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朝鮮半島が南北に分かれたのは戦後です。彼らが日本に来たのは戦前ですよね?どうして日本で彼らは南北に分かれてしまったのでしょう?単に出身の地方では無いような気がします。思想によるものでしょうか?とすれば、日本で北朝鮮共産圏の政治活動が行われたと言う事ですか?

それから祖国に帰る船とは希望の南北に帰れたのでしょうか?それは出身地方と思想によるものだったのでしょうか?

A 回答 (1件)

戦後すぐの時代はそもそも国籍すらあやふやな時代でした。

戦中は日本統治下にある朝鮮としての朝鮮籍でしたが、日本の敗戦、朝鮮独立に伴う過程の時期はそもそも日本籍なのか朝鮮籍なのかは不明な状態なままでしたので、1947年にとりあえず朝鮮という国はないものの旧朝鮮籍をそのまま引き継いだ朝鮮籍を作成し、在日コリアンは全てこちらになりました(ですので朝鮮籍=北朝鮮という意味ではありません)。で1948年に韓国としての独立が正式に認められたため、今度は韓国籍というものができました。これで本人が希望すれば韓国籍に移ることが可能になりました。

北朝鮮籍というものは現代でもありません。旧朝鮮籍を引き継いだ朝鮮籍か韓国籍かの2つです。現在では、韓国籍=韓国、朝鮮籍=北朝鮮というとらえ方ですが、そもそもは新しい籍に移行したのか、していないのかの違いしかありません。ただし、敢えて反韓国、親北朝鮮だからと朝鮮籍にしている人もいたでしょうし、あるいは単に面倒だからそのまま朝鮮籍のままにしていたという人も多かったようです。

出身地方については特に関係ありません。実際に在日コリアンというのは殆ど朝鮮南部出身者なのですが、当時は、朝鮮戦争のドタバタで南側は崩壊しているし、軍事政権下にもあったこともあり、また特に朝日新聞などが率先して(これは今もそうですが)、あることないこと書き立てて北朝鮮はこの世の楽園だと大絶賛していたこともあり、南部出身でも敢えて朝鮮籍という人も多かったようです。

帰国事業については、総連と日本政府が手を組んで起こした事業です。韓国政府はそれどころじゃなかった(北はソ連、中国などから援助もあり、また荒廃化においては社会主義的計画経済方式の方が立て直しは早いため)ためこれには関わっていません。この処置は棄民政策として批判もされています。
つまり帰国事業というのは朝鮮籍の人が北朝鮮に多く帰ったということになりますが、ただ自力で帰った人も大勢いますので、そちらの場合はおそらく韓国籍の人は当然韓国を選んだのだろうと思います。

この回答への補足

詳しいお話ありがとうございました。
朝鮮総連=北朝鮮籍(=そもそも無いんでしたね)というわけではないのですね。
朝鮮総連は支持政党みたいなものですか?

補足日時:2007/05/19 06:44
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