の団結のメカニズムだと
 推測します。しかもアクティブであること 変化対応できる美がいちばん
 生存率が高く 共鳴により団結力も高まるはずです。
 いっぽうでは 敵をつくり またいっぽうでは その敵も仲間だと意識させ
 全体として多様性をたもてるように 美 ははたらいています。
 それも これも 根源が正弦波というみな同じもので成り立っているからできる
 芸当なのでしょう。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/04/11 23:14

ぐぐ、わかったようなわからんような(笑。


正弦波の世界なら、正弦波が、世界からはみ出してしまうって事はない?なんらかで。正弦波でなくなってしまうって事。
ただ、美しさに理由が要るのかという疑問が、俺にはあるな。
正弦波宇宙論に関しては、いいんじゃない?

 世界の基本として、理由は事実だからな、別に理由を取り沙汰する必要はねぇと思うぜ?何故なんだー!?ってゆう衝動はわかるが、何故なんだを何故なんだしてみてはどうかな。
何故なんだ思考以外にも、思考法はあるから。
俺にはこれくらいの事しか言えんわ(笑。
あと、俺は宇宙が完璧だとは思わないな。
べつに、完璧じゃなくてもいいって思うぜ?
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この回答へのお礼

●正弦波でなくなるものは なにかありますか?
 もしあったら 正弦波理論はボツです。
 すべてのものが正弦波に帰着すると考えて 帰着しないものがないから
 正弦波理論なわけです。

 正弦波理論において 宇宙は完璧です。
 なんの矛盾も不平等もウソもありません。
 これ以上の完璧をもし問われたら 無しか思い当たりません。

 ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2002/04/11 23:22

科学的な観点で、再コメントします。



>正弦波宇宙論は 宇宙とはなぜ 美しく統一性があり摂理を持ち
>あたかも誰かが知恵の限りをつくして創造したが如くに完璧なのか?
>その問に対する 現在の科学の持つ知識の範疇でたどり
>つく最もまちがわない わたしなりの回答なのです。

「現在の科学の持つ知識の範疇で」という言葉がある以上、
科学的な根拠がある程度必要ではないでしょうか。

具体的には、以下の内容です。
1)物質が波であるとしたら、何かが振動して波が生じて
  いると思いますが、その波の元は何でしょうか。
2)「ビッグバンにおける波の周波数の高さにも限界が
  あった」とする根拠は?
  超ひも理論の立場では、ひもの振動数に限界はないと  考えていますが。
3)ビッグバン以前の宇宙について、「宇宙ははじめ
  マグネチックフィールドのゆるい正弦波のただよう
  真空だった」
  と考える根拠は?

「科学を離れて、哲学的にそういう宇宙観を考えている」
のならば別ですが、科学的な要素を考慮するならば、ある
程度は科学の観点での説明も必要でしょう。
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この回答へのお礼

1)波の元は磁界です。磁界とは磁気が空間にあることです。
 では 磁気とはなんでしょう?
 「均一ではない」ことと解釈しています。
 つまり正弦波とは無でないもっとも無に近いもの
 言い換えると 均一でないもっとも均一に近いものなのです。
 これ以上説明できるわけが ありません 「もっとも」なのですから。
2)限界がないのであれば 無限にバラバラ 現実の宇宙は ちゃんと規則を
 もっています。限界がひとつ以上あります。たぶん陽子と中性子の分
 限界は二つあるでしょう。
3)根拠は簡単 これ以上に無に近い要素を定義できないことです。

正弦波宇宙論は科学ではありません。
公理も実証も飛び越えて わたしが感じる宇宙を考察して推察しているだけです。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2002/04/11 23:43

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