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テレビのレポーターが、「家業を継ぐ」の家業の発音を「画廊」と同じ発音で言っていました。
最近では本当にこのような「平坦読み」や「尻上り読み」が増え、とても耳障りなんですが、皆さんは気になりませんか?
B`Zやザード がでてきた頃から、こんな情緒の無い読み方が増えているように思います。
平坦読みを連呼する人は とても頭が悪く軽薄にさえ見えます。それでも得意げに連呼するんです、特に国文太一が。(そしてこの人は すげぇと やばいしか言葉を知りません。日本の30代はこの程度です。)
日本語には発音が同じでも、イントネーションで意味の違う言葉がたくさんあります。それを全て平坦読みにされたら、いつか日本の美しい言葉が無くなってしまう事はないでしょうか。

最近はテレビやラジオを聞いていると この事ばかり気になって腹がたってきます。こんな事が気になるのは私だけですか?
皆さんのご意見伺いたいです。

A 回答 (14件中1~10件)

この程度の30代です(笑)。

私も気になってます。

地域的な「訛り」ならともかく、少なくとも放送に出てくるアナウンサーやタレントには標準的なしゃべり方をしてほしいものです。
でも芸能界や放送界は、その場のノリやいかにウケるかが大事なのであって、「正しい」かどうかは関係ないんですよね。問題意識すら持っていないと思います。

個人的に特に気になるのは、音楽業界人のアクセントです。「ギター」「メジャー」などアクセントがほとんどないことが多い気がします。また、一般人でも特に若者の「カレシ」「カノジョ」などの言い方も耳につきます。

ご指摘のように「すげー」「やばい」も腹立たしいですが、私はこのほか、「こちらをみてください」も気になります(ゲストや視聴者に言っているのだから「こちらをご覧ください」やろ!)

例を挙げたらキリがないですが、最も腹が立つのは、こうした実態に腹を立てながらも、時々自分もうつってしまうことです(笑)。気をつけねば。
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この回答へのお礼

同じような感覚の方がいらして嬉しいです。
ギター、メジャー、カレシ、カノジョ、全く同感です。
通ぶってあえて平坦にしているのでしょうが、素人感が増すだけですよね!「こちらをご覧ください」は、気づきませんでした!
例をあげたら本当にキリがありませんが、結局はテレビ局側の人間に
知性のあるものが少ない事の実証なんでしょうか。
ありがとうございました!

お礼日時:2007/01/12 16:11

No.2です。

だいぶ歩が悪くなってきたようですね(笑)。
まあご質問文がストレートすぎるので誤解されているような気がしますが、私が思うに、一般の方はいいと思うんですよね。一般の方は。
ただ、プロというか特に放送に携わる方の場合、ただ「通じればよい」という意識ではいかがなものか、と思うのです。

もちろん言葉は時代によって変化するのはわかります。しかし、それは一般の方の場合であって、プロはあくまで言葉に保守的であるべきだと思います。
一般の方の多くのしゃべり方が明らかに変化してきた時点で放送側も許容する、というくらいでよいのではないか、放送側が率先して言葉を「作っていく」必要はないのではないかと思うのです。

極論・暴論であることは承知していますが、私は(方言、なまりも含めて)現在一番正しい日本語は、NHKアナでも誰でもなく、年寄りがしゃべっているものだと思っています。
そういうことにしないと、年を重ねるにつれて日本語が分からなくなっていく、という事態になりかねません。
言葉の変化も安易に迎合するのではなく、あくまで「正しくはないが」という意識のもとで、使うなら使い、長い時間をかけて「間違い」が「一般化」され、やがて「正しい」とか「美しい」とか「味がある」というレベルになるべきだと思います。
現代は放送の発展で変化が早すぎるため、こうした議論になってしまうのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

何度もご回答をありがとうございます。
>>だいぶ歩が悪くなってきたようですね。
いえいえ それでいいんです、いろんな意見があるのは当然ですから。
それは気にはならないです。
私の一番言いたかった事が、gootaronさんの今回のご意見に近いです。
>>>放送側が率先して言葉を「作っていく」必要はないのではないかと思うのです
これ!なんです。納豆事件じゃないですが、放送媒体の影響はとてつもなく大きいものです。そして見ている側は容易に信じてしまいます。
情報であれ、言葉であれ、やろうと思えば操作することは簡単にできてしまいます。そういう中での言葉の読み替えられや、発音の変化を危惧しているのです。
同じように思っていらっしゃる方がいる事がわかり、嬉しく思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/01/26 13:01

質問の前提もおかしいと思いますけど(^^)


言葉は意味が通じることが大切で発音はコミュニケーションの一手段です。身振りもあれば表情もあるので意味がわかればとやかく言わないのが教養人です。マイフェアレディという映画では語学の達人の教授がおば様から「天気と健康のことは言ってもいい」(他はいうな)と教育されます。知識ひけらかす振る舞いしていたからです。

旧来のラジオやテレビの発音が気にならなかったということは放送局近辺で話されている言葉を「標準語」といい始めたNHK的発想に毒されています。明治期に東京に政府置いて全国に指示出したとき「文書では意味通じる」が話せば意味取れなかったでしょう。津軽弁と薩摩弁では会話にならない。
共通語は必要だったがそれを標準語といったあたりがおかしい。東京弁で行くなら「ちゃん」「おっかあ」でないと(^^)
「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」を発音わけ、聞き分けできないのが標準語です。学校教育と国鉄の駅名ローマ字表記と郵便局の地名ローマ字表記推奨形式が拍車かけた。

とある家柄の人は(もうおだやかでいいおじいさんおばあさんになりましたが)「おたあさま」「おもうさま」っていわれていたのかな?
神奈川県では大学出たての教師と都会(東京)から移住した連中がPTAの主導権取るために「方言追放運動」したことあります。表彰状や石碑残っていて親と同じ言葉使う子供は罰受けた。名目は(就職や進学で)都会に行くといじめられたり差別受けるだが、そういう連中が地元農民猟師の言葉を差別したわけです。教委も後押ししたが教師にはまともな人もいたので隣りの小学校は方言で教育していたけど。禁止された「いいじゃん」「そうじゃん」は都会の学生言葉(湘南語輸入、慶応大学など分校あった)から全国に広がったのでこれだけで意味通じないことは少ない(人前で話すとおばかに聞こえるのはご愛嬌です)

いまの若者の言葉は、、って言い方は明治期にもあったようです。
坊ちゃんという小説は都会人気取りの若者が地方に行き思い通りに行かず逃げ帰る話しですが、教育受けていることはそれだけで「俺が標準だから俺に合わせ」という時期あった証拠です。その後を想像すればマドンナは結局地元で見染められて主人公が嫌う人と結婚しそうです。(坊ちゃんが敵視する教師の一人の可能性高い) 地に足の付いた人には重みがある(軍隊で一律に映画や小説読ませたことは言語の統一には有効、副作用も多かったが)。
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この回答へのお礼

少し難しい文章でした。
読み返し意味を理解しようと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/01/21 12:27

あなたの言葉に、腹が立ってきますね。


>とても頭が悪く軽薄にさえ見えます
まったく、あなたはおいくつですか?
>最近の日本語の発音
どんなことであっても時間が経過と共に変化があるのが当然だと思います。それと他人の発音だけで、そんなに見下さなくちゃいけない理由がわかりません。最近じゃ、よっぽど頭が固くないかぎり国語の教師でもそんなこといいませんよ。
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この回答へのお礼

短絡的なご意見ありがとうございました。
私の感情的な言い方にも問題がありましたが、
物事のすべてを時間と経過のせいにするのは簡単でもっともらしいですが、それだけで済ませていいのでしょうか。
あなたのように私に異論のある方も当然いらっしゃるでしょう、いろんな意見があるのは当然のことです。
>>よっぽど頭が固くないかぎり国語の教師でもそんなこといいませんよ
それは残念ですね。まともな国語教師の方達なら、もっと日本語を大事に考えていると思っていました。

お礼日時:2007/01/21 12:24

すべて東京語を基準としたものの言い方ですな。


京都と江戸の言葉が混じり合った東京語。
それを「=日本語」のような錯覚に今あるのです。
そこへ、関東や東北出身者が上ってきたので、訛化が進みました。
平坦読みや尻上がり読みの発音は、下野、常陸、磐城、岩代あたりの方言です。
無アクセント、という分類です。

まあ、今の日本語も、ちょっと昔の人から言わせてみれば、
なんとまあ崩れた言い方をしているのかと思うはずです。
そうして、千年も二千年も日本語は変化し、進化してきたのです。
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この回答へのお礼

>>すべて東京語を基準としたものの言い方ですな
そうですか、そういうつもりはありませんでしたが。

訛りについて意見はしていません。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/01/21 12:10

最近、テレビでよく耳にする「熊」のイントネーションが


気になっていたので、とても興味深くこのスレッドを
読ませていただきました。

NHKのアナウンサーやリポーターでさえも、
言葉に対する意識が低い・注意力が無い方が少なからず
おられるように感じます。

言葉は、時間(時代)や地域によって姿が変わっていくものなので
難しいですね。
そういった差異が受け容れられないということであれば、
では、絶対的な「正しい日本語」「美しい日本語」というものを
どこに求めるのかということになります。(平安言葉?)

本音を言うと、私も気に入らない言葉や表現やイントネーションが
いろいろあります。
例えば、サッカー中継を見ていると、"home & away"の"away"を
“アウウェイ”と言っていたり(“アウェイ”でいいでしょ?)、
“期待したいです”という表現も気持ち悪いです
(“期待しています”でいいでしょ?)。

あまりヒステリックにならず、もう少しおおらかに、
文句を言い続けましょう(^^)。

※国“文”太一ではなく、国“分”太一です。念のため。
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この回答へのお礼

※国“文”太一ではなく、国“分”太一です。念のため。
訂正ありがとうございます、気づいていませんでした(恥)
興味を持って読んでくださり嬉しく思います。

平板化現象にとどまらず、最近の日本語の乱れようは本当にひどいと思います。(昔から言われ継がれている事ではありますが)
民放各社で大勢力の芸無し芸人バラエティ番組を見ると、「すげぇ、超すげぇ、マジやばい、マジ超すげぇやべぇ」しか聞こえてきません。
本当にビックリです。
日本人のボキャブラリーはどんどん衰退していき、発音もより平板化が進み……。大げさですが、言葉とともに心も失っていくような気がして恐ろしいです。

お礼日時:2007/01/19 10:43

地名のアクセントは、時代によって変る(概ね平板化する)ことがあるようです。

が、それ以上に地元固有の発音がアナウンサーの苦労の種のようです。全国放送のニュースなどは最大公約数的な共通語の発音になるのはやむをえないと思います。地元の人にとってはムカつくことはあるでしょうが。
ローカル局のアナウンサーでも、ローカルのバラエティ番組は別として、ニュースなどでは共通語の発音が原則です。NHK大阪放送局が、ラジオで1日中大阪弁で放送するというのを何度かやったと聞きますが、ほとんど例外的でしょう。

鉄道の構内放送や車内放送の場合。
山手線渋谷駅で、頭高型の「【し】ぶやー、【し】ぶやー」というアナウンスを聞くことがあります。人名の渋谷は頭高型、地名の渋谷は平板型が標準なので、ちょっと違和感があります。
また、兵庫県の姫路を頭高型の「【ひ】めじ」と発音するケースがしばしばあって、これもよく問題にされます。地元では平板型の「ひめじ」が標準です。

人名の場合。
これも、地域によってイントネーションが違う場合があります。
たとえば西日本に多い「田中」は、関西では中高の「た【な】か」ですが、共通語では平板アクセントです。関西のローカルニュースで「た【な】か」と呼んだり、全国ニュースで関西出身の田中さんだけを「た【な】か」と呼び分けることはありません。これもやむをえないことだと思います。
全国各地の地元アクセントを忠実に発音できたとしても、他の地域の人には聞き取りにくかったり違和感を与えたりすることでしょう。
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この回答へのお礼

再度のご回答をありがとうございました。

お礼日時:2007/01/19 10:26

資料として、フジテレビの堺正幸アナウンサーの話し方比較。


公式での話し方(通常のアナウンス、最新java対応):http://www.fujitv.co.jp/ana/profile/profile.html?2
新幹線などでのアナウンス:http://www22.tok2.com/home2/STRgroup/RSC_SHINKAN …
この中の「つばさ」「あさま」の「mp3」を再生してみてください。

比較として、中野アナウンサー:http://www.fujitv.co.jp/ana/profile/profile.html …
このリンクはどちらとも「サンプル」を再生してください。
あと、http://voice.pentax.co.jp/pentaxtts/ttsdemoplay. …(音声ソリューション(一度、英語で文をうち、再生してから好きな日本語を入れるとわかるかと。))でも比較してみてください。
http://akita-road.thr.mlit.go.jp/r-46navi/web/dr …
「橋場局」「刺巻局」の・)))記号をクリックして、再生すると、正しい日本語が出るかも?

あと、地名でたまに引っかかる(イラッ!)ときがあります。特に地元にいると、地元の発音と県外からアナウンス学校を経由してきた人との発音に最初は疑問感を持ちます。 しかし、担当者(たぶん、反省会とか開いて)がきちんと修正して、何日か後にはきちんとした発音に戻っているときがあります。
過去質問:http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2527393.html?check_o …
(その中の私の答え、「おが」の発音についてごらんください。)
昭和20年以前は、こんな学校もありました。
http://nishinaruse.sakuraweb.com/kotoba/hojo01.h …
こんな資料もあります。
http://nishinaruse.sakuraweb.com/chosa/hatsuon.h …
あ、私の地元なんてパーソナリティが思いっきり地元ことばで(しかもコミュニティFM)話してましたよ。w
聞きやすい周波数というものは必ず、存在します。
アナウンサーは何にでも、対応できる言葉の体制を作っておかなければならないと感じています。 「モー娘。」とかはそうでしょうね。
http://www.akitafan.com/akitaben/index.htmlの締めとして、
「け」(http://www.akitafan.com/akitaben/chobun.html#ka)を再生してみてください。 多分、あなたの悩みが少し解決するかも?
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この回答へのお礼

たくさんの情報をありがとうございました。
北海道の生まれですが、北海道の地名を全国区アナがイラつく発音を
しています。
例=「夕張」は道産子人は「ムーミン」と同じイントネーションで言います。
「富良野」もサザエさんの「磯野」と同じイントネーションです。
しかし 「知ったか在京アナ達」は どちらも平板読み。
耳障りの悪い事この上なしです。 地域の文化をバカにしているとしか思えませんね。

お礼日時:2007/01/15 12:42

このような流れを私は消費エネルギーの節約と思っています。

アクセントに高低をつけるということは声帯の引き締めなどの筋力を使います。すなわちエネルギーを消費します。現代人は固いものを食べなくなったためか発声に使うエネルギーを極力、無意識のうちに減らそうとします。他にも、例えば、を(wo)、は(wa)、の発音は口をすぼめるという現代人にとって大変しんどい発音なので、絶滅しかけています。「本をよむ」「映画はすき」というのがしんどいので「本でもよむ」「映画とか好き」となります。「とか弁」は、あいまいな表現が好まれるという側面だけでなく筋力やエネルギーの節約という意味も持っています。
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この回答へのお礼

あぁ。そういう観点もありますね。別の方のお礼欄にも書きましたが、
今の10~20代の方って 喋る時に口を大きく開きませんよね。
(高校野球選手のインタビューを聞いていて感じました)
口元だけで喋るので、何言ってんだか聞き取れないです。。
こういった平板読みは、大げさに言うと 人間の退化現象なんでしょうか。。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/01/15 12:28

アクセントの「平板化」は最近に始まったことではなく、古くから見られる傾向です。


たとえば「電話」や「電車」は、もともとは語頭を高く発音する頭高アクセントでしたが、現在は平板アクセントのほうが一般的になっています。東京メトロの車内アナウンス(女声)の「この電車は」などは全く抑揚のないフラットな発音です。「ピアノ」「ライオン」「アルバム」などは、もとの(原語の)アクセントは起伏がありますが、現在の外来語としては平板アクセントが標準的になっています。

使用頻度の高い言葉や、慣れ親しんだ言葉ほど、平板化しやすいといわれます。
たとえばコンピュータ業界内では「データ」「ファイル」「アドレス」などは全て平板アクセントです。スポーツ関係では「ボール」「ドライバー」「サーファー」「トレーナー」…、芸能界やテレビ業界では「ドラマ」「マネージャー」「モデル」…、きりがありません。
特定の集団内や業界内で使用頻度の高い語や専門用語が平板化することを、社会言語学の専門家である井上史雄・明海大学教授は「専門家アクセント」と呼んでいます。

最近は特に若者の間で使われる言葉の平板化が顕著です。テレビ番組では、芸能人が平板化したギョーカイ用語を頻繁に使用しています。それをかっこいいと感じた若者が真似ることで、従来にない勢いで急速に広まっているのだと思います。

また、同じ言葉でもアクセントを変えることよって特別な意味を与えたり意味を限定することがあります。
たとえば、旧来の頭高型の「【か】れし」は単なる三人称、平板型の「カレシ」は恋人の意味。頭高型の「【ク】ラブ」はオヤジの通う店、平板型の「クラブ」は若者の通う店。中高の「ト【レー】ナー」は訓練の指導者、平板型の「トレーナー」は衣服の一種。頭高形の「【パ】ンツ」はオヤジの下着、平板型の「パンツ」は若者のズボン。頭高型の「【ネ】ット」は普通の網、平板型の「ネット」は「the Internet」の略…等々。この類も挙げればきりがありません。
いずれも、アクセントの違う常葉を使い分けることが、仲間内と他との峻別や集団への帰属意識の確認になっているという見方もあります。

もとのアクセントを守っている人たちにとっては、理解に苦しんだり腹が立つことも多いでしょうが、アクセントの平板化は今後もさらに増えていくことは避けられないと思います。

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「熊」のアクセントについて。

もともとは「隈」と同じく2音目が高い「く【ま】」でした。現在は頭高型の「【く】ま」が全国的に広まり、そのほうがむしろ標準的になっている感があります。『NHK日本語発音アクセント辞典」でも、最新版は頭高型になっているそうです(現物は未確認)。
アクセント表示のある『新明解国語辞典』は、初版(1972年発行)から第3版(1981年)までは「く【ま】」ですが、第4版(1989年)から最新の第6版(2005年)までは、「く【ま】」と「【く】ま」を併記しています。

ついでに、宇多田ヒカルの『ぼくはくま』は、頭高型で「♪ぼくはくま くま くま くま~」と繰り返しています。昨年10月・11月のNHK『みんなのうた』で放送されて話題になった曲です。子どもたちにとっては馴染み深いぬいぐるみの「【く】まさん」と同じアクセントですから、何も違和感はないことでしょう。

宇多田ヒカルの公式サイトで企画した「がっしょうコンテスト!」の「さくひんてんじしつ」に、幼児から大人まで多数の作品(音声や動画)が掲載されています。ご存じない方は一度聴いてみてください。
http://www.toshiba-emi.co.jp/hikki/kuma/song/ind …
本人のCDの試聴版(2月2日までの限定)と歌詞は下記。
試聴 http://www.barks.jp/listen/?id=1000016470
歌詞 http://music.yahoo.co.jp/shop/p/53/193854/Y037161
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この回答へのお礼

お忙しい中、長文にて解りやすいご回答をありがとうございます。
なるほどと、読ませていただきました。

>>アクセントの違う常葉を使い分けることが、仲間内と他との峻別や集団への帰属意識の確認になっているという見方もあります。
これは言えてるとおもいますね。こういうのが見え見えで下品に聞こえるのかもしれません。
お返事が遅くなりまして失礼いたしました。

お礼日時:2007/01/15 12:19

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