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67歳の男子です。人と子供の頃の思い出話をしているときに、ふと、感じるときがあるのですが、10歳以前(昭和27年以前)の記憶が殆どありません。
今思うと、20代の頃からそうだったと思います。

10年前に亡くなった母の話などでは、10歳以前は大変辛い生活だったようですが、これと関係あるでしょうか?

A 回答 (2件)

二つの要因が考えられます。



67才というお年を考えた場合、10才以前の事柄について
記憶がないというのはそれほど珍しいことではないと存じます。

確かにそのころのことを覚えてらっしゃる、もっとお年を召した方も
いらっしゃいますが、
記憶とはそのことに興味があったり、
その出来事を繰り返し話題にしたり、話に聞いたりしないと記憶として残りません。

例えば私は52才になりますが、東京オリンピックは本来記憶に残る年頃の出来事ではありません。しかし大松監督率いる女子バレーの金メダルは鮮明に記憶に残っています。最後のポイントを取ったそのシーンさえ覚えています。
というのはその後何回もあのシーンをテレビで見たり、話題になったりして
その時見たそのシーンを繰り返し喚起しているからです。
一方で、ヘイズという100m選手がいました。
あるいは金メダルを何個も取っていったドン・ショランダーという水泳選手がいました。しかし彼らの顔を覚えていません。
これはその後喚起することなく48年過ごしてしまったからのようです。
同じ時期に同じインパクトがあっても残るものと残らないものがあります。
実はその後の記憶の喚起がなせる技で、なにもしなければ残らないものです。

また興味がなければ全く残りません。
まさに私の年頃は、巨人大鵬卵焼き世代です。
私が7才くらいからの長島(入団4年目あたりから)の活躍は覚えています。引退するまで数百の試合を見ました。

仮に、クイズでビデオを見て
「長島ヘルメットをかぶり直してピッチャーをにらみつける、第7球ピッチャー投げました!」というところでビデオを止められて
さぁ、このあとどうなったでしょう?と質問されても
○○方向に▲塁打を打って○塁にヘッドスライディングした!というように
99%正解できます。
これはものすごい興味があり長島が大好きだったという事で記憶に残っていますが、さて同じ試合で、では王がこのあと・・・といわれても
712号756号のホームランくらいしかわかりません。
これはさほど興味がなかったからだと思います。
大鵬もそうです。
とくに大鵬対柏戸は仕切と立ち会いだけ見ればどっちがどういう技で勝ったか覚えています。大鵬対佐田の山も鮮明です。
私が小学校3年か4年ごろだったとおもいますが
大鵬が前日栃の海に向こう上面に押し込まれそれでも逆転の突き落としで
勝ったのですが右足を骨折し翌日千秋楽の佐田の山戦を不戦敗になってしまい、私は悔しくて泣いた覚えがあります。
そのくらい覚えてますが、
柏戸対佐田の山はぜーーんぜん覚えていません。
そんな試合あったのかさえ覚えてない程です。
このように興味があることとないことでは違います。
yoshidaka様は10才以前に興味があることが少なかったということもあるのではないでしょうか。

さらにつらい生活だったと書いておられます。
人間の脳は極端に怖い経験や辛い経験は忘れるようにできております。
さもないとそれからの生活に支障をきたすからです。

例えば車に乗っていて前からトラックが
つっこんできて正面衝突、前進複雑骨折一時は危篤状態・・しかし九死に一生を得て生き延びると、本来ぶつかるまでのトラックが迫ってくる
恐怖は残っているはずなんですがそれを忘れないと
二度と自動車になんか乗れません。
脳は自動的に忘れるようにできております。また自動的に忘れようと努力してくれます。
辛い思いも同じです。

20代からそうだったというのもそういうことからかもしれません。

あるいはそんはずはない!という強い先入観が記憶を自分の脳から
遠ざけようとします。

例えばすでに他界して17年経ちますが私の父はものすごく優しい人間でした。(と記憶してます)
特に子供のころは優しいと感じていました。
しかし、私の手の甲に直径5mmほどのお灸の跡があります。
(お灸の跡だというのはその後母に教えてもらったものです)
それは聞き分けのない事を私がした時に私の父が押さえつけて
したものだという話です。それも中学上がる前あたりらしいですから
もう10才は越えているはずです。
しかし私は少年時代としてはとても大きな出来事なのに
その父を覚えていません。
あんなに優しい父がまさか押さえつけてお灸をするなんて・・。
ととても思えないわけです。
思えないとその事実を受け入れられず、忘れてしまうんですね。

恐らくその時はものすごいショッキングな事なのだったとおもいます。
また恐怖も相当なものがあったとおもいます。
忘れようもないはずなのに忘れるというのは人間の脳がそうしてくれているためなのです。
私はそれを覚えていない方が幸せで、いつまでも父は優しい人だった
(そのお灸も優しいが故に心を鬼にしてやってくれたんだと思います)
と覚えておけば良いと思ってます。

20代のころでも10才以前の記憶があまりないことはよくあります。
私もあまりありません。アルバムで見ると家族旅行や
運動会、学芸会、親戚の結婚式など子供のころの写真は
多々ありましたが、20代の頃それらを見ても
どこへいったかも覚えていないし、いつの運動会かも思い出せなくて
一緒に写ってる友達の顔さえ忘れているということもありました。

というわけで、yoshidakaさんが10才以前の事をあまり記憶していない
ということは 「今」特に気にされる必要はないと存じます。
覚えていない方が幸せ、ということもありますから、気にせず
残っている記憶だけで満足してこれから先の人生を楽しまれたら
いかがでしょう?
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この回答へのお礼

早速のご返事ありがとうございます。
成程よーくわかりました。
ご自身の体験に基づいたご親切ご丁寧な
アドバイスに改めて感謝申し上げます。
誠にありがとうございました。

お礼日時:2008/01/23 17:26

Q、10歳以前の記憶が殆どない。


A、ある者が少数で例外的じゃないですか?

私だって、小学校5年生以前の記憶は定かじゃありません。
もちろん、皆無とは言いませんが非常に断片的です。
ところで、まだ、30になったばかりの娘ですら、ほとんど小学校5年生以前のことは覚えていません。
娘は、毎日、毎晩、飲み歩いています。
娘は、休日には山に登ったり指宿菜の花マラソンに参加したりと忙しい日々を過ごしています。
「あの頃は・・・」なんて記憶を引き出して感慨に浸るような娘じゃないです。
これじゃ、小学校5年生以前の記憶も薄れて当然かと思います。
そういうことで記憶をたぐる作業をしなければ、忘れるのも当然じゃないでしょうかね。

>10歳以前は大変辛い生活だったようですが・・・

関係ないでしょう。
娘が産まれた時の私の年収は僅かに120万円。
一家6人の生活は、正に、赤貧と言うよりも黒貧の生活でした。
しかし、娘の記憶にはその黒貧の日々は一切記録されていません。
それを覚えているのは私と妻だけです。
そんなもんですよ。
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この回答へのお礼

早速のご返事ありがとうございました。
成程。そうですか!
大変参考になりました。
アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2008/01/23 17:30

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