プロが教えるわが家の防犯対策術!

 70~80年代の昔、プロレスがゴールデンタイムに放映されておりました。馬場、猪木全盛期でいつもテレビで観ていたのですが、客を呼べるレスラー、アブドラザブッチャー、タイガージェットシン、スタンハンセン、ブルーザーブロディ、ファンク兄弟、アンドレザジャイアント、ハルクホーガンなど、年に複数回、来日していた選手もおりました。
 
新春○○シリーズ、チャンピオンカーニバル、闘魂シリーズ、最強タッグ戦など、目玉、エースとなるレスラーとして、上記外人選手がおり、交代で来日していましたが、1回のシリーズ、来日でどの位の報酬を馬場・猪木は出していたんでしょうか?ギャラを吊り上げるブロディのような選手もいたとか。

A 回答 (2件)

ギャラの釣り上げで言うと、ブッチャー、シン、ハンセンの引抜が流行った時期、ブロディが新日に移籍した時期に、オポジションに移ることによって高騰したといわれています。

その都度、会社同士で平均化するための話し合いがおこなわれたようです。

なお、近年は、団体(WWE、WCW、TNA、AAAなど)との契約が主流ですから、選手ギャラとは別に契約料が発生することも多いようです。ホーガンがトップの頃のWWFは、やはり別途年間契約を新日本が払っていたようです。
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今はプロレスでも総合格闘技でもワンマッチいくら、の契約が主流ですが、馬場・猪木時代の外国人は試合数に関係なく「1週間何ドル」のシステムでした。


トップクラスで週5000ドル、グリーンボーイで週1000ドルとききました。引き抜きで移籍すると2倍くらいのアップが相場とか。
日本での実績や人気で金額が決まってくるため、地元でトップを取っていても、金額が海外では評価の低いハンセンなどより極端に低く、来日してからそれを知って、やる気をなくした選手も多かったそうです。ビッグ・ジョン・クインなど。
ブロディは金額面にはそれほど執着せず、「メインイベントに出せ」「対戦相手を変えろ」「勝ち役にしろ」という要求でもめるケースがほとんどだったそうです。
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