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世界には様々な格闘技様々な流派があり、それぞれ構えや技は異なっています。
ボクシングのストレート、空手の正拳突き、中国拳法の崩拳、
同じまっすぐのパンチでもそれぞれ違いますよね。
しかしK-1とか総合格闘技だと、パンチやキックの打ち方、ブロックの仕方とかほとんど同じです。
何故マンガや格闘ゲームみたいに、選手ごとに様々な異なった技を使いこなす
状景は現実世界では見られないのでしょうか。
ボクサーのジャブやストレートを空手の受けでいなし、カウンターで正中線を突く、
こういう場面はなんでないのでしょうか?
そもそも武術の歴史は何千年とあり、その中で様々な方法論が開発されてきたのに、
どうして10年かそこらの間に出てきた総合における方法論が、普遍的なものになっているのでしょうか?
いろいろな流派にある技というのは、演舞として見せるため、競技のためにあるもので、
ガチで倒し合う上で合理的な動きというのは決まってくるのでしょうか?
もちろん総合格闘技は、あくまでそういうジャンルの固有のスポーツ、競技であって、
本当に何でもありのケンカや殺し合いとは違うのは承知していますが。

A 回答 (4件)

言われてみればそうですね・・・。



原因は幾つかあると思いますが、影響が大きい順に
・ルールが違う:素手とグローブ。寝技禁止等。
・グローブと素手ではダメージを与える方法が違う(グローブで正中線を付いても余りダメージが無い)。
・歴史のある流派は、型重視の傾向が強く、効果的な技ではないOR
危険すぎる技で使えない。

逆に何でもありの方が喧嘩や殺し合いに近く、そこで使える技は限られていると言う事だとおもいます。
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アメリカで使えなくてはならないとするなんでもありを前提とした伝統空手を教えています。

 (詳しくは私のプロフィールを見てください)

これは、私たちの流派においては、名前のついた「技」はすべて「使うためのものではない」としているからなのです。 正拳突きを道場でやれば「唐絵に見える」かもしれませんね。 しかし、誰も必要な時には使いません。 使えないものだからなのです。 だから使うためのものではないとはっきり断言するのです。

私から言わせると、使えると思わせるような教え方をする道場や師範は空手と言う物を教えてもらわなかったと断言します。

何十個ある「技」のどれを「試合」に使っているでしょうか。 試合ですら空手の実力を見せるものではないし、型を試合の中に入れるなど言語道断なのです。

両方とも「使える訓練方法」「空手を身につける道具」なのです。 それ以外のものではないのですね。 

本当の意味での空手を使えるようになるための訓練方法がいわゆる「名前のついた技」なのですね。

身を守るためでもあるし、相手を殺すものでもありますし、また人生を送る方法でもあるのです。

一撃必殺をなぜ習うのか、教えられる師範が今の日本にどのくらい居るのでしょうか。 武道に先手なしとは?先に手を出すなと言う道徳を教えるだけのもので良いのでしょうか?

寝技を教えない、関節技を教えない、投げ技を教えない空手が日本には普通とされており誰も矛盾を感じていません。 それにもかかわらず武道と呼んでいるのですね。

なんでもありに近づけた総合の存在がやっと相手を倒すと言う部分の武道を認識し、民間を認識させたのです。 100年遅いのです。

プライドがなくなったことは大きな痛手になったと私は考える理由でもあります。

参考になりましたでしょうか。 分かりにくいところがありましたらどんどん突っ込んでまた書いてくださいね。
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K-1はかって、中国の散打、韓国のテコンドー、日本の空手、タイのムエタイなどが集まりましたが、基本的にはキックボクシングに準ずる競技なので、初期のK-1ではキック出身の選手の活躍が目立ちました。



軽量級の多いムエタイは、選手層の薄さからヘビー級では淘汰されてしまいましたが、中量級のMAXではブアカーオがトップ選手として活躍しています。ムエタイの技術はキックボクシングでも十分に通用するという事です。

一方、空手は手による顔面攻撃を禁止しているため足を止め打ち合うというスタイルですから、間合いが全く違ううえにステップワークは不慣れで防御法も異なります。初期のK-1でも空手家がこのルールに適応するには時間がかかると言われていました。

またK-1と総合の打撃もかなり異なります。PRIDEとK-1の選手交流が合った頃、選手の貸し借りがあり、違う競技で戦った選手の成績はあまり芳しくありませんでした。結局はその競技にあった打撃の技術が必要とされるわけなので、総合の打撃が実践的とか空手は競技だとかいうわけではないでしょう。
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 武器を持つ武術の中での徒手打撃格闘の長い歴史と、 武器を持たないスポーツ化された情報や交通や教育の発達した現代の徒手打撃格闘技の歴史の違いがそこにあるのではないかと思います。



そのへん空手は、前者の歴史を引きずっているかなと思います。

空手の受けでは、ジャブやフックのみならずフック気味のストレートでも避けにくいのではないでしょうか? しかし、棒とか刃を肉を切らせて骨を絶つ戦場の守りの気概で受けるのならば これが一番有効だったと考えられます。

長い刃とかに対しては フックはそれが邪魔になって相手に当たりませんから、 刃の隙を飛び込んで突くなら やはり正拳突きの形のストレートのようになるかと思います。

でも フックは空手に対して強いです。

極真空手のようなパワーと自在な自由組み手を大事にした空手でも フックの動きには弱いのですが、

これはフックというのがフットワークの中で行うと意外と ピンポイントで“動く目標”に当てることが出来るようになってしまうのに、その動きになれたキックボクシングの人達に対して その訓練すらしてない空手(鉤突きは似て非なるもの、これも武器対応フックです。その意味でなら強力かもしれません。)では、 完全に弱いです。

もう1つ この歴史ある空手と近代格闘技の違いは やはり武器対応の立ち方猫足立ちの むしろ後ろの重心をかけた構えと、 相手のパンチの打撃にさへ耐えればいいだけの前進姿勢による練習の差が考えられます。

これは前進する(アグレッシブにぶつかる)ことでも命に関わる失敗とかダメージをうけない以上、 その姿勢で訓練したほうがたしかに打撃はうけやすいけど防御技術もその中では進化するという点が考えられるのです。

近代スポーツには、また科学的な訓練が取り入れられてもいます。 武術を離れたことで たとえばバレーボールの全日本男子のアタックのボールのスピードは120キロ、 ボクシングのチャンピオン級のパンチのスピードよりはるかに速くなっているそうです。(驚異的スピードと言ったほうがいいかもしれません。)

合気道のように、それだけではもはやk-1などにはとても出場できない武術もありますが、   

これはもともとは、剣道の高段者ですら人を切ることは出来ない動きとなっているところを合気剣という激しい打ち込みを3年やった人でないと教えない そうでなければ意味の無いのがもともとの合気道だったことを考えると そのへんのよすががわかってくるのではないでしょうか?

刃の下をくぐっての これほど高度な徒手格闘技は 世界中のどこにも無い合気道が そのままでは多少の名人でも安全な格闘競技にては通用しなくなっているのが その象徴のような感じとなるのではないでしょうか?

護身となると 現在における戦争の中ではない世界の暴力から身を守る武術です。

空手という武術からの 合気道までをおそらく含んだ総合武術のこれまたすさまじい歴史を 前回答者様のご回答から感じます。

中国拳法の理屈や歴史は知りませんが 仁術が北方中国から生まれた歴史経絡については少しかじっています。

いずれにしても、 争いに巻き込まれてしまう人間の弱さと、それでもそれを見つめそこからさえ 尊い平和にての価値を見つけてきた先人の壮大な魂の歴史をそこに感じます。

余談ですけど 戦争時の争い、とても醜さとか言えないです。 たぶんそんなものじゃないです。  そんなこと言ってられない恐怖の神経状態です。   平和時にこそ、スポーツや格闘技にてもっと心身を鍛えたいものですし、(ここには護身にても少しでも平和の価値やパワーの時間を守るということも含んでのことですが)かつほんとうは護身も必要の無い世界を創りたいですね。

この情報化時代にそんな歴史がやってきて欲しいです。 また私達がそれをつくれたらなとも思います。

でも その中でほんとうに普遍的な動きを言える深さのあるチャンピオンならば、平和時の武術(平和時にも必要な暴力からの護身の技術)の方法論こそがそれだとも言えそうです。 近代スポーツが逆に強くさせた武術にも対応する必要がある総合の総合となると思われるからです。

スピードの技巧のほんの時間差にて 本の小さな安全空間へ移動しつつフットワークも体裁きもしつつなんらかの身を守る術をかけてゆくのですから、これこそ合理的な動きは普遍的な形で決まってくると思います。

今の歴史(現時点)の武術の世界ですから。
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