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こんにちわ。アスペルガー当事者です。
当事者としてはアスペルガーが増えることで社会的認知も高まって良いと思うのですが・・・・。ちょっとアスペルガーが多すぎませんか?
ここの過去ログを見ていても1000件以上。日本の人口1億人としてこれまでの研究統計は1%が多いようですから、それを考えると少し多いような・・・。
自分に診断が下って思いましたが、アスペの人なんてゴロゴロいるんですよね。私見ですが工学部にいてまじめに勉強している人の3分の2はアスペだと思います。
コミュニケーションが取れない、興味が偏っている、マニアックといわれる・・・こんな人世の中いっぱいです。前述の工学部なんかこれの宝庫。工学部なんて大学院まで出なきゃ物にならないから、必然的に学歴も高くなり(世間では学歴=知能が高いなんていわれますからね)ますますアスペルガーと診断されやすくなる。
ちょっと多いというか、生きている人皆アスペのような・・・。
精神疾患(鬱、パニック、躁鬱)の場合治療できるし、同じ発達障害グループのADHDも対処法があるから診断基準もアスペより明確だし。
要するに対人関係で困っていて、明らかな知能異常がなく、コレといった対処法もない人が困って精神科へ行ってアスペルガーとつけられてるだけの気がしてならない。
でもこんな人いっぱいいるよね・・・。だから本当に障害なのか?と思う。仮にADHDとアスペルガー足したら人間皆そうなるんじゃないだろうか・・・。何がいいたいかというと、アスペルガーなんて障害が本当にあるのかってことです。
アスペルガー障害自体は存在するんだろうけど、(ちょっと矛盾してますが)それを「障害者」ってくくりにできるんだろうか?
「発達障害者支援法」なんてのも国会にあがってるらしいけど、これでは、困って精神科いって病名のない人は皆対象になってしまうんじゃない?
支援は嬉しいし、認知が上がってくれるのはうれしいけど、ちょっと複雑な思いの当事者です。
皆さんはどう思いますか?

A 回答 (8件)

8です。



>今の課題なんですが、当事者会に参加することなんですがなかなか・・・・。アスペルガーの方(診断された方)なのに知的障害やLDがあったりと純粋なアスペルガーの方と未だあったことがないです。

私の知っている当事者の会では、純粋なアスペルガーの方も他の障害と重複している方もいましたが、純粋なアスペの方はちょっといごこちが悪そうだった記憶があります。
私は当事者ではないので、ご本人の気持ちをしっかりとはわからないのですが、いろんなことを悩まれているのだなぁと感じました。

とくに、質問者さまのような大学まで行かれるような知的な機能の高い当事者の方は、私の知っている範囲の当事者の会ではいろいろと難しそうでした。
本当は、各大学内に当事者の会があれば、質問者さまも居心地がいい会になるのではないかと思うのですが…取り組み始めている大学もあるようですが、まだ当事者の会の在り方自体が発展途上なので、難しいようです。
(もし質問者さまが行かれているのが、大学の中の当事者の会だとしたら、ちょっと会のメンバーの集め方がうまくいっていないのかもしれませんね)。

>アスペルガーの方(診断された方)なのに知的障害やLDがあったり

知的障害といっても幅広い概念ですので、お医者さんによっては軽度の知的な障害があっても言語発達に問題がなければアスペルガーと診断することもあるようです(自閉症と診断しても実質いっしょなのですが、そこはお医者さんの好みのようです)。

また、LDがあっても重度でなければアスペルガーの診断を優先させるお医者さんが多いように感じています。(質問者さまの読まれた本には違うことが書いてあったかもしれませんが、私の経験からそう感じています)


>純粋なアスペの人は自己完結出来てしまうから当事者の会なんて来ないのかも・・・。

純粋なアスペで知的機能が高い方で、現在に周囲に適応できている方なら、そうじゃないかなぁ、と感じます。
理系は自閉症傾向が高いと言われていると以前回答に書きましたが、それは自閉症傾向が高い方は対人の分野ではないほうが居心地がいいので、そちらに流れる方が多いのではないかと私は感じています。

ただ、ご自分に合っていない環境に身を置いているアスペの人はとても苦しそうです。そういう方などのためにも、いろんな人にフィットする当事者の会が必要だと思うんですけどねぇ。


以上、感じたことを書きましたが、回答じゃないと感じたら通報して削除してもらってくださいね。
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 「(発達障害というくくりで)多くなってきていることには激しく同意します」ADHDの疑いの息子を十数年育ててきて、また、精神科入院歴のある姉を同じくらい診察に同席し、見てきて思うこと。

雑感吐露になりますが、吐いてみます。
 「お医者さんは一部の生活状態しか見れない」という物理的制限の中でしか、診断を下せないということ。故に浅い。専門家じゃありませんが。24時間数十年見ている周りのモノがいくら説明したとしてもすべては伝わり切りません。医者家族とも試行錯誤の中での治療しか望めないことを痛感しました。障害というあるいは自閉症という言葉先行型の社会で、「障害」と付いているから障害、「症」と付いているから病気という認識になっている現実と離れた難しさ。
 1歳半から疑い、発達障害育児ブログや本を読みあさり、3歳でグレーゾーンと言われて、それから言葉と運動のリハビリとリタリンを飲んで言動に明らかな改善があっても、我が息子は大きくなって脳のネットワークが発達したのか、晴れて大学病院の通院がなくなりました。ということは、ADHDではなかったのかとも思いますが、明らかに行動が幼少時から今も他とは少し違う。いわゆる「変わった人」です。それを見続けていりゃ、街へ出れば、同じような発達障害の香りのする人(視線・口の動き・独り言・動きから)はごまんといます。これは経験者でしかわからないであろう、本を読みあさっても、「それだけではない」と言える実感です。共感される家族経験者は多いはずです。
 自分の子供時代と比べてみて、学習障害の人はそれこそごまんといたことになりますが、アスペルガー・自閉症は明らかに増えている実感があります。個性と言えばいいのですが、その個性が、対人関係や社会性に影響があれば、支援は必要と考えます。ショックでありましょうが、その疑いがあると言うことを知ることから、自分の行動を家族によって矯正されれば、うまく行く確率は驚くほど高くなると考えます。「障害」という響きに恐れを成して、「ウチの家系はそんなことはありえない」などと問題を先送りすれば、二次障害による鬱などの方がよほど難しくなります。
 かくいう自分もこだわりや考え方など、本を読めば読むほど、育てれば育てるほど、少しはかかっているだろう、他のすべての人もだと思うようにもなりました。ただ、生きていける中での振れ幅だと。つまり、誰でも例えば超得意な教科はプラスの振れ幅、どれだけ勉強してもダメだったものはマイナスの振れ幅と考えれば、みなかかります。要は社会的にどうかと言うことだけで、見ているような気がしますね。普通というゲージが人によって違うのが一番の問題ですね。
 いずれこの問題は、脳のネットワークや伝達物質が解明され尽くせば、もっと明るい方向に向かうような気がします。一部そんな報道もありましたが。子供の発達の仕方を見て、その方向性でよい研究だと思います。
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他の方へのお礼をみていて、すごく勉強されている方なのだなぁ、と思いました。




>ここの過去ログを見ていても1000件以上。
>日本の人口1億人としてこれまでの研究統計は1%が多いようですから、それを考えると少し多いような

たしかに、最近、アスペルガーでは?と疑問を持つ方がとても多くなったと感じています。
それに、アスペの診断も出やすくなっているように感じます。


>私見ですが工学部にいてまじめに勉強している人の3分の2はアスペだと思います

実は、理系学部の方のほうが自閉症傾向が高いというのは統計的にあきらかになっていたりします。
そういえば、私の知っているアスペルガーと診断された理学部の学生さんで「自分のいる学部は2/3はアスペルガーだと思う」と言われていた方がいました。


>DSM、ICDの基準に従えば、鬱、躁鬱、統合失調症のいずれもあてはまると思うのですが?

確かに、アスペルガーとこれらの精神疾患の鑑別は問題になっています。
とくに統合失調症とは、アスペルガーと状態がかなり似ることがあるので、「統合失調症と診断してもアスペルガーと診断してもあまり違いはないんだけどね」とお医者さんがぼやいているのを聞いたことがあります。
実際は、うつ、躁うつ、統合失調症は、薬物療法が大きなウエイトを占める疾患ですし(アスペルガーの方での薬物療法を受ける方はいますが)、支援方法も変わってくるのですが…。


>アスペルガー障害自体は存在するんだろうけど、(ちょっと矛盾してますが)それを「障害者」ってくくりにできるんだろうか?
>MRI、CTに写る類のものならば「障害」といえるのかもしれませんが、まだそこも確立されているわけではありませんからね。
>「現実に困った部分を工夫しましょう」という意味で障害とついているだけではないかと思っています。

私もその通りだと思います。
アスペルガーと診断のつく方とそうでない方との脳の違いについては、今研究されているところ(ある程度違いがあるということがわかってきています)ですので、近い将来、脳の検査ではっきり診断されるようになるかもしれませんが、現状では質問者さまの言われている通り、あいまいな基準のもとに診断が出されている状態だと思います。

精神疾患の診断基準なんて刻一刻と変わってきているものですし、5年後10年後には、発達障害やアスペルガーという言葉も死語になっているかもしれませんね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
確かに精神疾患患者の飲む薬なんてSSRI・抗不安薬・睡眠薬ぐらいしかない(というかこれを出せば精神科と名乗れる)のが現状です。医者でもないのに断言してしまいますが。
抗精神病薬も効くには効きますが副作用が大変なものですし。(実際私も飲んだことありますが、鼻づまりがひどかった)効き目の代償が大きいです。
人嫌いだから結果として機械相手がよくなるということでしょうかね・・・。
今の課題なんですが、当事者会に参加することなんですがなかなか・・・・。アスペルガーの方(診断された方)なのに知的障害やLDがあったりと純粋なアスペルガーの方と未だあったことがないです。
本来はLDが伴っていればアスペは除外されるはずなんですが。
純粋なアスペの人は自己完結出来てしまうから当事者の会なんて来ないのかも・・・。
直らないから障害になったんでしょうが、正直ちょっと戸惑っています。

お礼日時:2009/03/15 21:30

アスペルガー当事者です。

アスペルガーも0.8%ぐらいと言われてましたが、かなり増えるんではないかという説を耳にしました。

ちなみに、どこからかはADHDもあるので忘れたのですが…。

日本のADHDはずいぶん少ないと言われてました。おそらく発達障害者支援法ができたから、診断あったほうが有利なケースも増え隠さなくなってきたのでしょう。

カミングアウトが増えて、米国並みの一割弱になるのではないでしょうか。

アスペルガーも厳密を愛する人びとが多いので、可能性を知ると診断受ける人も増え、ADHDと同じくらいになるのではないかという話でした。

ありえると思います。
重なってるケースが多いので合計25%いかないと思いますが…。


私は診断を受けたほうが本人が楽になるケースが多いので、勧めるときは「単なる能力の偏り」と言っておりますし、これは事実でしょう。

主さんが深く掘り下げて考えられたあたりがアスペルガー当事者らしいなあと思いました。

そういう掘り下げていく人生も有意義で、「あり」だと思います。
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確かに「診断」される人の数は増えています。



その原因の一つとして、最近興味深い話を聞いたのですが、
医師の方針にもよるのでしょうが、幾らアスペルガーの特性が強く出ていようとも、”その特性で困っている”状況が無い限りは”障害”の診断は受けないのだそうです。
他の診療科で「症状」のみで診断が下されるのに対し、「症状+困難」で診断がなされるのは、精神科独特の考え方なのだそうです。

昔から相当数のアスペルガー者がいた事は変わらないのですが、社会がアスペルガーの人に不向きな構造に変化してきた為に困難を抱える人が増えてきたため、診断にいたる人が増えたそうです。


あと、個人的に感じている増加の一因として、”自称専門家”による安易な”診断”があると思います。

アスペルガーと誤診されやすい病気があるのですが、
アスペルガーの診断の為には、上記のような「症状が他の疾患を起因としない」との前提を必要とします。

なので、簡単な問診で”多分アスペルガーだろう”と医師が感じたとしても、”除外診断”を行わなければならないし、それなりの期間(数ヶ月単位)の、面談を繰り返さない限り、生来のものと、生育家庭で起こった精神状態の変化との区別はつきません。

このように、アスペルガーの診断を下すにはかなりの時間を要します。

ところが何の検査をも行わず、1,2回の面談で診断を下す医師がいるためにアスペルガーとの誤診をされている患者も相当数いると思われます。

それなりの検査を経ての診断なら、「誰もかれもがアスペルガー」なんて事にはならないと思いますが、安易に診断を行う医師にかかれば「誰もかれもがアスペルガー」になってしまうのでしょうね。

この回答への補足

 

補足日時:2009/03/15 17:44
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この回答へのお礼

さまざまな検査を必ずしも診断に必要な要素ではないようですよ。
某国立病院でハッキリと聞きました。
検査はあくまでも問診に対しての裏づけであって検査そのものによって診断するわけではないそうです。
逆を言えば検査をしなければ分からない(問診では分からない)様な医者は患者を診ていないということです。

お礼日時:2009/03/15 17:56

アスペルガー障害の診断は、診断基準がありますし、困って精神科に行けば誰でも発達障害と診断されるわけではありませんので、ご心配にはおよびません。



自閉症とひとことでいっても、症状には個人差があると思います。同じフレーズの言葉を繰り返すような重い人もいれば、個性の範疇として日常生活に支障がなく、気がつかないで生活している人も多いでしょう。
アスペルガーの割合が0.08%といわれますが、アスペルガーと診断されない(診断基準には合わない)けれど、傾向を持つ人は数倍いるでしょう。ですので、質問者様がおっしゃるように、アスペルガーを含めて発達障害の傾向をたとえ少しでも持つ人は2人に1人くらいはいるのではないか、そしてその殆どが「忘れっぽい」「KY」など個性として捉えられているのだと思います。

私個人としては、発達障害の認知がすすむのは嬉しいことで、
「努力すればできる」「根性が足りない」「甘えている」「わがままだ」で片付けられていた発達障害者の”生き辛さ”を、脳の機能の違いの問題だと理解することで、いじめや叱責などから派生する「鬱」などの二次障害を減らすことができるのではと思います。

子どもだけでなく、大人にも発達障害があるという認識が広がっています。(まだまだ不十分ですが)
コミュニケーションが不得意ということだけで、大人の世界にもいじめはあります。
「ああ、あの人はアスペなんだよね、仕事の指示を適切に出さないとね」「うまくいかなかったら、今度は指示の方法を変えてみよう」なんて管理者が増えていったら、とても素敵なことだと思いますが。
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この回答へのお礼

私も理解者が増えてくる世の中はさぞいいだろうなと思います。
アスペルガーの診断基準と言っても曖昧ですよね。DSM、ICDの基準に従えば、鬱、躁鬱、統合失調症のいずれもあてはまると思うのですが?
そのいずれも当てはまらない人が基準となっていますがその鑑別は難しいですよね。
私の質問もイマイチだったのかもしれませんが、最近アスペルガーが増えていると言うのもそういう意味です。厳格な基準で定められているわけではない以上は医者によって判断が違うでしょうし、発達障害を見れる人も少ないですしね(自分で疑って医者を探すしか今のところ方法はないのが現状です)私も幸か不幸か何人の医者に見せても納得いかなかったので最終的にたまたま行き着いたというだけで・・・・。
24年間「性格」と思って我慢してきたものにとっては回答者様のような考えもあればと思いますが。

お礼日時:2009/03/15 16:22

ちょっと的も射ない、


可笑しな回答になってしまうかもしれませんが。

「障害者」というくくりも「アスペルガー」というくくりも、社会的ルールの下、勝手に名づけられた総称に過ぎないです。

社会的ルール的、法則的に「標準(標準なんてものも実際あるのかわかりませんが)」に外れたと想われる人を、勝手にそうくくっているだけです。

「そうである」というだけで「それがアスペルガーであるとか、障害者である」というのは「誰かがそう決めないとそうではない」からです。

コミュニケーションも例にあげられていますが
コミュニケーションとは意思伝達のことであり、たぶん社会的には「社会ルール的な意思伝達が出来る人をコミュニケーションが取れる人」とされているのかもしれませんね。

コミュニケーションの中にはやはり様々なコミュニケーションの取り方がありますので「沈黙でのコミュニケーションができる人もいれば(社会はそれをコミュニケーションと認めるのかは別として)、身振り手振りだけでできるコミュニケーションもある。」 またコミュニケーションが取れないと想う人でも、逆にその人だからこそ取れる特別なコミュニケーションもあるわけですから。

学歴=知能が高いという イメージはあっても
あくまで現社会基盤的にそうであるのであって、実際のところ本当に頭がいいのか?というところも解明されず、頭が良いとはそもそも何なのか?という定義もあいまいなままです。

たぶんアスペルガーと総称されているのは
現代社会的において「現代社会で作られた標準から少し離れている人のことをそう呼んでいる」のだと想います。

そうなってくると私も変わったところがあって、
コミュニケーションの取り方も現世間的にみると、たぶんちょっと独特なところがあるので。アスペルガーということになってしまいますが、
その標準も正しいのかわからないので、実質のところアスペルガーというのは有って無い様なものなのかもしれません。

現代社会論的にはそうであったとしても
神仏論的には「人は存在するだけで価値があり、素晴らしいもの」と問われていることがあるので。

もちろんどっちが正しい、正しくないもわからないですけれどね。


仮に標準から外れているというころは
それだけ個性もつよくて、その人しかもっていないもの(才能)があるということにも繋がるものだと想います。

それを過去の歴史がどうだとか、
社会的にコミュニケーションが取れてないとかで、ただそれだけで、相手を変な目でみる人の心にこそ、可笑しいところがあるのかもしれません。

本当の全部が全部ただしく、皆が皆ある種の本当に良いコミュニケーションを取れているのであれば、国も世界でひとくくりにしてしまってもいいのではないかなとさえ思えます。

そうできないのはほかならぬ「どこかコミュニケーションが上手くとれないところ」が人にあるところにあると思うので、そうなってくるとアスペルガーの定義とされている「コミュニケーションが取れない」にヒットしてしまうことになります。

またその中で度合いがある程度大きい人をアスペルガーと呼ぶとしたところで、実質のその度合いというのが「コミュニケーションがどこか上手く取れていない人たち=本当に上手く取れているのなら、戦争もないでしょうし、他者より利を求める競争が実現されるのではなく、他者と互いに利を求めていく成長が実現されてくる」ものだと想いますから。

ですので、上記を踏まえた上で、
アスペルガーというくくりはたぶん、余り当てにならないものになるのではないかなという考えです。
(実際、いろいろな方が色々な考察もかねられて、あるかわからない標準を作られたその上で、そういう言葉ができたとしたのなら、完全に当てはまらないともいえないですが、それでもやはり、コミュニケーション的にも、興味的にも、マニアック度だって、人によって様々なのですから、“くくりきること”はできないものなのではないでしょうか。)

>だから本当に障害なのか?と思う。
本当に障害があるのだとしたら、それは勝手な基準で相手を傷つけるような括りを作ってしまう言葉、またそれそのもののことを、障害と呼ぶのかもしれません。

いろいろと考えさえ手いただいたところ、
実際のところは、何をもってして「健常者」なのか、何をもってして「障害者」なのか、なんて括りはないのかもしれません。(現社会的にはあっても、人間本質にはないのかもしれないというお話で。)

仮にできるとすれば
科学的標準とみて「健常者」とする「障害者」とするということであって、実質はそういうものなんて無いのかもしれないです。

だって発達を例にとったとしても
「それはあくまで、社会的定義とされている(私がそう感じている点として)コミュニケーションが取れるかどうか、計算ができるかどうか、言葉を扱えるかどうか」という視点を発達レベルとしてみているのであって、発達というくくりもまた「それらを本当に発達としてみることができるのか」ということにもなってくるからです。

実際発達していっているのか、
退化しているのかすらわからないのかもしれませんから。


>アスペルガー障害自体は存在するんだろうけど、(ちょっと矛盾してますが)それを「障害者」ってくくりにできるんだろうか?
ちょっと変な回答になってしまいましたが、
以上のことを考えた上で、障害者というくくりは「ある人がそう括ってしまえばそうなるし、ある人がそう括らなければそうならない」というものになるのだと想います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。私の言いたかったことはまさにそういうことです。
「障害」(症候群)と名前がついているだけで実質は個性ですよね。
回答者さんのような考え方で「障害」を考えてくれる方がいることにホっとしました。
なかなか現実世界では見つかりませんが・・・・。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/15 16:28

自閉症スペクトラムという言葉はご存知でしょうか?

この回答への補足

もちろん知っています。自閉症スペクトラムに当てはめれば人間必ず「どこかの発達」地点に落ち着きますよね。進化したり退化したりすることが人間だと思うので・・・。
明らかな発達の遅れは知的障害ですし、アスペルガーも厳密に言えば高機能発達障害に入り知的な遅延を伴う発達障害とは区別されていますしね。
発達したのもしなかったのも後天的な部分も必ずあると思うので。
MRI、CTに写る類のものならば「障害」といえるのかもしれませんが、まだそこも確立されているわけではありませんからね。
「現実に困った部分を工夫しましょう」という意味で障害とついているだけではないかと思っています。

補足日時:2009/03/15 16:48
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