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 いつも論文や専門書を読むたびに思うのですが、今でこそコンピュータが発
達して、複雑な数式や有機化学の構造式、グラフに実測値を正確にプロットし、
それを最小二乗法で近似したなめらかな曲線を描いたりすることが個人レベル
でも自在にでき、デジタルデータとしてそれらを受け渡しするのも容易にでき
ると思いますが、そういうことができるようになったのも、ここ10~20年
のことではないかと思います。

 コンピュータが個人レベルで使えなかった時代に、論文や専門書を執筆する
上で、著者らが上のような数式、構造式、グラフなどを正確に書くには、どの
ような方法を用いていたのでしょうか。手書きのものを印刷業者に渡して、印
刷業者の方ですべて処理してくれていたのでしょうか。
(グラフの場合は、正確に書かないと内容に影響すると思います)

 大学の博士課程でみっちりと論文を書くトレーニングを積まれたような方な
らご存知ではないかと思いますが、この素朴な疑問について、どなたかご教示
をお願いします。

A 回答 (4件)

○▲□などのマークが付いたシートを売っていて、上から擦って紙に転写していました。

それを原稿にしてスライドにしたり、学会に送りました。写真も自分で取ったりDPEしたりしたものです。曲線は曲線用の雲形定規があります。25年前だと大型コンピューターのソフトでグラフが掛けました。SAS-GRAGHですね。20年前にはMSのソフトでグラフが書けました。
その前には硝子細工をする職人が学内に居たりしたものです。写真屋さんも居ましたよ。泳動装置を手作りしたり。当時は手先の器用さが要求されていました。

この回答への補足

 ご回答ありがとうございました。
 写真を撮るというのは、今のコピー機の役割ということでしょうか。また、
雲形定規についても素朴な質問があり、線を引く人の引き方に依存するのでは
ないか、というものです。例えば、今のエクセル(表計算ソフトの)のグラフ
描画機能を使えば、一意に近似曲線が引けますが(これも、使ったソフトに依
存する、と言えばそれまでですが)。基本的に、データの作成・受け渡し・保
存方法すべてがアナログ的だったと思いますので、大変な手間だったと思いま
す。

補足日時:2007/02/02 18:24
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2002年か2003年にpublishされた私の論文は


年代物のHPLCを使いましたので、チャート紙にデータが
あります。目盛りが打ってあって、横に紙送り用の穴があり、
ペンがY方向に動いてチャートを書いてくれます。
普通はスキャナでとりこんで画像データを加工して見栄えを
よくする。というのが常道ですが、その時は投稿までに
余裕がなかったので、X軸Y軸LegendはPCで作ったものを使用して
チャート本体の作図はトレース紙にロットリングペンを使いました。
2回書き直しましたが、遜色のないものができたと思います。

この回答への補足

 ご回答ありがとうございました。
 いろいろ苦労されたのですね。「X軸Y軸Legend」というのがよく分かりま
せんでしたが、トレース紙にロットリングペン、目に浮かびます。ありがとう
ございました。

補足日時:2007/02/03 18:59
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私の場合、プラ板に英数字形の貫通溝があいているテンプレートでなく、英数字形の溝が彫ってある定規みたいなのを、コンパスのようなロットリングツールの針でなぞると、反対側のコンパスの先にあるペンがトレース紙上で同じ英数字を描くというシロモノでグラフに文字を入れていました。



でも、グラフのプロットは、XYプロッタを使いましたよ。点や曲線を描くためにプロッタというのも、今考えるとゾッとしますが、HPのプロッタはペンが動くのでなく、紙が動くものでした(しかも動きが速い)。最小自乗の計算を8bitパソコンでやって、その近似曲線をプロッタで描画するというのは普通にやっていましたよ(1980年代の話です)。

逆に、論文のグラフ(スキャナで取り込んだ画像)から数値データを読み込むソフトもありました(Data Thiefというふざけた名前 のソフトでした)。デジタルデータが容易に入手できる今日でも、論文の図面はあいかわらず画像ですね。Excelデータ付という論文は出てこないのでしょうかね。

1980年代の頃、欧米では、製図専門のテクニシャンがいると聞いたことがありますが、さすがに今はいないでしょうね。

ロットリングで思い出しましたが、インクが乾くまで次の描画ができないので、ヘアードライヤーで急速乾燥させて描いていました。最小自乗曲線でなく、点データを見やすくするための曲線には「雲形定規」や「自由定規」というのも使いました。自由定規は鉛の短い棒がいくつも入っていて、その周囲を軟質プラスチックで覆ったもので、曲げ方によっていろいろな曲線になる定規です。鉛入りなのでズシリと重いものでした(今どきの人は知らないでしょうが)。

ちなみにロットリングというのは「ロットリング社」が出している製図用ペンの商標だったと思います。

この回答への補足

 ご回答ありがとうございました。
 詳しいお話をありがとうございました。私がもっと知りたいことを申します
と、もっともっと前の、1940年代とか1930年代頃はどうしていたか、というこ
とです。例えば、手元に「バーロー 物理化学 第5版(上)」(東京化学同人、
1990)がありますが、その24ページの図1・8「いろいろな換算温度における、
換算圧力の関数としての圧縮率因子」のグラフ(出典は、Gouq-Jen Su, Ind.
Eng. Chem., 38, 803(1946))などは、どうやって描いて、どうやって出版社
に渡していたか、という疑問があります。歴史の長い学術論文誌は、もっと前
の時代からあったと思います(ノーベル賞が1901年からですから)。その頃の、
例えばファント・ホッフさんやアレニウスさんらは(「さん」付けで呼ぶのも
失礼かもしれませんが)、論文の図をどうやって描いていたのでしょうか。ど
なたかご存知の方がいらっしゃれば、人から聞いた話や本で読んだ話でも構い
ませんので、ご教示頂きたい、と思っています。

補足日時:2007/02/02 23:50
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昔はロットリングに色々なテンプレートを組み合わせて使ってました。


図の中の文字は専用のテンプレートでしたね。
文字のシールを転写するのもありましたが、1文字ずつ転写するなんて、今では考えられないほど面倒でしたね。
有機化学で ChemDraw のソフトが出たときなどは革命的でしたね。それを使うために、多くの有機化学者が Macintosh を買った(当時はWindows版というよりWindowsそのものがなかった)ので、今でも有機化学ではMacを使う人が多いなどの話もありますね。

当時はワープロなんてものもなかったですしね。
・・・懐かしいなあ。

http://tenant.depart.livedoor.com/t/yumetai/item …
http://www.smzkurasawa.com/1tenpu3.htm

この回答への補足

 ご回答ありがとうございました。
 私も学生時代に、少しだけロットリングをしたことがあります。リンク先の
テンプレートの写真を見て、思い出しました。確かに懐かしいですね。私の学
生時代は、ちょうど報告書も手書き→ワープロ専用機→パソコンと移行してい
く時期で、大学一年か二年のときに、報告書を姉が卒論を書くのに買ったワー
プロで書いて提出に行ったら、受け取られた先輩の学生さんが、「ワープロで
書いたのか」と驚かれていたのを思い出しました。手書きが普通だったんです
ね。私は学生のときは無機系でしたので、有機系の同級生が、その先輩がCh
emDrawで構造式を書いたのを見せに来て、衝撃を受けていました。あり
がとうございました。

補足日時:2007/02/02 23:09
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