No.7ベストアンサー
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キリスト教の発展とは、どのぐらいの時代射程で考えておられるのかです。地中海世界の世界宗教となって、紀元4世紀頃までの展開か、それ以降、西欧世界に伝播して行った過程か、更に、大航海時代を通じて、列強として、世界を植民地化して行った頃までの話かです。
最初の原始キリスト教が、地中海世界の世界宗教となった理由については、アーノルド・トインビーの分明史観が、示唆を与えてくれます。
トインビーは、実証的な資料検討の点で、多大な批判を受けましたが、そのスケールの大きな平行文明観は、それに匹敵する大きな視野の歴史観がないので,重要な功績といえます。
トインビーは、文明の誕生、成長、円熟、そして衰退、消滅というように、シュペングラーが、文明を植物に喩えて語ったのと似たような,文明の発展と衰退のプロセスを述べ、ほぼすべての文明が、ある法則に従って成長し、衰退するとしました。
地中海世界のローマ帝国を生み出した文明を、トインビーは、「ヘレニク文明」と呼びます。これは、ギリシア・ローマの二つの主要なコアを持つ文明です。トインビーによれば、文明は、その衰退期に、「世界帝国」を作ります。
文明が円熟期を過ぎると,内部分裂が起こって来て、内乱状態になります。こうして内紛の結果、複数の文明構成国家は、段段征服や戦争で統一されて行き、最後に、一つの勢力が、最終的な勝利を収め、文明が広がっていた全域に渡る「統一帝国」を築きます。
これを、文明の「世界帝国期」と言い、統一体を世界帝国と呼びます。ヘレニク文明の場合は、世界帝国は、アレクサンドロス帝国、そして引き続いてローマ帝国が世界帝国になります。
世界帝国は、広範囲な領域を一つにまとめ、従来あった国境をなくし、文物の広大な範囲の往来を可能にします。しかし、世界帝国時代に入ると、それは文明の爛熟期であり、退廃の時代にもなります。世界帝国の統一の平和を祈る心と同時に、文明の閉塞状態が、市民たちや住民たちに実感されて来ます。
この時、世界帝国の広大な版図を背景に、幾つもの地域的宗教が、シンクレティズムと共に、衰退に対応する「救済宗教」として姿を表します。それは、世界帝国同様、最終的に一つの宗教が勝ち残り、これが文明の「世界宗教」となります。
ヘレニク文明の世界宗教は、キリスト教であったのです。
世界宗教は、文明の衰退を実感し、帝国の解体を憂える世界帝国の為政者によって、人民の心を帝国につなぎとめるための道具として、政策的に利用されます。また、世界帝国が可能とした、国境を超える文物の自由な移動の便宜に乗って、世界宗教は、文明の隅々に伝播され、文字通り、「世界宗教」になるのです。
ヘレニク文明の世界宗教の候補には、エジプトを起源とするイシス崇拝や、東方起源で、ローマ軍人のあいだで広く支持されたミトラ教や、ギリシアのオルペウス秘教や、ゾロアスター教、マニ教などがあり、特に、ミトラ教は、広く流布し、キリスト教のライヴァルでした。
キリスト教の信徒は、一般庶民から、下層階級の人が多かったのです。ミトラ教は、もう少し裕福な市民階層や、軍人が支持者にいました。
ローマは帝国となってより後、段段と文明が衰退して行きます。退廃主義がはびこり、共和制ローマ時代の躍動した力が消えて行き、市民も、衰退を感じます。これに対し、征服する土地はもはやないので、(征服できる場所はすべて征服して、世界帝国はできあがります)、外征で、内部の衰退を言い訳することもできず、他方、ゲルマン族が、ローマ辺境で活動を開始し、帝国の安全や平和や威信も低下して行きます。
そこで、帝国は、一部不良分子の活動で、帝国の質が劣化してきたのであるとし、ユダヤ教と、それにまじえて、キリスト教徒を弾圧します。ユダヤは、紀元1世紀の末に、エルサレムを破壊され、ユダヤ人は、離散の民となっていました。
諸悪の根源は、ユダヤ人だと最初言いかけたのですが、弾圧を受けたキリスト教が、弾圧に屈しないで、ますます勢力を拡大してきたので、諸悪の根源は、キリスト教だと、帝国は宣言します。人殺しや強盗が横行するのも、キリスト教が背景にあるからだとされます。
キリスト教は、下層市民からの支持を得ていたので、上層ローマ市民から見ると、奴隷や盗賊の信じているのが、キリスト教という得体の知れない邪教だとなったのです。
キリスト教もそうですが、ミトラ教も、イシス崇拝も、基本的に似たところがあるのです。何が似ているかというと、彼らの神が、殺されて甦る、復活するということです。ミトラの場合、少し違ったかも知れませんが、この特徴は、「救済のメッセージ」は、ローマや、その勢力以西ではなく、東方の古い宗教が多く興隆した地域での宗教シンクレティズムから来ているからです。
ローマの神は死して後に復活するなどということはないのですし、他方、小アジアを中心として、死後に復活する神の信仰というのは、非常に大きな勢力を持ち、東西ローマで、このような救済の教えが、民衆の支持を得ていたのです。
キリスト教は、ユダヤ教の異端ですが、パウロが小アジアに福音すると、あっと言う間に広まります。しかし、パウロは書簡で反論しているのですが、それは「キリスト教ではない」。アッティスはキリストではない、その他の復活植物神もキリストではない。マリアは、人間イエズスの母に過ぎず、キュベレーはマリアでない、アプロディーテもマリアでない、ディアーナも、神々の母レアーも、マリアでない、と主張しました。
キリスト教は、「父なる神」と、その偉大な「預言者=救済者キリスト」の宗教なのですが、小アジア、そして地中海沿岸世界へと流布するにつれ、「太母神」が、もう一つの極として出てきます。「母なる偉大な神」を受け入れると、オリエントの植物神宗教と区別が付かなくなるので、キリスト教は、太母神を拒否しますが、しかし、結局、マリアに、テオトコス(神の母)の称号を与えます。
こうしないと、信者がキリスト教から離れて行くからです。キリストの「神的母」として、中性名詞の「聖霊」を置き、こうして、「三位一体」教義の原型ができます。
イエズスの母はマリアで、しかし、キリストは、聖霊によって受胎するのです。
とまれ、救済者である神が、死して後蘇るという宗教が、地中海世界では、「救済宗教の神」としての条件を満たしていたのです。それはイシスの夫オシリスがそうですし、ミトラもその資格を持っていました。
しかし、先に述べたように、支持階層の違いからか、キリスト教の信徒が、帝国衰退や、帝国の風紀紊乱の責任だとされ、スケープゴートになって、多くのキリスト教信徒が、弾圧され、悲惨な殉教を遂げました。しかし、教祖=救済者である神が、死んで甦るという宗教では、弾圧や殉教は、むしろ、救済の可能性を高めることにもなり、殉教者があまり出なかったミトラ教やイシス崇拝に対し、キリスト教は、信者数をますます増やして行ったのです。
キリスト教は、弾圧され、殉教者を出すことで、ますます大きな宗教になって行き、優れた人物が輩出し、信徒の数は増えて行ったのです。
ディアクレティアヌス帝が大弾圧を行った後、コンスタンティヌス大帝が帝位に就いて、冷静に帝国の状態を考えて見ると、帝国は四散に分裂し、衰退しており、皇帝権力の威光はもはやなく、帝国市民を統治するには、いままで、帝国衰退の元凶だと言っていた、キリスト教の信徒勢力の協力を得るしかないという状態でした。
キリスト教の信徒勢力は、そこまで大きくなっており、弾圧によって、組織は強固になっており、団結力も強く、また倫理水準が、一般ローマ市民に比べ、遥かに高く、信頼できる人々となっていたのです。
こうして、コンスタンティヌスは、みずからもキリスト教信徒となり、キリスト教をローマ帝国の国教と定めます。
以上の過程で、何故、キリスト教が、発展進展したかの原因・理由を考えると、
1)キリスト教は、下層民衆の宗教であった。預言者=教祖=神イエズスが、そもそも下層出身であり、その弟子たちも、下層出身者が多かった。貧しい者・差別されている者こそ、救われるとイエズスは説いた。
またイエズスは、ユダヤ人と異邦人を救済において区別しなかった。更に、現在からすると、信じがたいかも知れませんが、イエズスは、男女の平等を説いていたのです。
イエズスの直弟子たちは、異邦人伝道には消極的で、男女平等も認めませんでした。パウロはしかし、異邦人伝道に熱心で、キリスト教の原型はパウロが作ったのです。しかし、パウロも女性差別者でした。
ところが、伝道を始めると、小アジアにあっという間に伝わり、パウロは反論したのですが、男女は同権だとか、キリストはアッティスだとか、マリアはディアーナ女神だとか、パウロのキリスト教が違う方向へと進んで行きます。
パウロの思惑はともかく、キリスト教は、太母神信仰の基盤の上に乗って流布して行き、男女平等なので、女性信徒が多数生まれ、下層の市民も天国に入れる、奴隷も天国に入れるというので、広範囲に、下層庶民や女性に広まって行ったのです。
2)小アジアの太母神女神崇拝宗教とシンクレティズムを起こしたキリスト教は、マリアにテオトコス・マーテルデイー(神の母)の称号を正式に与えることで、その父権的性格を失うことなく、うまく、元の男性優位宗教の形を回復して行きます。
このシンクレティズムの過程で、キリスト教では、イエズスは自称していなかったのですが、「神の息子」ということになり、「三位一体」の教義ができます。また男女平等を、結局、承認したので、男女や身分の上下や、民族の別なく、救済がある宗教ということになり、普遍世界宗教の資格を持ちます。
もっとも重要なことは、十二弟子の主張や、パウロの主張が、結局、歪曲されたということです。しかし、こうしてキリスト教は変化することで、真のキリスト教となり、キリスト教は、西欧中世はともかく、布教に伴い、「核心的教義」は変えてはならないが、周辺的部分は、布教先の状況に合わせて,方便でよいという柔軟性を持ちます。
結局、ディアーナやアプロディーテやレアーを、テアトコス・マリアとして、組み込んでしまったのです。
3)キリスト教は、迫害され、殉教者が増えると、ますます信徒の信仰は強まり、それを知って、入信する人が増えて行ったという宗教です。これは、イエズスは十字架で殉教して神になり甦ったという誤解も一つの原因ですが、殉教によって、救済され、天国に行け、復活するという教えの宗教は、「死」を恐れないが故、多くの人を感銘させたということがあります。
イスラム教のジハードで、勢力が急激に拡大したのに似ています。死後に復活や栄光や救済を確信する宗教は、現世の安楽や富や権力を願う、ローマの多くの宗教に比べ、負けようがなかったとも言えるのです。
4)キリスト教には、迫害時代であっても、優れた神学者が輩出し、当時の最高の知識人や哲学者とも交際しており、教えそのものが、たいへん矛盾した難しいものであったので、(父なる神とキリストの関係、キリストは人か神か、マリアは何か、聖霊は何かなど。また救済とはどういうことかなど)、どう合理的に説明を付けて教義を確立するかで、多大な精力を費やしたこと。
ギリシア哲学の精髄(主にプラトン哲学)を援用し、紀元1世紀終わり頃から,すでに神学論争を始めており、その結果、帝国の弾圧を受けつつ、教会内部でも、異端論争などを行い、非常に水準の高い論理に高めて行ったこと。これは、曖昧な神話や神秘性で、信者を獲得しようとした、イシスの崇拝や、ミトラ教を優越する材料となった。
オリゲネスなどのギリシア教父や、アウグスティヌスなどのラテン教父は、非常に高い教養を持ち、哲学的にも卓越していたため、キリスト教は、哲学的にも、深い教義基盤を持つことになった。1)の庶民性に加え、このように、神学的・思想的にも、重層的な伝統を築いたので、哲学者と議論しても、負けないぐらいの理論性を持っていた。
5)ミトラ教も、1や2の資格は持っていたのですが、支持市民階層が少し高かったのと、軍人が支持者であったため、迫害や弾圧を受けず、かえって、その結果、信徒数でも、信仰の強さでも、3の要因で、キリスト教に遅れを取ってしまったのです。
これらが、キリスト教がローマ帝国の国教とまでなった理由だと思えます。そして、以上に挙げた理由は、キリスト教が、ヘレニク文明の世界宗教から、ゲルマンやケルトの西欧、そして北欧、スラヴ世界へと伝道される過程でも、同じようなことが起こったといえるのです。
迫害はなかったでしょうが(また、キリスト教の伝道師は、教養が高く、かつ殉教を恐れない優れた人物が多かったので、伝道師の人格で、キリスト教に帰依した人も大勢いたのです)、テアトコス・マリアに、各地の大地女神や太母女神は重ねることができたのです。
また、殉教の歴史を通じて、キリスト教には、大勢、「聖人」ができていましたが、各地の神や霊などは、扱い易いものは、キリスト教の聖人にしてしまうことで、組み込むことができたということです。
中世に西欧で異端審問が始まるまでは、キリスト教は、柔軟で寛容な宗教であったのです。西欧に布教すると、西欧の土着信仰とシンクレティズムを起こし、ビザンティン帝国(東ローマ)のキリスト教とは、かなり異なったものとなって行きます。
しかし、ビザンティンのキリスト教は、それ以上進展しませんが、西欧のキリスト教は、更に展開・発展して行きます。地球中を、やがて席巻するのです。
No.6
- 回答日時:
母体となったユダヤ教との違いが大きな理由だと思います。
ユダヤ教の中にもさまざまなセクトがありましたが、イエス(の家系)を中心としたセクトは、他の閉鎖的セクトに比べ、より広く門戸を開放する傾向にありました。「ユダヤ民族じゃなくても、うちらの宗教を勉強したがってるまじめな人なら、入れてあげようよ。割礼は無くてもいいんじゃないの」といった感じです。これがために仲間内から裏切り者が出たりしたわけですが、布教の貢献者パウロのみならず、イエス自身も初期のころからイスラエルの地にとらわれることなく、当時の世界の中心であるローマに目を向けていたようです。
ただ、これはローマ人に布教するのが当初の目的ではありませんでした。すでにローマ世界には多くのユダヤ人が住んでおり、かれらは祖国から遠く離れた、おもに商業に従事する身でありながら、ユダヤの教えに直接触れる機会を待ち望んでいたのです。また、西暦2,3世紀には多神教であるローマ世界の風紀・道徳がみだれたことにより、ユダヤ人以外の人々の中にも「もっとちゃんとした規律」を求める傾向が強まったのではないでしょうか。
「異民族の信者」が増えてきたこと、収入の10分の1を寄付させるユダヤ教的システムにより教団として莫大な財力を蓄えていったこと、セクトの長が死刑のあと「復活」したと宣伝することで「われらがセクトこそ、旧約聖書の預言をまっとうできる正しきセクトなり。今後、名を『救世主教団』(クリストゥス)と変えちゃうから、まじめな人たちドンドンおいでという方針、etc. これらが時代とマッチしたと見てはいかがでしょうか。
ご意見ありがとうございました。
私のような全くの素人でも良く分かるよう
説明して頂いて感謝しております。
ありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
No.3の方の意見が分かりやすいと思います。
もともと宗教(原初的な呪術も含む)は土着的な性格をもっていますから普遍的に受け入れられるのは難しいと考えるのが普通です。キリスト教は異端の裁判などで他の宗教に対してあまり寛容でない印象を持ってしまいますが、発生初期においてはその土地土着の信仰を柔軟に取り入れていた例もあります。ゲルマンやケルトへの布教はもっぱらこれによったように思います。
ケルト人にはドルイド僧を中心とした土着の宗教観が強かったことが実際に聖職者の記述にも見られるようで、布教の様子をドルイド僧対聖職者の不思議な力対決(陰陽師の映画みたい)にまじめに描いたものがあります。(「秘境のキリスト教美術」岩波新書より)
また時代が下っても歴史的には「典礼問題」(中国布教の際の儒教思想取り入れの議論)などで知られるイエズス会の布教の姿勢はかなり世界宗教化に貢献したように思います。(アジア方面など)
プロテスタントの発生もかなり重要に思います。これによってこの宗教が限られたひとのものから(事実上)すべてのひとのものになったように思います。仏教でも上座部仏教は個人の解脱が中心でしたが、その後大衆の救済を中心とする大乗仏教の登場によって大いに人々に広まりました。
ご意見ありがとうございました。
プロテスタントの発生と、大乗仏教の発生、
宗教は違えど確かに似たような意味合いを持っており
このように例を挙げてご説明してくださったので
容易に理解する事ができました。
ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
パウロの功績が大きいと考えられます。
西暦51年に教会として始めての会議がエルサレムでひらかれ教会のあり方と宣教の方針について激しい論争が行われました。ユダヤ教の伝承の中で育った使徒たちの多くは割礼を始めとするユダヤの律法を重んじ、異教徒を受け入れるときにもこうしたユダヤ教の枠の中に取り込まなければならないと考えていました。これに対し国際的な素養と感覚を身につけていたパウロはキリスト者であることを「ユダヤ教を含む既存の宗教の枠を越えること」として主張しました。長い論争の末、パウロの正論が認められ教会は世界に向かって開かれました。
ご意見ありがとうございました。
キリスト教におけるパウロの貢献というものが
いかに大きかったものか、
あとでゆっくりと調べてみたいと思います。
ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
一因として、キリスト教というのは、すでにそこにあった土着の宗教をとりいれるのが実に上手なのです。
私が聞いたところでは、イングランドの一部(たしかケルト地方)では「黒マリア」というものが見受けられるそうです。これは事実、くろっぽく塗られたマリア様(の像)なのですが、これはそのあたりの土地にもともとあった女神信仰の名残りだそうです。「女神を信仰する」文化のあるところに、いきなり「キリスト教を信じろ」と言うのではなく、「その女神は実はマリアである」「ゆえにその女神をあがめることは、キリスト教を信仰するのと同じことである」というやりかたで布教したのですね。
そこにあるものを否定するのではなく、うまく形を変えて取り込み、取り入っていく。見事なやり方だったと思います。日本でも「マリア観音」というやりかたが見受けられますね。もちろんキリシタンであることを隠す意味もあるでしょうが、それでも「観音様をあがめることもマリア様をあがめるのと同じだ」という理屈は、ほかの宗教にくらべて寛容でしなやかだと思います。
あと、ビジュアルがいいですよね。十字架、磔刑像、マリア様、天使、イコン。非常にシンボル化にも優れており、ことばのみでなくビジュアルを通して布教が可能だったことも大きいですね。ヨーロッパ文化というのはもともとシンボルというものを非常に発展させた文化でしたが、そのなかでもキリスト教のビジュアルイメージは特によくできていると思います。
ご意見ありがとうございました。
特に、ビジュアルが良い、と言う点につきましては
考えてもみませんでした。
貴重なご意見、感謝しております。
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