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●ウィキペディア「エジプトの歴史」の項目に、
1914年には、第一次世界大戦によってイギリスがエジプトの名目上の宗主国であるオスマン帝国と開戦したため、エジプトはオスマン帝国の宗主権から切り離された。
その結果、大戦後の1922年2月28日にエジプト王国が成立し、翌年イギリスはその独立を認めたが、その後もイギリスの間接的な支配体制は続いた。と記載されています。

●そこで質問なんですが、
(1)
「エジプトはオスマン帝国の宗主権から切り離された。」と明記されていますが、具体的にどのように切り離されたのでしょう?
イギリスによる半強制的な切り離しだったのでしょうか?
それとも、エジプトも同意の上での離反?

(2)
「1922年2月28日にエジプト王国が成立し、翌年イギリスはその独立を認めたが、その後もイギリスの間接的な支配体制は続いた。」
とありますが、イギリスの支配体制が完全に終わった詳細な年月を知りたいです。

(3)上記の内容と関係ないのですが、現在のエジプトとトルコの関係について知りたいです。
最近の時事などご存じでしたら、ぜひ教えてください。

何卒よろしくお願いいたします。
夜分遅くに失礼しました。

A 回答 (3件)

オスマン帝国の支配下にありながらも、エジプトは比較的緩やかな


支配を受けていました。
イギリスのプロパガンダでオスマン帝国は「圧政と残虐な帝国」と
いうイメージを持たれがちですが、民族意識の強い反抗的な地域には
その一面があったものの、エジプトやその他の地域ではそうでも
なかったのです。
たぶんそれは(現在でもそうですが)エジプト人の意外なほどの
民族意識の低さによります。
もちろん、地域愛、郷土意識やアラブ・イスラムとしての連帯感は
ありますが、「エジプト人」という民族意識は薄いようです。
ただし、それはイランを除いた中東地域全般に言えることですが。

経済的にも、エジプトはオスマン帝国の支配下にありながらも
自由な状況にあったのですが、同時にそれはオスマン帝国の下に
どうしてもいなければいけない訳でもなかったため
イギリスと「反オスマン主義者」であるマホメット・アリーの独立
(切り離し)行動には別段反対でも賛成でもなかったのが実情でした。
現在でも多くのトルコ人がエジプトに住んでいることがその証です。
反トルコ意識は、エジプトの人々の間にはあまりありません。

イギリスのトルコ・エジプト切り離し工作や、トルコの近代化による
「親欧州主義政策」により、両国の関係は経済的な関係に比べ
政治的にはあまり接点がありませんでした。
しかし、最近はかなり様相に変化が生じています。
トルコ・エジプトにとって共通する悩みは、イラクやパレスティナ等
の中東地域の混乱です。
この混乱を(アラブ人によって)鎮めたいという意識が生まれつつある
両国は2003年イスタンブールでの会合以降政治的に急速に接近しつつ
あります。
しかも、エネルギー資源に乏しい両国は、最近その埋蔵量が大きいと
判明した「キプロス南海」のガス田を共同開発しようとする動きに
なっています。
もちろん、この動きはイスラエル・イギリス・フランスにとっては
面白くはないでしょうね。
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この回答へのお礼

お礼の返信が遅くなってしまい、申し訳ありません。
エジプトに関する勉強をはじめたのが、つい最近だったので、分からないことが多かったのですが、皆様の回答のお陰で疑問が払拭されました。

本当にありがとうございました!

お礼日時:2008/02/24 18:53

その当時のエジプトは、オスマン=トルコの属国のような立場にありました。


本来は、トルコが任命した総督が、エジプトを支配していたのですが、その総督がしだいに自立しつつあったのが当時の状況です。
その自立した総督と結びついたのがイキリスでした。
というか、エジプトの総督であるマホメット・アリーが、西欧諸国(イギリスやフランス)の支援の下に実質的な独立を図ったのです。
一時期エジプトは、シリアやキプロスなどもトルコから奪いますが、エジプトの強大化を望まない西欧諸国は、エジプトに圧力をかけ、シリアなどを放棄させ、名目的な宗主権をトルコに認めさせます。
その後エジプトでのイギリス支配が強まり、エジプトはイギリスに対し反乱を起こしますが、破れて実質的にイギリスの植民地となります。
その間も名目的にはトルコが宗主権をもっていましたが、第一次大戦により、ドイツに協力したトルコから、イギリスなどが切り離したのです。
当時のエジプト状況は、名目的な独立にすぎず、実質的には何の変化もなかったのです。

イギリスの支配体制が完全に終わった時をいつにするかは難しいものがありますが、
・1945年アラブ連盟の結成
・1953年のエジプト共和国の宣言
・1954年エジプト革命(ナセル大統領就任)
・1956年スエズ動乱(イギリス軍撤退)
・1958年アラブ連合(親ソ連国家)
このあたりでしょうか。
内政的には、エジプト革命の1954年でよいでしょう。

現在のエジプトとトルコの関係は、特別どうこう無い(敵対も親密でもない)状況です。
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オスマントルコは、日本史で言えば、江戸時代みたいなもので、各地方は、独立性の強いところもあれば、オスマン家直轄領みたいな感じのところもありました。

もともとオスマン帝国は、アナトリア半島とバルカン半島が直轄領的なところで、イスラム圏はけっこう、半独立状態でした。江戸時代で言えば、関東地方は天領と親藩・譜代が多かったの対して、島津藩は、ずっと鹿児島にいたようなものです。

1)
ということで、もともと、オスマン帝国から自立を探っていたのが、ムハンマドーアリー朝の王様。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%8F% …

2)
完全に終わったというと、第二次中東戦争1956年10月29日から1957年5月となります。戦争には負けましたが、国際世論の後押しによって、スエズ運河からイギリス軍を撤退させることに成功しました。

3)
悪くはないと思いますよ。
トルコとエジプトの間には直接の課題もありませんし、イスラエルを承認していますから、両国とも。
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