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一緒に居ても何も学ぶことの無い、何の魅力も価値もない人間に対して、
『彼と一緒に居ても何の生産性も無い。二度と会うつもりは無い』
というのは正しい言葉づかいなのでしょうか?

A 回答 (4件)

「生産性」とは、生産に結びつかないことを言います。


確かに、「緒に居ても何も学ぶことの無い、何の魅力も価値もない人間」といても、あなたの「生産」活動には結びつきませんが、彼自身の生産活動に対する視点が欠けていて、客観的に「生産性」が本当にないのかは断言できません。
一般的には、物事に対して、前向きでないことや問題解決に結びつかないことなどを言うのが、適切でしょう。
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この回答へのお礼

皆様、回答ありがとうございました。
とても参考になりました。

お礼日時:2007/07/13 22:58

生産性とはインプット(労働力・資材・資金・時間等)に対して得られるアウトプット(生産物・成果物)の比率・程度のことですね。



一般に、生産性が「高い」「低い」とは言いますが、「ある」「ない」とは言いません。アウトプットが「0」なら別ですが。

まあ、人間関係をモノの生産に喩えるのは即物的すぎて適切ではないかもしれません。
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はじめまして。



「生産性」と「無い」の組み合わせがピンと来ないのだと思います。

この「性」を可能性ととれば、「無い」と結びつくこともできますが、生産性の「性」は「性質」であって、可能性ではありません。

生産性とは、「生産力の度合い」「生産力があるという性質」のことをいいます。

ここでは
「彼と一緒に居ても何の生産性も感じない」
「彼と一緒に居ても何の生産性も感じられない」
「彼と一緒に居ても何の生産性も得られない」
といった表現が適切だと思います。

また、「無い」と「生産」という文字を組み合わせるのであれば、
「彼と一緒に居ても何の生産的展望も無い」
「彼と一緒に居ても何の生産的見通しも無い」
「彼と一緒に居ても何の生産的可能性も無い」
などが、使えます。

以上ご参考までに。
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辞書的な意味はご自分で調べていただくとして…。



A『彼と一緒に居ても何の生産性も無い。二度と会うつもりは無い』
という言い回しはかなり奇異に感じます。

まず、“生産性”は、「失うものに対して、どれだけ得るものがあるか」という、“効率”を意味する言葉ですから、
高かったり低かったりすることはあっても、あったりなかったりということはありません。

では、
B『彼と一緒に居るのは生産性が低い。二度と会うつもりは無い』
としたらどうでしょうか?

この場合、話者が、「一緒にいる誰かから何かを学ぶこと」をある種の業務・タスクとしてとらえていて、
「誰かと一緒にいる」ことを「何かを学ぶ」ための手段、あるいは投資と考えているのならば、
文章としては成立します。
極めてビジネスライクといいますか、ドライな人間観ですね。

例えば、ホステスが同伴やアフターにつきあうかどうかといった場面では、
Bのような表現が使われる可能性はあります。

ご質問のようなケースでは、
C『彼と一緒にいても何も学ぶことがない』
C'『彼と一緒にいても得るものはない』
とでもするのが妥当かと思われます。

一方、“生産的”という言葉であれば、人間関係にもよく用いられます。
この場合は、「積極的な意味がある」といった程度の意味合いで、「建設的」とほぼ同義です。
いい加減関係がガタついていて、お互いにケンカばかり、といったときに、
『彼とこれ以上一緒に居るのは生産的じゃないわ。もう二度と会わないつもりよ』
というのであれば、(リアルかどうかは別にして)自然な表現です。面と向かって言われることもあります。
ただ、
「一緒に居ても何も学ぶことの無い、何の魅力も価値もない人間」だから「生産的でない」
という言い方はあまり見かけません。

以上、ご参考までに。
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