プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

 過去に同様の質問をされた方がおりましたが、同様の疑問を持ちまし
たので、質問させて下さい。但し、ここでいう「評価」とは、高校生ぐ
らいまでの学校での成績や、企業が人材を採否する際の基準になるも
のとお考え下さい。

 私の考えで恐縮ですが、個人の能力を測るという点においては、学校
の授業に出てくる「教科」なり、その中の「過程」だけでは足りないと
いうこと、また本当にさわり程度の事しか学ばないので、真に学問はし
たくないが、テストでは周りより良い点を取りたいという人が、上手に
良い点を取る方法が転がっているというのは、問題だと思っています。

 前提が長くなりましたが、本題です。例えば野球が上手いが、他の球
技はどうも下手という少年がいました。彼には不運なことに、野球は怪
我の心配が大きいので、小中学校の授業には出てきません。おかげで苦
手なサッカーやバレーボールをやることになり、体育の成績はあまり良
くないということになります。弦楽器がプロ並みに上手い少女がいま
す。しかし、彼女は喘息持ちのため、歌やリコーダーは全くと言ってい
いほど出来ません。彼女は常に音楽の成績が良くありませんでした。
 このような場合、いくら高い能力を持っていても、学校の成績はあま
りよくなりません。上記の例は副教科ですので、高校入試などでは在学
中の内心点しか見られないため、大きなデメリットを背負うことになり
ます。実例としては、私の中学校では、理科や社会科のテストの回答
を、用語や地名などは全て漢字で書けなければ1点も貰えないというル
ールがあり、漢字が苦手だった私は、いつも高得点を取れずに苦労して
いました。顕微鏡が書けず、Microscopeと書いて呼び出しを食らったこ
とさえありましたw
 さて、上記の例は、個人の資質が学校の方針に合わずに良い評価が貰
えないという例ですが、例えば過去の偉人のG・J・メンデルのような人
が授業を受けていた場合でも、先生を質問攻めにして心象を悪くし、ま
た気になった部分をトコトン追窮するために他の部分に手が回らず、結
局テストもいい点が取れないまま卒業、中途半端な進学をして就職とい
うような結果になりかねません。

 このような状況でも学力信仰があるのは、

(1)「学力信仰」が昔からあったから
(2)学力が必ずしも能力を測る基準ではないにしろ、その人の調整力を
 測るには十分だから(某一流企業の人事部長の言葉)
(3)文科省の定めたの学習指導要領の範囲で、十分に能力を測れると思
 っている人がいるから
(4)どこかで線引きする必要があり、他に基準がないから

といった理由でしょうか。
 しかし、音楽学校や美術大学などの入試では過去の成績ではなく、主
に入学試験の結果を見られます。その際に審査するのは本当に分かって
いらっしゃる偉い先生なので、過去の成績とは関係なく合否が出る場合
も多いようです。
 企業としても、(一部では実施されているように)学歴や成績の履歴
よりも、入社時点でその企業が真に必要とする技術・知識の試験や、面
接時の雰囲気などを重視するようになって欲しいと思います。

 今年はフェンシングの太田選手がニートだったというような報道があ
りましたが、これはまさに、用意された人材採点方法にない部分の能力
が無視されてきたという結果なのではないか、と思っています。

A 回答 (2件)

>企業としても、(一部では実施されているように)学歴や成績の履歴よりも、入社時点でその企業が真に必要とする技術・知識の試験や、面接時の雰囲気などを重視するようになって欲しいと思います。



ご指摘の前半は、一部ではというより、多くの企業・団体でそうなりつつあります。例えば学校の成績や入社試験のペーパーテストの成績だけで成績順に採用する企業などまずないでしょう。こうした試験は、著しく能力の劣る受験者(例えば分数の計算ができないとか、簡単な漢字の読み書きもできないなど)を排除するには有効かもしれませんが、それだけで採否を決めるわけにはいきません。

とはいうものの後半のうち「面接時の雰囲気」はともかく、「入社時点でその企業が真に必要とする技術・知識の試験を重視する」ということは実は容易ではありません。多くの場合新卒の学生は入社(試験の)時点では「その企業が真に必要とする技術・知識」などあまり持ち合わせてはいないからです。多くの企業ではそうした技術・知識は入社後に配属された職場での訓練や社内の教育や研修で身につけさせることにしていますので、(キャリア採用は少し違いますが)むしろそうした教育の効果が上がるような旺盛な意欲や優れた素質を持った人材を見つけたいのです。

就職活動をしている学生のなかには、変な「学力信仰」というか「偏差値信仰」のようなものにとらわれている人がいるように感じます。企業が採用したいのは過去形の「優秀だった学生」ではなく、未来形の「将来優秀な社員になる意欲・素質のある学生」です。(期待通りにはいかない事も多いですが…)

私は個人的にはこうした人材発掘のためには、学生が書く「志望理由書」などの文章がある程度有効だと感じています。「文は人なり」という言葉もありますが、面接と合わせますと付け焼刃の知識や他人のお手本の丸写しでは通用せず、必ずどこかでボロが出てしまいます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私自身、なんとなくそうかぁ~と思っていたことを、ズバり文章で示し
て頂き、程よく理解することができました。ありがとうございます。
後半部分に出てきた志望理由書、今で言うエントリーシートのことです
ね。実は、もう時効だろうということで白状しますが、私は自他共に認
める"文章"上手(まぁ、ただ他人の文章の校正に自身があるだけで、自
分の意見を文章にするのはあまり得意ではありません)だったので、よ
く代理で文章作成を頼まれましたよ。箇条書きの志望理由や自己評価を
渡されて、これで400字程度の文章を作ってくれとか言われて、在学中
に9人分、約50枚程度は書かされましたね。そういう事情を一番分かっ
ているつもりなので、宿題のようなエントリーシートでは、個人の判定
資料にはならないと考えています。もし、全ての希望者が自らの心内を
素直に、自分なりの文章で書いてくれるというのなら、有効な手段とな
り得るかも知れませんが、そう言えないのが現状ではないでしょうか?

お礼日時:2008/12/23 12:26

まず、そもそも高校生までの成績なんて企業は誰も気にしません。

しかし、確かに高校入試は内申点とかで結構決まるらしいですし、大学も指定校推薦とかがありますからね、これは私もさっさと廃止した方がいいと思います。

>今年はフェンシングの太田選手がニートだったというような報道があ
りましたが、これはまさに、用意された人材採点方法にない部分の能力
が無視されてきたという結果なのではないか、と思っています。
フェンシングの能力は基本的にどの企業も必要としていないからです。成績を残し、知名度を得たことで初めて企業にとっての価値が生まれたわけです。

>企業としても、(一部では実施されているように)学歴や成績の履歴
よりも、入社時点でその企業が真に必要とする技術・知識の試験や、面
接時の雰囲気などを重視するようになって欲しい
まあ、非現実的でしょうね、希望者の能力を一人ひとり精査するのはほぼ不可能でしょう。また、結局のところ学歴や成績を無視したところで学歴などに従った採用結果になることがほとんどらしいです。
あと、これは私の主観ですが、このように発言する人は就活まで大抵何の努力もしてこなかった人たちです。別に、入試で失敗しても資格試験その他でいくらでも挽回できたはずですし(どうせ大学は暇なんですから)、そういった努力をしている人はたいていこんな発言はしません。


ただ、一つ言っておきたいのは日本が学歴社会である最大の理由は、コネの問題が大きいです。例えば、六大学の体育会系の人たちは、職さえ選ばなければ職に困ることはないそうです。そこの問題を見逃しては、この問題は語れないでしょう。
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この回答へのお礼

さっそくのご回答、ありがとうございます。
私の意見と合致する部分と、そうでない部分が見えて、とても参考に
なります。
まず、太田選手のことですが、フェンシングが企業の必要としない技術
だと仰いました。ところが、じゃぁ音楽や歴史の知識が、例えばCPには
必要と言えるでしょうか?言えないと思います。それでも、そのような
科目の成績の延長が、最終学歴にまで影響しています。これはつまり、
直接役に立つかどうかというよりも、音楽や社会科への取り組みを評価
しているだけなのではないかと思います。そういう意味では、フェンシ
ングも同様の評価に利用されてもいいのではないか?という指摘です。
ちなみに、私はowata--さんが言われるような、就活で苦労しなかった
人間でしょう。なぜなら、大学院後期過程を終了後に、直接常勤講師に
なった幸運の持ち主ですから。
教育や、学校での評価について考えるのは、自分の事を回想してではな
く、教職課程を取る学生に授業をしていて思うだけです。

お礼日時:2008/12/22 17:40

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