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「哲学」カテゴリに寄せる質問なので「それは頭の方だ」という回答が多くなるのかなあなどと勝手に推測しておりますが、それはさておき、「重い」というのはネガティブな意味でも「重要性」でもなく、影響力ということについてです。

いずれにしても人生を構築する基盤であるものですが。

A 回答 (8件)

思考力と感情、というふうに言い直せるなら、


それは客観的には同じだと思いますし、
個人個人がどちらを重要視するかの問題じゃないでしょうか?
感情に集中するー感性重視の人でも、同時にその裏側でものを考えてないわけではないですし、
考えるのが好きな人でもー同時にその裏側で自分の感情を無視してるわけでもありません。
考えー感情、というひとくくりのものの動きの、どちらに焦点を当てる癖があるか、ということじゃないかと・・・
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 ANo.4


 人間としての本質存在が一番重い。その家来というか駆使する道具が頭と心。
 心は、心底から搾り出す祈り、宇宙の不可視を感じる機能、そしてっ関っていく、思い、語りかけの中心です。理屈を蹴飛ばすことさえする人間自身の存在に直截繋がっています。
 頭は思考機能。なんでも理屈を求め、依拠をもとめ、論拠を求める。
 理屈は何にもくっつく、成り立つ。推論は推論の範囲内。
 事物事象から出発し、根拠し、その範囲で終始する。
 頭の機能をどうコントロールできるかが、本当の人間。
 心の逸脱は自分がまだわからない、頭の機能の結果に過ぎない。
 あたまを、アートマというサンスクリットのことばにすれば、これは魂になる。魂、マハ・アートマ・ガンディー。
 偉大な魂のガンディー。なら別。つまり、
 頭を考えるという機能としての、上の話。
 アートマというなら、確かに大事な機能、魂にしろ意識にしろ、この頭蓋骨の中にある、一定の機能の中のことであるから、魂とか意識の機能としての頭なら、その頭が上。当たり前のこと。考えることではないというなら。それなら、上の感じたり、関わる機能も、実はこの頭蓋骨の中。ただし心臓のところにその働きをさせるものが駐在大使としてある。
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まあ次元によるんじゃないでしょうか?


心的次元なら心だろうし。
現代科学の理論的証明の中での次元なら脳だろうし
そういうことなんじゃないでしょうか?
あまり重い軽いとかではないような気がします
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

心的次元、ですか。
重い軽いという言葉を誤って使用してしまったと思います。
でも司令部はどこ?という単純なことではなくて(単純なことではないかもしれませんが)、存在とか生きる意味とかにつながっていくような、そして新しい解釈に展開すればいいなという、テーマの質問でした。

お礼日時:2008/06/10 06:20

自我意識は左脳の意識です。

心が在ります。自覚できます。

仏性「神と云っても良いかと思います」は右脳の意識です。人間の働き
そのものと云っても良いです。「禅」に出てくる「主人公です」
「無意識」を統括していることから、磨かないと自覚できません。

自我意識と仏性が、対立と矛盾を起こす時があります。「精神疾患」と
いわれるものです。二元論とも呼ばれています。「人生苦」というもの
です。「神経症」もその一つです。

その場合、普通は二つの脳で処理されて、何も問題がなかったものが、
大変な問題となります。自我だけで問題を処理するようになるからで
す。吃音の場合は、意志の力で話をすることです。上がり症は自我だけ
で自分全般を使いこなそうとする事になります。

その時に「無視」された「右脳の意識」が口を挟みたいと思います。手
助けをしようとします。これが「辛さ、生きにくさ」として、自我に自
分の存在をアピールします。

深い悩みや不安は「右脳の意識の」アピールです。薬を飲んでも、解消
し難い訳は、ここに在ります。

心も頭も魂も皆同じ所に存在します。ですが、魂(神)のいる右脳が
人間の幸、不幸を左右するかと思います。在るか無いかも分らない「存
在」ですが?

「見性」して出合った二つの意識は、右脳の意識が自我意識の上にきま
す。それは、でしゃばって「深い悩みに陥った失敗から」二度とでしゃばらなくなった、とも言えます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なんと、右脳に神様がいらしたとは!確かに右脳はイメージの世界であり創造の世界であると言われてますよね。つまり神の領域であるとは分かります。また無意識という無限のエネルギーと創造の源である混沌の世界がここにあった、つまり脳にあるということなのですね。

そして左脳=自我、つまり人間の世界であるという観点はとても興味深いです。脳が2つあるという理由のひとつもここにありそうです。

私は無意識の世界に大変興味をもっていて、森羅万象の根源、根本だと思うんですね。人にとっては可能性の宝庫ですよね。でも99%しか使われてないといわれてますよね。それを抑圧してしまう自我って何なのでしょう?

>「辛さ、生きにくさ」
これが葛藤と言われるものなのでしょうね。神経症は超自我と自由の相克において前者が勝っている場合において、そのはけ口として行為を対象にするものだと思います。

>薬を飲んでも、解消し難い訳
私も薬には抵抗がありますし、それで治るのなら増える一方の精神疾患は説明がつきませんよね。

やっぱり魂の中に心も体も頭も、すべて包括されているとは思います。ですが心が痛む、というときになぜ胸の部分なのか、そこに魂があるのではないかという普遍的な課題に戻ってしまいますが・・・。

*>「見性」して出合った二つの意識は
ちょっと分かりません。これ以下をもう少し解説していただけたらと思います。

お礼日時:2008/06/10 06:18

 人間のこの世で存在する機能ですから、同じです。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

どう機能するから同じなのかということを具体的に挙げていただけないでしょうか?
というよりも、そもそも「どちらが重いか?」という質問です。

お礼日時:2008/06/10 02:09

「頭」とは頭蓋骨とその中身のことを指しているのでしょうか?



もし、そうだとすると、頭とは単なる肉体の器官のひとつで、心が物事を認識するために必要な情報を蓄積するための器官になると思います。

この場合、心にすべての認識、判断力、意志、感情が含まれます。

そうすると、当然「心」の方が「重く」なり、「頭」は「軽く」なります。

結局、「心」の定義によって変わるのではないでしょうか。

意志が宿っているのは「心」なのか「頭」なのかその辺から考える必要があるように見受けられます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「頭」とは頭蓋骨とその中身のことを指しているのでしょうか?
脳のことですよね。頭=理性、知性として考えがちですが、鬱病がセロトニン不足によることも一因であるように、生物学的なことも含めなければなりませんね。

ですがご回答者様は心に理性が含まれているとお考えなのですね。質問の本質はもしかしたらこのようなことかもしれません。No.1の方へのお礼で述べたように、頭でコントロールできる可能性を前提とした場合、心はどれだけ言うことが聞けるのかということです。

ですが「心の定義」によって変わるのなら、「>頭とは単なる肉体の器官」かもしれません。セロトニンなどの物質もそれは頭の働きではなく心が出した指令のアウトプットかもしれません。

お礼日時:2008/06/10 02:07

頭に一票。



感情はコントロールは出来ませんが、理解は出来るものだから。

別の観点からも言えます。
「理論と現実は必ず一致する。現実は理論とは違うなどと言う人は、偏見にとらわれているだけだ」。だから、究極的には心と頭は一致しますが、偏見の拭い去りが足りない場合では、心と頭が不一致になることもあります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>感情はコントロールは出来ませんが、理解は出来るものだから。
なるほど。感情は理性の前にくる原始的なものですよね。脳の構造的にもそうなっていますよね。感情を上から見る、というイメージです。
でも考え方次第で感情もコントロールできるかなと。

偏見は社会的心理のひとつです。群集心理に埋没してしまいそうな心理や感情も「見方ひとつ」で変わるとは思います。

お礼日時:2008/06/10 02:01

コンピュータ技術者としては


頭=ハードウェア
心=ソフトウェア
って考えます。

頭だけならただの物体
心だけでは物事を実行できない

両方が互いを十分に使いこなして初めて成果を発揮するもんだとおもいます。
片方がプアだと全く現実味がないほどに働きが悪いもんです。

頭=知識=データベース(蓄積能力のみ)
心=判断力=データベースエンジンと検索プログラム(検索能力とその指示を与えること)
とするにしてもやっぱり両輪ですね。
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この回答へのお礼

なるほど。技術屋さんらしい喩えですね。
>両方が互いを十分に使いこなして初めて成果を発揮
そうですよね。
蛇足ですが、コンピューターって人が作られた後に作られたものですが、人の構造にまんま喩えられますよね。

私としては心=混沌、頭=意志と考えます。
混沌の状態を、意志でコントロールすることができるか、それともその逆なのか?たとえば力動的な意味はいかがなものか?というのが実は質問の本意なんです。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/05/20 20:22

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