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小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は日本で松江、熊本と転任し神戸に移りますが、実は転任の理由が・・・

松江・・・ここの冬の寒さは耐えられない
熊本・・・ここの人間の雑さは耐えられない

ということを何かで読んだことがあります。
特に松江には実質1年くらい?しかいなかったにもかかわらず、彼の作品の舞台に度々登場していますし、彼の妻は松江の人です。
やはり松江は気に入っていたのでしょうか?
また、それに比べ南国熊本は気候は温暖だけれど人間がどうしても好きになれなかったのでしょうか?

A 回答 (2件)

熊本は気に入らなかったようです。


おおらかな気性が神経質なハーンには合わなかったようです。
夏目漱石もそのパターンですね。

松江はお気に入りのだったようです。
特に毎夜奥さんから聞かされる怪談にぞっこんで、
しきりに話しをおねだりしたそうです。
暗く落ち着いた山陰の風土が想像力をかき立てたのですね。
松江の芸術的な風土と謙虚な人柄も気に入っていたようです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

やはり熊本は合わなかったのですね。
(漱石も仰せの通り、イギリス留学中に強度の神経衰弱になりました)

松江が故郷アイルランド(生まれは確かギリシア?)の風土に似ていたのでしょうか・・・
そうですね、セツさんから聞いた不思議な話をもとに「怪談」を書いたのは有名ですね。
確かに松江の静かなたたずまいや伝統、文化、物や人を大切にする心が彼にはとても合っていたのでしょう。

お礼日時:2008/06/02 23:48

 以下は『小泉八雲集』(上田和夫訳・新潮文庫)の解説「小泉八雲の人と文学」(上田和夫)からの抜粋(私の個人的な見解も若干含みますが)ですので、質問者さんが本著を既読でしたら申し訳ありません(スルーしてください)。



 明治23年に来日(横浜上陸)したハーンは、知友の斡旋で、島根県松江(尋常)中学校の英語教師として赴任します。彼は日本人の生活の中にとび込み、それに融けこもうと努力します。その姿勢が「松江日報」紙上で好意的に報じられるほどでした。また幼い頃からキリスト教嫌いの彼にとって、日本の古代からの奇妙な風俗をまだ多く残している松江(出雲)は不思議な安息を彼にあたえたものらしいとのこと。翌年には彼の尊敬してやまない士族(サムライ)の娘と結婚、帰化、名を小泉八雲とかえます。しかし、松江に永住するつもりでいた八雲は、寒気のため生来の弱視が悪化することをおそれて(すでに片目は幼児期に失明している)南国・熊本へ転任します。
 松江を離れたのは単に「ここの冬の寒さは耐えられない」というよりは失明への恐れと、知人の熊本は「出雲におとらない面白い日本の一部」であり、健康にもよく、著書の出版にも便利であるとの知人のすすめによるところが大きいようです(献身的に彼を支え続けた夫人の故郷でもある松江に愛着を持っていたのは間違いないのではないでしょうか)。 しかし、八雲は熊本の地をすすめた知人(チェンバレン)宛に「熊本は日本でもっとも醜い、もっとも不快な都市です」と抗議しています。その理由として、熊本が思ったより寒かったこと、松江と違いひとびとの気風が荒っぽく、外人なれしていて敬意をはらわれなかったことが指摘できるかもしれないとしながら、訳者の上田和夫は八雲のこの絶望を「それよりむしろ時代の趨勢によるものであることにやがて八雲は気づいている」と記してします。彼が熊本で直面したのは、時あたかも日清戦争に突入しつつあった時代で、しだいに自由民権思想から排他的な国権主義へと移行しつつあった日本の現実でした。「熊本の人間が好きになれなかった」のは事実でしょうが、その背景にそうした時代の空気感みたいなものもあったのではないでしょうか。
 八雲は、古い、美しい、霊的な日本が西洋化によって失われていくのを悲しみつつも、国際社会の中で独立国家として生きていくには西洋近代化の道しかないこともまた認めざるを得なかったようです。しかし、八雲は日本は本来の美を失ってはならない、また失うことはないだろうと記しています。

 下手な長文で申し訳ありませんでした。


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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

合わせてとてもご丁寧な解説に感謝致します。

当時の時代背景も多大に影響していたのですね。
また、特に熊本など九州人・九州弁の豪快さ、歯切れのよさ、無神経さ?(悪気はない)などが元々繊細なハーンの神経には耐えられなかったとでも・・・
結果として図らずも、最初の赴任地であった松江の風土・人情が彼にはごく自然に合っていたといえますね。まさに「日本の面影」であり、その出会いが無ければおそらく数々の名作は生まれていなかったと思います。

お礼日時:2008/06/04 10:04

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