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笑う時の発音は 「ははは」の「は」が一般的です。 次には「ハヒフヘホ」となります。  「ヒヒヒヒ」は心理的にちょっと変わっていますが、
「ふへほ」は かなり一般的です。
 
 それに けっこう そのへん発音自体は世界的に共通しています。

 
ここでは、その言語学的、生物学的な回答を期待しているのではないのですが、そのような人間の世界に共通の笑いの謎を追っていく過程ではあるところなのです。

 お遊び的質問でもあるのですが、 上記の意味ではまじめな質問でもあることをご理解ください。

 1、その「ハヒフヘホ」の前につく言葉として、「ダハハハハ」とか「ブはははは」とかの「ダ」とか「ブ」とか「ガ」とか あるいは母音(アイウエオ)(「アははは」「イひひひ」とかの事です。)とかありますが、、最後のアイウエオ以外は、 実際にはあまり使われないと思われますし、発音上自然ではないように思われるのですが、  なんでそのような言葉がうまれたのでしょう?

 2、上記の「ハヒフヘホ」とそれに「アイウエオ」を前につけた笑いの発音は その日本語表記も含め だれでも かなり自然なものと感じ、認識していると思うのですが、  それは、体の構造や 人間の生活からいったいなぜ そう感じるのか説明できる方はおられますか?

 例→ 「ア ハハハ」 「オ ホホホ」‥。

 3、サルの笑ってるような表情は、仲間であることや地位とかを認められたいという時とか恐怖と関わる時に 似た表情となるそうですが、 とても ほんとうには笑っているとは思えません。(わたしの感じですが‥。)

なぜ人間だけが 心から 腹から 体中で 笑ったりする生物であるのでしょうか?   動物は母音しか発音できなかったのでしたっけ? わたしは生物学苦手意識のせいか、そのへんもよく解からないのですが、 もし動物が笑うなら 「あ あ  あ 」とかは言いそうですよね。その似た表情とともにです。


     この1,2.3について、みなさんのご意見をいただけたらと思います。
         よろしくお願いします。



 
 
  

A 回答 (6件)

こんにちは。


1・漫画やアニメのセリフや擬音語にこぶしを利かせたり、
  大げさな感じを出すために使われてきた言葉ではないでしょうか。
  実際に発音すると変な言葉が漫画やアニメの中で使われるのは、日本特有であるようにも思います。
  つまり、日本の漫画文化から生まれたものではないでしょうか。
2・自然にそうなる仕組みになっているからです。
  声に出して笑うことは、息を吐くことです。
  は行は発音するときたくさん息を吐きますから、笑うときについ出てきてしまっておかしくない言葉です。
  「あははは」の「あ」は、タンギング(管楽器で音を切るときに使う舌の動き)のような役割を果たしてくれているのかもしれません。
  例えば「あああああ」とか「ははははは」と笑うのって意識しないとできないと思います。(単に言うだけならできると思いますが)

3・何を動物が「笑う」と捉えるかによりますが、
  動物が笑うってあってもおかしくないと思います。
  心から笑えるのはなぜか?
  私は心から笑ったことがありません。
  心から笑うのは人間よりサルのほうが得意なのではないか?と思ってしまいます。
回答になっていないかもしれませんが、興味をもったので書かせていただきました。

  
 
  

この回答への補足

私は ついこの間の9月26日に60歳になったお年寄り(笑)ですが、

漫画やアニメの日本文化というと、ちょど大学生の頃を思い出します。

町の絵画教室に通っていたことがあったのですが、そこで私はふと預言者みたいに(笑)今の劇画文化やアニメ文化を予感したことがあるのです。

きっと文学では現せない目の表情や しぐさの新鮮な姿を組み合わせたそこに文字や言葉もある絵の組み合わせで人生を表現してゆく新しい文化がかならずこの日本から生まれる、 それもきっともうじきだというふうにです。

そしたら、ほんとにそんな時代がきてしまいました。

でも始まった頃は文学と比較され けちょんけちょんに邪道扱いもされてましたけどね。

今は すこし停滞気とも言えるかもしれません。 アニメもそうですね。
技術は進歩しても それにともなうような中身の進歩が伴ってない気もします。 でもあたらしい胎動はすでに感じられています。

おそらく 今の大学生が 今の私の歳になる前に 新しいもっとスバラシイ第2の劇画文化がこの日本からはじまるだろうという予感がします。
(また当たるといいですね(笑))

<声にだして笑うことは、息を吐くことです。>

よく観察してますね。
わたしは、やはり 大学の後半の頃と 社会に出て何年かの間ですが、アマチュアの演劇サークルに参加していた時がありますが、
笑う時の呼吸は 思いっきり息を吐き出す感じですね。
泣くときにはその逆の 感じです。
その呼吸方だけで 笑ったり泣いたりの真似事ならば誰でもすぐできるようになります。  やってみればコツもすぐつかめるようになるところです。

そのつぎには表象というイメージ法で これも いかにもその役にあった笑いとかで笑うということも かなり簡単にそのコツさへ解かればできてしまいます。
ただし、そこからが 奥がふかいのですよ。 そこからがほんとうの演技の旅の始まりです。

私は楽器は打楽器、それもカスタネットしかやったことがないので、ダンギングも解かりませんが、これは、すぐれた俳優でも「ああああ」とかでは笑えないでしょうし、「ははは」は出来ても 「あはははh」よりや不自然ですよね。 これも観察眼がするどいです。感心してしまいます。


でも 一番 Bg950さんの美点の確信をついてるのは 3、の回答でしょう。
こればかしは 深く考えさせられました。

ふつうは、動物が笑うという発想はなかなかありません。
漫画やアニメの中ですと 超かわいい動物たちこそ、無邪気にくったくなく笑うイメージで描かれてるのですが、、あなたの言われてる動物が「笑う」という観点の発想の内側は、もっと何か現実的な ドキッとさせられるものがあります。

はっと胸の奥を突かれるようなそんな感じがします。

<心から笑うのは人間よりもサルのほうが得意なのではないか?>

‥、‥。

たった今の今、これを書いてる今も、あなたがこれを読んでる今も、どこかで悩んだり苦しんだりしてる人達がいます。 なにかがもっと進歩し、すこしでも和の輪がひろがり、人間がもっと力を合わせて こんどこそゆるぎない反映と教育機会均等とその奥のほんとうの平等公正な世界と、平和をもぎ取れる日まで  おそらく人間という多くを知ってしまった知る能力のある動物は、  ほんとうに心の底からは笑えないのだと思います。

人を想う、思いやりの心があるほどにそうなのでしょう。

人としてそういう人が好きです。
でも、 

それでも 人間はたぶん、そこに不純も間違えもかかえながらも 前に進んでいかなければならないのだと思いますし、 それはたぶん、次の世代へ、さらに次の世代へと受け継がれてゆくのでしょう。

もしかしたら,そのようにしてほんのすこしでも「希望」に向かって生き抜くこと自体こそが、人間のほんとうの笑いの世界なのかもしれませんね。

「回答になっていないかもしれませんが、」と書かれてますが、それこそが回答なのかもしれません。  完璧に回答なんてここには無いんです。

たぶん、どこまでも謙虚に いっしょうけんめい、時には迷いながらも 生き抜くことが回答です。 たぶん。

いっしょうけんめい たぶんほんとの回答をくださったあなたに、笑賞を授与させていただきます。

ポイントはアンケートカテではつけない代わりに、最高の地球、いや宇宙栄誉笑を送ります。

だって、たぶんですが、この何億光年の先の先までいっても水さえあるかどうか解からない乾ききったこの宇宙に、 最後の「希望」の笑いの回答をこんなに詩的(すてき)に書いてくださったからです。

 

補足日時:2007/10/06 15:47
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この回答へのお礼

人生ってさびしいですね。

じつは、これをもってこのアンケートは締めることになるからです。

前のNo5の補足分のところにその理由が書いてありますが、 ともかく締める時が来てしまいました。

たった数行の なにかほんとに言いたくなった言葉が、あなたの言葉が たぶん歳の離れた私の心の中に ふかい「友」の存在を感じさせました。

見も知らぬ どこに住んで、どのような人生を送られてきた方かもしらず
顔をみることもできないネット文の ほんの数行が これほど人のこころに入り込んでくるとは、   これを締めるにあたって 今目が、あつくなって目に涙がたまるのを抑えられません。

‥ 
 
ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/06 15:58

こんにちは。



1.常に、は行の口の形をしているわけではないので、
 とっさに笑いがこみ上げたときに、その瞬間の口の形状、
 口蓋の空間から、声が漏れるのでそのように聞こえるのでは
 ないでしょうか。

2.比較的、あ行というのは発声の観点でいえば
 出しやすい音声だとおもいます。あ、い、う、え、お
 の中で、あ行が一番口や舌を意識せずに出せる音だと思います。

3.猿の脳がどういう風になっているのかわかりませんが、
 共通言語や共通の文化がないので、笑いというものが
 生じにくいのではないでしょうか。
 
あと、参考になるかもしれないサイトをみつけたので
貼り付けておきますので、よろしければごらん下さい。

参考URL:http://portal.nifty.com/2007/10/04/a/

この回答への補足

こんにちは(笑)。

1、ブハハハハの「ブ」なんて、「はは」に行く前に「ぶっ」とでてきそうで、それだけでも漫画などでは笑いになりそうですね。噴出した瞬間がまだ「は」の口になってなかったという視点。  気がついてみればたしかにそんな視点もあったんですね。 気がつかないものです。

2、アハハの「ア」が一番多いですものね。 やっぱりそれが一番自然ですね。

3、言葉とか文化という共通に感じたり考えたりし合えるものを獲得した脳でないと、共感が生まれないから笑いが生じにくい。  共感がポイントでしょうか。 なるほど、そうなのかもしれません。

たぶんですが、サルの脳は本能に巻き込まれた状態だと思います。共感しているような仲間行動をとりますが、それも生きるための本能的な笑うゆとりなど持てないものなのかもしれません。 わたしもサルの脳のことはどういう風になってるかわかりませんが、そんなことを考えてみました。


参考サイトもありがとうごさいます。

初耳(初目かも)の笑いもけっこうありました。
わたしも、このような分類には、べつの目的からですが、ちょとこだわっていました。

じつは、あるブログを始めていたのですが、そのブログで最初に「笑いの文化」が主題のあるテーマを掲げていたのです。
そこで、このQ&Aでも笑いを主題とした質問をしばらく続けてみようとしていたところだったわけなのです。

言葉自体の微妙なニュアンスにも興味があり、その豊富さや、捉える視点にも興味があり、まさにtlpsさんの1、の回答などは新しいなるほどと思える視点を知ることが出来ておもしろいところだったわけですが、

その裏には 言葉の限界というか、同じ「あはは」でも、まったく違う笑いの状況とか裏の心の表情についても興味があり、 実はその質問のためにこそ、もっと、言葉自体をも追っていってみたかったんです。

ごめんなさい。ずいぶんながくなってしまったのですが、 

そのプログのカテゴリーが 急遽大幅に変わることになってしまいましたので、それでつぎつぎとこのテーマでの質問をしてゆくはずだった予定も変更となってしまいました。  いつか復活します。 そのことを書きたくて、また これで突然締めてしまう理由も書いておきたくて、この場をかりてくわしく書かせていただきました。

補足日時:2007/10/06 12:48
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この回答へのお礼

楽しい参考サイトまで付けてくださり
ありがとうごさいます。

ご回答は、新鮮な気持ちにさせてくれるものでした。なぜだかはよく解からないですが、新鮮な意欲がでてきます。

 
ありがとうごさいました。

お礼日時:2007/10/06 13:38

1については、


「アイウエオ」が最初に付くというのは、例えば「アははは」は「AHAHAHA」であって、母音が共通になります。これは、「HA」という清音を発する時に、発音しやすい同じ母音を最初に発するということからはないでしょうか。
一方、「ダハハハハ」「ブはははは」と表記する笑いは、実際にそのような笑い方をする人はいますが、表記の場合でも実際の笑いでも、これは「ダ」「ブ」に、強調の意味を持たせていることでしょう。

2については、
前述と同じですが、共通の清音と母音を使っているから、自然に感じるということですね。
逆に、「ダハハハハ」「ブはははは」は、その不自然さが強調を生み出していると言うことになりますでしょう。

3については、
笑いというものは、感情ありきで生じるものですから、感情がない動物には笑いも笑い声も生じません。
猿は、かなり人間に近い動物で、ある程度の感情を持っていますが、それでも「笑う」という感情を持つまでは進化していないということでしょう。
進化が進んで感情も豊かになれば、それにつれて人間に近い笑いも、できるようになると思いますよ。

この回答への補足

わたしは、肉体労働者として生きてきましたもので、本を読むゆとりがあまりなかったということもあり、あらゆることを哲学してきたつもりでも、それに見合う読書量という点になると、皆無という字が浮かんできてしまう(笑)者です。トホホ。

母音と子音の違いぐらいは言葉としても知っていますが、「HA」が清音というふうに呼ばれてることも知りませんでした。もしかしたら中学でも習ったことかもしれないのに恥ずかしいことかもしれませんね。

「AHAHAHAHA」とするとなるほど、母音と清音の組み合わせは発音しやすいことが目でもてもうなずけますね。

「けけけけけ」 とか 「ウキキキキ」とか 実際にはあまり使わない漫画などでの笑いの「感情」を現す擬音とかもありますが、

基本は母音とその清音(ハヒフヘホ)なのでしょうね。

そして、笑いの呼吸が体の中で起きると(アマチュア演劇に入っていたことがあり、そこでも習ったことですが、呼吸から入るといつでも笑えたりします。)あとはその清音に母音がついたりすれば笑いになるし、それがまさにその時には最も「発音しやすい」から そのような発音が世界中共通の笑いの発音となったのでしょうね。

 ありがとうございます。 単純な文章の中で何か、いっぺんに疑問が解けてきた感じの答えの入った回答でした。

2、の回答で「その不自然さが強調と生み出している」という観点もおもしろいです。 おおいに考える時の新たな参考になります。
ありがとうごさいます。

3、の回答は、なんか、謎への旅路という感じですね。
どのような思索の旅をしたら、サルの脳の構造や機能がどのような過程を経てどのように進化したらどの時点で突然笑い出すのか?が解かるようになるのか??。

そこには、突然変異が必要なのかどうか?またその突然変異とは何回も同じようなことが起こるものなのかどうか? そう考えるとこれがまた謎を呼び知的好奇心を呼び覚ましますが、 はたしてサルが人間になるような出来事がもう一度起こっていくのかどうかはまだ謎だとしても、  どのような違いが脳に生じたら笑いが生まれるようになるのかということが解かったらなにか「笑い」という文化のふるさとがわかるのではないかと思えてきました。

仏教で言えばそれもまた「妙法」なのでしょう。

いろいろ想起させていただきました。

次からの笑いに関する質問は、すこし本質的なものになりそうです。
しばしつづけますので よかったらまた参加してください。

よろしくおねがいいたします。
 

補足日時:2007/09/26 20:50
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/26 20:52

>「ダハハハハ」とか「ブはははは」とかの「ダ」とか「ブ」とか「ガ」とか(中略)実際にはあまり使われないと思われますし、発音上自然ではないように思われるのですが、なんでそのような言葉がうまれたのでしょうか?



質問者様は実際にダハハとか笑う人がいると
本気で信じていらっしゃるんですか?

これは新聞記事や漫画などで笑い声を強調するために使う手法です。

例えば、人が多く賑やかな様子をよく「ワイワイガヤガヤ」と表現しますが、
本当にワイワイガヤガヤなんて言ってる人はいないのと同じ理屈です。

No.2の方の回答を読んで気づいたのですが、文章の中の意味の無いスペース乱用も気になります。
>「ふへほ」は かなり一般的です。
>それに けっこう そのへん発音自体は世界的に共通しています。
>とても ほんとうには笑っているとは思えません
>なぜ人間だけが 心から 腹から 体中で 笑ったりする生物

ちゃんと「。」は使っているのに、「、」をスペースに置き換えているのって不自然ですよね。

この回答への補足

たとえば、「デへへへへ」の場合、かなり照れ笑いという感じがして、なんとなくですが解かる気がします。  でもまだ、「そこの新聞取って」と言われて「はいイチゴね」なんていう会話が無いように、そのように正確に何かが解かるというふうには感じません。

 なんらかの人間特有の「感情」をその笑いの言葉で表しているとして、それが多くの場合はっきりしないので、そのへんの答えを求めてアンケート質問をしています。

 ですので、そちらの見解も、おおいに参考になっています。 「ダハハ」の場合は「デヘヘ」と比べて、ほとんどそこらへんの「感情」が解かりかねていたからです。

 「デ」が強調だとすると「へへへ」の場合は、自慢げに笑う時が多いですから自慢の強調ということになってしまいますが、 「デへへ」という時の「〇へへ」自体、自慢ではなくすでに照れ隠しの「へへ」なのだとも言えるような気もしますし、そこから自慢と照れ隠しとは人間の「感情」の中でどこか結びついているのではないか という推論とかも生まれてきそうですね。

でも「ダハハ」となるとそうしたことが解かりかねていたところなのです。

 やはり、多くの人の見解を聞いてみるものですね。 

おそらく人間は 一つの「感情」の要素だけでなく多くの「感情」の意味合い、あるいはニュアンスを総合してその上でその場その場に笑いの命を宿しているのでしょう。 私にはそう思えるんです。

それで より多くの方の「感じ」かたとか 考えとかをお聞きしたかったわけです。 そこから新たな多くの類推を追いかけてゆくことで「笑い」という人間性に深く根ざした、また脈動した命のより価値的な探求ができるかもしれないと考えたからです。  

ここでは言葉遊びの意味もありますが、 そのような真剣な意図もあったわけなのです。

やはり、これは国語や哲学のカテゴリーからのほうが専門的な答えが出てきそうなところですね。

でも、これってそれだと「ダハハハ」は永久に謎のまま(笑)だったかもしれないですよね。

大勢の人が サルではないはるかに進化した生物としてこの大地を生きているのですから、学者様だけが「笑う」わけではないように、庶民のほうが
その知恵をもっていたりもするんですよね。

すみません、お礼の方を先に書いてしまいましたが、 たいへん忙しい中で書いているものでまとまった時間がうまくとれずに順序が逆になってしまいました。

いくつか続けて笑いに関するテーマの質問を続けようと思っています。

次からは、本質的なテーマに入ってゆけそうです。 また何か庶民的なご意見がありましたら是非参加してください。

よろしくお願いします。
 
文章のレイアウト、全体のスペースの中のデザイン、ネット文のあり方を今一生懸命自らに問い直しているところです。

がんばるから失敗するとも言えますが、そういう失敗はきっと進歩を生むと自分を自分で信じています。 というか 落ち込んでいても意味ないですからそう思い、さらにがんばっていきます。

ここでも お礼を言わせていただきます。

 ありがとうございました。

補足日時:2007/09/26 19:16
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この回答へのお礼

「ダハハハハ」という発音で笑う人はいないわけではないのですが、tesutoo3様の回答で、「ダ」については、なんでそのような発音の仕方で笑う人がいるのかは かなり明確になったようです。

つまり、新聞記事や漫画などで笑いをそのような言葉で強調表現しているのを見て、わざとおどけてそれをもじって「ダハハハ」と言って受けをねらってるだけなのだ。という点が明確となったようだということです。

おそらく、まさにそのとおりなのでしょう。

なお、「スペースの乱用」については、NO2の方のご指摘に詳しく補足回答の文を書かせていただいておりますが、 迷いと急ぎの用が重なって あのようになってしまったとはいえ、大いに反省すべき点にも気付かされています。

tesutoo3様にも 重ねてご指摘へのお礼を述べさせていただきます。
ありがとうどざいました。

お礼日時:2007/09/25 21:22

最後の「よろしくお願いします」のあとに、わざと6行も意味のない改行をしているのはなぜですか?


文章の最後は「文字をいれずに単に改行しただけ」では、たとえ何十行改行してもその改行は無視されるはずです。
自己主張か格好つけてるのか理由は知りませんが、わざわざ不自然で意味の
無いスペースを6行分も入れてまで、無駄な余白を作らないで下さい。

読む者への配慮が全く感じられないレイアウトです。
画面のスクロールが面倒で仕方ありません。

また、文頭のスペースも不要です。

この回答への補足

すみません、この最後の部分のスペース自体は、急ぎの用がある時に、いそいで確認画面を見ていて、 最後の部分に「3、」と出てしまっている事にそのような状態で気がついたため、 急いで「戻る」を押して急いで「3、」を消してそこで安心してしまったためです。

「わざわざ」ではありません。

しかしながらnishinaritさん、ありがとうございます。

実は ネット文の「間(ま)」についてはいろいろ迷いながら書いています。 その迷いが無意識的にでてしまったとも考えられます。 なぜ、急いで「3、」を消した時に気がつかなかったのか。という事の裏にです。

以前ネット文では、この間(ま)の開け方でいろいろ工夫している人がいる事を知り、最初は工夫は解かっても慣れないためか気になってしかたがなかったところだったのですが、そのうちに慣れてくると「ん?」これもまた 見やすいな読みやすくもあるなと 思えてきました。

もちろん、 最後にこんな間延びを入れる人なんていませんし、そんなのはただただ間延び以外のなにものでもないわけですが、ともかく そのへんの工夫を新たに取り入れようと努力していた時期がありました。

でもそのうちいろいろ忙しくなったり、またネットから離れていたりするうちに 肝心のその間(ま)の取り方のあたりの工夫の心をつい忘れてしまっていたのです。

すぐに改善できるという作業ではないのですが、ふたたび、いっしょうけんめいそのへんの心がけを持ちなおすべく努めるようにしたいと思っています。

私は 60歳の男性で、たいへんネット音痴な者なのですが、長い間アナログ文にて文頭は開けて書いていましたので、ネット文のその「文頭」の常識のような点に気がつきませんでした。  すでに多くのネット文は見ているはずなのにです。

そのことも含め、nishimarit様にはご指摘への感謝を述べる気持ちとなる者なのです。

ふつうは批判だけの回答は禁止なわけですが、これは‘それだけのネットに慣れたかた’とお見受けされる方からの回答ですから、私の方としては
それこそ知っていて「わざわざ」書いてくださった回答であると受け取るべきところでしょう。

急ぎ 2重にも3重にもお礼すべき回答だと心得たしだいです。

サルが笑えないのは本能的に身を守ること以外の知的ゆとりが無いためとも思われます。 共同行動はあってもそれはその知性が故ではなくそのゆとりの無い本能の必然でしかないという考えです。  ですからそこには対立があれば必ずなんらかの争いがあり必ずそのお結果としての主従関係がありますが、それ自体はなんら人間の社会行動とは別物と捉えるべき事と考えます。
それに対して人間の社会は、もちろんそこにも生物的のみならず知的にも対立はありますが、それは知性の力により必ず争いになったりするというわけではありません。 その本能に支配されきってはいないのです。

反省しつぎには進歩することもできますし、その方向でお互いに対立があったとしてもかえってそれを機に礼節を尽くしあい さらなる「友」(動物における仲間とは別物の)としての心と心の交流を得たりすることさえあるのが人間だと思うのです。

だから人間どうしって笑い合えるのだと思います。

またそのように努力することで 勝利が笑理という人間のみの平和の宴となり華となるのだと思う。
 
 どうでしょうか?  この補足文にもしなんらか「こころが通う」何かを感じられましたら、つぎには この「笑理」の世界についての何らかのコメントをいただけたらうれしいのですが。

たいへんありがたいご指摘ありがとうごさいました。

ですが どうかそのへんご検討ください。
よろしくお願いいたします。

補足日時:2007/09/25 20:26
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この回答へのお礼

2重にも3重にもお礼をさせていただきたい気もちになっています。

   

      ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/25 20:32

笑うという行為は、人間万国共通で、「短い音を連続して発音する」ようです。

「へーーーーーーーーー」と、笑う事は出来ないはず。

この原則を守れば、大抵「笑い声」として認識されます。音の表記に関しては、例えば犬の鳴き声が国によって表現が違うのと同じではないかと思います。


因みに、「笑い」は言語を持たない動物には不可能な行動です。人間から見ると笑っているように見える行動はありますが、人が笑うのとは全く別物です。

この回答への補足

 連続して笑いのテーマで書いてますが 連続して回答をいただきありがとうございます。
 「短い音を連続して発音する」→この原則を守れば、大抵「笑い声」として認識されます。 

とありますが、そのことについて「へーーーーーーー」と笑う事は出来ないはず。 との説明。 

 そちらの文は、 単純で あたりまえなのに、なんか新鮮で いろいろ気がつかされます。
 たぶん 明るい人柄の方なのだと思います。


 若い頃 アマチュアの演劇サークルに入っていたことがあるのですが、「へーーーーーー」では、 泣くときの呼吸法を思い出しました。

 吸(ス)、 吐(ハーーーーーーーーーーーー)の繰り返しです。

 その逆さまの感じの呼吸のコツを捕まえると 笑うのは簡単になります。

 あとは まさに「短い音を(普通はハ行で)連続して発音」すればいいわけですよね。
これが、人間万国共通 ていうのもおもしろいですよね。

 発音能力から言えばサルとかでも あ行とか行あたりは使えそうですが、
まさに キキキキキ 短く連続したこの発音 人間だと劇画とかでありそうな笑いでも      「全く別物」ですよね。

 あたりまえと言えばあたりまえですが、そちらの文面からは何か考えさせられてしまうんです。

発音能力ではなく、まさに言語能力の 違い。 その謎への興味がすごく新鮮に湧いてきました。

  また、 書いてください。   何か補足質問ではなくなって感想みないになってますが、  ともかく是非また参加してください。

              よろしくお願いします。

補足日時:2007/09/25 18:31
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この回答へのお礼

ごめんなさい。
 補足文がお礼の文となってしまってますね。

 重ねて御礼申し上げます。

   ほんとにありがとうございます。

      また参加されますように「連続して(笑)」。
 
         ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/25 19:01

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