1つだけ過去を変えられるとしたら?

先日、バルセロナに行く機会があり、そこでサグラダ・ファミリア代表される一連のガウディの建築を見てきました。その時はなんとも思わなかったのですが、今になってその情景が心にくっきりと張り付いていて離れません。


外面世界で見た情景が、心の中に居座って長期間その人に影響を与えるということはありますか?また、その現象の名前を教えてください。

「こころ」と「もの」の関連で教えてください。

A 回答 (2件)

 


そういうことは、頻繁にではありませんが、時としてあるようです。見たものが、その情景で、目を閉じるなどすると生き生き見えている場合は、「直観像」と言います。これは子どもに多いのですが、大人でも、非常に印象的な情景だと、そのまま残ることがあります。

しかし、「直観像」というのは。生理的な現象であるようで、見た情景が意味があるかないかに関係なく、よく見える人には残るようです。ある人は、試験の前には、教科書の全ページを一通り見ておいて、試験の最中、頭のなかで直観像の本のページなどをめくって答えを書いていたという話があります。

しかし、ガウディの建築の印象の今回の話の場合、おそらく情景を見た時、強い、深い印象を得たのだと思います。「見る」という行為は、ただ見過ごすこともありますが、普通、見たものに「意味付け」を与えています。

例えば、家から煙が出て、火も見える場合は、見た時に、「火事だ」と判断できるのです。美術展などにでかけ、或る絵が素晴らしく心に響くことがあります。美術展でなくても、複製の絵の写真出版物で見ても、心が特に引かれるという経験はあります。

「何故心引かれる」のか、その理由は分からないことの方が多いです。また、そうなのか、と納得の行くような理由が見つかっても、それだけでない可能性が高いです。

サクラダ・ファミリアなどを見て、心にインパクトを受けたが、その時は何も感じることなく、後になって、心にくっきりと甦って来るというのは、一つの解釈ですが、建築を見ているあいだは圧倒されていて、解釈ができなかったということだと思います。

心がそれを受け入れる、あるいは、「見て判断」するだけの余裕がなかったというか、判断を越えていたのだという可能性があります。色々見た後、その全体の印象が、インパクトをもって迫って来たということでしょう。心は、「何か」を把握し、判断したのだと言えます。

それは意識で分からない可能性があります。また、こういう現象だと、「心に印象を受けた・インパクトを受けた」というような表現になります。「印象残像」というような言葉はないと思いますが、心理学で、そういうのを何というのか、いま思いつきません。

トラウマ(心傷)というのは、悪い意味に普通使います。ドミナント(dominant)ということを文芸評論家が昔言っていた記憶がありますが、心理学の用語ではありません。

>外面世界で見た情景が、心の中に居座って長期間その人に影響を与えるということはありますか?

ありますが、問題は、「情景の解釈・判断・意味」です。意味のない情景なら、最初に述べた直観像で再現します。しかし、この場合、意味があったので、心に印象を与え、再現され、心に甦っているのです。ですから、それに衝撃や印象を得、受け止めるための「準備」が心にあったというべきです。

「心に準備がないので驚愕した」というのもありますが、それは「出会いの予想の枠外として、心は、それを認識する準備はあったが、出会う準備はしていなかった」ということです。

ガウディの彫刻について、「出会う準備」がなかったので、何も感じなかったが、「認識する準備」はあって、それには時間が必要で、見終わってときがたった後、「意味が迫ってきた」のだと言えます。

「外面世界で見た情景」には、心に対応するものがあったのです。外部の経験情景が、心のなかに、或る問題というか、課題を提起したのです。その課題は、元々、貴方の心にあったものと言えるでしょう。

人の心が、外界の情景や芸術作品に対し、感受性、つまり「内なる理解力」を持たない場合、どんな情景も芸術も意味を感じないでしょう。

ガウディの彫刻を知ることで、元々貴方の心にあった、美の問題や、文化の複合的な価値観の問題などが、励起されたのです。世界のありよう、貴方の生き方のありよう、価値観そのものにまで、関係した課題かも知れません。

文化的衝撃というのは、心がそれを受け止めたのであって、受け止める準備があったのです。また、心は、そこから自分を成長させ、発展させて行くのです。そういう意味からは、これは「文化衝撃(カルチュラル・ショック)」だとも言えます。
 
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この回答へのお礼

丁寧に返答ありがとうございます。

しかも、とてもわかりやすく書いていただいてありがとうございます。
実は、西洋の芸術はすばらしいんだろうけど、やっぱり東洋の美術のような深みはないだろうなぁ。などと、直接見に行くまでは少し西洋を軽視していたのです。
が、実際さまざまな西洋の芸術作品を見るにあたってなんだか「すごさ」のようなものを感じてしまいました!ガウディの一連の作品はその最たるものでした。

4月からNHK3・教育テレビのスペイン語会話を毎週見るようにしているのですが、第2回目くらいの放送で、スペインで勉強している「ジミー大西」が登場しました。彼の絵にも見入ってしまいました…。
実は出演者のSheilaのファンでもあるのですが…。

面白いですね。心理学。「内なる理解力」。世界と心のかかわり…。では、受け止める感性というようなものはどのように育っていくのか…。

>ガウディの彫刻を知ることで、元々貴方の心にあった、美の問題や、文化の複合的な価値観の問題などが、励起されたのです。世界のありよう、貴方の生き方のありよう、価値観そのものにまで、関係した課題かも知れません。

そうですね。なんだか、ガウディの建築をはじめてみたとき「ほっ」としたのを思い出します。僕が長い間求めていたものに近い形をしていたのかもしれません(少し大げさです)。ガウディを通して、もっと自分について深めていこうと思います。

(美術素人です。文を見てもわかると思いますが…。)

P.S.実は、「アンコール・ワット」も心に張り付いていたりするんです…。

お礼日時:2002/06/07 06:30

ううう、難しい話題ですね。


それは芸術とは何かということにも関係してくるような気もします…

外面世界で見た情景、というのが
・人間が鑑賞されることを意識して作ったものの姿
・偶然に見た、意識して作られたものではない風景
・偶然に見知った状況(ストーリーあり)
のどれを指すかによって微妙に話題が異なるような。
もっとほかにも選択肢があるのかもしれません。

ガウディの建築ということについて言うなら、
ガウディが建築という形で表現した何かを、あなたが受け取った、と
いうふうに考えることはできると思います。
ガウディがどうしてそのような建築を作ったのか、そこにどんな思想や
センスや感情がこめられているのかは、
文献できっと知ることができると思います。
言葉のうえで、あなたが受けたその印象を再確認することで、
あなた自身のコンディションやセンスをふりかえることができるかもしれません。

ちゃんとした回答になっていなくてごめんなさい。
なにかを見て深く感じることができるのは、
あなたの感受性がすばらしいからですね…いいな。
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この回答へのお礼

返答ありがとうございました。

そうですね。今度文献などで調べてみます。
http://www.gaudiclub.com/
こんなページも発見したのでゆっくり見てみようと思います。

お礼日時:2002/06/05 16:13

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