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テレビなんかでよく聞く運命という言葉に疑問を抱いてしまいます。
運命とは避けようのない未来というふうに捉えているのですが、
未来を見通すことのできる人でない限り、
その人がどのような生き方をするかなんて知りようがないですし、
たとえあったとしても知りようがないのなら、
無いのと同じなのではないでしょうか?
皆さんのご意見を伺いたいです。

A 回答 (16件中1~10件)

運命とは、人間が作った概念です。


よーく周りを見渡して、よく目をこらしてみて下さい。
どこに運命などというものがあるでしょうか?
トンボや蝶は、「運命とは・・・・」なんて考えているでしょうか?
いや、考えているかもしれませんが、たぶん考えていないでしょう。
だってそれは人間が作った概念だからです。
もっと言えば「存在」も人間が作った概念です。
5つの感覚器官で取得した情報を、脳で処理することができるもの
を、我々は「存在」と呼んでいるだけです。
本当に、「そう呼んでいるだけ」なんです。
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私は運命は信じていませんが、前世とかそういうものは信じているんです。


(信じてない方には馬鹿らしいかもしれませんが…)
それで、前世を信じているという事限定で話させて貰いますね。

前世で親しかった人は現世、後世でも出会うそうです。
前世で父親だった人が現世で妹になっていたり…。
そういう輪廻的視点から見ればあるんじゃないですかね?
運命を信じていない私としてはかなり矛盾しているんですが…。
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私が信じている事を書きますね。


あなたは因果応報という言葉が好きなのですね。
因果応報とは、
例えば
あなたが相手にひどい事をすると相手はあなたにひどい事をします。
あなたが一円を笑うと一円に泣きます。
あなたが人を差別するといつか差別を感じるでしょう。
また
人に優しくすれば人からも優しくされます。
あなたが自然を大切にすると自然もあなたに与えてくれるでしょう。
さらに・・・
あなたのご先祖が働き者ならば、あなたに財産が残っているでしょう。
あなたのご先祖が大酒飲みで怠け者ならば、あなたの家に財産はないかもしれません。
あなたのご先祖がたくさんの人を苦しめたとしたら、あなたも苦しむかもしれません。
またあなたのご先祖がたくさんの人を助けていたら、あなたもたくさんの人に助けられるでしょう。
人は過去にも未来にも繋がっているのです。
だから
今を正しく生きる事で、未来の運命を良いものにする。
未来とは、現在の行動の結果です。
手塚治の漫画「ブッタ」に運命の描写が出てきます。
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運命は選択できるものです



1.あなたは今から何もしないとします
その結果”何もしなかったために起きてしまう運命”が待っています

2.あなたは今から勢力的に何かをします
その結果”何かをし始めた人に起きてしまう運命”が待っています

選ぶのはあなたです、1か2どちらを選ぶかは運命的に決まっていません、あなた自身が考えどちらかを取捨選択するのです。

P.S.避けようが無いのは”宿命”です。(宿命については割愛)
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No.8に貼られたURLはどう見ても運命が存在しないことの解説に見えますが…。


それはさておき、物理の世界では運命が存在するという考えは主流ではないでしょう。
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>運命とは避けようのない未来


>未来を見通すことのできる人でない限り、  知りようがない
>知りようがないのなら、無いのと同じ

まさに、上記のように考えるしかないです。
これは、キリスト教のような1神教では問題ですが、仏教や日本神道のような多神教では、ほとんど問題になりません。
というのは、
多神教の場合の神は全知全能ではない。(2人神様がいて、両人とも相手より全面的に優れていることはありえない。)
ですから、神は超絶的な能力をもっているものの、全てを知っているわけではない。
ところが、1神教の神は全知全能なので、kotatsu116さんの未来を全て知っているはず。
で、
>人間の意志を超越して人に幸、不幸を与える力。
これは仕方ないのであきらめるとして、
>>自分の意思で決めたことでも運命を変えられないのか。
と、ここが問題。
自分の意思で運命が変化しないなら、判断はいつも人任せでもいいじゃないか。
こうなってしまうけど、それで良いのですか?
ですので、神様としては、たとえ結果を知っていても教えるわけにはいかないし、
人間の側も、自分の意思を以って運命が決まると考えて差し支えないのです。
このことを別の言い方をすれば、
・知りようがないなら運命は無いのと同じ。
となります。
少なくとも、
・運命は避けようがない
と考えるのより健全です。

ですので、
・運命は避けようがない
と主張しているのは、宗教でなく、実は科学。
そしてこれは、とりようによっては「人間の自由意志の否定」につながります。
だからこそ、宗教は科学を一時期不倶戴天の敵とみなしたのです。
他にも、この手の根源的解釈でケンカの余地があります。
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「運命」も「宿命」も定めということでは「法則」です。


果たしてあなたの運命は法則にしばられているのでしょうか?

誰かが定めた、或いは発見した法則に従って生きているのなら、運命はあるのでしょう。
たまに「運命とは神が定めた法則」だ、みたいなことを言っている人がいますが、得てして個人個人の詳細な内容は知りません。

誰も内容を知らずに、人生を「こういう運命だったんだ」とあとからあとはめているように思えます。(事前に認識しても、容易にひっくり返ります。「どういう運命かな、Aかな、Bかな?」→「Cだったんだ!」)

だから、内容はわからないけど「ある」と信じる人もいれば、内容がはっきりしないなら本当にあるのかどうかわからないじゃんと言う人もいます。
要は信心です。

ちなみに宿命は因果応報なので、過去の事例を参照した法則ですので、「ある」という人が増えると思います。
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この回答へのお礼

考え方が似ているように感じました。
法則は演澤法やら帰納法やらで学者さんが求めた式なんかで表すことが出来るから”法則”ですよね。
求めることも出来やしない法則に勝手に当てはめられて不可避なんて言われても納得できない。
うん、この考えおかしいかもしれない・・・

ちなみに自分は因果応報なんて言葉が好きです
矛盾してます

お礼日時:2008/08/30 23:46

どうも、「未来」に関する勘違いがあるようです。


「時間論」を学ぶと、直線的に空間化した誤謬認識で未来を捉えてはいけないよと分かるのですが・・・

質問者さんは、時間軸という直線上に、すでに決定済みの未来があって、それを連続的に体験しているジェットコースターの乗客のようなイメージで考えていませんか。

でも、次々と流れ来るような時間感覚ってないでしょう。
時間論を学ぶと誤解が消滅して、解決すると思いますよ。
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この回答へのお礼

時間論・・・
生物系の私には理解の範疇の軽く10マイルほどぶっとんでるのですが、
wikiに見つからなかったので知恵袋なんかを覗いてきました・・・
こんな考え方があるのですね、時間はただ単に過ぎ去って、到来するものだと思っていました。

>時間軸という直線上に、すでに決定済みの未来があって、それを連続的に体験しているジェットコースターの乗客
大体あっていますが少し違って、
もともと運命があるとは思っていないので、
ジェットコースターのコースがそこかしこで多数分岐していて、
そのポイントを自分で切り替えていくもののように思っていました。
まぁこれも違うのでしょうけど。。

時間論は相対性理論なんかもかかわってくるようで、
理解するのに時間がかかりそうです。。

お礼日時:2008/08/30 23:38

運命が存在するというのは、物理学の世界では当たり前です。


http://www.nikon.co.jp/main/jpn/feelnikon/discov …

ここに書かれているような現象は、運命という説明が無ければ
説明できないものです。

今から何かをすることが結果を決めるのではなく、何かをする
ことすら既に決まっているのです。自分で選択したように見えても
全ては、決定されていたことなのです。

ですが、それをあらかじめ知ることは、現在の科学ではできないので
無いのと同じというのは、今のところ正しいと思います。

将来、科学の進歩によって知ることができるようになったら、
それはそれで悲しいお話ですね。変えられないのですから・・・
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この回答へのお礼

うーん考えさせられます。。
もう物理学の分野で語り尽くされているのなら
僕のような一般人には口を挟む余地などは残されてはいないのでしょうが、
やはり屁理屈のように思ってしまいます。
その運命をはじき出す手段が無いのなら、
運命はあっても運命足り得ないんじゃないか、
机上のなんたらなんじゃないか、
なんて生意気なことを考えてしまいます。
多々私の読解が拙い部分が気にかかると思います、申し訳ありません。
うまく頭の中で考えがまとまらない私は口がとがりっぱなしです。

お礼日時:2008/08/30 23:20

>その人がどのような生き方をするかなんて知りようがないですし、


>たとえあったとしても知りようがないのなら、
>無いのと同じなのではないでしょうか?

つまり、人間に認識できなければ無いのと同じ、というわけですね。
確かに、そのような前提で考えれば、「運命」とは無いも同じです。
しかし、このように考えるならば、
そもそも人間が想像し得る形而上の概念はすべて、
「無いのと同じ」だということになってしまいます。
それは、果たして妥当な帰結だといえるでしょうか?

「運命」というのは、そういう概念的なものです。
あなたが「運命=避けようのない未来」と考えているのなら、
運命とはそのような概念であって、それ以上でもそれ以下でもありません。
そこに特別な意味を見出すかどうかは、ひとえに「その人次第」です。
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この回答へのお礼

>そもそも人間が想像し得る形而上の概念はすべて、
「無いのと同じ」だということになってしまいます。

そうですね仰ることはもっともだと思います。
運命なんて言葉にはいくつか使い方があるようで

1 人間の意志を超越して人に幸、不幸を与える力。また、その力によってめぐってくる幸、不幸のめぐりあわせ。運。「―のなせる業」「―をたどる」
2 将来の成り行き。今後どのようになるかということ。「国家の―」

2は私も普段使っているので存じているのですが、
1が理解できないのです。
運命を言い換えて時々第3者的力を感じたなんて聞きますが、
運命で社長になれると決まっているのならテレビの前でケツ掻いて柿ピー食ってるだけでなれるのでしょうか、
なれるわけ無いですよね。
何かを得るにはそれ相応の代償がつきまとうはずなのですから。
まぁそれすら運命と言われればそれまでですが・・・
どうしても後から自分自身を肯定するためにしか意味を成さないんじゃないか、としか思えないのです

と、ここまで書いて思ったのですが
私には文才どころか読解力にも欠いているようです。
申し訳ありません

お礼日時:2008/08/30 05:37

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