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関根正雄訳 ヨブ記第12章 第6節
荒らす者の幕屋は安らかで
神を怒らす者も安全だ。
神をおのが手中に握っている者もそうだ。

「幕屋」から遊牧生活を連想します。
信憑性は問わないものとして、ヨブ記成立時のユダヤ教徒の総人口を推定できますか。また、当時の彼らの定着農業人口、遊牧人口、その他の産業従事者の三者の人口比を推定できますか。
よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

この場合の幕屋とは神殿のことだというのはご存知ですよね?



放浪の民だったので、神輿を担いで移動していたのですが、エルサレムに神殿を建設してから、運んできた神輿の中にあった石版を神殿に設置したんです。

最初にソロモンが紀元前10世紀頃建設し、破壊され、バビロン捕囚の後、第二神殿が建設され、ヘロデ大王が大掛かりに建設し、ローマ帝国が破壊した。
今は嘆きの壁と呼ばれるものしか存在しない。

新約の方にイエスが絶命したとき、幕が裂けたというのは、この幕屋で隠していた布が裂け、隠していたものが外に露出してしまったということ。

神が秘所をさらされた という表現なわけです。

相当の屈辱を受けたという表現なわけです。
いわゆる強姦なわけなので。
キリスト教はこの幕を裂く事が古い契約の終わりで、強姦し姦淫の結果できた契約が新しい契約だと主張しているわけです。

ところがモーセが授かった石版はその幕屋の内部には無かった。

ユダヤ人の伝承では、この幕屋が神とそのパートナーの寝室とされ、ローマ人によって至聖所が汚されたとき、パートナーが地上に堕ち、神はパートナーを今も探しており、一人で天を納めているとされています


一説ではこの常に動いている流れる石版は、伊勢神宮にあるとされ、神輿が石版が日本に上陸したとき「ワッショイ(上陸しなさったという意味)」になりそれを記念して、今でも日本人は神輿を担いでその時の悦びを再現しているともされますが、、、、

アークは流れる性質を持っているとすれば、とっくに他に移動していますね。 ^^;
伊勢神宮は何度も移転しましたが、そのたびに移動させたのか???
まあ あればとんでもないことになり、無いから日本は攻め込まれないわけで、、。

元に戻って、、、、
ヨブ記が最初に書かれだしたのは紀元前600年前後らしいです。

その頃の人口調査。。。。


>ヨブ記成立時のユダヤ教徒の総人口を推定できますか。

民数記以外、この民族が人口調査をやった記録が見つからないですね。
他国に支配された時代に人口調査が何度かあったようですが、内容はわからないです。

神殿の建設に伴い、放牧従事者だった人が、都市に仕事を求めなだれ込むことになったと思いますが、アブラハムが軍隊についていく商人だったように、定住型ではなく、商人として、各地に散らばっているイスラエル人から物資を供給し、他の地域に売るというネットワークを持っていたと思えますので、意外と農業従事者・放牧従事者のみってのは少なかったのではないかと思います。

それにシルクロードがいつ頃からできるようになったのか定かではありませんが、東西の文化がなだれ込む地点として発展したようで、いろいろな民族が定住こそしてはいないが、長期滞在をしていたのではないかと思います。

取れたものを他の地域に売り利益を得るには、商人が必須で、その商人も横のつながりが無いと、信用できないので、結局イスラエル人が商人として、各地で活躍していたのではないかと。

この地域は農場に適していないし、放牧して育てて売るより、物資を右から左に流して売る方が利益が多いように思えるんですね。
隣は鉄文化を持つ国ですが、イスラエルは鉄が取れない。
従ってソロモンは隣の鉄文化の国から嫁をもらい、コネクションにより鉄文化が盛んになり、錬金術が盛んになり、一気に繁栄することができたわけです。
その頃通過はないので、一括して他の地域から食料を大量に買え、それで、神殿建設に従事する人を雇えたってわけですね。
重税を敷いていたのも、それだけ商人が利益を得ていたからではないかと。

東西の交易の中心地だったこの場所は当然諸外国から狙われることになるわけです。
ですが、実際は土地じゃなく、商才次第なわけで、是非ともそのネットワークを自国の繁栄にとして、捕囚され、繁栄のために支配階級に登用されることになったわけです。

で、それが妬まれることになり、聖絶されそうになり、エステルの知恵で聖絶の危機を救い、今度はローマ帝国に領土になり、派遣された支配者に妬まれることになった。

とまあ 幸福になると妬まれやすくなるってわけですね。
それで今でもユダヤ人が世界を牛耳っている悪の集団という説が根強く残っていますが、アブラハムから始まった商才・商人ネットワークゆえの悲劇なんですね。



日本のほとんどの人の祖先が農業従事者ではなく兼業だったように、イスラエル人も専業はほとんどいなかったのではないかと推定されます。
それに住民登録したところで、商売は何かまで申請しなければならなかったという話は聞いた事が無いです。

信憑性は問わないということだったので、近隣諸国との関係の背景から推測してみました。


あ、それとユダヤ教ってのは、少なくとも10戒律を神の言葉として守っている宗教のことですから、そうなるとサマリア人も含むわけですね。

無理だと思います。
ユダヤ教徒の数を数えたって話は聞いたことがないです。

この回答への補足

締め切るに当たって
本日は4月4日です。質問以来、2週間を経たのを機に締め切ります。
その後、新たな回答がないのは、きっとこのご回答が妥当であって付け加えることがないからでしょう。
有り難うございました。

補足日時:2008/04/04 19:29
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この回答へのお礼

1 >>この場合の幕屋とは神殿のことだというのはご存知ですよね?
「荒らす者の幕屋」とあるので「荒らさない者の幕屋」も存在するものと受け取り、「幕屋」は個人の住居、遊牧に適した簡易な住まいだと想像していました。
神輿、石版、(第一)神殿、第二神殿、嘆きの壁の関係は理解が深まりました。

2 民数記を読むときがあれば、人口調査の件に注意します。

3 遊牧はよく言われるので当然だし、地の利から交易(商業)も盛んとして、ヨルダン川沿岸は水の便があるので纏まった農業人口もいるのだと思っていました。
古い時代の、あの辺りの争いは結局のところヨルダン川の水を巡る争いで、軍事、文化など総合力の勝った民族が確保してきたのだと考えていました。
どんな分野にも専門家はいるのでカナン一帯の土地がどれほどの人口を養えていたか、推定できる方も居られようかと思います。ただし、そういう方がこの質問に眼を留められるか否かは不明です。

有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

お礼日時:2008/03/22 19:55

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