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戦国時代いろいろな武器をそろえるのは各国がそれぞれ自国内で行っていたはずですが、中には自国内ではどうしても入手できない材料などもあったと思います。そういう場合どのようなことが行われていたのでしょうか。できれば具体的に例を教えていただければと思います。

A 回答 (3件)

鉄砲の流通について調べたときのメモです。



鉄砲の他国への流通は、領主がきびしく規制したはずだのに全国に広まった。
米沢藩『上杉家文書』の「鉄炮一巻事」は、慶長9年前後の鉄炮鍛冶の動向を伝えている。
近江日野の鉄炮鍛冶の九右衛門が鉄炮百挺を売りにきたので、彼に扶持を与え、手伝いをつけ、
雇った。持参した鉄炮は過半が壊れた。
また、和泉堺の松右衛門が鉄炮を携えてきたので、知行の他に扶持を与え、弟子をつけ鉄炮を
作らせた。
鉄炮鍛冶の雇用と被官化は、とりわけ天正初年から慶長末年に集中している。

参考文献
吉川弘文館『日本の時代史12 戦国の地域国家』

火薬については、「上杉家文書 火薬」で検索すると出てきます。

この回答への補足

当時軍事力が強い国では領国内で銃そのほかを作らせていたということでしょうか。

補足日時:2008/09/29 16:15
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>>各国がそれぞれ自国内で行っていたはずです


いやぁそんなことは無いでしょう。
例えば鉄砲。
当時はまだ鉄砲の普及し始めでどこででも生産できるものではなかった
ようです。当時一大貿易港で海外からの物資が集まっていた堺、織田信長が
大量の鉄砲を調達した根来(和歌山)など、生産地は限られていました。
小説や映画の話ですが、織田信長がお忍びで堺に鉄砲を買い付けにいく
話がよく出ています。
刀についても鉄鉱石が採れる地域じゃないと生産できなかったでしょう。
そこで信長や斎藤道三などは広域な物流を促進するために自分の城下町を
無税(楽市楽座)にしたのだと思います。
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十分に想像できると思いますが、自給自足できないものは、


簡単にいって、商人から買うということです。当たり前ですね。
堺が中近世で中立(自治)都市として発展したのは、
こういう理由です。
しかし戦国時代においては、流通は低調でした。
織田信長が関所を廃して、統一をすすめたのは
いわば、時代のニーズにかなう行動だったわけです。
日本で流通が本格化するのは江戸時代の初期。海路開拓によって
大阪が日本経済の中心地となって、財閥が誕生した頃です。

この回答への補足

逆に言うと堺を押さえればほかの大名の武力を弱めることができたということでしょうか。甲斐の武田などは鉄砲調達はほとんど出来なくなったのでしょうか。

補足日時:2008/09/29 09:31
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