プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

 中学生の頃にも一度陥って、その時は一週間程で自然に
忘れていったのですが、三十代に突入して突然、死への恐怖に
再び憑り付かれ、なかなか脱却する事が出来ません。何度か
心療内科にも通った程です。(不安障害と診断されました)

 死が怖いのです。家族や友人の死も勿論怖いのですが、
一番怖いのは自分自身の死です。視覚・触覚・聴覚と
いった全ての感覚が消え去り、自分が完全な無になって
しまう。それなのに世界は変わらず続いていく…そう考えると
心臓が激しく鼓動し、胃がせり上がり、夜も眠れません。
 母に話してみましたが、「あなたはまだ若いし不治の病に
なったという訳でもないのに不思議で仕方ない。お母さんは
死は全然怖くない。いつ死んでもいいと思ってる。」との
事です。母の感覚の方が普通だとは分かっています。
この世で唯一絶対の真実と言っても過言ではない「どんな人
もいずれ必ず死ぬ」事に恐れおののく自分が、貴重な時間を
無駄にしている大馬鹿者に思えてひどく落ち込みます。
 死について考えないように、考えないように、と考えれば
考える程思考がそちらに行ってしまいます。心療内科の
先生は、「気持ちの悪循環」だと仰いました。そして
「哲学者や宗教家が必ず行き着く究極の問いだ。一度
とことん考え抜いてみるのもいいかも。」とも。

 皆さんは同じような考えに囚われて、苦しい日々を送った
事がありますか?また、それを克服した出来事や方法が
ありましたか?そういった体験談を教えて下さると
嬉しいです。

A 回答 (13件中1~10件)

自分は幼稚園か小学生の頃から「死に対しての恐怖」が有りました。

あなた同様に「死=終わり=何も無い」と言う考えでした。でも、今はそうは考えてません。
死は1サイクルの過程でしかないと考えています。死んでも又生まれ変わります。霊の存在がその証では無いでしょうか。自分の目に見えているものだけが全てとは考えては駄目です。科学的に証明されてるだけでも人間の目に見えない物は沢山有ります。まだ証明されない物もあります。
死は肉体の終わりでしか無いのです。魂は死にません。以上
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。参考にさせて頂きます。

お礼日時:2007/09/07 23:03

若いうちは死への恐怖があって当たり前。

気にする必要もありません。
若くして死への恐怖がないのは、逆に死と言うものが身近に感じられないからでしょう。むしろ生への執着のない若者の方が考えなければならないと思います。

私も近親者の死を見て、何度も死に対する恐怖に襲われました。
20代で自殺未遂を起こし、その際、薄れ行く意識の中で喩えようのない悲しみを経験してから死ぬ事を考える事がなくなりました。
しかし、30歳を迎える頃、同級生や後輩が相次ぎ事故や病気で逝ってしまい、再び死について考えるようになりました。
そして、死と言うものは故郷へ帰ることだと考えて、寿命を全うした死は悲しみではなく、ある種の祝いだと考えるようになり、父や叔母の死に際しては悲しいと言う感情さえなくなっていました。
(後始末に追われて、泣く暇すらなかったという事もありますが)

人は歳を経ると死が身近になり、自然とその準備をし始めます。それまでは生きることが使命ですから、恐怖心があって当然なのです。
死への恐怖は若い証拠。自然に任せて精一杯、生きましょう。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。参考にさせて頂きます。
ちなみに私の父は相当の高齢ですが、とても死の準備を
し始めているとは思えません(笑)生への執着に
みなぎっています。

お礼日時:2007/09/07 23:05

 お気持ちとてもよくわかります。

辛いですよね。
 私以外にもこのように苦しんでいる方がおられることを知って、失礼ながら少しほっとしてしまいました。誰かに話しても、わかってもらえるとは思わなくて。でも、苦しくて。このまま一人で苦しみ続けるのかと思っていました。
 でも、今日、どこかに同じような気持ちで苦しんでいる人がいる。そう知って、ほんの少しだけ、気持ちが軽くなったように思えます。
 私が初めてそう思うようになったのも中学のときです。
 その時期に何かがあったわけではないのです。自分の身に何かあったとか、近しい人に不幸があったとかではないのです。
 以来、時々恐怖感が襲ってきます。唐突に。
 30代になった今も、昔ほどではないにしろ、いきなりの恐怖感に苛まれます。嵌ると本当に出口が無くて苦しくて怖いです。いまだに克服できていません。恐怖感がやってくるたびに悶々として、しまいには「考えたくないのに、どうしてアナタはいきなりやってくるんですか!」と恐怖感にむかって逆ギレしている始末です。

 私は少し前から、恐怖感がちらりと姿を見せたあたりで、手首の脈をとることをするようになりました。できれば目を瞑って、指先に脈を感じながら、ゆっくりと深呼吸。それだけです。
 これで落ち着く時もありますし、ぜんぜんだめじゃー!って時もあります。でも5回のうちの1回でも効けばいいかなぁって。
 私は突き詰めて考えたことも、関係本を読んだこともありません。はまりこんだら、精神的に大変なことになりそうで。

 本当に何の参考にもならないですね。でも、貴方と似た恐怖感を持って未だにもがいている人間はここにもいます。

 それからhato-yomeさん。
 普通の感覚だとか大馬鹿者っていう心の貼紙だけでも、ちょっとだけ見えないように畳んでみませんか?
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この回答へのお礼

 お返事ありがとうございます。回答者様は私とほとんど同じ
状況です。そうなんです、病気や怪我、近しい者の不幸が
きっかけではなく、普通に暮らしている状態で突然襲われる
恐怖なのです。数年前祖母が亡くなった時は悲しかったのですが
この恐怖には全く襲われませんでした。
 死に関する内容を選んではいないのですが、雑誌や書籍を
読んでいると、偶然、同じ状況で自己の死について恐怖を抱き
悩んだ著名人(特に作家等クリエイティブな職業の方)の話が
いくつか出てきたのですが、身近な人間にはそんな様子が
見られないので、一般人では自分だけなのかと非常に孤独感を
感じていました。でも回答者様の書き込みを見て、こちらも
非常に失礼ですが(汗)すごくほっとしました。
 考えすぎ、とか今を楽しめとか、年寄りでも不治の病でも
ないのにとか、そんな言葉をいくらかけられてもどうにも
ならないんです。本当に突然襲い掛かる制御不能の恐怖…
ですよね?

お礼日時:2007/09/07 22:49

事故で死にかけた経験があります。


目の前に車が迫ってきていて、「きゃー」っと声をあげたことまでは覚えています。
しかし、その後のこと、ぶつかった瞬間は何も感じませんでした。
カタツムリが触るとしゅるりと体をひっこめるでしょう?
あれと同じような感覚で、抹消から何かが中心に向かって収束していった感じがして、真っ暗になりました。
気がついたときには病院。
体中、ひどいアザと擦り傷だらけで、2メートルくらい飛ばされたそうです。
幸い植え込みの上に落ちたので九死に一生を得たようですが。

なので、死の瞬間はおそらく痛みも、恐怖もないと思います。
ただ「余命○ヶ月」って言われたら怖いですよね。
痛みも苦しいので、苦しむのはごめんです。

ただ、私には死んだ後にしたいことがあって。
魂だけになるのが本当なら、死んだ後に宇宙の果てまで行ってみたいんです。
この宇宙の外側がどうなっているのか、外にもまだ知らない世界があるのか。
もし、創造主みたいな存在がいるのなら会ってみたい。聞いてみたい。
死んだ後にもできることがあると思うと、ちょっとドキドキしませんか?
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。参考にさせて頂きます。
死後の世界や創造主を信じられれば死は恐怖の対象に
ならないと思うのですが、私には無理です。信じたい、
信じれば楽になれるのは分かっているのですが…。

お礼日時:2007/09/07 23:11

誰でもいつかは死ぬと考えながら現在のことに情熱を傾けることはできないと思います。

しかしやれるのは現在のことです。言葉だけとしか取られないとは思いますが、死特に自分の死というのは現在にはないわけです。現在存在しないものを相手にできないのです。幽霊が怖いのと同じ理由です。死ぬのが怖いのではなく、今現在死のことを考えている自分が怖いのです。ところでこの自分というものが何かがわからないことが実はいわゆる自分の死に対する恐怖の源泉ではないかと思っています。考え方はいろいろあると思いますが、自分が死んだ後にもこのようが続くという観念ですら怪しいものです。たとえばゴキブリにとって貴方が考えているような世界は存在するでしょうか。ゴキブリでなくてもよいので貴方が考えているどんなものにとっても貴方が考えているような世界が存在するでしょうか。どこかに恐怖の蟻地獄とでも言うような落とし穴があると思います。抜け出られなくとも一応の納得が得られれば少しは楽になると思います。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。参考にさせて頂きます。
時々思考能力のない生き物に生まれていれば楽なのにと
思います。虫のようなプログラミングされた行動を淡々と取り
死んでいく…。

お礼日時:2007/09/07 23:14

死があたりまえだと思ってるのは他人の死の経験があるからです。


実際にどんな人も経験しますが、そのどんな人も語ることの出来ない領域です。
「死んだことありますか?」
と誰かに聞けば、頭がおかしいのではと思われるでしょう。

したがってhato-yomeさんが死んだ、と思うのはhato-yomeさんじゃない。hato-yomeさんは思えないのですから、hato-yomeさんは死んだりしないんですよ。死なないんだから怖がる必要は無いんです。

いつ眠るんだろう、その瞬間を見逃さないように小さい頃、時には今でもチャレンジしてますがいつも失敗しています。起きたときに、寝てしまったと思いますが、実際眠りも不思議な世界です。今も、実は夢の世界では?そうじゃないとどうして証明をするかなんて考えたりしますが、答えは出てません。
寝たことさえ認識できないのですから、死んだことも認識できないと思い込んでますが。ちなみにマトリックスの影響ではありません。

自分は、死ぬんだろうけど死なないよ、と考えてます。千の風の影響もないです。

いやー眠りって不思議ですよ。家では自分だけお休みなさいではなく出発しますと言ってます。どっかにいって戻ってきて起きる、という感覚なんで。死は戻ってこないということなんですかね。
絶対にどっかに出発してるんですが、どこかわからないんですよ。日々のことなのに。

とにかくhato-yomeさんは死にませんよ。
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この回答へのお礼

 お返事ありがとうございます。偶然ですが私も眠りはとても
不思議な現象だと考えていました。
 眠りと死は意識を失うという点ですごく似ていると思います。
ただ、死は決して覚醒しませんが。私は最近、毎晩眠るという事は
毎晩死んでいると同じようなものだと思い、その内いつか覚醒
しない眠りが訪れる、そう考えると少しは気がまぎれています。
 寝た事さえ認識できないのだから、死んだ事も認識できない。
名文句ですね。回答者さんはやさしい語り口と聡明なお答えが
出来る方ですね。是非これからも私以外にも迷える人々を救って
あげて下さい。 

お礼日時:2007/09/07 23:01

個人的な体験談でしかないですが、何かの参考になれば・・



年を重ねるにつれて、生きることは「苦」だな、と感じます。
生き方をちょっと間違えたので、年とともに出世する職業でもないし、裕福でもないし・・ 身体はガタがきてるし、容貌も衰えるばかり。

「死ぬ」こと自体全然怖くありません。
自分が死んだ後、変わらず世界が続き動いていっても、もう死んでいるのですから、どうでもいいです。関係ありません。
ただ、死ぬまでに苦しんだり、ヨボヨボになって、どうしようもなくなったり・・・孤独死とか。その辺はとても考えたら辛いし怖いですね。

相談者様はもっと生きたい、楽しみたいから「死ぬこと」が怖いのでは?みんなから忘れられるのが怖いのでは?それならば、今、楽しまなくていつ楽しむのですか?? よく考えてみてください。とても矛盾しています。悩んでないで、もっと楽しんで生きましょう!

「死」=「無」と考えるのが怖いのであれば、死後の世界について語っている、各種宗教を学べばよいのではないでしょうか?

ただ、私は「死」=「無」の方がずっと嬉しいです。
永遠になんて存在したくないですから・・・・
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。参考にさせて頂きます。
私は頭がおかしいと思われるかもしれませんが、正直に言うと
永遠に存在したいです。肉体はどうでもいいのですが、
精神がずっと残り、世の中がどう移り変わっていくのか
すごく興味があり、見ていたいのです。でも、死後の世界・
宗教は信じられません。信じられたらどんなに楽か…。
信じたいんですが、信仰心を持つ程心が純粋ではないのです。

お礼日時:2007/09/07 23:19

死を怖がる心理は、未知の世界だからだと思います。


ですから、はたしてどういう風になるかは、分らないではないですか。
素晴らしく、楽しい所かもしれませんよ。
完全な無になるとは、誰が言ったのですか?
そうなるとは、限らないと、私は思います。
だからと言ってどうなるかは、私も分りませんし、誰も分らないので成り行きに任せるしか、ないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。参考にさせて頂きます。

お礼日時:2007/09/07 23:20

今までに何回か死ぬ寸前までいってます。



高所から落ちて背骨を折った。1年寝たきり、1年リハビリ。

交通事故で車と車の間でサンドイッチになった。各所骨折、1年入院。半年リハビリ。

痔かと思って病院にいったら癌のなりかかりで即入院で直腸を相当切断した。半年入院。

投薬の組み合わせが悪くて急性薬物中毒で入院、2週間意識不明、1ヶ月入院。

この4回が、死んでもおかしくなかったねえ。と今でも家族中からいわれていることです。悪運が強かったみたいですが、金運には見放されています。

急性薬物中毒のときは、回りの音は聞こえるのに、体が全く動かない、光の強弱はわかるけど目を開けているはずなんだけど回りが見えない。「脈があぶない、呼吸が切れそう」という会話はよく覚えています。

それから交通事故で顔が潰れたときも「ひどいなあ、これじゃ助からないかなあ。呼吸がとぎれたりするな、ダメかなあ、」なんて言葉を救急車の中で聞いてます。結構聞こえているんですよ。瀕死の状態でも。

直腸の手術の時はだんだん眠いというより、沈むように意識が体の下に引っ張られる強い感じがしたら、ピー。なんて音が聞こえて、「呼吸が止まっちゃった」「電気電気」そのあとバゴンという強い衝撃でぐったりしたら助かったみたいです。

20歳から30歳までの10年間で4回こんな目にあったので、人間、いつ死んでも不思議はない、この瞬間生きていることがありがたくて尊い事、死んでも悔いのない生活を送ればいいや。と思うようになりました。

その後、祖父母の介護で15年間苦労した経験もあり、家族間では自我がある内に老衰で逝きたい、という雰囲気がただよっています。明るく言うと、早く老衰や自然死で逝ったほうが勝ち、という考えです。

突然死ぬ寸前までたたき落とされる事を経験すると、こんなふうにもなるという事も、参考にしてください。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
私も回答者さんのような大事故・病気・薬物中毒・家族の
介護等々災厄や苦労をすればきっと死生観も変わり、今のような
甘ったれた悩み等持たなくなると思います。自分でも薄々
気付いていますが、要するに平和と余暇が原因だと思います。

 

お礼日時:2007/09/07 23:24

私は精神科医ではありませんし、あなたのことを知っている者、宗教や死後の世界を批判している者、いづれでもありません。



死は近い将来、生を受けたもの全てに対してモレ無く訪れるのですが、頭では死とは逃れられない事実という概念があるので、死の意味から自分の存在の答えを真正面から考えてしまうと、頭の中で恐怖だけが勝り、それがさらに増幅されることと私は思います。
人として生を受け生きるという喜びや、残された人生でのやり残しへの励み、何気なく生活しているが生きているということすら忘れている人でも、しばらく死という恐怖について忘れている(忘れたいという気持ちが勝る)期間を普段は過ごしているのです。
しかしあなたの場合は、そうした死のことをしばし忘れるという事がなく、絶えず頭の中で死に対して真正面から自分なりの何らかの答えを出そうとしているのではないでしょうか?、それ故、自分自身を休ませる時間がとれないのもの思われますが。
まずは、死への恐怖心は完全には取り除く事はできませんから、自分の答えを出す必要もありません。
死の恐怖より生きる喜びが勝るや、喜びとして今出来る楽しみを一つ増やして見たら如何でしょう。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。参考にさせて頂きます。

お礼日時:2007/09/07 23:27

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