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ドッジ・ラインはインフレの収束、均衡財政の確立、単一為替レートの設定、大規模な人員整理、劣弱企業の淘汰を実現した政策であり、結果として”深刻な資金不足と金詰りと需要縮小をもたらした”とあります。


「激しい勤労」と「輸出優先」というドッジ構想のなかで、国内需要を縮小したのにもかかわらず、なぜ輸出拡大につながらなかったのかがわかりません。

国内産業が停止状態にあり、循環が成立していないのかとも考えましたが、その状況をも考えた上での構想だと思います。


ご回答の程宜しくお願いします。

A 回答 (1件)

そもそも、当時の日本は相当な需要過多というか『供給過少』だったわけです。



基本的に、輸出とは国内に余っている財を海外に出荷することです。
当時の日本の物不足は深刻でしたから需要が多少下がったくらいでは海外に輸出する余裕なんて生まれません。
せいぜい、国内のインフレ(物不足)が沈静化したくらいです。

もう一つは、日本の当時の製品が海外で通用するものがなかったと言うのもあります。
当時の日本は、軍需中心の戦前の経済政策によって、絹織物や綿織物などの民需は縮小しており、軍需つまり重工業重視の経済構造に転換させられていました。
非常にバランスの悪い経済構造だったわけです。
しかも、その重工業は空襲などによる戦争の打撃を受けていたり、戦前の物資不足と輸入停止や情報の途絶の影響で設備や技術は全て旧式でした。
重工業の分野では、第二次産業革命を終えて圧倒的な生産力を誇るアメリカ経済に対して太刀打ちできなかったわけです。日本のボロ車なんて誰も欲しがらなかったわけです。
日本が、アメリカの技術や生産方法を学び、安かろう悪かろうの代名詞から脱却できたのは1970年ごろです。

結局、ドッジが行ったのは輪転機で札を刷って経済を活性化させるという政策を止めたと言うことです(その他不透明な補助金なども撤廃しました)。
ドッジラインと朝鮮戦争どちらが欠けていても日本の高度成長は無かったと思います。
世界で通用する効率性と健全な発展を得るにはドッジラインは欠かせなかったでしょうし、朝鮮戦争なしに経済の循環を取り戻すには時間がかかったと思います。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

見方を変えるだけでぜんぜん広がってきますね。勉強になります。

おっしゃっている内容に加え、さらに英国ポンド、西独マルクの切り下げが行われたこととあいまって輸出の展望がさらに暗くなったという結論に結びつきました。


有難うございます。

お礼日時:2008/05/23 00:34

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