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●この一瞬に 世界では何人の女性達が快楽に もだえているのでしょう?
 この一瞬に 世界では何人の方々が死んでゆくのでしょう?
 ある方は歌い ある方は笑い ある方は泣き ある方は走る 東では家を建て
 南では火事で家を失う 西では洗濯物が雨に濡れ 北ではレースのカーテンが
 風に揺れています。それぞれが それぞれに 同じ事は絶対二つとありません。

 先日 取引先の部長さんが 首を吊って自殺しました。四人のお子さん達と
 奥さんが残されました。

 初夏の青空と積乱雲 木陰に佇み湖を見ているとカワセミがダイビングを
 しました。チッピーと鳴いて高速で飛び去る林間には はるぜみのこえが
 いくつも いくつも 重なって響いていました。

 あなたの命は永遠だと感じますか?
 あなたの肉体は永遠だと感じますか?
 あなたの愛は永遠だと感じますか?
 あなたのやさしさは永遠だと感じますか?
 あなたのまごころは永遠だと感じますか? 教えてください。

 わたしは今日 湖で↑全て永遠だと感じました。

A 回答 (10件)

すべて、永遠です。



永遠でなくするのは人の(自分の)心です。

命を短くするのも
肉体を衰えさせるのも
愛を失うのも
やさしさを忘れるのも
まごころを捨ててしまうのも

その人の心しだいです。

私は永遠に生きます。

メタファーではありません。
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この回答へのお礼

●力強いお言葉 いたみいります。
 いつか宇宙のどこかで お会いいたしましょう。
 そして激しいSEXをいたしましょう。
 
 ご回答ありがとうございまいした。

お礼日時:2002/05/28 00:04

北ではレースのカーテンがゆれているんですね。



私の中に自分の永遠はなくて
他人の記憶中に私の永遠があるかもしれない。
が、他人も所詮永遠でないので、
そんなものはちっとも永遠と感じないです。

永遠って言葉は、なんて古臭くて、ぱっとしないんでしょうね。
言葉に縛られるのは人間だけです。
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この回答へのお礼

●永遠を考えるのではなく 感じてみてください。
 あなたという存在は 過去にも未来にも
 あなたでしか存在できないではありませんか。
 あなたが いま存在したという事実が永遠だと感じているのではありません。
 その感覚は 正に古臭いんです。
 また 輪廻転生でもなく 宇宙の要素としての永遠性でもありません。
 
 わたしが感じているのは はかなさ 刹那の永遠性なのです。
 命が花火のようにパット咲いて散ることの永遠性なのです。
 その どうしようもない悲しさを 感じているのです。
 「until」 死ぬまで 終わるまで イクまで お別れするまで
 「・・・まで」のもつ儚い うたかた的性質としての永遠なのです。


 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/28 08:52

 


 「言葉」とは、時に冷酷で、時にやさしいものです。残されたものたちの悲しみをもろともしない、その思考の中は、いったいどのようなものがあるのでしょう。 

 人は、言葉によって喜びがあり、怒りがあり、悲しみがあります。そして、言葉によって知恵を習得し、言葉によって生きつづけます。(ボディーランゲージも言葉です。)ほんの僅かな言葉のかけ違いが死を選択させたとするならば、ほんの僅かな時間だけ、言葉のパズルを楽しんで欲しかったと思います。

 きのうの夕刻、私を襲った横殴りの雹たちも、その場では死ぬほどの恐怖の存在であったにしても、時過ぎ去り、青あざだらけの足に悲しみを感じこそすれ、今になって思えば、楽しい語らいの一コマなのです。

 3年前の事ですが、私の最愛の人も病魔とともに、はるか彼方へ旅立ちました。 でも、彼の温かい心は、今もなお、決して私を包む事を忘れません。 ゆえに、私の「命」も「体」も「思考」も、空に輝く「やさしいまなざしの青い星」がある限り、永遠である事は、言うまでもありません。
 
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この回答へのお礼

●この季節 雹に打たれて 地面にちりじりに散った新緑のはっぱの匂いを
 しっていますか? 胸がくるしくなるほどの 森の匂いなんです。

 自分で死ぬ方のお気持ちは想像もできません。しようとも思いません。
 首を吊った部長さんの死亡推定時刻は 夕方の六時。
 夕陽を見ながら逝ったことだけは 事実として伝わってきます。

 夕陽はとてもかなしいです。なぜだかかなしいです。

 たいせつなお話をありがとうございました。

お礼日時:2002/05/28 11:39

万物は流転する


部長さんも貴方もカワセミも
雲も林も湖も
その全て、あるとしあるものを載せて
万物は永遠に流転をつづける

おーい、乗り遅れるなよー
そんな声が聞こえてきました
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この回答へのお礼

●永遠に流転する・・・。いい言葉ですね。
 わたしたちは 流転の流れのなかで かろうじて自分を見つけ
 かろうじて自分を生きているのかもしれません。
 流転の早さは 電光石火の矢のようです。
 全力で100メートルを疾走するがごとくに感じます。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/29 00:32

・永遠の命なんかほしくない。


 生まれては死に行き、また新しく生まれ出でたい。
 生き生きと新たなペ-ジを都度、描きたい。


・肉体はかりそめの宿。
 ヤドカリが殻をぬけだし住みやすい殻をみつけ、くつろぐようなもの。


・愛はいつも新陳代謝を繰り返している。みずみずしい



・やさしさがなんなのかがわからない(あまりにおおすぎて....)



・まごころ、肉体が朽ち果てようとも生命がこの地をさったとしても
 一滴のしずくが誰かのこころに響いたなら、手から手へ届けられるだろう
 ―――― 未だ見ぬ遠い時を超えて
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この回答へのお礼

●永遠という名の儚い日常が 素直のままに捉えた言葉の輝き
 littlekissさんのささやきには 永遠が宿っていますね・・・。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/29 08:48

永遠と一瞬は等価である。



それは、時が無限につづくのと一緒。
それは、宇宙の果てが果てしないのと同じ。原子の果てが不確定性理論とかで見ることができないのと同じ…。

永遠だから、一瞬。
一瞬だから、その時間を共有したいと思って愛し合う。
そういうことではないかな。
とはいえ、今村昌平監督の「神々の深き欲望」では、耳掻きと性交を等価に扱っていた。そういう視点もあるが…。



あなたが湖で永遠だと感じたこと。
それには明確な理由があると思います。

A.タルコフスキー監督作品「惑星ソラリス」におけるソラリスの海。
そのソラリスの海のようなものをあなたは眼前の湖に感じたのではないかな。



個人の印象を断定的に述べるしかないため、独善的な文章になってしまいました。反省してお詫びします。
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この回答へのお礼

●ソラリスが この欄に語られるだけでも かなりうれしいです。
 いまはもう無い 池袋名画座で見た記憶があります。
 そういえば ソラリスでは 記憶が時間軸を持たずに浮遊している感じでした。
 まさに 一瞬も永遠も同じ時系列にあった感じでしたね。
 最近の映画のメメントでは 記憶の恐さを感じさせられました。
 ノーマルな精神状態だと思うわたしでも 記憶とはかくも儚いものなのか と
 考えさせられ 同時に自分というものの 不確かさ儚さを感じました。
 湖で感じた永遠が もういまのわたしには 実感としてはありません。
 きっと あの一瞬に永遠があったのかもしれません・・・。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/31 14:51

 せつなのかがやきはいのち


 えいえんのかがやきはだいち

 未完であることだけが永遠性をもつのではないのでしょうか。
 
 完成した未来は過去で、未完の過去が未来だとしたら。
 私たちはそのはざまの「今」でひっそりといきているのかもしれません。
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この回答へのお礼

●未来を過去にしてしまう 柔軟な発想は すばらしいと思います。
 つまり未来もなく 過去もないということですよね。
 未完か否かを問うばかりの視点なわけですよね。
 なんかシューベルトの未完成を聞きたくなりました。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/06/02 00:38

Chihokoさんが湖畔にたたずんでいたころ、私は、遠州灘に広がる砂丘の上にいたのかもしれません。


ペダルを踏んで、天竜川を越えて、今日はここまで、今度時間ができたら、遥かに見える岬の向こうまで走るつもりです。
砂嵐の砂丘の上で遥か先の岬に、確かな標を探して双眼鏡を手にしても、岬の先は風に揺れ動き、両足に力を入れ、砂の中に安定を求めても、砂は足元から頼りなく崩れてしまいます。
行く末を見つめる事を諦め、砂丘の隅にしがみつく名も知らぬ草に抱かれて、ぼんやりと永遠に拡がる青い海を眺める快感は、この地へたどり着く為の多くの犠牲まで楽しみに変えてしまいます。
砂嵐の中、抱き合う若い男女は、一人で立てない女を男が支えているのなら美しいものです。
一人で立てないふりに、男がだまされているのか、一人で立てるふりに、女が夢見ているのか。
一人で立てないもの同士が、支えあうのを愛と言うのでしょうか。
堂堂巡りの思考の先に、砂に埋もれる沈黙の誘惑が私を包み込むのです。
それでも、また走り出すでしょう、岬の先は、岬に行けばこの手で抱きしめることができるはずです。

この回答への補足

http://www10.u-page.so-net.ne.jp/fb3/sakirin/Boo …

補足日時:2002/06/03 10:25
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この回答へのお礼

●高村光太郎の詩に「人類の泉」という詩があります。
 ちょうど今頃の季節を謳った わたしの好きな詩です。
 ただだまっていても きもちのいい季節です。
 いちにち ぼーっと青い空と 白い雲と 新緑の木々を眺めていたいものです。
 そして できたら 気持ちのいいこともすこし・・・。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/06/02 00:44

永遠ではなく


無限
です。
時空間ともに、無限と表すのが良いでしょう。

と、言葉にこだわってみました。
いかがでしょう。
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この回答へのお礼

●永遠とは 具象がずっとつづくことであるのに対して
 無限とはそれ以外にも具象のない概念のなかでも繰り返しや広がりを
 連想させる言葉です。
 わたしが感じたのは 具象の継続性なので「永遠」の方が言えてます。
 無限という言葉は 実感するには難しすぎます。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/06/06 09:49

永遠とは、始まりなく、終わりもないという事。


自然の営みは永遠です。
偉大なる自然に生かさせてある命を全ての感覚で感ずるならば、
自己もまた永遠なのです。
無から有は決して生まれる事は無い。また無に帰する事も無い。
我思ふ、ゆゑに我有り。一瞬即永遠。
この認識も、肉体的感覚も、霊感も、全てが自然と共感し共鳴しています。
自然と我は一体。自然と共に未来永劫、存在し続けるのです。
chihokoさんの思惟も快楽も魂も、永遠に存在し続けるのです。
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この回答へのお礼

●なんか温泉にでもはいったよな 心地よさを感じる
 珠玉のお言葉をいただき ありがとうございます。
 でも あまり気持ちよすぎると のぼせちゃうかもしれないので
 すこし 揺り戻させてください。

 ●永遠という言葉には 願いが込められている。
 言葉にしてはならない切ないかすかな願いが込められている。
 永遠を感じたと つぶやく小さな人間のその小ささ故の儚い願いを感じて
 そっと抱きしめてあげてください。
 永遠という言葉には けっして聞いてはならない願いが込められている・・・。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/06/06 22:15

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