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私は、キリスト教には詳しくない、仏教徒です。最近、聖書を読む機会があり、内容には感心したのですが、気になることがありました。
それは、聖書の内容の信ぴょう性についてです。
正直、マリアが処女懐胎したり、イエスが奇跡で病を治したり、イエスが1度死んだあとに生き返るといった記述は、実際に起こりえるとは思えません。信者の方、もしくは、協会では、聖書に記述されている出来事の信ぴょう性はどのように捉えているのでしょうか。よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

こんにちは


聖書って不思議に満ちていますよね。
その聖書は後世にたくさんの人によって編纂されたもであり、その後、宗教が政治的に利用された歴史があることなどを考えると、記述すべてを真実と受け取る事は危険かも知れません。
しかし、どんな宗教でも原理主義者といって、過激な主張をする派がいますが、キリスト教原理主義者もそのような傾向があり、聖書をそのまま信じているようです。
私はカトリックの家に生まれ、生後間もなく洗礼を受けた人間ですが、思春期頃からすべての事に懐疑的になると同時に、宗教とは無関係な生き方をしてきました。
しかし、疑ったり嫌ったりした宗教ですが、子供の頃に教えられた事が今の自分の考え方に大きな影響を及ぼしていると考えるこの頃です。
聖書に載っている事については荒唐無稽と言ってしまえばそれきりですが、しかし、ご質問者の言っている聖母マリアの処女受胎も、科学が発達し、試験管の中で赤ちゃんを作る事が出来る今の時代、一笑に付してしまうのは少し傲慢かなとも思います。
原理主義者やユダヤ教徒が信じる世の終末も、その前兆として起ると言われている天変地異は、現在の気候の変動による洪水、地震など気味悪いほど聖書との符合が感じられれます。
また、世の中には非科学的な事、現代の科学でさえ解明出来ていない不思議が厳然として存在する事を思えば、聖書の出来事もウソ八百とは言い切れないものがあるのではないかと思いますし、信憑性に付いても「無い」と言い切る根拠を私は持ちません。
それに第一、合理一辺倒の現実より、理解出来ない不思議を「在ったかもしれない事」として考える方がロマンがあって良いじゃないですか?
ダーウィンの進化論も一時期ほど、支持も説得力も無くなった今、ご質問は大変興味のあるテーマではないかと思いました。
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この回答へのお礼

>>また、世の中には非科学的な事、現代の科学でさえ解明出来ていない不思議が厳然として存在する事を思えば、聖書の出来事もウソ八百とは言い切れないものがあるのではないかと思いますし、信憑性に付いても「無い」と言い切る根拠を私は持ちません。

やはり、2000年間伝来している物語ですから、寓話と言いきれない重みは感じますね。

お礼日時:2008/07/10 08:33

常識では考えられない記述って沢山ありますよね。



アダムとイヴの子供、カインとアベルの話です。
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 アダムとイヴの二人の子供カインとアベル。彼らは「ノド」(名もなき地)という土地で暮らしながら天上神に仕える、とても仲の良い兄弟でした。しかし天上神がアベルの供物をよしとし、自分の供物を嫌ったことに我を忘れたカインは、最愛の弟アベルを殺すという大罪を犯してしまいました。
 天上神はいかづちをもってカインを荒涼たる砂漠へと追放しました。神に呪われたカインは闇の中を彷徨し、そこで出会ったリリスという不思議な女性との愛の呪縛に囚われました。
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創世記では神がアダムとイヴを作った。この時、この地上には男1人女1人。
アダムとイヴの間にはカインとアベルの男2人。やがて、アベルは殺される(人類初の殺人)
この時点で地上には多くてアダムとイヴとカインの3人です。
その後、カインはリリスと出会う。リリスって???

かえって疑問が増えちゃいましたね・・・
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あなたの指定した信者ではない理系人間ですが、ご勘弁を。



聖書に信憑性を求めることが無理です。
当然ながら聖書には神や奇跡などが登場します。
しかし現代科学においても、神の存在の是非以前に「神の定義」すら決まっていないでしょう。奇跡だってはるか昔のことですから検証のしようがありません。

質問者様は起こり得ないといっていますが、死んだ(と思われた)後、生き返ることは、今でも十分起こりえることですしね。
(もちろんイエスと同条件において検証することは人道的に不可能ですが。)

仏教でも釈迦の逸話や奇跡など、怪しいものは相当数あります。
あなたがそれを捉えるのと同じように、キリスト教徒も捉えているのでしょう。
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この手の質問をする方は、まず自分たちの事を見たり聞いたりしてください。


「南無妙法蓮華経」と唱えれば、本当に極楽に行けると信じていますか?
と創価学会の人に聞いてみてください。

靖国神社に参拝する人に、人が戦死したら本当に神になれると信じていますか?
と聞いてみてください。

伊勢神宮におまいりしている人に、日本は本当にイザナギの命とイザナミの命が矛でドロをかき回して造ったと信じていますか?
ときいてみてください。

質問者の回答は、その答えと同じで、人によりけり、宗派によりけりとなります。

聖書の記載を信じている人たちは、アメリカ人に多く(アメリカ人以外ではごくわずか)で、そういった人達は、福音派と自称しています。
ただし、福音派 = 聖書絶対主義者ではありません。
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この回答へのお礼

なるほど、福音派と呼ばれる人たち以外は、聖書をそのまま信じているわけではないのですか。参考になりました。

お礼日時:2008/07/10 08:31

聖書の記述はそのまま事実を書いているのではなく


何かの例えや象徴や暗号であったりします

たとえばイエスが雲の上を歩きその影が湖に移ったという記述は
イエス=太陽を表しています 太陽崇拝の描写を例えているわけです


たとえばダビンチの最後の晩餐にはMと記述が隠されています
マリアも頭文字Mですね
MはAから13番目の数値です 1年は12ヶ月月ですがこれは
神が+1ですので 12ヶ月+1で=13となるよう設計されています

しかしそれ故に本当に重要な解釈などは非常に世の中に大きな影響を
与えるためやたら公表されてはいないともいわれています
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