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日本人は外国人に比べると信仰が薄い民族だと思いますが、例えばアフリカでは、宗教的活動や行為が厳しい社会問題に直面した時にどのような精神的、肉体的、環境的に利点があるのでしょうか?

A 回答 (5件)

アフリカのケースについて特にお答えすることは、私の知識不足でできないのですが、一般的に考えた場合、宗教は例えば以下の機能を果たしていると思います。



・厳しい現実の中で生じる「どうしてこんなに辛い思いをして生きなければならないのか」という問いに対して、一つの回答を与える。
・同じような思いや考え方をしている人を結びつけ、行動させる。
・新しい事態に直面し、どう対処して良いかわからないときに、対応の一つの基準や考え方を示唆する。

 最初の機能は「個人的経験としての宗教」とでも言えるでしょうか。愛する者の突然の死、自分の身に降りかかった辛い出来事、孤独感など、自分が生きていることの意味がわからなくなったようなとき、宗教はそれに対して一つの回答を試みようとします。

 次の機能は「社会的経験としての宗教」とも呼べるでしょう。「宗教団体」と言うとなんだか胡散臭い響きがありますが、たとえば私がアメリカで訪れたことがあるキリスト教バプティスト派の教会では、黒人の信者の方ばかりが集まる教会だったのですが、地元コミュニティのために様々なボランティア活動をしていました。先に述べた「個人的経験としての宗教」に対し、こちらは人々を結びつけ、社会に働きかける存在にするという機能を持っています。

 最後は「文化的・政治的経験としての宗教」と呼べるでしょうか。最近の「インドネシア味の素事件」では、製品の生産工程でイスラム教で禁じられていた豚の酵素が使われていたことが大きな問題となりました。人間は様々な集団を作り、それぞれ独自の文化を発展させてきましたが、その文化を継続しながら新しい時代へと発展する中で出会う「未知の出来事」に対し、常にそれまでの文化に基づいた解釈を求められます。そのときに一つの判断基準となるのが宗教と言えます。もっとも、例えばアメリカなどでいまだに盛んに取り上げられる「妊娠中絶の是非」の問題など、人々の数だけ宗教もあり、その分解釈もあるわけで、宗教が万能のルールブックであるとは限りません。

 いろいろ書きました。私は特定の宗教を持っておりませんが、人間を考える上で宗教を切り離すことはできないと考えます。はたして動物に宗教はあるだろうか? と考えると、おそらく無いだろうと思いますので。宗教は非常に人間的なものである、と考えております。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。>「人々の数だけ宗教もあり、その分解釈もあるわけで、宗教が万能のルールブックであるとは限りません。」まさにそのとおりだと思います。

お礼日時:2001/01/20 07:19

そもそも、宗教というのは人間的だけではなく、人間が神様とのつながりを作る、簡単にいうとコミュニケーション道具です。

その他に、人間が間違っていることを行い、罪を持つ。その罪から許されるように(神様に)それから死後に天国に行けるように行いをする。その行いが宗教です。
ですが結局人間が行なうことによって、罪をなくすことが出来なく、神様にしか頼れないのです。ですから利点というのは結局、個人的にしか分からない。そのため、自分の宗教が正しいとかの考えで、けんかになったりすることが最近多くなります。が、論理的に考えると神様ってひとつしかないだろう。
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私自身は特に宗教を信じていませんが、家は浄土真宗です。


難しいことは分かりませんが、宗教を信じることに何か利点はあるのでしょうか?
マハトマ・ガンジーは「犠牲なき信仰」は「社会的罪」だと言ってるくらいですし・・・ただ、信じることで精神的には何か利点があるのかな。すいません、回答になりませんでした。
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私は南部アフリカに関してしかわかりませんが、アフリカ全土的に大体の国がキリスト教かイスラム教を主としていると思います。

 南部アフリカにのみ話を絞りますと、南アフリカ共和国をはじめ、ナミビア、ボツワナ等いわゆるSADC加盟国はキリスト教を主としていると思います。 これは旧宗主国の影響ですが、今でも人々は日常的に教会へ通い、結婚は教会で行い、葬式もキリスト教の方法に従って行われています。 完全に無いとは言えませんが、アニミズム的自然崇拝はあまりないと思います。 このように、アフリカでの宗教はヨーロッパでのそれと極端な異差があるとは思えません。 よって、宗教のはたす社会的な役割もヨーロッパのそれとそんなにかけ離れたものではないと思います。
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僕は神を信じていませんが、仏教を生活の規範にしています。


そのような僕の立場で考えたときに、思う点をいくつか挙げてみましょう。

アフリカの宗教については特に詳しいわけではありませんので、
あくまでも、推測でしかありませんが、少し考えてみましょう。

アフリカなどでは、信仰の対象はおそらく、いわゆる土俗信仰というやつ、
であろうかと思うわけですが、まず、考えうる利点としては、


1)自然を神としているために自然破壊に繋がるような指向に結びつきにくい?

2)部族の今までの歴史的背景が色濃く信仰に結びついているので、
知らず知らずのうちに、部族の歴史的背景を学ぶことになり、
家族や部族内での精神的結びつきを強める?

3)最低限の倫理観を共通の認識として持つことができる?

4)その倫理に賛同するにしろ、しないにしろ、ひとつの
社会に対しての考えるきっかけになりうる?


おそらく、利点として考えうるのはこんなところでしょう。
よく考えてみればこれはおそらく、土俗信仰の場合でなくとも、
一般的な宗教全般に当てはまる事例のように思いますが。

まぁ、利点ばかりとも言えないわけで、
例えば宗教が不要な呪縛として人間の自由を奪うようなことも
ままあるのですが。


ただ、言えることは、日本のような信仰心の薄い国の人間よりは、
ある倫理をもっているわけで、そういった点では、例えばオウムのような
カルトに簡単に入ってしまうこともないのではないかと思います。

例えば、僕個人としていえば、仏教を研究し、規範とする人間として、
オウムのようなカルトに入信することはあり得ないわけです。
ちょっと知っていればあれが仏教としては、
大きく間違ったものであることは簡単にわかることですから。

宗教に対するある程度の理解はそのような効果をもたらすところもあります。

ただ、民族間の争いと宗教の争いが結びつき、
それが権力者に利用されたりすると、今日の中東情勢のような
危険な緊張を生み出したりもするわけで、必ずしもよいことばかり
ではないのでしょう。

ただ、一致団結して戦争にむかっていける程に強い団結を
生み出す一因にはなっていますね。間違いなく。

こういった、エネルギーがよい方向に向かえばいいのですが。


話がとっちらかったので、まとめましょう。
僕としては、あくまで想像の範囲ですが、
日本人のようにほぼ儀式的に、宗教を利用するというのは、
ちょっといかがなものかと思います。
宗教とは、神の存在を信じるか、信じないかという点に
重要な点があるのではなく、法律や科学のない時代にできた、
哲学であり、生活の規範であると。そこが重要だと考えています。
ゆえに、それについて考えるきっかけとなることとして、
宗教について肯定的に考えることはとてもいいことであり、
前向きなことであると思うわけです。
ただ、そこで気をつけるべきなのは、その内容や行為に
盲目にならないようにという意識を常にもつことではないかと思うのです。
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