プロが教えるわが家の防犯対策術!

塾の先生も生き残りに必死のせいか、教え方やサービスをよく研究していて、学校の先生より教え上手。塾に通っている方が学力は高まるともっぱらの評判です。
また、学校よりも楽しいと塾に通いたがる子も増えているようです。

となると、多額の税金がつぎこまれている学校の存在意義はどういうことになるのでしょうか?

学校の役割を友だちづくり、行事、道徳教科を教えることだけにして、教員の給料を下げて、その分子育て家族にお金を与えて各家庭が自由に塾に通ったり、家庭教師を雇ったり、私立に行かせたりすればもっと学力が高まって、日本の国力は高まるような気がします。さらに子育てにかかるお金が軽減されるので、少しは少子化対策にもなるような気がします。いまの政策ではこどもを産めば産むほどその家庭やこどもに負担がかかるのが残念です。

どうも学校の存在意義が薄くなりつつある学校に多額の税金が使われているのに学力に貢献していないような気がします。みなさんが首相だったらどのように学校改革しますか?

A 回答 (9件)

私の子供は実験校に通っているので、一般の公立学校のことは良く分かりませんが、国や、自治体としても色々考えているのだと思います。



最近、東大進学者数を伸ばした公立高校の様子を聞くと、先生が朝早くから教室にいて、生徒からの質問を受けているそうです。
放課後も7時8時まで、先生が生徒の質問に答えてくれているそうです。
提出物も多く、大学並のレポートを書く必要があるようです。
運動部に所属する割合も高く、塾に行く暇がない、と言うのが実情になっているようです。
きっと、他の進学校的な公立高校も、この動きに追随するのではないかと思っています。
でも、東大を目指さない生徒さんや、ハードな授業についていけなくなる生徒さんが出てくるらしいので、やはり、そういう時は予備校の出番、となるのでしょうね。

私の子供の学校も、忙しいです。
提出物も多いですし、求められるレベルも高いです。
先生も事細かにチェックしてくださって、保護者として、頭が下がります。
運動部に所属する割合も高く、毎日朝練もしています。
土日の試合にも引率してくださって、先生のお給料が高いとは思ったことがありません。
テスト前は、朝勉があります。
私の子供は、体力がないので塾をやめました。
でも、成績が下がることはありません。
この状況で塾に行っていらっしゃる生徒さんもいます。
床に入るのは、午前2時3時、だそうです。
やはり、それだけやっているので、成績はトップレベルだそうです。
逆に、どちらの勉強にも集中できず、成績が下がる生徒さんもいるようです。
ですから、質問者様が仰るように、学校はもっと負担の軽い物にして、塾で受験勉強をしたほうが効率がよいと言うことも、頷けます。

しかし、学校としては、塾に行かなくても学力を上げる方法を、模索しているように見受けられます。

教育にかけられている税金の件ですが、国の全支出の6%ぐらいだったでしょうか?地方税にしても、自治体によって違うかもしれませんが、10%~20%ではなかったでしょうか?
仮に、この支出を減らし、その分を全部所得税を還元する形になったとして、全ての家庭が、塾に行かせたり、家庭教師を雇ったり、私立に通わせたり、できるでしょうか?
今よりもっと教育格差が広がるのではないかと、私は思います。
教育格差が広がれば、貧富の差が大きくなり、社会的に、もっと不安定になってしまうのではないでしょうか?

私が教育改革をするとしたら、お給料を高くして、優秀な人材を教育に集めたいです。
カリスマ的な先生もたくさん育てて、全国の学校で教鞭をとらせたいです。
義務教育期間は、子供達ににいろいろなことを浅く広く教えて、自分の適性や興味に気付かせる期間だと思います。
しかし、塾でも学校でも、ただ通っているだけでは学力は上がりませんよね。
子ども自身の自覚を促すのは、やはり家庭だと思うのです。
私自身、悩みながらの子育てですが、どこか1つだけに子供の教育を任せるのは無理なのだと思っています。
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>みなさんが首相だったらどのように学校改革しますか?



現在の学校教育に関わる諸問題の大きな要因を述べれば

(1)国民の学ぶ権利より政府に従順な国民の育成が優先されている
(2)そもそも教育にかける予算が少ない

の2点と考えています。

受験学力が学力と思わされている人が多く、わずかな予算のわずかな人数では受験学力に不安を覚えるので、経済力のある人々は受験産業に殺到するのでしょう。

そこで、学校改革は

(1)教育基本法を現行のものから、フィンランドのお手本にもなった旧基本法に戻し、教育内容への行政の介入をやめる。
(2)軍事費・ゼネコン型公共投資などを大幅削減し教育予算を倍増させる。

を提案したいと思います。
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学校(教育)をどのように改革すればよいか、という議論は最後に回すとして、まずいくつか。


1.学校の先生より教え上手
「何を」「誰に」「どのように」教えるかという議論を抜きにして比較をしても意味がありません。塾の場合、基本的には入試に必要な内容のみを、それを希望する生徒に、学力別に分けて、教えるのが普通です。これは、教えやすい。学力別に分けただけでも、教え易くなります。まして、内容をテクニックに絞り込み、ある程度のモチベーションがある生徒を対象にするのでしたら、素人でも一定の水準まではいきます。

2.塾に通っている方が学力は高まる
学校改革の話とも関連するのですが、ここも「学力とは何か」という定義(議論)を抜きにして話を進めることはできません。学力を、入試に必要な勉強に限定すれば、それは塾の方が高まるでしょう。逆に、例えば人間としての総合的な発達を支える力、民主主義社会を構成する市民としての基礎的教養、と規定すれば美術や音楽、体育も含めた学校の方が高まるでしょう。

自動車教習所に対して、「お前のところに通っても4輪ドリフトやtail to noseなどレースに出場する【学力】は身に付かない」と批判する人がいるとすれば、それは批判する方が間違っています。
自動車教習所の教育の目的は「公道を安全に走ることが出来るドライバーの育成」でしょう。この「目的」から「必要な学力」とは何か、という解答が生まれます。それは例えば「安全確認の方法」だったり、「交通法規の習熟」だったりするわけです。
「サーキットで優勝する」のが目的なら、自ずと異なる【学力】が必要です。この場合、自動車教習所は役に立たず、教官も無能です。レーサーやレース体験者の方が「教え上手」に違いありません。

>それでも「学力低下」が叫ばれている。
>教えるスキルの高い教員が教えても学力は下がる一方

この種の新聞記事や問題提起はよく聞きます。でも話している当の本人ですら「じゃぁ、あなたの考える学力って何ですか?」と尋ねられるときちんと答えられない方が多い。また、仮に答えたとしても「それが本当に正しいのか?」という検証は、たいていの場合ありません。一人一人が、違う定義で考える「学力」で話すから、かみ合わないのです。

先の自動車教習所の例で示したように、結局の所、「学力とは何か」を話すためには、「(学校)教育の目的とは何か」という根本的な話を抜きにすることは出来ないということが分かります。

そして、これが私の「学校(教育)をどのように改革すれば」という問いに対する答えでもあります。実は教育というのは、お金をかけずに「制度」をいじることで、「改革(らしきもの)」が目に見える形で示しやすい分野です。典型的なものが総合など教科の新設ですよね。この間、そうした「改革」は進められましたが、いつまで経っても欧米先進国並みの学級生徒数(一クラス20人程度)にはなりません。お金がかかるからです。

ですから、小手先の「改革案」を拙速に出す(例えば学力向上のために補修を学校でやれなど)ことはやめにした方が良いと思っています。むしろ、「学校って何のためにあるの?」という根本的な議論を巻き起こす。そこから「学力って何?」という合意形成をする、それに必要な予算措置をする、という流れを国民の合意で作っていく方が良いと思います。迂遠なようですが、100年の大計のために10年の議論があっても良いのではないでしょうかね? もっともこれは政治の仕事なのだろうと思いますが。
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No.5 です。


挙げられたニュースによれば、基礎学力向上ではなく、受験対策として有効な範囲の学力ですし、単に授業をではなく、受験対策や(そういう意味での)進路指導が中心となっているようですね。

これは、「教授法というレベルで見れば」塾のほうがはるかに簡単ですよ。

教えていることの「レベルと目的が異なる」ので、一概にどちらが楽だと言えないだけで。

と矛盾するものではないわけです。
さて、今「塾」と聞いて思い浮かぶのは、本当に、「基礎的なところを広く教える」という機能でしょうか?
少なくとも今の、一般的な塾が担っているのが「高校2年生対象の受験準備」のようなことであるとすれば、教育という要請全体のほんの一部ではないでしょうか?

また、こういうアンケートには大きな落とし穴があります。
内閣府のアンケートに答えなかった過半数の人々のなかに、塾なんか行ったこともない(行かせたこともない)だから、答えられないという人がある程度以上いたとしたら、それは、それだけたくさんの人が、そもそも塾など必要としていないということを反映している可能性もあるのです。
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この回答へのお礼

おっしゃるとおりかもしません。

ただ、教えるスキルが教員>塾であったとして、
それでも「学力低下」が叫ばれている。
教えるスキルの高い教員が教えても学力は下がる一方
ということでしょうか?

だとすれば、日本の教育はもう崩壊してますね。
とても危機感を抱きます。

塾の教員もダメダメで、学校の先生も役立たず。
誰が教えて、教育を担うのがよいのでしょうか?

あと、なぜ高い授業料の塾にお金を払ってまで行こうとする
人が多いのか?教えるのが上手い学校の先生に聞けば無料なのに・・・。
タダより高いものはないということなんでしょうか?

お礼日時:2008/01/08 07:24

No.1 です。



> それとも教員の方は、一定のレベルを教えるには
> そのくらいのお給料をもらう必要があるのでしょうか?

具体的な金額は別として、「最低限ではあっても、一定レベルを広く」教えるのはとても大変なことです。
教授法というレベルで見れば、塾のほうがはるかに簡単ですよ。
教えていることのレベルと目的が異なるので、一概にどちらが楽だと言えないだけで。
例えば、算数でも数学でも、ちょっと込み入った文章題を、なぜ、その式が立てられるのかという意味から説明しようとするとかなり大変だ思います。
「そんな式が出てくるのは当たり前」というような問題で、なぜ、その式になるのかという説明は、とても大変なことです。
小学校レベルしか思いつきませんが、

ミカンが何個かありました。7個食べたら、5個残りました。
最初は何個あったでしょう?
式:7+5=12 12個
質問:「食べた」問題なのに、なぜ足し算なのですか?

ミカン10個ずつ5人に分けました。全部で何個でしょう。
式:10÷5=2 なぜ、「分けた」のに割り算ではだめなんですか?
式:5×10=50 なぜ、この式だと間違いなのですか?

こんな感じ。

あとついでにいえば、道徳的な事柄は、本来家庭でしっかり教えるべきで、こういう点を学校に押しつけるのが、学校の機能低下の一因になっていると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

学校の先生の方が教えるスキルが高いんですね!
知りませんでした。

でも、こんな記事を見つけました↓↓先生不足のための苦肉策なのでしょうか?

近年,小中高校で,授業や補習,進路指導などを予備校や塾講師に任せる「外注化」が広がっています。「学力低下」が叫ばれるなか,成績・進学率などの実績向上と,教員への負担削減を狙う学校側と,少子化で市場拡大に悩む塾・予備校側の利害が一致しているためです。授業内容は,塾・予備校によって多少の違いはありますが,基本は英数国が多いようです。
 保護者・生徒からみた,このシステムのメリットとして,費用が無料,もしくは格安であること。また生徒の移動時間が省ける。多極化する受験情報を確実に生徒・保護者が把握できるなどが挙げられます。

現在首都圏だけでなく,近畿・北陸・四国にもこの動きが広がり,高校2年生対象の受験準備の講座が増えてきていることから,講師派遣は今後も増加すると思われます。
(朝日新聞)2006年1月11日

================
学力向上は学校より塾・予備校

 内閣府が9月にインターネットで行った「学校制度に対するアンケート」の結果が、6日に発表されました。調査対象は、小学生から高校生までの子供を持つ保護者(無作為抽出:3620人→有効回答数:1270人)でした。その中で「学力向上の面で、学校と学習塾・予備校のどちらが優れているか」という問に対して、学習塾・予備校を挙げた人が70.1%に上り、学校はわずか4.3%にとどまったことが分かりました。

 「学習塾・予備校」を選んだ理由としては、「教え方がうまい」・「受験に役立つ」・「学習進度に応じた指導」が6割を超えました。その他にもゆとり教育については、「見直すべきだ」が61.6%にのぼり、「継続すべきだ」は5.0%という結果となり、現在の学校教育に「不満」「非常に不満」と答えた人が43.2%に上りました。また、学校の教員に「不満」な人が28.4%で、「満足」の27.3%を上回り、現在の学校制度に対して多くの保護者が「不満」を抱いているという結果が出ました。

今回の調査結果を見ると、義務教育費国庫負担制度の廃止等の問題や、教育改革を求める規制改革・民間開放推進会議等に拍車がかかりそうです。
( 読売新聞 )2005年10月7日

お礼日時:2008/01/07 20:11

塾は、受験対策、つまり、特定の問題に特定の回答を書くことだけを教えるところですから、金がかからないのが当たり前。


しかも、成績優秀な人しか行きません。
私の地区の様に一割程度しか大学に行けない地区で、塾に通うのは大学進学車だけです。

ちゅうこう一貫校だけではなく、他の学校でも、中興一貫校波の教育を実施する。
成績が悪くて、内容がまったく理解できなくても良いのです。「聞いたことがある」だけ覚えていてくれれば、その後自分で学んで行くことが可能ですから。
以前、生活保護世帯の子供が川で溺れて死んだ例をあげましたが、この子供はプールに通っていなかった(生活保護の対象外として見とめなかった)ために、泳ぎ方の一般的注意を知らなかったのです。だから尾掘れたのです。他の生徒は程度の差はあれプールに通っていたので、一般的注意を知っていたから同じ場所で泳いでいても溺れなかったのです。
同様に、「わかってもわからなくても」聞いたことがあれば、後でちょっと思い出してくれるだけで、命が救えるかもしれないのです。生活保護を受けることを知っていれば納税のため家を終われても生きていられたでしょう。

おぼえるか覚えないかは、本人の自由、ただし、いつでも内容を入手できるようなしておくための知識を教える教育です。
一部に限った英才教育は不要。だれにでも時間がかかる点を除けば英才教育波の知識を得られる様にすることが必要です。
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塾は受験対策です


塾生の成績がいいのはアホが行かないからです

憲法に定めている教育を受ける権利を保障するために国は学校に教育費を補助しているのです
試験成績を上げたければ塾に行けばいい

塾が楽しいのは塾そのものではなく学校で塾に通っていない生徒よりも成績がいいから優越感を持てる
塾の指導員は免許が不要なので教育方針にとらわれないで好きなことがいえる
極端に言えばエロ話をしても免許に影響がない
だからあほな話も交えることが出来る
塾の成績を落とすような塾生を削除できるし他の塾生もそれを歓迎する

この回答への補足

これから回答頂く方へお願いです。

質問文に書いてますように
ご自身が考える理想の学校改革も必ず書くようにしてください。

意見の批評よりもみなさんの考えを知りたくて質問しました。

補足日時:2008/01/07 15:28
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

>塾生の成績がいいのはアホが行かないからです

そうだったんですか。塾の先生の方が相対的に学力を上げる力が
すごいかと思っていましたが、そうではなくて塾の生徒はもとから
できているからだったんですね。
では、塾なんて通う必要ないし、存在自体いりませんよね?
なぜこんなにたくさん塾があるんでしょう。
ちょっとわからなくなってきましたね。

お礼日時:2008/01/07 15:22

学力を上げるために行く塾が、教え上手なのは当然です


バカは塾に行かないし、多少腐ったミカンを切り捨てることができれば公立学校でも今以上に学力に貢献することは可能かと

別に教員の給与を下げる必要はないけど体育館や校庭を削除し、部活も禁止すれば費用効果はあげられるでしょうね

この回答への補足

これから回答頂く方へお願いです。

質問文に書いてますように
ご自身が考える理想の学校改革も必ず書くようにしてください。

意見の批評よりもみなさんの考えを知りたくて質問しました。

補足日時:2008/01/07 15:30
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

とても現実味のある回答だと思いました。
そっちの考えならすぐ実行できそうですね。

お礼日時:2008/01/07 15:23

学校、特に公教育の重要な役割として、「強制的にでも、一定レベルの教育を受けさせる」というものがあります。


(義務教育というのは、受ける義務があるのではなくて、受けさせる義務があるのです)
まだまだ、「親の自己判断」で子女の教育を決定するのは、時期尚早だと思います。

この回答への補足

これから回答頂く方へお願いです。

質問文に書いてますように
ご自身が考える理想の学校改革も必ず書くようにしてください。

意見の批評よりもみなさんの考えを知りたくて質問しました。

補足日時:2008/01/07 15:32
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

一定のレベルまでは教えないといけないんですね。
一定のレベルだったら“最低限”でよいような気がします。

ただ、それなら教員の免許は高卒でもよいし、給料安く
してもよいような気がします。
それとも教員の方は、一定のレベルを教えるには
そのくらいのお給料をもらう必要があるのでしょうか?
頭がよいある塾の先生でも契約社員で年棒200万円台という
人もたくさんいるそうです。

お礼日時:2008/01/07 15:27

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