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古い歴史書には倭に関する記述がいくつか出てきます。
倭をあたり前に日本列島と結びつける考え方とは反対に、倭は現在の日本とは異なった、現在の日本からかなり遠い地域の人々や集団をも指すと考える歴史研究家もいるようです。

その立場にたった場合、
『山海経』

  「蓋國在鉅燕南 倭北 倭屬燕」
   蓋国は鉅燕の南、倭の北にあり。 倭は燕に属す。

にでてくる倭は、現在の日本(および日本人)とは限らず、遼東半島から朝鮮半島のどこかにも見えます。
ここに出てくる倭は、現在の日本とはまた別の倭と考える人たちによると、どのあたりという説があるのでしょうか?
(のちの加羅(伽耶)地域まで下がることはないと思うんですが)

それから
『論衡』
  「周時天下太平 倭人來獻鬯草」
   周の時、天下太平にして、倭人来たりて暢草を献ず

これも周というかなり内陸地域の(現在の中国と比して)小さかった国との関係をみると、倭国から海を渡って周に朝貢していたとは必ずしも言えないと思いますが、ここに出てくる倭はどのあたりと考える説があるでしょうか。
人によっては、長江南部の越人と文化的に近いという説もあると思います。

説は1つではなくて複数あるとおもいますが、どんな説があるかやどんな地域を指しているかなどご存じの方いましたら、よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

 このお話は多分、倭寇の実態との齟齬の関連があるのではないかという感じを持ちました。

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この回答へのお礼

言語からみても、半島や大陸に倭人がおり、日本人の祖先は実は半島と九州の両方にいたとも考えています。

お礼日時:2009/02/01 17:19

自信ありませんが、朝鮮半島南部(海岸線沿いに限定?)も倭に含む説があります。



邪馬台国、卑弥呼関連の書物を調べるとこの手の話(古代の日本に関する)は出てきます。
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この回答へのお礼

そうですね。任那問題で話題にあがる地域は日本が支配したのではなく、もともと朝鮮半島の倭人の地域だったのかもしれません。

お礼日時:2009/02/01 17:18

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