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世では自殺はダメであるという意見が多数であると感じます。
しかし自殺は何故ダメなのでしょうか?
自殺はダメであるという明確な理由が分かりません。
その理由を知りたいです。

A 回答 (58件中31~40件)

裏切りというより、神様がくれた命を自ら捨てる行為がそもそも人ではないです。


川田さんも亡くなられましたが、あれだけの美貌で知的なのに何で死ぬのかが分かりません。報道キャスター希望があったとの事ですが、そういう業務行けばなおさら人一倍勉強もしないといけないし、著名人相手に話をしなければなりません。そういう事に耐え抜き、努力されたからこそ、安藤さんや、小宮さんが報道キャスターとして出来ると思います。
理想と、ギャップといいますが、ギャップが大きかったのを縮める努力をされたのかなとも思いました。それがしんどいから、苦痛だから。。というのであれば目標を下げなくてはいけません。
悩みは誰でもあります。大きい目標を達成するのはそれ相当の悩みも出てくるでしょう。でもこつこつやってると必ず花が咲きます。
なので、半ば途中であきらめ、まして自殺なんて私は逃げているとしか考えられないです。
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。
諦めることは悪いことではありませんよ。
この世は諦めない人ではなく諦めることが出来ない人が
多数いるように思います。
その中で諦めることを選択するのはとても勇気がいることなんですよ。

お礼日時:2008/06/11 23:20

自殺がダメな理由それはこれ以上ない裏切りだからなのです、犯罪なのですよ。


人間は生き物の命を戴いて生かされてもらっています。その上親、友人、社会からどれほど大きなエネルギーを注いで貰っているか、それもこれもすべてその人を立派な人間に育てるためなのです。

育てられた人間は周囲に恩返しをすべく自分の能力をフルに発揮し仕事を通して社会に還元する訳です。
ところが途中で自ら命を絶つと言う事は食い逃げ、詐欺をも上回る重大な裏切り行為なのですよ。

己の意思とは関係なくこの世に生まれ生き物の命を大量に奪い生かされて来ていざ恩返しという前に自殺という形でさっさと逃げる。両親や友人などが嘆き悲しむのを承知で、これがどんなに罪深い事かお分かりかと思います。

仮に諸般の事情で社会に還元する仕事が出来ないにしても生かされてもらった命を勝手に捨てるなどという事は殺された計り知れない命の側から見て到底許せる物ではありません。ただ生きてくれているだけで本望だと思うでしょうね。

自殺は犯罪です、極めて罪深い行為で重大な裏切りです、卑怯な行為だとも思います。
天寿を全うしないで勝手に死ぬ事は戦争で言うと敵前逃亡に等しく軍法会議で銃殺刑が言い渡される程の罪です。
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。
裏切りや犯罪を人間は起こします。
よって自殺が起こるのは当然のことです。
自分のことしか考えない。死ぬ側も死なれる側も。
人間はそういう生き物なのです。

お礼日時:2008/06/11 23:17

自殺は何故だめなのか?


明確な理由はないっというのが正論です。

いろいろな意見がありますが、自殺については最終的な決断をするのは自分なので、なにを考えてそういう結論になったのか、それは自殺した人にしかわかりません。
 一般的に自殺への否定というのは基本的に生きていこうとする人の生物的存在を否定するという簡単な発想から誰でも受け入れやすい意見になっています。あとの理由とかは、どこかで聴いたようなような言葉の行進なので、気にする必要もありません。個人的事情がそれぞれ異なるので、真剣に考えるなら自分の事情について考えた方が良いかと思われます。
 人間は生物なので眠たくなったら寝るし、腹が減ったら食物をとります。つまり命を維持してくことが自動的に活動の中核になっているわけです。ですから、自殺がダメな理由などないのです。基本的に人は自殺しないからです。自殺を考える場合、社会のタブー視で自殺する理由が明確になっていない以上、自殺がダメな理由も明確にならないというのが正しい認識です。
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。
私はその先を見たいと思っています。
人間は個でありますが、大きくみれば
個の総体であると感じます。
つまりは根底に同じものがあり、
個々の差はあれど共にするものがある。
それを考えたいのです。

お礼日時:2008/06/11 23:11

例えば「○月○日どこどこで死のう」と自殺する人は死を選択できます。


でも、生命を与えられる時、人は自分自身で選択できません。
与えられて、少なくとも2~3年間の記憶すらありません。
気が付いたら、いつの間にか『自分』がいます。

生命とは、得たくて得られるものではないということです。
そういう点で、生命に貴さを感じます。

私は、生きる権利を与えられたのだと思い、それを100%享受したいと思っています。
私の感覚では、宝くじで大金が当ったのと同じです。
1億円が自由に使える権利を与えられた人は、殆どが喜んで貰うと思います。
その権利を放棄する人っているでしょうか。(当選に気づかない人は別として)
もしいたとしたら、とてももったいない!と思います。欲しい人はたくさん居るのに・・・・・・。

自殺する人はダメというか、無駄使いしてるように見えるので「そんな使い方して良いの?」と一言問いかけたくなります。余計なお世話かもしれませんが。
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。
もしかしたら自殺する人にとっては
自殺をする事がその時点において
最も良い権利の行使なのかもしれません。

お礼日時:2008/06/11 23:07

自殺は「逃避」だと思ってます。


人生、色々と辛いことがありますけど、
それを乗り越えて成長することに人生の意味があると思ってます。
自殺は、それらから逃げるということ。
人は、生まれてくる前に「この人生を生きる」と決めて
自分で選んで生まれてくるらしいですよ。
言ってみれば、中途退学みたいなものなんですね、自殺って。

辛いことが多い人生を送っている人は、それだけ人生の課題のレベルが高い!?
もしくは、心が弱っていて本来よりも辛く感じている状態だと思います。
たぶん、その人には乗り越えることが出来ることしか降りかからないです。

そんな感じのことを美輪明宏さんは言ってますが、どうなんでしょうね。
でも、そう考えたら辛い目に遭っても
「私には耐えられる」と、自殺せずに生きていけそうだなと思います。

あの、変な宗教じゃないので気にしないで下さい^^;
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。
これは捉え方の問題ですね。
生きることが素晴らしい。
全ての人がそう感じるようになれば良いのですが。

お礼日時:2008/06/11 23:04

N0.3の方のと私のと大体似た考えなんですけど、質問者さんは、社会には悪いやつがうようよいるという考えについてちょっと浅いのではないでしょうか?あくまで、個人(自殺者)の裁量でことが運んでいくということはもちろん原則的なのですが、どっこいいろいろと法の網目をくぐったり、新たな手法の詐欺商法を考案したり、そういうことはまったく途絶えないです。

しかも、商売というものは昆虫のように生命力旺盛ですから、自殺幇助業はできるでしょうし、それにかこつけてあらたな殺人やら犯罪やら出てこざるをえないでしょう。それらを事前に防止する、その防波堤的な方便としての倫理観というようなものを、知らず知らず受け継いだ結果が、現在の「自殺だめ」認識にある気がします。

つまり、個人倫理的に自殺はだめなのではなく、社会秩序のために自殺者は認められないのでしょう。
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。
自殺と犯罪の繋がりは少し理解しがたい所があります。
現実的に自殺を利用した犯罪はあると思いますが、
あまり表面上に出てこないところからもそう考えてしまいます。

お礼日時:2008/06/11 23:01

これに答えられる人は少ないでしょう 説明しても理解出来る方も限られます


理由は簡単ですが理解は難しいです 死後の世界 がある事を知りませんと無理なのです
現在は誰でも知る事は出来ます 誰でも です その為に有る訳ではありませんので此処では説明しません
直接見える訳ではありませんので直ぐに とはいきません 不思議な現象を体験する事で解って来るのです
世間には稀に起こっているのですが稀な事ですから 大抵は何かの間違い で片付けられているのです
体験を通して大変な数 起こっている事が解れば納得出来ます 誰にでも です
不思議体験には実に色々な事が起こっております 霊能者は一人もおりません皆普通の人です
昔から言われながら 現代では迷信とされている事が実は本当であったと解るのです
ですから霊能者達がTV等で言っている事も良く解ります 霊能者以上の事も解ります

前置きが長くなりましたが今は信じられなくとも 死後の世界があると仮定して下さい 誰でも死後には解りますから
それで自殺者の死後はどうなるかですが
辛い所に行くのです 直ぐに行く場合と そうでない場合があるようです

何故そうなるのか ですが
他殺も自殺も同じ罪になるから と言って置きましょう 他殺より自殺の方が罪深いようです
ですので自殺してはいけないのです 従来の宗教では確かめてはいませんが理由は教えていないそうです
自殺してはいけない と言うだけなのだそうです

此処で 死後の世界 ですが 本当にあるのか と言いたいでしょう
更にこれだけ科学が進んだのに とも言いたいでしょう
理由は簡単です 今の科学は 未だ掴めるだけのレベルに達していないだけです 未だ先があるのです
恐らくクォークの更に上の世界になるのではと思います

今は理解出来なくとも 誰でも死後には理解出来ますから。
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。
科学や死後の世界は関係ありません。
全ては生の世界でありそこに終着出来ます。
観測者は生と死で入れ替わりその連鎖が認識を生みます。
つまり必要なのは人間としての向上です。
これがあれば答えに到達できるのではと考えます。

お礼日時:2008/06/11 22:58

近頃は殺伐とした世の中になりましたね



私はどちらかと言えば emr2008 さんに近い考え方で
自殺が絶対にダメだとは思ってません。

そして 「それが倫理だから、常識だから、道徳だから」
などと言う答えはあまり好きではありません。
それではみんながそうしてるから、みんなが言うから、
と言ってるようなものだと感じます。

個人的な意見ですが、私は 「人生は旅行」 だと思ってます。
この世に生を受けて、いつかその日が来ればこの世界を離れる。
3泊4日の海外旅行と同じで、楽しんだ人が得をする。
その同じ期間を暗い気持ちで過ごしても 自分が損するだけです。

もちろん現実の人生ではやるべき事やツライ事もたくさんありますが、
その壁を乗り越えれば誰でも必ず 楽しい一時はあるでしょう。

しかし私は 「人間は生れつき不平等」 だとも思います。
富豪の家庭に生まれた人と貧しい家庭に生まれた人、
平等な訳がないですよね 
そんな感じで人それぞれ事情が違うので、
もし人生がどうしてもツラいなら
その旅を辞めるのも個人の自由だと思ってます。

しかし親は悲しむでしょうね
自分の子供が自殺、なんて想像するだけで どんな気持ちになるか解ります。

質問の答えですが、自殺を止める決定的な言葉は無いと思います。
なぜなら自殺をする理由は人それぞれ違うから。

もし私が大事な人の自殺を止めたいのであれば、
まず言うことは 「私にとって大事な人だから死んでほしくない。」
これは他者からの理由ですね

しかしおっしゃる通り ほとんどの人は死にたくなるほどの
理由があるからそうする訳で、それを聞いてみることでしょう。

例えば幼稚園生で自殺なんてほとんど無いと思いますが、
大人になるにつれて何かがその人をそこまで追いつめるんでしょうね

その何かを聞きだし、解決に向けて一緒に努力してあげれば
立ち直る可能性はあるかと思います。 
話を聞いてあげるだけでも違うかと。

これはなかなか難しい問題ですね
よろしければ今度近くの交番に行って
お巡りさんがどう答えるか聞いてみてください。

ちなみに、30年ほど前の 「藤子・F・不二雄」 の作品に
「間引き」、「定年退食」 と言うのがあるのですが
まさに現代の殺伐とした日本を描いてて興味深いので
機会があれば読んでみてください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E8%97%A4% …
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。
人それぞれ理由が違うから止める言葉はない。
これは痛感するものですね。
しかしより根底においては1つに集約できる。
そんな気がするのです。
だからこそ私は1つの言葉を求めてしまうのです。

お礼日時:2008/06/11 22:54

自殺がダメな理由は残された人が嫌な、寂しい思いをするからです。


身近な人ならなおさらで、全然関係ない人の自殺をニュースで聞いても嫌な気持ちになりませんか?

もしくは昔から宗教的なもので自殺をすると(たとえばですよ!)生まれ変わりができないとかというのがあって、そういうのが残っているのかもしれません。

理由がないのかもしれませんよね。つまり自殺はダメなものではない。死にたくなったら自殺すればいいと。革命とかそういう意図をもって自殺するひともいますしね

たとえ自殺しようとしている人を止めようとしても説得できないとありますが、そのとおりで誰も自殺を止めることはできないと思います。最初に答えた、寂しい、嫌な思いがするから死ぬな、というのは残された人のわがままですね。(勝手に死ぬのもわがままですが)
死ぬ人にはどうでもいいことです。そもそも何を言っても伝わらないと思います。疲れて疲れて生きていくのに疲れたから死ぬのです。

まとめると、自殺がダメな理由は残されたひとが寂しいからで(わがままですが)、でもそれは死ぬ人にとってはどうでもいいことで、本気で死のうとしてる人にその場でなにをいっても(自殺がダメだという明確な理由があってそれをいっても死ぬ人には関係ないことであるため)自殺は止められないのです。電車に飛び込もうが首吊りしようがみんなに迷惑がかかっても死ぬ人にとってはどうでもいいことなんです。

疲れて疲れて疲れて嫌で嫌で嫌で
自殺が最終段階に入る前にいってあげましょう

「いいことは人生の最後の方にある」

僕はこれで何度か立て直しました
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。
「いいことは人生の最後の方にある」

なかなかいい言葉ですね。

お礼日時:2008/06/11 22:50

下で3つ答えたものです。


あと、付け足しますけど、その実際上の問題ということがある。
どういう手段でするのか。質問文にもある練炭やら、最近流行の毒ガスやら(硫化水素でしたか)、筋弛緩剤やら、列車轢死やら、飛び降り全身打撲やら、切腹やら、喉切やら、焼身やら、拳銃やら、首吊りもっとあるでしょう。
自殺も社会的認知を受けるのだとする意識が一般的になると、ではどの方法でするのかという問題になる。社会的迷惑にならない方法というのがガイドラインになってきて、するとあまり選択肢がないでしょう。首つって腐敗死体を片付けるなんてのも、社会的でないでしょうし。

そうすると、ほとんど公認で「自殺センター」みたいなものができざるをえない。お金払って方法からしたい処理も管理してもらう。そして、常にいかがわしい商売という分野になるでしょう。いろいろと犯罪に悪用もされるでしょう。

ここまでくると、それがはたして人間的な感覚で処理していけるのか疑問です。そこまでの話がなんとなく意識の奥の奥のほうでわかっているので、反射的に自殺はよくないという頭が人類にはあるのではないでしょうかね?
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。
私は人間の自殺への意識の転換が、
実社会に影響するとは考えられません。
死を選ぶ人の数も変化はしないでしょう。
つまり大きな変化ではありますが、
それは現状を維持します。

お礼日時:2008/05/29 20:03

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