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九八式直協偵察機、百式重爆、九九双軽
いろいろいますよね。

でも、旧陸軍が攻撃かけるときは火砲、戦車の支援はあっても
航空支援がいるイメージがない。
戦闘機の制空戦闘と双発機による戦略爆撃の話が多いような。

陸軍航空隊の小型爆撃機、攻撃機の実態は?
ちゃんと敵陣地や戦車を攻撃していたんでしょうか?
やっていたとして独米ソよりは密度低めですか?
戦局が守勢に回った後は、どうしてたんでしょうか?
特攻はわかりますが、それ以外で。転属?

A 回答 (5件)

 他の皆様のおっしゃるように、いわゆる襲撃機というのがその任務用の機体だと思われます。

当然敵陣地や敵戦車の攻撃が任務なんですが、何人かの戦史家のお話によると、陸軍のパイロットはその任務を嫌がり、時には命令拒否もあった。その理由は自己の火砲の能力の低さと、防弾・防火性能の不足、地上部隊との連絡困難にあったとのことです。

 火砲の能力の低さについては、基本的に日本陸軍機の機銃は7.7mmが基本であり、後期にようやく12.7mmが装備されるようになりました。ご存じのとおり前者は装甲貫徹力はゼロに等しいですから、軍用機に装甲版がひろく装備されはじめた第一次大戦後はも時代遅れもいいところ。当然戦車なんぞ撃っても相手は屁とも思いません。では地上陣地の兵員を狙えばといっても、装備数がせいぜい2丁では十分な有効打をあたえきれない。欧米のこの種の機体は大口径機関銃(砲)を装備するか、小口径機関銃の多数装備、もしくはその両方という方向に行ったのですが、悲しいかなエンジン出力で決定的に劣っている日本ではそれは不可能でした。
 また、日本陸軍機の中でも襲撃機については一定に防弾・防火性能は確保されていましたが、いわゆる防弾板は6mm程度だったようですが、たとえばソ連軍の主力小銃の7.62mm弾だと8mm程度の装甲版は貫通できたという話です。歩兵の小銃弾に貫通されてしまう装甲を果たして装甲というべきか、という話です。じゃあ防火性能はといえば、日本のゴム技術は圧倒的におくれていたため、燃料タンクのセルフシーリングは能力不足だったということです。

 もうひとつ、日本軍では攻撃機と地上部隊との間に有効な連絡手段がなかったといわれています。そのため地上部隊は地面に日章旗を広げて友軍の誤爆を逃れたという話が伝わっています。ただそれは逆に相手側に自軍の位置を公開してしまうことになってしまうため、砲兵能力で卓越する相手には使えません。結果ノモンハン事件あたりからおこなわれなくなったとのこと。

 そもそも対航空機攻撃と違って、地上攻撃というのは無傷では済まないのだそうです。だからこそ相手を圧倒できる火力と、相手の火力に耐えうるだけの防弾・防火性能が求められます。日本軍機はその両方とも満足できる機体が用意できなかった。たった2丁の豆鉄砲で無数の火網の中に突っ込むなんて芸当は損害ばかりで戦果が期待できない。しかも味方を撃ってしまうかも。

 こんな要因が重なって、日本軍は相対的に地上攻撃には消極的だったということらしいです。ただし、そういう中にあっても満州事変当時は対シナ軍相手には地上掃射を行っていたようですが、訓練と戦意不足ゆえか、成績は不良だったとか。

 駄文で失礼いたしました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。機銃の火力のお話は分かりやすい。言われてみればその通りです。フライトシムでは日本陸軍で地上攻撃やってないので経験なかった。装甲の話はちょっと考えさせてください。地上攻撃はIl-2、P-47などそれに向いた機体ばかり使ってました。

お礼日時:2014/11/26 02:45

帝国陸軍の場合、戦闘機が爆弾を搭載できるように作ってあるので、それが地上支援に使われました。


たとえば一式、隼は250kgの爆弾がつめるわけです。ヤーボの考えが、中国での経験から、非常に早くから陸軍にはあったわけです。

なので、ドイツのスツーカやソ連のIL-2に相当する機材は、九九軍偵/襲撃機しかなかったわけですが、それでも日本機としては多くの二〇〇〇機以上生産され、防弾、攻撃装備がよくととのえられて重宝されたといいます。陸軍機ですが潜水艦まで沈めていますから、使い勝手のよさが想像できるとおもいます。

なので、地上直協には、単発戦闘機と、基本、九九襲撃機が出向いた、とまとめていいと思います。守勢となった末期には、いやな話ですが特攻です。運動性がいいので九九襲撃機で命中した機材がいくつかあったそうです。

ちゃんとやっていましたが、貧乏ゆえ数が少なくて密度が薄かったのが、現実だったのです。

この回答への補足

皆様ありがとうございました。装甲の有効性など錯綜する情報もあり、自分で資料に当たらなければフェアな判定はできない状況に。残念ながらその余裕は無い。つきましてはeさんkさんmさんの三方に絞り込んだ後、ダイスで決めさせていただきました。こちらはすっきりまとまっていると思います。爆弾の話も重要です。

補足日時:2014/11/26 02:58
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
ヤーボの発想は早くからあった、潜水艦撃沈等のお話は収穫です。

お礼日時:2014/11/26 02:22

そら兄さん、当時の日本は陸軍だろうが海軍だろうがロクな無線機が作れなかったから、「こちら地上部隊。

アー、航空部隊へ。前方の陣地への支援を要請する」「こちら航空部隊。ラジャー」というアメリカ軍のアレはできなかったのです。

陸軍航空隊の主要な戦う相手は敵空軍(航空部隊)であり、主要攻撃目標はまずは敵航空機ならびに飛行場です。次が敵陣地だったり、敵の後方にいる砲兵部隊などです。
質問者さんがイメージするのは、あのスツーカでおなじみのナチスドイツ空軍による航空戦術支援ですよね?あれはですね、当時のナチスドイツ軍は空軍を「空飛ぶ砲兵」として使うという運用思想があったためです。それがあの戦車を使った「電撃戦」とコラボすると融合モンスターとなって絶大な威力を発揮したのです。
だけど、あまりに電撃戦とのコラボに偏重しちゃったために戦略空軍としての機能はなかった(そこまでの予算はさすがになかった)し、あまり知られていないことですが、「空飛ぶ砲兵」として空軍に予算をつけたため、その分陸軍の砲兵部隊への予算は削られてしまって、ドイツ軍砲兵部隊は特に機械化が遅れてしまったのです。

それにさ、敵戦車への攻撃って、日本陸軍が主に戦っていた中国軍は戦車なんてリッチなものはほとんど持っていませんでしたからね。今のイスラム国みたいなものです。敵が持ってない兵器への対抗手段は予算的に後回しになるのはしょうがないじゃないですか。

ついでに陸軍航空隊の名誉のためにいうと、日本陸軍機が海軍機に比べて航続距離が短かく爆弾搭載量も少ないのは、機体にちゃんと防弾処置を施してあったからです。防弾処置を施すと、機体は重くなるし、燃料スペースも狭くなるでしょ?そうなりゃどうしても航続距離は短くなります。炭酸ガスボンベを搭載して消火できるようにしていたなんて、モダンでしょ?でも炭酸ガスボンベって重いですからね。飲食店の生ビールサーバーにくっついていますけど、圧力に耐えないといけないから、すんごく重いのですよ、あれは。
また当時の日本は戦車用だろうが航空機用だろうが、とにかくエンジンの性能(馬力)が低いものしか作れなかったんです。馬力が低いエンジンで機体が重くなれば、爆弾搭載量も減ります。
逆にいうと、海軍機は安全装置を外すことで航続距離と爆弾搭載量を稼いだのです。
だから「ゼロ戦には防弾処置がまったくなかった」という話は定番ですが、見た目がゼロ戦と見分けがつかない陸軍の隼戦闘機にはそういう話はあまり聞かないでしょ?隼は防弾処置が施されていたのです。だから隼の航続距離は短いし、格闘性能もゼロ戦には及ばなかったのです。その代り、極限まで無駄を削ったゼロ戦はピーキーでクセが強く操縦が難しかったそうですが、隼はクセがなくパイロットには非常に好評だったそうです。
実は陸軍航空隊って、知的なエリート部隊だったんですよ。あの特攻も「海軍さんがやることでしょ。俺らはそんなバカバカしいこたやりたかねえよ」って気が進まなかったみたいですからね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
米、独、日本陸軍、日本海軍のそれぞれの事情のお話は勉強になりました。
>ピーキーでクセが強く
その通り。フライトシムでは零戦を使えこなせませんでした。防弾がないという弱点だけは降り掛かってくる。リアルに陸軍航空隊と縁があること、ソ連萌えと裏表であることもあって、日本軍シナリオは陸軍中心でした。日本機で相性が良かったマシンは97戦、飛燕、雷電。

お礼日時:2014/11/26 02:31

NO1の方がおっしゃる様に『九九式襲撃機』も主力ですね。


そして『九八軽爆』『九七重爆』もありましたね。

マレー作戦、フィリピン作戦も、飛行場獲得後は活躍しました。
ただ、その時には連合軍の戦車は無く、もっぱら飛行場攻撃等に使用されました。

しかし、元々後続距離が短く、海洋航法を持たない攻撃部隊は、南方に進出しませんでした、
第1段作戦終了と伴に、本来の対ソ戦に備える為、満洲に戻っています。
残ったのは、戦闘機主体でした。
また、戦闘機の半数も本土防衛の為に作戦し、攻撃部隊は、編成されていません。

南方で必要とされたのは、比較的航続距離の長い、戦闘機(例えば『飛燕』『九七重爆』)が進出しています。
しかし、対艦攻撃の爆弾を陸軍は持たず、もっぱら飛行場攻撃にしか使えない。
そういう海洋作戦である事で、『九七重爆』には、活躍の場がありません。
一方『飛燕』は、それなりの成果を収めましたが、故障が多く、稼働率が悪かった様です。

元々、陸軍の航空部隊は、数的に対ソに劣っていたので、満洲のたくさんの飛行場を機動運用される為に開発され、国境突破の事を優先事項としていました。
重爆は、その後方の橋梁、堅陣攻撃の為に開発され、対米は一切考慮されておらず、海軍も陸軍航空隊の進出を望んでいませんでした。

本格的に陸軍航空隊が、進出するのは、ニュウーギニア戦線に少数参加していますが、本格的には、比島防衛作戦の、第2、第4航空師団からです。
満洲から部隊を引き抜きましたが、役に立たず、比島で敗れた後は、特攻にしか利用されていません。

『呑龍』は、製造機数も少なく、稼働率も低かったので役に立たなかった様です。
『飛龍』も同じく製造機数も少なく、一部は海軍指揮下に入り、雷撃訓練した戦隊もありますが、
台湾沖航空戦で、消耗されています。
他には、飛行場強行着陸に計画されたりしましたが、取りやめになったり、実施しても失敗しています。

そもそも、日本の重爆は、B29の様に戦略爆撃の為に開発されておらず、狭い範囲の対ソ戦術爆撃機で、海洋航法も念頭に無く、陸軍は対艦爆弾も持っていなかったので、太平洋戦線に投入されても活躍の場が無かったのです。
重爆と呼んでも、2発航空機で、爆弾搭載量も少なく、4発は終戦までに開発できませんでした。

そして、『九八式』『九九式』『百式』は、既に老朽化していました。
期待されたのは『四式』の『飛龍』だけです。
陸軍は、軽爆の後継機の開発に失敗していたのです。

だから、陸軍航空部隊は、活躍の場が無かったのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。陸軍航空隊の組織の性格、戦況や技術の成り行きから活躍できなかったというお話、勉強になりました。

お礼日時:2014/11/26 02:33

あともう一つ九九式襲撃機になりますね。


ちゃんと攻撃していたかとなると、まあやっていたんでしょうがそもそも日本が日本の制空権下で戦車を駆逐するシーンがほとんどないですよね?マレーやフィリピン攻略とかでは一定の戦果を挙げていたと思いますよ。特にマレーでは銀輪部隊による速攻作戦でしたので、近接航空支援は重要だったのではないでしょうか?

ただ中国戦線では敵戦車なんてほとんどないですし、帝国陸軍が来たらすぐ逃げるような相手だと近接航空支援を求める機会がそもそも少ないですよ。そして戦争後半では制空権が取られてこんな機体飛ばせるわけがありません。
基本的に活躍の舞台が少なかったと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。概略としてはいちばんまとまっていると思います。

お礼日時:2014/11/26 02:34

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