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民訴の迷宮でもがいている学習者です。

百選の14事件(最判S42・6・2)を読んでいて、スッキリしません。

この事案では、実質的に社団所有の不動産が代表者個人名義の登記なされていたところ、代表者が代わったので登記を新代表へ移せという移転登記請求が問題となっていますが、最判は社団は当事者となって訴えを提起できないとしています。
この判例と民訴29条が権利能力なき社団でも、民事訴訟上の当事者能力を付与していることと関係がよくわかりません。

通常の金銭債権・債務や物の引渡しなどでは、実体法の解釈として権利義務が社団構成員に総有的に帰属し、『事実上』、社団が主体となって、金銭を受領したり、債務を弁済したりできるから、訴訟でも社団が当事者になっても良い。

一方、登記請求の場合は、単に事実上の話ではなく、公の制度が一つからんで、公の制度が実体法として権利能力無き社団に登記請求権を認めてないので、29条があっても訴訟も社団が当事者になれない。

そんな、ざっくりした理解で良いのでしょうか?
結局、当事者能力は実体法の解釈次第という気がしてきました。

なかなか、自分のモヤモヤ感を適格に表現できないのがもどかしいのですが、どなたか、詳しい方のご助言があれば嬉しいです。

A 回答 (3件)

全部判例に従って書きます。



ずばり言えば、
>この判例と民訴29条が権利能力なき社団でも、民事訴訟上の当事者能力を付与していることと関係がよくわかりません。
まったく関係ありません。
判決原文(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/823937A13F1B9 …)を見れば判りますがそもそもこの判例は、「当事者となれない」なんて一言も言っていません。あくまでも「当該登記請求権は法人格なき社団にはない」ということを述べているだけ(これは当事者能力でも当事者適格でもなく、当該請求権が当該当事者に帰属し、行使可能なのかどうかという判断であるから本案の問題。これも述べている。実はこの話の方が当事者能力なんかより難しい。最後に傍論として解説)。

ということで、
>結局、当事者能力は実体法の解釈次第という気がしてきました。
これは完璧に間違い。当事者能力は、民事訴訟法に明文の規定があり、その規定に合致している限りは必ずあります。
そもそも質問の判例は“当事者能力を否定したものではない”です。ですからここで当事者能力を持ち出すのが誤りです。

ちょっとわき道にそれます。
今までの質問も何度か見ていますが、最大の問題は“法律概念の基本的な理解が決定的に不足している”ことです。理解していない概念、用語に振り回されているんですよ。それじゃあ法律が解らないのは当然です。特に民訴は記憶すべき概念、技術的な話が多いことで定評?があるところで、ますます解らなくなって当然。解らなかったらまず“定義に戻る”癖をつけましょう。
閑話休題。

当事者能力とは、民事訴訟において当事者となれる“一般的な資格”です。一般的なのですから訴訟の内容とは関係しません。とりあえず、“一般論としては当事者となれる”という話です。ですから、当事者能力のある場合に個別の訴訟で当事者能力が問題になどなりません。いいかえれば請求との関係で当事者能力の有無が決まることなどあり得ません。ある訴訟では当事者能力がありある訴訟ではないなんてそんなことは“絶対にない”のです。ですから、実体法上の請求権が何であれ、当事者能力はあるのなら必ずあるのです。あるなしは請求内容と関係なく決まるし、決まってしまえばまた同様に請求内容との関係ではまったく問題になりません。

一方、本質問では特定の訴訟においての話であるので、問題なのは当事者能力ではなく、当事者能力があることを前提に“当該請求について当事者となれるか”または“当該請求が当事者に帰属しかつ行使できるか”という話、つまり当事者適格または本案の問題です。しかし、当該請求について当事者自身の固有の請求権として訴求する限りは、当事者適格は問題とならないので結局、判示の通り本件は本案の問題です。即ち、登記請求権が団体代表者自身にあるのかないのかという問題です。
結論的には、登記請求権は団体自体にはなく、団体代表者にあります。
では、そこでなぜ登記請求権は代表者にあるのかと言えば、簡単に言えば“その請求権を認めることが紛争の解決に最も適しているかどうか”ということ。本件判決では同時に団体自身の名義による登記を否定したので、団体に登記請求権を認めても団体自身の名義で登記できない以上は無意味です。実際に登記名義人となるのは代表者なのですから代表者自身に登記請求権を認めるのがもっとも簡潔でかつそれで足りるのです。
ですからこれがもし銀行預金の名義だったらどうなるかというのは検討の余地があります。銀行預金は肩書き付き名義を認めており、形式的にも預金者は団体自身と考えられます。とするならば少なくとも一般論としては当該預金債権についての請求権は団体自身に認めることが問題の解決に直截的でかつそれで十分ですから、代表者個人には認められないと考えるべきです。


傍論。
当事者能力とは、とにかく民事訴訟で当事者となれるのかどうかという一般論であり、訴訟法の規定に従い一般的抽象的に存否が決まるので個別の請求とは何の関係もない。
当事者適格とは、個別の請求との関係でその個別具体的な請求をその個別具体的な当事者が訴訟において訴求することができるかどうかという話。
本案の問題とは、個別の請求との関係で当該個別具体的な請求の存否それ自体。当事者適格との違いは、当事者適格は、当該請求自体には理由があると仮定してもその当事者が当該請求を訴求できる立場にあるのかないのかという問題であるところ、本案の問題は、当該請求自体に理由があるのかないのかという判断であるところ。具体的に言えば、“他人の”請求権を“他人の請求権として”行使するのは、当事者適格の問題。一方、“他人の”請求権を“自己の請求権として”行使するのは本案の問題。誤解を恐れずに簡単に言えば、主観的帰属の問題が当事者適格で客観的存否の問題が本案。
本件では、登記請求権というのが代表者自身にあるとして訴えているのだから“自己の権利の訴求”なので、仮に代表者に登記請求権がないとしても“他人の権利”の訴求ではない以上は当事者適格の問題とはならず本案の問題になります。つまり、“代表者固有の登記請求権の客観的な存否”が問題になっているのだから本案の問題に他ならないということ。
同様に、もし逆に法人格なき社団が自己の登記請求権を主張して訴えを提起すれば(その法人格なき社団に当事者能力があることを前提に)、当該登記請求権(代表者の登記請求権ではなくあくまでも社団が自己にあると主張する登記請求権)が当該法人格なき社団にあるのかないのかという話つまり“団体固有の登記請求権の客観的な存否”の問題に他ならず、やはり当事者適格の問題ではなく本案の問題になります。これが、法人格なき社団に登記請求権があることを主張しながら代理人としてではなく個人として訴えを提起したりすれば、他人の権利の主張に他ならず、権利の主観的帰属の問題として当事者適格の問題になります。
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この回答へのお礼

ご助言ありがとうございます。

No1のご回答者へのお礼と同様なのですが、最初から「当事者能力」が認められるか否かが問題となったんだろうな、という思いこみを持ってしまったのが原因のようです。

その頭で判旨を読んだところ、「権利能力なき社団の資産はその社団の構成員全員に総有的に帰属しているのであって、社団自身が私法上の権利義務の主体となることはないから、社団の資産たる不動産についても、社団はその権利主体となり得るものではなく、したがって、登記請求権を有するものではないと解すべきである」とあり、
それを言ったら、他の債権債務でも権利能力なき社団は私法上の権利義務の主体になることはないのだから、民訴29条はいったい何だろう、と思ってしまいました。

また、改めて、百選判旨を読み返しても「本件訴訟において権利能力なき社団たる訴外連合会がみずから原告となるのが相当であるか、その代表者の地位にある者が個人として原告となるのが相当であるか」と論じており、当事者能力については全く論じていないということに気がつきました。

なぜ、この判例が当事者能力に関わる判例として重要なのかが謎になりましたが、改めて自分で考えてみたいと思います。

また、ご助言の通り、当事者能力は「有るなら有る」、「無いなら無い」という資格の問題で、この請求については有るが、この請求については無いというようなものではないということも、ようやくわかりました。

ただ、伊藤先生の教科書等でも、「社団性の認定の要件を、請求の種類によって変えるべき」という見解が紹介されていたり、百選の解説においても「○○という請求について当事者能力を否定したことは妥当」だった、というような表現が散見され、正直なところ、初学者にとっては相当な集中力をもって文章を読まないと、覚えたはずの定義や知識がすぐ揺さぶられて、頭の中で曖昧になってしまうのが悩みです。

叱咤激励ありがとうございます。

お礼日時:2008/10/14 20:01

ANo.2です。

一つまずい記述があるので補足。

「ある訴訟では当事者能力がありある訴訟ではないなんてそんなことは“絶対にない”のです」と書きましたが、間違いでないのですが誤解を招くので補足しておきます。
胎児に関しては権利能力の例外規定があるので、胎児を当事者とする場合には、「ある訴訟では当事者能力がありある訴訟ではない」ということが起こりえます。と言ってもこの場合も一般的抽象的に胎児が権利能力を有する場合であれば常にあるのであって「ある訴訟」という特定の訴訟における請求との関係で当事者能力の有無が決まるわけではありません。
つまり、私がここで「ある訴訟」と言っているのは“具体的な請求”を念頭に置いた具体的な訴訟の意味であり、当事者能力の有無はその具体的な請求とは別に決まるという話をしているのだというわけです。

さて、百選の話ですが、これは裏返しの議論をしたいと考えるべきでしょう。つまり、民訴法が法人格なき社団に当事者能力を認めていることについて、これが“実体法上の権利能力の拡張”という効果があるのかないのかという話。学説的には、民訴法で当事者能力を認める限度で実体法上の権利能力を拡張していると考える説があるので、そう考えると、法人格なき社団の当事者能力の有無は、前出の胎児の場合と同様に、一定の法律関係に限り一般的抽象的に権利能力があることを意味していると考えることができます。すると、本件判決は登記請求権についてはそのような法律関係には当たらないと考えていると理解することになります。であれば、実体法上の登記請求権との関係では法人格なき社団は訴訟法上の当事者能力を有しないと考えることは理論的に可能です。しかしながら、百選でも指摘している通り判例はそのような見解を採っていないと考えるべきであり、であれば、やはり当事者能力の問題は生じないということになります。

……まあ民訴の百選に入れるべき判例か?というのが正直なところではあります。法人格なき社団名義の登記を否定した点は重要かもしれませんが、そもそも法人格なき社団の“代表者”と登記請求権の関係を論じる判例であり、その前提として社団には登記請求権がないということを論じているのでしかないので、これを実体法上の権利能力と訴訟法上の当事者能力が常に表裏の関係にあると考える学説を前提にして評価するにしても、当事者能力に関する判例と捉えるのは筋が外れていると言わざるを得ません。紙幅の関係があるにしても、当事者能力の存否の問題として解説をしているというわけでもないですし。
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この回答へのお礼

権利能力に関する胎児の例はわかりやすく、理解の助けになります。

百選の事案は、ご助言をいただいた今となってみると、
実体法上の権利能力と訴訟法上の当事者能力が交錯して頭の整理が
必要となり、個人的には良い勉強の素材となりました。

その道の専門家が選定したのですから、実務的にも重要な判例なのでしょうし、このあたりにおいたのも、ご指摘のような観点からだと思いますが、基本書をある程度、自分なりに消化してからでないと、今回のように判例の位置付けからして途方に暮れることがあるようです。

ご丁寧な補足ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/16 14:06

>百選の14事件(最判S42・6・2)を読んでいて、スッキリしません。



 最判昭和47年6月2日民集26巻5番957頁ですね。

>最判は社団は当事者となって訴えを提起できないとしています。

 判旨はそうなっていますか?何人に登記請求権が帰属するかという登記手続訴訟における「本案」の問題に他ならないといっていませんか。

>一方、登記請求の場合は、単に事実上の話ではなく、公の制度が一つからんで、公の制度が実体法として権利能力無き社団に登記請求権を認めてないので、29条があっても訴訟も社団が当事者になれない。

 本案の問題とすれば、権利能力なき社団が原告となることはできるが、権利能力なき社団には登記請求権がないので、訴えの却下判決ではなく、原告の請求を棄却する「本案判決」をすることになるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

確かに、判旨を読み返したら、当事者となって訴えを提起できないという表現はしていませんでした。百選のタイトルが当事者能力の項目の下で「当事者能力と登記請求権」とあったので、当事者能力の有無を論じているという、先入観で読んでしまったようです。

的確なご助言ありがとうございます。

お礼日時:2008/10/14 19:32

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