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杉野兵曹長は行方不明になったままだと思っていたのですが、先日のこのサイトに、遺髪が収納されて云々の書き込みがありました。

広瀬大尉が被弾してから、杉野兵曹長が発見(遺体で?)されるまでの経緯について、ご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示ください。

A 回答 (6件)

「もし、炸裂したとしたら周囲の人間も同じ運命になっているはずでしょう」



出典は今は示せませんが、広瀬中佐と同じカッターに乗っていて生還した隊員の証言では「中佐に砲弾が直撃し、中佐の姿は一瞬で消え、肉片だけが残った」となっていたと記憶します。

ロシアの砲台がどんな大砲、砲弾で港内から脱出を図るカッターを撃っていたかは恐らく不明でしょう。ただ、小さな目標ですから、当時「速射砲」と言われた5インチ程度の大砲で射撃していたと思われます。
http://ww1.m78.com/topix-2/armoured%20cruiser.html
に「速射砲」の解説があります。

5インチ砲の信管は、非装甲艦を撃つのが主目的ですから瞬発信管だったでしょう。ただ、この信管が「人体」に当たった場合に作動するかと言うと、恐らく作動しないでしょう。

広瀬中佐は、カッターの一番後ろの艇長席に座り、敵弾が次々に飛来する中を隊員を叱咤激励していたはずです。その場合、艇長は隊員より高い位置に位置することになります。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Momiji/6738 …
http://www6.ocn.ne.jp/~y-rinkai/katta.htm
の写真で想像がつかれるでしょう。

カッターは、ごく近距離(1000メートル程度?)からサーチライトで照らされて砲撃を受けていたはずです。その場合、ほぼ水平の弾道で飛来した5インチ速射砲弾が、兵員より高い位置にいる中佐に命中した場合、信管が作動しない砲弾は、中佐の体を引き裂いてそのまま水平方向に飛んで行ったと思われます。

運動エネルギーの強い弾丸がヒトやウマの体に命中した場合に、炸裂しなくても、衝撃波で体を破壊する効果があります。例えば、米軍の第二次大戦当時の戦闘機が主用した0.5インチ(12.7ミリ)機銃(炸裂弾はなく実体弾。初速が大きいのが特徴)は、日本側搭乗員の頭や胴体に命中すれば即死、手足に命中すれば骨や組織が粉砕され、切断手術をする以外に救命できなかったそうです。1000メートルもない所から発射された5インチ速射砲弾の持つ運動エネルギーは、0.5インチ機銃弾より遥かに大きなものになります。

実際は、中佐の体は「信管の作動しない5インチ砲弾によって引き裂かれながら空中を飛翔」する結果となったのではないでしょうか。その場合、血と肉片がカッターに残ってもおかしくありません。生還した隊員の中佐の最期についての証言は正確であったと思われます。

ウィキペディアには「広瀬中佐の遺体がロシア軍に回収された。首がなくなっていた。広瀬中佐の遺体と確認された」旨の記述がありますが、これは初耳です。私見では「ガセネタ」と思います。

なお、中佐に命中した砲弾がカッターに命中すれば、信管が作動して炸裂し、カッターを粉砕していたでしょう。隊員は全員戦死です。5インチ砲弾にはそのくらいの威力は十分あります。
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この回答へのお礼

人から聞いた話を鵜呑みにせず、自分の考えで疑問点をつぶす、という姿勢が大切、と日ごろから思っています。

有難うございまいsた。

お礼日時:2007/09/06 19:58

すいません、カッターに乗っているという点を見落としていました。

カッターくらいなら一撃で破壊されますので、私も銃弾か不発だと思います。
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>、”砲弾に当たった人体の肉片が残る”というようなことがあり得るでしょうか?


>もし、炸裂したとしたら周囲の人間も同じ運命になっているはずでしょう。
当時は8インチ以下の砲が沢山つんでありました。
もちろんロシア側の主力はもっと大きな砲ですが、砲の数も8インチ以下の砲が多いですし、発射間隔も早いです。そして当時のロシア(というか世界標準)の対艦砲弾は、徹甲弾といって、鉄の塊の中に少しだけ火薬が入っているものです(日本は焼夷効果の高い火薬を使っていました)。人をバラバラにするような危害半径は数メートルです。もちろん戦艦の主砲を食らえば一区画丸ごと吹き飛びますが(爆発せず突き抜けることも良くある)、副砲ならバラバラになるのは0~数名なわけです。
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福井丸は戦後に引き上げています。

彼は船内で戦死したはずですので
その際に遺体回収されたと思われます。
(第三軍参謀長伊地知少将は旅順陥落後に中将に昇進して旅順の後片付けを行いました。海軍は左近地少将です。尚、左近地の息子が226事件の河野大尉)
広瀬はたしか4月、旅順港に遺体が漂着して恋人アリアーズナの兄が遺体確認したはずです。このお兄さんはレトウィザンの士官乗組員でした。
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この回答へのお礼

多くの方々からご回答をいただき嬉しく思っています。

遺体回収された可能性については、資料がないかぎり断定できないのではないかと思います。
また回収されたとしても数ヶ月以上経っているわけですから、本人確認も難しいのではないでしょうか?
とまれ、資料の確認が先決ですね。(新聞記事でもよいのですが・・・)

広瀬大尉の方ですが、「砲弾に当たった」といわれる遺体が、本人と識別できるでしょうか?
この点も疑問に思います。

多くの方のご回答に感謝します。
ポイントを全員に差し上げられないのを申し訳なく思います。

お礼日時:2007/09/05 21:47

大東亜戦争中の戦記を読むと「あ号作戦(サイパン沖海戦)の前に遺髪を用意したがムダになった」と言った記述が良く出てきます。

(海軍の場合、乗っている軍艦が沈んでしまえば用意した遺髪ごと沈んでしまいますが)

旅順口閉塞作戦は「決死の作戦」ですから、参加者は死を覚悟し、出撃前に身辺整理して遺書や遺髪を用意した筈です。「杉野兵曹長の遺髪」はそういうものでしょう。

なお、艦上で戦死した者を水葬する際は、髪や爪を切って遺族に遺骨の代わりに渡したようです。

広瀬中佐については、「カッターの端(艇長の席)で兵員を励ましていた中佐に敵砲弾が命中して中佐の姿は一瞬で消え、肉片だけが残った」とのことです。その肉片を部下が大事に持ち帰り、用意されていた遺髪等と合わせて「遺骨がわり」としたのでしょう。
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この回答へのお礼

遺髪の件は納得です。
多分そうでしょうね。

前から疑問に思っていたのですが、”砲弾に当たった人体の肉片が残る”というようなことがあり得るでしょうか?
回りにいる人間は砲弾が当たったことさえも認識できないのではないでしょうか?(一瞬に消える・・・)
もし、炸裂したとしたら周囲の人間も同じ運命になっているはずでしょう。
わたしは「砲弾ではなくて銃弾」であろうと思っています。

ご回答有難うございました。

お礼日時:2007/09/05 21:53

質問者様の仰っている(と思われる)質問を拝見し、改めてweb検索をおこなったところ、参考URLを発見しました。

ただ、ここを見る限りでは広瀬少佐(戦死後、中佐)の「遺体」と「遺髪」であり、杉野上等兵曹(戦死後、兵曹長)のものではないということになります。

・杉野兵曹長の遺体が発見されたと言う情報は聞いた事がない
・参考URLは大分にある広瀬神社を紹介したものである

私も質問者様と同じく杉野兵曹長はまだ見つかっていないものと思います。

(ただ、作戦開始前に予め遺髪を残していった可能性は否定できません)

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/heiki2/hiro …
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