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ヒトの顔や身体、風景、建築、絵画etc
これらを見て美しいと感じたり醜いと感じる
差異はどこにあるのでしょうか?
こういったジャンルについての著書も出ているようですが・・
どなたか自分の思考のヒントになるような著書を教えてください

A 回答 (16件中1~10件)

美とは、神の愛です。



美しいものには神の愛が存在します。

また、心に神の愛が存在する人は、すべてが美しく見えます。
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この回答へのお礼

真理なのかもしれませんが
抽象的で自分にはまだ理解できません。
神の愛とは何を指しているのでしょうか?

お礼日時:2006/11/13 18:11

整然としている、配列が正しい、などがあげられるかもしれません。


構成の美しさと色彩の美しさがあげられると思います。構成のほうは整然としている形象のほうで、色彩のほうは感覚的に親しみがある、馴染んだ感じがある、という感覚でしょうか。
色彩に関しては、生育時の環境や幼少期の影響があるかもしれません。
両方とも生まれつき鋭いか、鈍いか、ある程度決まっています。あとは、人生美しいものを見たり、経験することによって、さらに磨かれるのでしょうか。
美しいお母さんに育てられたお子さんは、大概、美術の成績がよく、センスも良いです。環境的なものと遺伝的なものによって、美的感覚は磨かれるのだと思います。
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この回答へのお礼

>整然としている、配列が正しい
たしかにそれもひとつの要素ですね。
でも、一見整然としてないゴチャゴチャしているものや、
意図的にそこに美を感じる事がある
これはどういうことなんだろうと思います

この場合の美しいお母さん というのは単に顔の美醜のことでしょうか?

お礼日時:2006/11/13 18:13

各個人の遺伝子の中に何かあるのではないでしょうか。


美に対する感覚は大なり小なり皆違いがあるものだと思います。
例えばフォルクスワーゲンのビートルという車は私はとても不恰好に思うのですが、人によっては美しいデザインと言います。
角ばったもの、直線的なものを好む人もいれば、丸いもの、曲線的なものを好む人もいるという事ですよね。
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この回答へのお礼

確かにそうですね・・・。
車は詳しくありませんが、好みのフォルム
というのは人によって違うと思います
でも美の判断には人種を超えてある程度
共通する何かがあるとも思います

お礼日時:2006/11/13 18:14

参考図書の紹介でなくて、申し訳ないのですが……


#1さんがお書きになった

> 心に神の愛が存在する人は、すべてが美しく見えます。

という言葉で、思い出したことを書かせていただきます。
内田善美さんのマンガ『星の時計のLiddell』の登場人物の一人が、
こんなことを言っています。

 人は美しいものに心動かされる
 でもそれは心動かされた人の中に美しさが内在しているからこそ
 美(エネルギー)は美となり得るわけで
 自分の中に対応する“それ”の準備のない者には
 何の美しさ(インパクト)も生じない

私の好きなフレーズの一つです。
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この回答へのお礼

美を受け取るにも資格がある、という事でしょうか。
美しいと感じる心こそが美しい、みたいな感じでしょうか?
ありがとうございました

お礼日時:2006/11/13 18:15

【狂信や独断は、それが宗教の姿をとるにせよイデオロギーの姿をとるにせよ、いつの時代でも人類の文化を脅かす魔物であるが、ギリシャ人はそのバランス感覚によりこの魔物と戦い、これを打ち倒す道を歩き始めたように思われる。



この点をまずいくつかの重要なギリシャ語の含蓄から考えてみよう。
例えば<kalos>という言葉がある。 これは普通[美しい]と訳される形容詞であるが。[美しい][美しい体]のように身体的な美を表すこともあれば、勇敢な行為や節制の徳に適用され倫理的名美を表すこともあり、さらには[美しい軍隊]といえば[優秀な軍隊]を、[美しい風]といえば[順風]を、[美しい港]とは[良港]を意味するという具合である。

つまり、ギリシャ人にとっては、これらのさまざまな異なったカテゴリーに属する事柄は、[kalos]という一つの性質を共有しているのである。
なにごとについてであれ、賛嘆に値する事柄に出合ったときギリシャ人の発する言葉が[kalon]であった。】

【[Arete]という言葉は、ギリシャ人のこの全体的な平衡感覚をもっとも典型的に表す言葉の一つであろう。
この言葉は普通[徳]と訳され、もっぱら倫理的な意味でのみ理解されているが、本来は、あらゆる領域における[優秀性]を意味している。

馬のアテレーは 速く走ること。

弓のアテレーは屋を遠くに飛ばすこと。

人間のアテレーは、 身体的な力、敏捷さ、健康、美、精神的な力、理解力、記憶力、思考力、それらには勇気、節制、正義、知恵 など倫理的な諸徳 全てを指している。】


ギリシャ神話に登場ですね。



英語ではおいしいことを ビューティフル と言う。
日本人の感覚では「なぜ?」なのですが、とにかく感嘆しながら「ビューティフル」と食事の感想を述べる。


>これらを見て美しいと感じたり醜いと感じる
>差異はどこにあるのでしょうか?

感嘆するか落胆するかの違いではないでしょうか。

例えば今まで無秩序に見えたていたものに、ある一定の法則がありそれにより全てが成り立っていてると発見したとき、「ビューティフル」と言いたくなります。

絵画など私にとっては「わからん」なのですが、美術館の人に絵を説明してもらい 見方を指導してもらってそこからもう一度絵を見ると、、、「おおおおお! ビューティフル」なのです。

この場合のビューティフル は「わかった! やられた! なるほど!」って感嘆のビューティフルです。
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この回答へのお礼

美=理解ですか。私の場合美しいものは
一目見て美しいと思うので
説明されて見方が変わるというのはよくわかりません・・・
経験によって美を発見できるということはありますが
その場の知識でわかる、というのは当てはまらない気がします。

お礼日時:2006/11/13 18:18

No.5です。



>美=理解ですか。

いえ、 感動みたいなものです。

落胆ではなく、普通だと無反応でもなく、そこそこでもなく

「すばらしい」と心がどよめく、魅了される、それが美。

食事もすごうまだと 美。

 
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NO.1です。



誤解を恐れず、分かりやすく,噛み砕いて言えば・・・

美とは、幸福感に溢れる気分にしてくれるもの、天国に導かれたような気分にしてくれるもののことです。

美しい音楽などはまさに天国から聞こえてくるようです。
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人間讃美。

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「美」とは、つまり「感情」だと私は思います。


そして、この「感情」は様々な要因によって規定されます。

西洋絵画史なんかで、時代順に有名な絵を並べて比べてみたら分かりやすいかと思います。
婦人画や聖母子像を見比べるとさらに分かりやすいかもしれません。
中世の絵は、必ず服を着ています。
これは、裸体は汚らわしいと思われていたからです。
しかし、ルネッサンス以降は裸婦画が流行り始めます。
また、古代ローマ時代は写実的な彫像が多く作られました。
これは、「美」がその時代性により「規定」されていたからだと思います。

そして、「美しい」とは人間の内から出てくるモノです。
だから、(1)という絵画を見て、Aさんは「美しい」と思ってもBさんは「醜い」と思います。
これは、Aさんの内からは「美」という「感情」が溢れてくるのにBさんにはそれが無いのです。

つまり、「時代」という外的要因と、個々人の「性格」という内的要因で「美」や「醜」は決まるのではないでしょうか?
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すいません、重要な答えを書き忘れてました。



>どなたか自分の思考のヒントになるような著書を教えてください

まだ、私も読んだ事ないのですが、
この命題について読んでみたい一冊を紹介しておきます。


美と感情の原理―その弁証法的解明
河村 正一 (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4434050990/sr …
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