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あまりこう言う質問をネット上で投げかけても仕方ない気もしますが、
私個人として、意見が聞きたくて質問します。
ずばり、アナタにとって宗教とはどういうものとお考えですか?
アナタにとって宗教は必要か不必要かどうかお聞かせ下さい。
ただし、他宗教を否定したり自己の宗教を正統化するのは辞めてください。
純粋にどう思われるか?それをお聞きしたいのです。
発言をする前に良く考えて冷静にお答え下さい。
よろしくお願いします。

A 回答 (16件中1~10件)

誤った宗教なら不要ですが、正しい宗教は必要不可欠です。

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「自己を超越した存在に自分の自己同一性を委ねる」でしょうか。


つまり、神という存在との関わりの中に自分の存在意義を求める行為だと思います。・・・ってこれは信仰でしょうね。

信仰という言葉を上のように解釈すると、宗教は「信仰に関する知識と規範の体系」と考えています。
神話とか伝承の部分はそれに対する肉付けみたいなもの、ってことで。
信じている人にとっては、それは人類を超越した真理であり、真実だと思いますが、今の私には「人の創りしもの」という感覚です。

自分は不幸にも信仰というものは持ち合わせていません。今のところ困っていないという意味では不必要と言えるかもしれません。でも、信仰を持つことによる精神の安定と充足は羨ましいと思います。必要だから、周りがそうしているからとりあえず信仰する、っていうのがイヤなだけです。
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宗教は必要です。


それは無知蒙昧を照らす光でもあり、生命に内在する可能性の源泉でもあります。
しかし、眩惑する光と氾濫する泉は不要と考えます。
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「強みであり弱みである」です。


私は信仰している宗教はありませんが、信じているものがある人は、迷った時、弱った時に揺るぎ無いものがあるが故に、無駄に悩む事がないように思えるので、それが強みかと。

また一方で信じているが故に、身動きが取りづらい事がありそう、「~~でなきゃ駄目」とか「●●しなきゃいけない」とかが弱みのように感じます。
まじめに信仰している人は、そんな事感じないのでしょうけど、私は良いとこどりしようとしているのかもしれません。

今のところ、私には不必要に感じます。
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今のところは「宗教」は不必要だと考えます。


いわゆる一般的に日本でいわれている「宗教」は。

しかし、それは実は認識として間違っているのでは。と感じることもあります。僕はイスラム教のことをちょっぴり知っているだけですが、この宗教はどちらかというと「宗教」というより、「生活様式」といったほうが近いようなニュアンスを持っているのではないでしょうか。なんというか、ある一定の価値観とでもいうような。イスラム教的価値観。イスラム教はイスラム世界のあらゆるところに緩やかにあまねく存在し、その世界を構成しています。金融から対人関係まで(たしか)。
これって何かに似ていませんか?
我々が無条件に信じている「自由」だとか、「資本主義」だとかです。また、「科学」などです。

だから、僕らは僕らの気づかないうちにこれらの「宗教」に囲まれ、それを信じて生活をしているのかもしれません。だって、昔の人は僕らが普通に「科学」などを信じるように「聖書」や「クルアーン(コーラン)」などを一字一句信じていたのでしょうから。(日本では何でしょう。あぁ名前忘れた。日本書紀、古事記???建国神話、土着民話など)


だから僕には宗教が必要ないともいえるし、もうすでにその腕の中にいるのかもしれません。
ということで。
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「僕定義」の「宗教」は「誰が作ったかわからない人生にまつわる経験則の集大成とその拡張」です。


状況を判断し、次に取る手を考えるために従うべきルール集です。
ですからゲームのルールや、法律と似たような物だと思っています。

すべてを知り、すべてを考慮にいれて判断できれば宗教はいらないとおもいますが、人間には限界があり、すこしを知り、すこしだけ考慮して判断しなければなりません。ですから、経験的に正しい判断が下せるようなルール集が必要なのだとおもいます。

無論、誰が作ったかわからないので神様が創ったのかもしれませんが、
それを伝達するのは所詮人間です。
多かれ少なかれ「誤り」を含んでいると思います。

ただ、期末試験を受けたときの鉛筆ころがし以上の信頼感は得られるとは思います。
なにしろ、それぞれ何百、何千年もの経験則の集大成ですしね。
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> アナタにとって宗教とはどういうもの



必要とか不要とか、って私の意思とは
無関係に、近くに昔から“在るモノ”です。
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宗教とは? 人の有り様を説く教え


必要か否か? 自分で考えられない者には必要。

私は自分が教祖であると常々思っていたが、最近は、生まれ育った実家が日蓮宗で幼稚園もお寺の付属のところだったので、根本は仏教徒で有るように感じている。

質問から逸れるが、現在のお寺さんは営業努力が足りないと思う。人々の心の救済が生業(行)なのだから、もっと、足で稼がないと新規獲得(門徒数)につながらない。このままでは日本からお寺が無くなるのはそう遠い日ではないかもしれない。全国のお寺さん!もっと自助努力が必要です。
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ごく最近のことなのですが、イトコが急逝しました。


叔父の意向で、無宗教で葬儀一切を行いました。
読経もなく、故人の好きだったクラシック音楽のCDを流し、
在りし日を忍ぶビデオを流し、粛々と献花だけ・・・

その葬儀自体は、静かでいい雰囲気の中で執り行うことができて
よかったとは思うのですが・・・

叔父の家は新家ですから決まった宗教もなく、叔父の考え方が
宗教否定のようですので、それぞれのやり方でいいとは思います。
ただ、私の家族では、そういう形のものはできないと感じました。
代々伝わる、家の宗教に基づいた風習や決まりごとは無視できない。
決まっていることだからしょうがない。。。というのではなく、
あまりにも当たり前に浸透していて、家の節目節目に関わっているのが
当然のように、宗教(ウチは浄土真宗です。)が根付いています。

家には神棚もあり、仏壇もあり、お正月をはじめ年中行事のその時々に
神棚にも仏壇にも手を合わせる・・・それがアタリマエになっています。
特に宗教に執心ではありませんが、なんとなく切っても切れないような
そんな捉え方をしています。
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ある種の不可解には、人間の理性は予測でしか答えを出すことができないという不都合を解消した史上初めてのマニュアルみたいなものではないかと思います。

(もちろん、そのマニュアルに書かれてあることがかならずしも正解とは限らないけれど…)

だから、案外人間の理性が不可解に答えてしまったとき、しばしば宗教の内容と対立することが多いのだと思います。

私にとって宗教が必要か不必要かは、それこそ私の理性では理解できませんので、宗教が答える問題だと思います。
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