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初歩的な事だと思うのですが、解からないので教えてください。

最近、どうしても叶えたいことがあり、願掛けをしてお寺を巡っています。
大きな変化は無いものの、徐々によい方向に向かっているように感じます。
(気持ちの持ち様ということもあるのかもしれませんが・・・)
しかし、私の認識というのが、
お寺というのは、お墓があって、仏教で仏様が居て・・・
神社というのは、神道で神様が居て・・・
というように、かなりお粗末なものです。
これでは認識が低いのは解かっているつもりです。
かなり抽象的な質問になってしまうのですが、これらの違い等が解かるようなものはありませんでしょうか?

又、○○稲荷、○○院とは神仏どちらかに属しているものなのでしょうか?

私は20代前半の女ですが、こうして社寺を巡るには、何処へ行っても『若いのに珍しい』と言われます。
もともと、中学の頃より、独特の雰囲気に包まれていて、それが好きで良く行っていたのですが、一般的には本当にそんなに珍しいのですか?

よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

神道と仏教の違いは宗教学的に考えるとキリがないんですよ。


日本の宗教は仏教、道教、儒教、神道が混合して成立っています。
お墓というと仏教的なイメージがしますが、先祖崇拝はむしろ仏教とは
反する行為であり仏教と道教が混ざってできたものです。

宗教の融和というといかにも日本的という印象があるんですが、
別に宗教の混合はどこの地域でもあります。北欧ならケルト神、
中南米やアフリカでも土着の神様とキリストが並んで崇拝されています。
ヒンドゥー教でも初期は自然神だ中心だったのがバラモン教の神様が
中心になってきたり、どんな地域でも土着の神様と精神的な神様が
渾然一体となっています。

と、いうことで民間のレベルで神道と仏教を分けることは難しいんですね。
例えばお稲荷さんは元々はダーキニーというヒンドュー教の神様だったのが
仏教になって荼吉尼天となりました。この荼吉尼天の眷属は白狐であるため
もともとは荼吉尼天という仏様が中心だったのにお稲荷さん=狐の化身となり
何故か鳥居を立てて神道風になってしまいました。

他にも大黒さまがいます。元はシヴァ神が仏教に帰依して大黒天となったため
仏教の神様で日蓮宗では仏壇に祀ってあります。一方で大黒さま単体では
神社で祀られることもあります。八幡さまだって八幡大菩薩という仏教名があるし、
地蔵菩薩も地域によっては神社風の祠に祀ってあります。

明治政府によって神仏分離が命令されるまで大きな神社には神宮寺という寺院が
あるのが一般的で神社に所属しているお坊さんもいました。神社が優先されるため
こういった神宮寺は打ち壊されることが多く職を失った坊さんはそのまま神主さんに
なったりもしました。なんで、神社に寺院は少ないんですが逆に大きな寺院であれば
必ずといっていいほど神社が存在します。

仏教とて地元の人が弘法さまと親しんでいる施設の管理は近所の臨済宗系の寺院だったり
することが多々あります。おいおい、弘法さまは空海だから真言宗じゃねーか、
CMで一休さんらしき子供が仏壇に向かって「ナンマンダー、ナンマンダー」
と唱えている。なんで臨済宗の一休さんが浄土宗系の念仏を唱えているんだよ
とツッコミをいれても一般の人には分らないでしょう。
浄土宗系をパロっているマンガなのに「ホーホケキョー」という日蓮宗系の
「南無妙法蓮華経」という題目を使ってみたり、奈良の大仏に
「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えてみたりと、もう、ごちゃごちゃ。
神道と仏教以上に同じ仏教の異宗派同士の方が
いがみあってるので、本当はこっちの方がデリケートなんだけどね。

京都の古刹を訪れて思うことは、なんといっても「おばちゃん」がうるさい!!
一番礼儀正しいのは外国人で次にお年寄り、ほいで若者という感じ。
廊下はドタドタ、畳の上では「はあ~疲れた」という感じで仏様に足を向けて
一休み、竜安寺の石庭を前に誰それの結婚相手がどうのこうのと、うるさ~い!!
どうも信心という前に道徳観念が欠けているとしか思えん。

ということで、神道と仏教といっても神道のように山岳崇拝の修験道的な仏教も
あれば、仏教なのに神道の神様のようになってしまったものもあります。
深く追求してもキリがないんで、おだやかな信心が必要ということですね。
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神仏習合により明確な区別が出来ないのが残念です。


しかし若いのに社寺巡りをされているのは喜ばしい限りです。
なお一層信心を深め、修養を積まれる事を希望いたします。

参考URL:http://www.jinja.or.jp/,http://www.otera.net/
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 神社(神道)というのは、日本古来の土着宗教で地域の守り神という要素があり、古来地域の権力者は有形、無形の援助を与えてきました。

戦前では、神社関係者は公務員とされ、神社は国費で修復されていました。ところが、現憲法では、国家主義の成立に神社の果たしたことが重視され、一切の公からの援助が禁止され、わずかに、自治会(これにも反対者がいますので強制はできません)、商店街の寄付に頼っています。不況や過度な個人主義のため、荒れるに任されているというのが現状です。
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私は50代の男性ですが、


高校生の頃から当時、地理的に近いこともあって
京都や奈良の古寺をめぐったものです。

特に、深い信仰があったわけではなく、歴史的な興味と、
境内に入ると、引き締まった感じが得られたことや、
信仰しなくとも、頭を垂れ、手を合わすと心が落ち着いたものでした。

40代からは、現住の中部地方を中心に、全国の歴史ある神社を巡っています。
時折、若い人がまじめに参拝されている姿を見ますが、けっして変な感じは
していません。むしろ好意的に感じています。

さて、神社と寺院の区別ですが、歴史的にも信仰的にもそんなに気にすることはないと思います。
もちろん、深い信仰の場合や、研究のためとかでは別の話でしょうが。
わずか120年程前に、時の明治政府が無理やり区別してしまったわけで、
その前の数百年は、実におおらかに信仰していました。
神も仏も同じ境内・同じ建物の中にある場合が一般的でした。

私は、そのような日本人のおおらかさが、良いところでもあると思います。
キリスト教をはじめとして、他の宗教も比較的容易に受け入れていますよね。

まずは、自分の心が落ち着けたり、精神が集中したり、
活力が湧いてきたりすることが肝心なことであると思います。
そのあとで、信仰や歴史や成り立ちに興味があれば、
ご自分で勉強されれば良いと思いますし、
お坊様や神主様など、神仏にお使いする方のお話を聞いたり、
本を読んだりすることも良いかもしれません。

答えに直接なっていないと思いますが、ご参考になれば

神社巡りの参考に以下のサイトを参照させていただいています。
リンク先にも興味あるサイトがあるので、見てください。

参考URL:http://www.kamnavi.net/
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僕もよく行きます。


じいちゃん ばあちゃんの中で非常に目立ちます。
しかも童顔なので余計に
そんな環境で若い子に会えたら、それはまた格別な喜びです。

僕のすんでいる地域は88カ所巡りっていうのがあって、夏休みになると若い子達もこれに挑戦する子多いですよ。友人の中には88カ所めぐりに行くと言って出かけてただ県外のメル友に会いにいっただけのヤツもいましたけど。

で、質問ですが 稲荷→稲荷神社、稲荷大社という名称なので基本的には神社でしょう。 院→お寺でしょう。でも参考URLみたいな例もありましたのでいちがいには言えないっていうトコロでしょうか?

http://cert.shinshu-u.ac.jp/cl/museum/93e1805h.htm

参考URL:http://cert.shinshu-u.ac.jp/cl/museum/93e1805h.htm
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