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ちょっとマニアックな質問ですみません。
米英ソなどは半自動銃や自動小銃を持っていたが、日本軍はなぜ銃身の長い三八式を持っていたのか等が良くわからないので教えてください

A 回答 (6件)

三八式銃は日本人の体型には長すぎるという欠点はありましたが,日露戦争当時は非常に優れた性能を示したものなんですよネ。


そして,一度成功したものは素晴らしいという固定観念が軍幹部に根強く残っていたということが挙げられるでしょう。
これは陸軍に限ったことではなく,海軍でも,零戦に拘り続けたために大きく不利な状況になってしまいましたネ。
また,当初の相手が旧式の武器しか持たない中国軍であったということも大きな要因でしょう。
南部14年式銃なども作動不良という欠陥はあったものの,命中率その他では,大正時代における名銃であったといえますネ。
そして大東亜戦争でもずっと使いつづけられたのですネ。
一応,百式機関銃は作られましたが,導入も遅く,量産も間に合わず,結局のところ小銃が中心ということになったのです。
つまり,陸軍首脳部には日露戦争以降の他国の武器の発達ということを考えることができなかったということですネ。
そして,戦術も戦略も時代遅れであったということが言えるでしょう。
以上kawakawaでした
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2003/01/31 12:04

海軍が艦船などハードの予算を大幅に取るので、陸軍は、慢性的な予算(資金)不足であった。

加えて、陸軍内部の発言権は、主流が兵術(作戦)であり、兵器や兵站(ロジスティック)は軽視されていた。従って、専門家の意見は無視された。
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以前に読んだ本では「三八式で一度大勝してしまったから」という解釈がのっていました。


日露戦争に勝って、まあ「うかれた」というわけでないのでしょうけれど、そのせいで、兵器の研究開発に力点をおかなかったという考え方だそうです。
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日本が貧乏で、尚且つ、工業生産技術が劣っていたから・・・、かな。



自動小銃を使った『弾薬バラ撒き型』の戦い方をしたのでは、旧日本陸軍は予備の弾薬がすぐになくなり、補給が必要になりますが、大阪の陸軍兵器廠を始めとする日本国内の各工廠の弾薬生産量では、とてもそれだけの量を生産できなかったのです。
また、仮に必要量を生産する技術と設備があったとしても、予算が潤沢とはとても言えない状態でした。

その他に、ヨーロッパでの第1次世界大戦を経験しなかったことから、陸軍上層部が『日露戦争』当時とさして変わらない感覚でいたから(=近代戦に対する無理解)かと思います。
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銃剣です。

敵と差し違えて死ぬ。武士道精神 
戦場で死ぬことが美徳と教育されていたから。
人権はなかった

連合国は、人権を尊重した。認識番号をつけていた
護身を、最重点にしたから
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ものすごく乱暴に言いますと軍部は


銃のスペック不足は使用者の腕前で補えば良い
と言った考えを持っていたようです、実際熟練者が使用した場合、
半自動小銃と同程度の速射能力が会ったとも言われています
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